墓参り

2023年12月06日

仙人と今年最後の墓参り

2023.12.5

11月5日にパンクした遅山仙人を連れて、今年最後の親類縁者の墓参りにでかけました。



急ぐ旅でもないので、朝8時に我が家に来るように仙人伝えましたが、通勤ラッシュにかかって、15分遅れてやってきました。

約5kmのほぼ直線の狭い田んぼ道を来るとラッシュに会わないし、最短コースであることを教えましたが、仙人の頭に入ったかわかりません。

最初は、いつものように両親の眠る山形霊園に向かいました。

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眼下に山形市街地が広がり、その先の奥にそびえる月山が白くなり、まさに初冬の風景を仙人は感嘆していました。

今まで何度か連れてきた記憶があるのですが、大半は途中からの合流になっていたので、初めてかもしれません。

次に向かったのは、緑町にある唯法寺です。

途中、交通量の多い道路を避け、裏道を細々と走るため、仙人には車間を開けずに、私を見失わないように走るように伝えたのですが、100m以上離れるために、見失いそうになりました。

私が交差点から発進して、しばらく30km/hで走っても、とても追いつけなくなりました。いつまでも、来ないので心配して引き返すと、遠くから近づく車を待ってから発進したようです。

仙人は、排気量が違うと言い訳します。私が50ccの時から、そうだろうと言うと言葉に詰まります。

仙人は私を追いかけ、周りの車に気をつけなければならないと言います。私は、後ろの仙人と仙人の周りの車を常に見ていると返すと、何も言えなくなります。

郊外ならば、100m以上離れても問題はありません。

急ブレーキをかけられない仙人は、車間を詰めることが怖いと昔から言っていましたが、今はもっと怖くなっているようです。

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唯法寺の北隣りの専称寺のイチョウの巨木は、かなり葉を落としていました。このイチョウが黄色くなり、落ち始めると山形市内にも雪が降るという指標になっています。

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この寺は、父の実家や父方の親戚の墓があります。

仙人が蔵王第二中学校(蔵王温泉)に赴任中、教え子がゴルフの練習のため山形市内へ自転車で降りていく途中、道から外れて亡くなった時に葬儀で来たことがあると言っていました。

この寺は、元々、蔵王温泉にあり、蔵王温泉やその手前の堀田地区の殆どが檀家になっています。

江戸時代、山形城の城主だった最上義光(よしあき)が、現在の山形市緑町に浄土真宗の寺院14ケ寺を集めた内の一つになります。このことから、この一帯を寺町と言っています。

次は、山仲間S氏の菩提寺である大宝寺です。

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S氏は、わかるだけで元禄年間からの七代目の名家です。ご両親と五代前までのご先祖様たちが眠っています。

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本堂の前に菰を巻いた蓋付きの大きなプラスチックの容器が置いてありました。

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この寺のご住職夫妻を知ってはいましたが、仙人が一度、この寺で粗相をしているので、住職には聞かずに、帰宅後、S氏に尋ねてみました。

すると、

「明後日に星祭りという寺の行事があり、その儀式の中の水行修法で使う水を入れる桶です。儀式は11時から水行は11時半頃の予定です。」

「一般の人も見ることができて、撮影も問題ありません。大歓迎です。」

という返事がきました。

天気を見ながら言ってみようかと思っています。

次は仙人と縁のある金勝寺です。

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以前から、仙人の身内と私の身内が同じ墓の中に入っていると、このブログで紹介してきました。

しかし、仙人は正確に覚えていませんでした。

仙人の父親の実家から嫁に行った女性と結婚した男性に夫婦で養子になったのが、父の姉夫婦です。血のつながりはありません。

仙人の父親の実家で法事があると、仙人と父の姉夫婦の長男(私にとっては従兄)が隣の席になるそうです。

そんな関係で、大工だった私の父は、仙人の父親の実家を建てました。私も子供の頃は、何度も遊びに行きました。

仙人が私が入っていた社会人の登山サークルに入ったときには、仙人の素性は知っていました。

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仙人は、若い頃、毎年のように両親を連れて、この金勝寺に、初詣に来ていたと言いました。

日付が1月1日に変わるとすぐに自宅を出て、真っ暗の中をどこを走ったのかもわからずに、金勝寺に着き、お参りをして、高い所に登っていった記憶があると言っていました。

そこで、バイクで上まで行けると、仙人を連れていきました。

上から見た、違った景色に、仙人は昔のことを思い出していました。

昔は、初詣は、すごい人出だったそうです。

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次に、母方の身内が眠る等栄寺に向かいました。

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時刻は10時半を過ぎていました。

四基の墓参りを終えた後、人様の墓をお借りして、コーヒータイムを取ることとしました。

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珍しく、仙人はカカオ85%のチョコレートをお茶請けに持ってきました。チョコレートは、どれも甘いという概念で持ってきたようです。

私が持っていったBH氏からもらった柿と一緒に食べないと苦いよとアドバイスをすると、そのとおりだったので、びっくりしていました。

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いつものように、時事放談が始まりました。

お得意の宗教問題でパレスチナ問題にご執心のようでした。

また、最近、歴史学者の講演を聞き、僧侶の色話に満足した様子でした。

江戸時代の庶民の色恋事は、今と比べて、おおらかだったことを考えると僧侶の好事は珍しくも特別なことでないと返しました。

仙人は今の僧侶は皆だらし無い、葬式しかしないと不満たらたらでした。

確かに、私も葬式仏教に嫌気が差し、離檀しました。しかし、社会のために一生懸命になっている僧侶の方はたくさんいます。主義主張、思想理念に関わらず、一生懸命しようという人には応援したいものです。

そして、梨園についても、以前から仙人は批判的でした。

以前、仙人と行った河北町の真光寺に市川團十郎が毎年のようにお詣りに来ていたという話を紹介したことがあります。

しかし、最近はお参りに来なくなったので歌舞伎界がおかしくなったと言うので、仙人は自分の両親の墓参りをしたことがないことを指摘すると、何も言えなくなりました。

自分が体を動かさず、座学で批判することは簡単です。何事にも不平不満しかない仙人に真の幸福は来るのでしょうか。

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仙人と走るとロスタイムが多く、妻の実家の墓は中山間地にあり、この日は路面凍結も心配されたので、上山の山仲間O氏の墓に向かうことにしました。

村山西部広域農道を上山方面に向かうと、スキー場がオープンした蔵王が白くなっていました。

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O氏の墓に着いたときは12時半を回っていました。

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新しい花が飾られていました。

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11月5日の墓参りでも紹介しましたが、O氏の実家の兄夫妻が亡くなり、真新しい卒塔婆が立っていました。卒塔婆の施主の名前は、O氏から聞いていたことのある名前でした。

やはり、O氏の実家には誰もいなくなったようです。

仙人は、O氏の墓だけには手を合わせました。

昼食場所は、仙人が以前勤めていた南陽市の中川中学校時代によく通ったドライブイン一好(ひとよし)食堂に行きました。

楢下宿 丹野こんにゃくから西に走り、皆沢から広域農道フルーツラインを赤坂まで走り、国道13号線と旧国道13号線を走り、一好食堂に着きました。

この食堂は、2年前の10月21日に岩部山に行った帰りに立ち寄ったのですが、臨時休業でした。





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仙人にとっては40年ぶりの一好食堂でした。

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先代の店主から中川中学校に何度も出前をしてもらい、食堂にも、何度も顔を出し、店主とお茶を飲んだと言います。

当時の店主の奥様は、まだ、ご顕在のようでした。今の店主は息子さんで、仙人の赴任前に中川中学校に通っていたようです。当時のことや、先生たちのことで話が咲きました。

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13時半近くになり、私達が最後の客になりました。

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注文したのは、二人共、もつ煮定食でした。私も岩部山のリベンジになりました。

仙人も懐かしい話ができて満足していました。

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私達が食堂を出て、店の外で店主とバイク談義をして、14時過ぎて、営業終了となりました。

まだ、時間がありましたが、薄雲が広がり、気温が下がってきたので、我が家でコーヒータイムを取り、16時前に満足した仙人は帰宅しました。


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2023年11月07日

仙人のパンクと墓参り

2023.11.5

毎月恒例第一日曜日、今月の親類縁者の墓参りの前日、遅山仙人から電話が入りました。

月末に仙人を連れて行かなかった御刻印のツアーについて、内容を聞きたくて架電してきたのです。

御刻印で縁を感じた光明寺で説明したように、御刻印についても、光明寺についても、一切触れずに、仙人の質問にも答えにならない回答をし、適当に話を充て、ツアーの内容については終わりにしました。



相変わらずの退屈男なので、話は長くなり、明日、墓参りに行く話をしていると村山原付祭について思い出しました。



そこで、朝早い村山原付祭に参加し、その後、山形市内に戻り、私の墓参りに付き合うように勧誘すると商談がまとまりました。


翌朝6時に仙人の隠れ家を出発しました。仙人のカブは、バッテリーが逝かれて、キックでしかエンジンがかからなくなっていました。

途中、仙人がガソリン僅少と言うので、24時間のセルフスタンドに立ち寄りました。

セルフでしたことがないと言う仙人は、タッチパネルの説明をよく読まず、音声ガイダンスも、よく聞き取らず、操作に難儀しました。

今まで、同じタイプのセルフで何度も給油していることを忘れて、まだボケる年でもないのに、かなり脳の劣化が進んでいるように見受けられました。

スタンドからは、真っ直ぐ道なりに北上するのが最短コースなので、そのまま北上しました。

天童市に入ってすぐ、仙人はパンクしてしまいました。

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朝方まで降っていた雨で路面が濡れていて、タイヤも濡れていましたが、どこかに釘でも刺さっていないか調べましたがわかりませんでした。

私が持っていたパンク修理剤を注入しようとしましたが、ホースから処理剤が入らず、ボンベの出口から泡が漏れ出すという不良品でした。

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そこで、仙人は知り合いの天童市内のバイク屋に電話して、救援を依頼しました。

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何とか目処が付きそうだったので、しばし、コーヒータイムとしました。

空気圧不足は、要らないものまで拾いパンクの原因になるので、空気圧ぐらい自分でメンテするように伝えました。

しかし、生来の機械音痴で、しかも、物を集めるのは大好きでも、物を大事にせず、カブも雨ざらしにしているのでカウルもリアボックスも苔むしています。

私は村山原付祭を諦め、寺の開門時間を考えて、8時まで仙人に付き合いました。

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私は、山形市内に引き返し、いつもとは違う順序で墓参りを進めました。

一番最初は一番北側の寺院で、仙人の身内と私の身内が同じ墓に入っています。

今回のパンクを含めて、仙人の身内に叱咤激励をお願いしました。

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昨年も同じ日に墓参りに来ていますが、今年の紅葉は、遅れている感じでした。



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途中、山仲間S氏にも立ち寄り、御刻印の現物を見てもらい、S氏の菩提寺の話もし、仙人がパンクで救援を待っている話をしました。

そこから仙人に架電すると、まもなく、迎えが来るとのことでした。最悪、S氏からトラックで救援に行ってもらい、私の家に仙人のカブを入院させるつもりでした。

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上山の山仲間O氏の墓に着いたのは、11時30分ちょうどでした。

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今回は花が飾られてありました。不思議に思い、墓誌を見ると、真新しい戒名と名前が刻まれてありました。

先月、O氏のお兄さんが亡くなったようです。昨年は、お兄さんの奥様が亡くなられています。

お兄さんの子供さんは双子の娘さんだけだったような気がします。

これからは墓誌に新しい名前が加わることがないと思います。

多分、近い将来、無縁墓になる可能性があります。

仙人は独身なので、無縁墓になるでしょう。

S氏は、菩提寺への貢献度が高いので、住職から永代供養を約束されています。

巷で話題になっている無縁墓が身近でも起こっているという事例です。

新しいライトなスーパードライができたので、スパードライ好きのO氏のために供え、仙人へ叱咤激励をお願いしました。

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私の両親の墓地が最後になりました。

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そこに仙人から電話が入りました。さらに、夕方の料理途中にも、仙人から電話が入りました。

仙人によると、バイク屋はリムからタイヤを外すのに苦労をしていたとのことでした。

バイク屋は空気圧が低かったのが原因だと言っていたそうです。

バルブの根本に穴が空いていたようです。

昨年の今頃、タイヤを交換し、その後、帯状疱疹の激痛により、家を出ることがままならず、最初に軽くツーリングに行ったのは5月3日の激痛仙人を連れて墓参りです。



それからも、日々、激痛と戦う仙人はツーリングに行くのも億劫となり、例年から比べると、回数は激減しました。

昨年のタイヤ交換以降、一度もバイク屋に行っていないようです。

話を総合すると、日頃の点検整備不良と雨ざらしにより、タイヤがリムに固着し、雨水がバルブの根本まで浸透し、錆びて、チューブと剥離して空気が漏れた可能性があります。

空気圧が正常になったことで乗り心地が良くなったと言う仙人に、次は前のタイヤもパンクし、ハンドルを取られて転倒し、後ろの車に轢かれて、えらい目に遭うと脅かしておきました。

これが、2022.10.21のリベンジとS氏の予言の4度目にならないことを祈ります。



夕方、仙人から電話をもらったときは、妻が日曜出勤だったので、私は炊事軍曹でした。

前述の亡きO氏が、三沢の米軍基地祭りで覚えてきた、玉ねぎとキャベツとトマトと豚バラ肉とニンニクの重ね煮を作りました。

この料理は7月7日の葉山登山(遅咲きのタムシバの山を下る)でも紹介しています。

 

豚バラを使うのがポイントです。モモや他の肉では味が出ません。

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ニンニクはたくさん入れた方が良いと思います。

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露地の完熟トマトが良いのですが、缶詰でも構いません。

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味付けには、ケチャップやソース、ブラックペッパーを使いますが、ベーリーフやバジルを使うと上品な感じに仕上がります。

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無水で煮ます。焦げ付かないように火を調整します。

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手抜きで簡単で、昔から我が家の子どもたちに人気の定番料理でした。


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2023年10月21日

墓参りと栗拾いと栗ご飯

2023.10.8

毎月第一日曜日恒例の親類縁者の墓参りは、今月は第一日曜日に上京したために、翌週に変更しました。

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多少風はありましたが、天気が良く、墓参りには、丁度いい天候でした。

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父の実家がある寺には、父方の親戚の墓も複数あります。唯一わかっているのは、住職から教えてもらった、父の叔父の墓です。

父の従妹が墓守をしていますが、高齢になり、住職も消息を心配していました。

今回、訪れたら花が添えられていました。父の従妹が飾ったのか、それとも従妹が仏になってしまったのか、この日は住職に確認せずに、次の寺に向かいました。

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次は、遅山仙人の身内と父の姉夫婦が同じ墓に入っている寺です。

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いつものように、仙人の帯状疱疹の激痛からの快癒を仙人の身内に祈願してきました。

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母方の身内のお参りを済ませ、妻の実家の墓に向かいました。

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最近、妻の実家も山形市内の平坦部に転居し、墓参りでなければ来る機会が無くなってしまいました。

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墓地のすぐ上にある旧双葉小学校への通学路にある栗が落ちていたので拾いました。

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下の方の栗は小さめなのですが、学校に近い方は大きな栗でした。30個近く拾って、次の墓地に向かいました。

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最後は、上山の山仲間の墓地です。

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今回は、好物の一つだったバドワイザーを一缶供えました。ここでは、山仲間に仙人へ叱咤激励をお願いしました。

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久しぶりに、広域農道を通り、遠回りして帰りました。

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まだ、稲刈りが済まない田んぼがたくさんありました。

翌日は、妻が仕事なので炊事軍曹を賜りました。

前日に取ってきた栗を冷凍庫に保存しておき、熱湯に10分ほど漬け込んでから皮を剥くと、鬼皮は比較的簡単に剥けました。

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前日取ってきた半分の栗を栗ご飯にしました。今回は塩の代わりに白だしを入れていみました。

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家にあった豚肉で豚唐揚げとカボチャの天ぷら、東京かっぱ橋で買ってきた究極のピーラーを使って人参、ごぼう、万願寺唐辛子のかき揚げを作りました。

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今日も炊事軍曹の任務を無事終了しました。


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2023年09月08日

お墓参りと仙人の現場検証

2023.9.3

毎月第一日曜日恒例の親類縁者の墓参りをしました。

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いつものように、5ケ寺3霊園を周り、最後の上山から、昨年10月20日に南陽市の筋という集落近くの基幹林道黒森線で事故に遭った遅山仙人の現場検証に行くことにしました。

筋

上山市の葉山温泉の北側にある山形県立養護学校の北の市道を西に山沿いに上っていくと基幹林道黒森線の入口があります。

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このルートは仙人と何度も走っています。



途中、両側の草が伸びて道を塞いでいるところもありました。

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以前話題にした「立入禁止罰金二十万円」の看板がまだありました。この看板の北側は松茸が出ると思います。

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山形市役所はホームページや広報誌に天然のキノコは取らないように注意喚起しています。

いま話題の福島原発の処理水より放射線量が高いので取って食べないように注意しているのだと思います。

この場所の松茸はどうなのでしょうか。

話はそれましたが、仙人の事故現場の手前に仙人が以前から気になってしょうがない家がありました。

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この家は、夏は大きなパラソルがあったり、テーブルや椅子があったり、庭の手入れが行き届き、畑もあるような感じです。

建物も農家という感じがしません。ハイカラな感じがします。

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仙人は、この道を通るたびに、この家の住人にアプローしたくていたのです。

私には言いませんでしたが、多分、仙人は10月20日に、この家の住人に会いたくて、一人で上山から黒森線を走ってきたと思います。

しかし、当日、住人に会えなかったか、それとも、相手にされなかったか。

今回、私がこの家に到着したときは、車はなく、入口にはロープで閉じられていましたが、昔の大きなラジカセからNHKのど自慢の放送が大音響で流れていました。

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そして、仙人は南陽市吉野地区の県道に向かって走っている途中に事故を起こしたのです。

事故の詳細については、仙人、罰(バチ)が当たる?!で詳しく説明しています。



仙人の供述によると、先程の家から下り、直線になったところで、突然気を失い、気がついたら、右足の膝内側の筋肉が500円玉の直径で円筒形状に骨が見えるほど失われていたと言うのです。

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例えば、路面に凹凸があり、それが原因で転んだとすれば、スーパーカブと仙人の体は離れているはずです。

また、何かの理由で気を失ったとしても、カブと体は離れている可能性が高いと思います。

ところが、カブをまたいだまま、気を失っていたようです。

本来なら、いたるところに打撲や外傷があるはずですが、体の傷は、失われた筋肉だけだったのです。

この林道のこのエリアは、以前から、亀の子クラックと呼ばれる、亀甲模様のような細かい亀裂が路面全体に入っていました。

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何でこんなことになるのか。

林道の場合は、大型車が頻繁に走るという想定をしていないので、路盤材と言われる砕石やアスファルトの厚みが国県道に比べると薄い可能性があります。

また、土を盛って道を作る部分は、ブルドーザーやタイヤローラーで十分締固めをして、(昔は)CBR試験という方法で道路本体の強さを測って、路盤材の厚さ決めますが、林道の場合は試験はしていないかもしれません。

最近の森林伐採は、チェーンソーでの人力伐採ではなく、チェーンソーの付いたアームを持つ大型機械で、バンバン切り出し、大型トラックでドンドン山から運び出すので、伐採期間中は大型車が頻繁に走るようになりました。

仙人が事故に遭ったと思われる付近には、道路を補修したと思われる箇所がいくつかありました。

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仙人が事故に遭った有力な手がかりはなく、私も当時の仙人同様に、県道に向かって走りました。

つづく



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2023年08月09日

久しぶりに霊園の理事長に会う

2023.8.6



二日前にエンジンオイルを交換したので、翌日にお墓参りに行こうと思っていましたが、朝、家事に追われ、ヨーイドンの用意に時間がかかり過ぎて、朝の出発時間が遅れてしまったので、一日遅らせることにしました。

毎日、クソ暑い日が続き、外に出るのも危険だと言われるぐらいですが、塩入りの真水をペットボトルに入れて、数珠とロウソクと線香とライターとタオルを手提げ袋に入れて、朝8時過ぎに出発しました。

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最初に行った両親が眠る山形霊園では、手桶二つに水を一杯汲みました。

墓石に水をかけるのではなく、墓石の脇にあるサツキに手桶の水を全部かけました。

もう一つの手桶は、直ぐそばにある親戚のサツキにかけました。

このところ、雨が全く降らず、植木類は危機的状況でした。中には、葉が赤茶けたサツキもありました。

盆の13日にお参りに来るので、今回はサツキ優先としました。

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二ケ所目は、先月からお参りを始めた山仲間S氏の両親が眠る大宝寺です。日陰にリトルカブを停めさせてもらいました。

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三ケ所目は父の実家の唯法寺です。

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突き当りの専称寺は、材料不足で工事が中断していた山門が、ようやく、完成していました。

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唯法寺は、お盆が間近いためか、数人の檀家さんが墓の掃除をしていました。

住職もゴミを袋に入れて、掃除をしてました。今回は、住職には声をかけませんでした。

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四ヶ所目は、金勝寺です。父の姉夫婦と遅山仙人の身内が同じ墓に眠っています。

数基隣の墓には、年老いた母とその娘と思われる女性二人が墓の雑草をたくさん取り除いていました。

私は、毎月の墓参りの時は、墓を雑巾で拭くまではしませんが、雑草類はもちろん、枯れた花などゴミの類は全部きれいにしています。

なので、墓参りに行った墓は、いつもきれいにするので、墓の家の人は不思議に思うかもしれないし、そんなもんだと思うかもしれません。

毎月のことながら、この墓に眠る仙人の身内に、帯状疱疹の痛みに苦しむ仙人に対して叱咤激励をお願いしました。

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五ケ所目は等栄寺です。

この寺には、母の方の祖父母やたくさんの親戚が眠っています。

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また、父方の従姉の菩提寺でもあります。亡くなって2年が経ちますが、まだ、墓は建っていません。

六ケ所目は妻の父が眠る墓地です。

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ここでも、墓の掃除をしている家族がいました。

そして、七ケ所目は、山仲間でバイクの師匠であるO氏が眠る上山の墓地です。

途中のセブンイレブンでスーパードライを買いました。

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そろそろ、雲が出始めました。

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先月同様にO氏の大好物、スーパードライを供えました。

そして、遅山仙人の名付け親でもあるO氏に、仙人に喝を入れてくれるように頼みました。

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そして、ここから一気に、大森のべにばな霊園に向かいました。



ちょっと遠回りではありますが、広域農道べにばなトンネルをくぐって高瀬に入り、大森のトンネルを抜けると、すぐ右手に、べにばな霊園があります。

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この霊園には、知人の山形大学農学部元教官の奥様が眠っています。下のキリスト教式納骨式で紹介しています。



この霊園の理事長が知り合いだったこともあり、奥様の墓地を探している元教官に、この霊園を勧めました。

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今回、久しぶりに霊園の理事長にお会いできました。

理事長は、お盆が近いこともあり、重機を使って霊園の敷地の整備を始めるところでした。

氏は、自分の重機を使って、山形県に協力して隣接する河川の整備をしたり、地元の大森地区に協力してシバザクラの管理や、シバザクラを見に来るお客さんのために駐車場を提供しています。

しばらく立ち話をさせてもらいました。

理事長の話によれば、予定したほど、墓地の利用者が伸びていないこと。その代わり、100基準備した永代供養塔が、すぐに埋まったこと。

家族構成も変わって来たこともあり、最近は菩提寺から墓じまいをして、この霊園を求める人が増えているそうです。

永代供養にしても、寺であれば、一人100万円もかかることから、格安なところを求めるようになっているとのこと。

価格もさることながら、安心して寺に任せられないという不信感もあるとのことでした。

寺は葬儀をセレモニーホールに任せっきりで、本来の宗教活動をしてこなかったことが、現在の状況を生み出していると強く懸念していました。

私も、随分前に、菩提寺を離檀しました。菩提寺に墓を持っていないこともあり、ハガキ一枚に離檀届を書いて、それでお終いです。

私が当時、葬式仏教に嫌気がさしていたことが、今になっては当たり前になってしまいました。

今後、寺の数は激減してくるだろうし、真面目に宗教活動している僧侶にとっては、迷惑な話だと言っていました。

立ち話が終わると理事長は重機に乗って、敷地の整備に取り掛かりました。

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べにばな霊園を後にし、自宅に戻ると同時にゲリラ雷雨が降り始めました。

山形市内では所々に警報や緊急避難情報が出ましたが、我が家では、久しぶりに庭木に恵みの雨になりました。


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