寺参り
2023年11月09日
塩釜顕妙寺で御刻印いただきました
2023.11.8
遅山仙人がパンクした日の午後、宮城県塩釜市にある顕妙寺に電話をしました。
顕妙寺の副住職の都合に合わせて、8日の10時頃に伺うと伝えました。
最短ルートの国道286号笹谷峠が冬季閉鎖期間に入ったため、どのコースを取るのかが課題になりました。蔵王エコーラインも11月6日から冬季閉鎖に入りました。
国道48号関山トンネルのルートは交通量と事故が多く、トルクが小さく、不出来なリトルカブでは心もとないので、遠回りでも金山峠、113号七ヶ宿ルートを取ることにしました。
金山峠は12月1日から来年の4月26日まで冬季閉鎖の予定でした。11月一杯は走れます。
道路の両脇は落ち葉が一杯でした。木の枝もたくさん落ちていました。
国道113号に入り、七ヶ宿湯原の気温は9℃でした。平年並みの寒さではないものの、この日の最高気温は16〜17℃ぐらいで低めでした。
七ヶ宿町で唯一の信号機の交差点を左折し、遠刈田温泉まで一気に北上しました。
遠刈田温泉から車の量が増え、村田町、志賀姥ケ懐トンネルを抜け、岩沼、館越、仙台空港の下をくぐって東部復興道路を北上しました。
途中、名取川に架かる閖上(ゆりあげ)橋付近と七北田川に架かる高砂橋付近が渋滞しました。
夢メッセの先の90度カーブの先で鋭角に左折し、交通量が多いと思われる国道45号に乗らずに、ちょっと遠回りでも、いつも走っている手前の県道へ右折し、塩釜港へ北上しました。
マリンゲート塩釜の前の道は松島方面からの帰りに、よく使うルートです。
鹽竈神社への交差点を北上し、ミニストップの先を右折すると急勾配になります。途中、福定寺付近が一番の勾配です。
登りきって、ちょっと行くと、本日の目的地、顕妙寺になります。
時刻は9時20分でした。笹谷峠経由に比べると40分オーバーというところです。
ここまで132km、googleマップマップの距離計測とほとんど誤差がありませんでした。
境内は広くはありません。本堂も外見からは大きく感じませんでした。
本堂の前の庭には稲荷神社とバス停とベンチがありました。
本堂の裏側に本堂とつながっている檀信徒会館がありました。
入ってすぐ左側に刻印機が置いてありました。
御朱印はインターホンで呼ぶように指示書きがあったので、インターホンを押して、副住職とお会いしました。
最初に本堂を案内されて、参詣しました。
私は、100均で買った御朱印帳を入れる袋に数珠を忍ばせておきます。
お参りが終わった後、会館に戻り、副住所に再度挨拶をし、今回の目的について話をさせていただきました。
副住職は、山形に御刻印の核となるような場所を探していたとのことでした。
山形にバイク神社があり、他の神社は、その神社に気兼ねしているので、御刻印が進まないとのことでした。
私は栃木県にバイク神社を商標登録した神社があることは知っていました。今年の4月に東京の友人に行った帰りに立ち寄る予定でした。
私は行ったことはありませんが、山形のバイク神社は長井市にある神社のはずです。多分、バイク神社の名称を使うためにパテント料をお支払いになっているのかもしれません。
顕妙寺の副住職にとっては、まさに渡りに船だったかもしれません。
しかし、私は知り合いの住職が新しい行事に取り組まれていて、様々な困難と立ち向かい、奮闘されているために、今すぐには御刻印に取り組むのは難しいかもしれないと話しました。
すると、副住所は若草稲荷神社の例を教えてくださいました。
数年前まで誰も来ない若草神社は、宮司が打開策のために御朱印を始めようと氏子総代会に提案したところ、大反対を受けたそうです。
しかし、何とか御朱印を始めようと思った宮司は一ヶ月限定ということで了承を取り、きれいな色の御朱印を始めたところ、参拝客が増えて、これ見たことかになったそうです。
さらに副住職は、
顕妙寺までたどり着くまでは急勾配を登る必要があります。自転車では乗ったままでは登ることができず、バイクなら登れるので、激坂登頂記念というバイク専用の御朱印を始めたそうです。
バイク専用御朱印をしていることもあり、お守りの問屋から御刻印のオファーがあり、急勾配を登れるぐらいなので、何事にも「無敵」の御刻印になったようです。
GWのときは、たくさんのバイクで寺の駐車場が一杯になるそうです。西日本からも来るそうです。
御刻印守という革のベルトが3,500円もして、さらに刻印で300円もかかるので、それだけ意識の高いライダーが来てくれるので、トラブルは少ないとのことでした。
3日前も御刻印の責任者が尋ねてきたそうです。
御刻印や隣近所との関係など、サポートをしてくれるそうです。
私は、必ず、知り合いの住職が御刻印に取り組める時期が来ると思うので、そのときは、相談に乗ってあげてくださいと、副住職に丁重にお願いしました。
何だかんだで、小一時間ほど副住職と話をさせていただきました。副住職と話ができて、本当に良かったと思います。
今回、感じたことは、縁のある所には、すぐに行けるものの、縁のない場所には足が向かないということです。
栃木のバイク神社にも、そんなに遠くない長井のバイク神社にも縁が薄いようです。
宮城県の御刻印は制覇しました。
今回の件は、知り合いの住職の檀家である山仲間S氏にも報告しておきました。
顕妙寺を後に、ワンパターンで元来た道を戻り、亘理に向かいました。
つづく
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2023年11月07日
仙人のパンクと墓参り
2023.11.5
毎月恒例第一日曜日、今月の親類縁者の墓参りの前日、遅山仙人から電話が入りました。
月末に仙人を連れて行かなかった御刻印のツアーについて、内容を聞きたくて架電してきたのです。
御刻印で縁を感じた光明寺で説明したように、御刻印についても、光明寺についても、一切触れずに、仙人の質問にも答えにならない回答をし、適当に話を充て、ツアーの内容については終わりにしました。
相変わらずの退屈男なので、話は長くなり、明日、墓参りに行く話をしていると村山原付祭について思い出しました。
そこで、朝早い村山原付祭に参加し、その後、山形市内に戻り、私の墓参りに付き合うように勧誘すると商談がまとまりました。
翌朝6時に仙人の隠れ家を出発しました。仙人のカブは、バッテリーが逝かれて、キックでしかエンジンがかからなくなっていました。
途中、仙人がガソリン僅少と言うので、24時間のセルフスタンドに立ち寄りました。
セルフでしたことがないと言う仙人は、タッチパネルの説明をよく読まず、音声ガイダンスも、よく聞き取らず、操作に難儀しました。
今まで、同じタイプのセルフで何度も給油していることを忘れて、まだボケる年でもないのに、かなり脳の劣化が進んでいるように見受けられました。
スタンドからは、真っ直ぐ道なりに北上するのが最短コースなので、そのまま北上しました。
天童市に入ってすぐ、仙人はパンクしてしまいました。
朝方まで降っていた雨で路面が濡れていて、タイヤも濡れていましたが、どこかに釘でも刺さっていないか調べましたがわかりませんでした。
私が持っていたパンク修理剤を注入しようとしましたが、ホースから処理剤が入らず、ボンベの出口から泡が漏れ出すという不良品でした。
そこで、仙人は知り合いの天童市内のバイク屋に電話して、救援を依頼しました。
何とか目処が付きそうだったので、しばし、コーヒータイムとしました。
空気圧不足は、要らないものまで拾いパンクの原因になるので、空気圧ぐらい自分でメンテするように伝えました。
しかし、生来の機械音痴で、しかも、物を集めるのは大好きでも、物を大事にせず、カブも雨ざらしにしているのでカウルもリアボックスも苔むしています。
私は村山原付祭を諦め、寺の開門時間を考えて、8時まで仙人に付き合いました。
私は、山形市内に引き返し、いつもとは違う順序で墓参りを進めました。
一番最初は一番北側の寺院で、仙人の身内と私の身内が同じ墓に入っています。
今回のパンクを含めて、仙人の身内に叱咤激励をお願いしました。
昨年も同じ日に墓参りに来ていますが、今年の紅葉は、遅れている感じでした。
途中、山仲間S氏にも立ち寄り、御刻印の現物を見てもらい、S氏の菩提寺の話もし、仙人がパンクで救援を待っている話をしました。
そこから仙人に架電すると、まもなく、迎えが来るとのことでした。最悪、S氏からトラックで救援に行ってもらい、私の家に仙人のカブを入院させるつもりでした。
上山の山仲間O氏の墓に着いたのは、11時30分ちょうどでした。
今回は花が飾られてありました。不思議に思い、墓誌を見ると、真新しい戒名と名前が刻まれてありました。
先月、O氏のお兄さんが亡くなったようです。昨年は、お兄さんの奥様が亡くなられています。
お兄さんの子供さんは双子の娘さんだけだったような気がします。
これからは墓誌に新しい名前が加わることがないと思います。
多分、近い将来、無縁墓になる可能性があります。
仙人は独身なので、無縁墓になるでしょう。
S氏は、菩提寺への貢献度が高いので、住職から永代供養を約束されています。
巷で話題になっている無縁墓が身近でも起こっているという事例です。
新しいライトなスーパードライができたので、スパードライ好きのO氏のために供え、仙人へ叱咤激励をお願いしました。
私の両親の墓地が最後になりました。
そこに仙人から電話が入りました。さらに、夕方の料理途中にも、仙人から電話が入りました。
仙人によると、バイク屋はリムからタイヤを外すのに苦労をしていたとのことでした。
バイク屋は空気圧が低かったのが原因だと言っていたそうです。
バルブの根本に穴が空いていたようです。
昨年の今頃、タイヤを交換し、その後、帯状疱疹の激痛により、家を出ることがままならず、最初に軽くツーリングに行ったのは5月3日の激痛仙人を連れて墓参りです。
それからも、日々、激痛と戦う仙人はツーリングに行くのも億劫となり、例年から比べると、回数は激減しました。
昨年のタイヤ交換以降、一度もバイク屋に行っていないようです。
話を総合すると、日頃の点検整備不良と雨ざらしにより、タイヤがリムに固着し、雨水がバルブの根本まで浸透し、錆びて、チューブと剥離して空気が漏れた可能性があります。
空気圧が正常になったことで乗り心地が良くなったと言う仙人に、次は前のタイヤもパンクし、ハンドルを取られて転倒し、後ろの車に轢かれて、えらい目に遭うと脅かしておきました。
これが、2022.10.21のリベンジとS氏の予言の4度目にならないことを祈ります。
夕方、仙人から電話をもらったときは、妻が日曜出勤だったので、私は炊事軍曹でした。
前述の亡きO氏が、三沢の米軍基地祭りで覚えてきた、玉ねぎとキャベツとトマトと豚バラ肉とニンニクの重ね煮を作りました。
この料理は7月7日の葉山登山(遅咲きのタムシバの山を下る)でも紹介しています。
豚バラを使うのがポイントです。モモや他の肉では味が出ません。
ニンニクはたくさん入れた方が良いと思います。
露地の完熟トマトが良いのですが、缶詰でも構いません。
味付けには、ケチャップやソース、ブラックペッパーを使いますが、ベーリーフやバジルを使うと上品な感じに仕上がります。
無水で煮ます。焦げ付かないように火を調整します。
手抜きで簡単で、昔から我が家の子どもたちに人気の定番料理でした。
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2023年11月05日
御刻印で縁を感じた光明寺
2023.10.31
石ノ森章太郎ふるさと記念館と生家を見学し、近くのガソリンスタンドでオジさんたちとカブ談議し、御刻印2ヶ所目である栗原市の光明寺に向かいました。
本堂は道路から上っていった所にありました。
お参りの後に、受付所に行きました。本堂とつながる庫裡との間に受付所があり、インタホーンでの呼び出しになっていました。
対応してくださったご住職に、御朱印と御刻印をお願いしました。
ご住職によると、押す場所を確認しやすいようにと、刻印機のレバーをある程度下げて、紐でレバーとテーブルを留めておく工夫をされたとのことでした。
確かに、この方が押しやすいです。
お茶を出していただきました。
2つ目の御刻印をゲットしました。
御刻印を押している間、光明寺が日蓮宗であることに気が付きました。
御朱印を揮毫していただいた後、ご住職に御刻印を始めたきっかけを聞き出すために、話をさせていただきました。
若草稲荷神社に行ってきたことを伝えると、バイク神社としてライダーがたくさん集まることは素晴らしいと語られていました。
さらに、寺院と神社が同じ趣旨で御刻印という形で一つになる企画はとても良いことだとおっしゃっていました。
ただ、寺を空けることができなくなったとも話されていました。
日蓮宗絡みで、いろいろ話をさせていただきました。
すると、ご住職は、私の知り合いの住職を知っていました。
さらに、現在、ご家族が山形で学ばれており、山形でも有名な店でアルバイトをされているとのこと。
もっと驚いたことがあります。
今回のツーリングの目的は、知り合いの住職へ御刻印を勧めるための現地現物視察です。
今回の目的を話すと、御刻印を勧めてくれたのが、宮城県にもう一つ御刻印が押せる塩釜市にある同じ宗派の顕妙寺であるとのことでした。
そして、その顕妙寺のご住職(副住職)と私の知り合いの住職は今年2月に一緒に修行をされているとのこと。
なので、顕妙寺のご住職から勧めてもらってはどうですかとアドバイスをいただきました。
何たる不思議な御縁。
私は偶然は信じない質なので、ある意志に基づいて、今日は動いてきたのだと感じました。
これは顕妙寺に行かないわけにはいかなくなりました。
ご住職から、これから顕妙寺に行きますかと聞かれましたが、日暮れが早い時期なので、後日行ってみますと答えました。
ご住職にお礼を伝え、寺を離れることにしました。ご住職から、お見送りをしていただきました。
御刻印デビューしましたで、遅山仙人には今回のツーリングについては語らないとしました。
その理由は、昨年の11月17日の仙人、罰(バチ)が当たる?!にあります。
仙人が罰が当たる原因になった山仲間S氏の菩提寺の住職こそ、今回、私が御刻印を勧めようとしている住職なのです。
そして、仙人は仙人、罰(バチ)が当たる?!にもあるように、日蓮宗を戦いの仏教だと批判的なのです。
そんな仙人に、今回のツーリングについて話す必要はありません。
光明寺を離れて、伊豆沼でコーヒータイムを取ることにしました。
つづく
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2023年10月24日
おはぎと秋保大滝と二口林道
2023.10.13
朝飯前の鎌倉山登山を終え、国道48号を仙台方面へ向かいました。熊ヶ根から右折し、朝来た秋保小学校の交差点まで一山越えました。
T字路交差点を左折し、秋保温泉のガソリンスタンドを目指しました。
スタンドでは、いつものオジさんから秋保ナイトミュージアムのパンフレットをもらいました。
さいちでおはぎを買って二口峠を越えると言うと、オジさんは「あそこは、行列でぎっがら、今日はこまねんねがい。」
さらに「とぎどぎ、山形さいぐんだ。きんな、スカイラインさいってきた。」と山形弁と変わらぬ喋りを飛ばしていました。
度々、紹介していますが主婦の店さいちはテレビで何度も紹介され、土日は開店前から長い行列を作り激混みです。
駐車場も直ぐに一杯になるのですが、二輪車だけは店のすぐそばの二輪専用スペースに誘導してくれるので助かります。
平日なので、混み合うこともなく、おはぎをたくさん買いました。
息子たち家族がインフルエンザで自宅待機を余儀なくされているの差し入れのために買いました。
おはぎは孫にもらったランドセルに入れて持ち帰りました。
さいちでおはぎをたくさん仕入れた後、秋保大滝に向かいました。
県道の途中から右折し、遊歩道で大滝のすぐそばまで行ける東側の橋に行きました。橋のそばに駐車場があります。
秋保大滝不動尊の駐車場から歩いて来る人もいます。
私は歩いて大滝まで行かずに、秋保大滝不動尊へ向かいました。
8月16日に二口峠を越えたときは秋保大滝不動尊に立ち寄りませんが、あのときはお盆だったこともあり、駐車場が一杯でした。今回は、ガラガラでした。
秋保大滝不動尊の前は何度も走っていますが、初めて来ました。
何か、昭和チックな、怪しげなものを売る土産屋さんや飲食店が軒を並べて、お客さんに声をかけていました。
御朱印をもらおうと御朱印所に行きましたが、「本日は終了しました」とありました。
やむなく、本堂に向かうと、本堂の右側にお守りなどの無人君がありました。
御朱印や釣り銭の方は呼んでくださいとインターホンがあり、押しましたが、昼食時だったためか、だれも来ませんでした。
本堂でお参りを済ませ、少し下って秋保大滝を見に行きました。
先程の橋のところから見るのと趣が違います。紅葉の頃はきれいなのだろうかなと思いながら本堂に戻りました。
無人君で書き置きの御朱印と交通安全のステッカーをいただき、駐車場に戻りました。
秋保大滝不動尊からは二口峠を目指しました。
前回、8月16日は雨降り加減で磐司岩が見えませんでした。
今回は晴天でした。紅葉が始まらないのが残念でした。
峠の少し手前、展望台でコーヒータイムとしました。
双眼鏡で覗くと仙台の街並みや仙台大観音がきれいに見えました。
二口峠を越えて、山形側も天気が良かったです。
山寺に降りると駐車場は車で埋まっていました。観光客がたくさん訪れているのでしょう。
知り合いの山形大学の元教官の奥様の墓参りをするため、大森のべにばな霊園に立ち寄りました。
息子におはぎを届け、15時過ぎには帰宅しました。
おしまい
himajintaro at 10:37|Permalink│Comments(0)
2023年10月21日
墓参りと栗拾いと栗ご飯
2023.10.8
毎月第一日曜日恒例の親類縁者の墓参りは、今月は第一日曜日に上京したために、翌週に変更しました。
多少風はありましたが、天気が良く、墓参りには、丁度いい天候でした。
父の実家がある寺には、父方の親戚の墓も複数あります。唯一わかっているのは、住職から教えてもらった、父の叔父の墓です。
父の従妹が墓守をしていますが、高齢になり、住職も消息を心配していました。
今回、訪れたら花が添えられていました。父の従妹が飾ったのか、それとも従妹が仏になってしまったのか、この日は住職に確認せずに、次の寺に向かいました。
次は、遅山仙人の身内と父の姉夫婦が同じ墓に入っている寺です。
いつものように、仙人の帯状疱疹の激痛からの快癒を仙人の身内に祈願してきました。
母方の身内のお参りを済ませ、妻の実家の墓に向かいました。
最近、妻の実家も山形市内の平坦部に転居し、墓参りでなければ来る機会が無くなってしまいました。
墓地のすぐ上にある旧双葉小学校への通学路にある栗が落ちていたので拾いました。
下の方の栗は小さめなのですが、学校に近い方は大きな栗でした。30個近く拾って、次の墓地に向かいました。
最後は、上山の山仲間の墓地です。
今回は、好物の一つだったバドワイザーを一缶供えました。ここでは、山仲間に仙人へ叱咤激励をお願いしました。
久しぶりに、広域農道を通り、遠回りして帰りました。
まだ、稲刈りが済まない田んぼがたくさんありました。
翌日は、妻が仕事なので炊事軍曹を賜りました。
前日に取ってきた栗を冷凍庫に保存しておき、熱湯に10分ほど漬け込んでから皮を剥くと、鬼皮は比較的簡単に剥けました。
前日取ってきた半分の栗を栗ご飯にしました。今回は塩の代わりに白だしを入れていみました。
家にあった豚肉で豚唐揚げとカボチャの天ぷら、東京かっぱ橋で買ってきた究極のピーラーを使って人参、ごぼう、万願寺唐辛子のかき揚げを作りました。
今日も炊事軍曹の任務を無事終了しました。
himajintaro at 15:25|Permalink│Comments(0)