仙人

2024年03月15日

山形にも御刻印を押せる寺院ができます

2024.3.15



3月6日に塩釜市の顕妙寺から御刻印の手ぬぐいを頂いてきましたが、その手ぬぐいを今日、知り合いの大宝寺のご住職に持っていきました。

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顕妙寺の副住所の情報通り、この春から大宝寺でも疾風巡拝プロジェクトに参加するとのことでした。御刻印のデザインはまだ決まっていないとのことでした。

山形県で第一号の御刻印になるようです。

近いうちに、山仲間S氏とともに会合を持ちたいと、ご住職から提案されて快諾し、大宝寺を去りました。

大宝寺を後にして、冬眠に入っている遅山仙人に慰問に向かいました。

2月に電話をしたら、ほとんど、どこにも出かけず、突風でスーパーカブが倒れ、リアボックスの蓋が大きく壊れ、倒れたカブを起すのも力がなくなり苦労したとのことでした。

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かなり、大げさな物言いだったので、確認したら角が欠けたようでした。黒いビニルテープで隠してありました。

実は、昨日の夜に仙人に電話をかけました。

2月に電話した時に、青春18きっぷを使って、S氏とともに岩手県の平泉にある義経の最期の地、高館義経堂や中尊寺、毛越寺に行こうと誘っていたのです。

その概要をさらに昨日話しました。その時に、毎年のごとく、(体力的に)もうダメだを連呼していました。昨日、スマホの受発信ができなくなり、仕方なく1ヶ月ぶりに外に出て、販売店に修理を頼み、直してもらったものの、ふらついて歩くのがヤッとだったようです。

そこで、近くのイベントに出店していた障がい者就労支援施設みちのく屋台こんにゃく道場 」のメガ玉ごん(玉コンニャクを茹で卵2つで挟んで竹串に指したもの。醤油、スルメのだしなどで煮込んだもの)を差し入れとして持っていったのです。

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昨日、今の内に体力を回復しないと平泉に行けないと脅しておいたところ、今日、これから歩いて温泉に行くとのことでした。

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仙人の帯状疱疹による痛みは、全く回復する兆しはありませんが、まだまだ、お迎えは来ないようです。


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2024年01月15日

仙人にバイク保険加入を勧める

1月8日の夜、遅山仙人から電話が入りました。

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翌日、昨年の4月に福井県の大野市まで同行した83歳の友人と青春18きっぷで茨城県水戸市まで往復する予定で、列車内で食べる夕食の準備をしている最中だったので、10日に電話をくれるように伝えました。

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6時30分発の奥羽本線上り列車で福島に向かい、東北本線で郡山、水郡線で水戸、常磐線でいわき、磐越東線で郡山、東北本線で福島、奥羽本線で米沢乗り換えで山形へという行程でした。

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途中、水戸で40分、いわきで1時間、福島で30分、米沢で30分の乗り継ぎ時間はありましたが、いわきの駅前の茶店で午後3時のコーヒータイムを取った以外は途中下車せずに、朝食と夕食を車内で取りました。私は日に2食の食事です。

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乗り鉄の友人は、一日の移動距離を稼ぐために、3食を持参する自己完結型です。私も自己完結ができるので、仙人からの電話が入ったときは、車内での食事の準備をしていました。

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その後、仙人から電話が入らなくなったので、昨日、電話をかけてみました。

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8日に電話をくれたときは、開口一番、「そろそろ、電話をしてもいいかなと思って」と言いました。

これには伏線がありました。

昨年12月中旬に、仙人が昼から酒が飲みたくていたので、仙人が勧める、昼から飲める店に行くことで話をしたところ、山仲間S氏が違う店を知っていると言うので、それなら、S氏と相談して場所と日程を決めるように伝えました。

私の都合の悪い日だけ仙人に言っておいたので、その日の夜のうちには連絡が入ると思っていましたが、連絡が来ないまま、年が明けてしまいました。

大晦日に私の蕎麦のテスターであるS氏へ手打ちの年越し蕎麦と手打ちのうどん、つけ汁、干し柿、ブラックバスのとば、手作りの味噌を持っていきました。

そのとき、暮れに仙人から電話が入り、「店の予約ができなかった」と、うそぶいていたそうです。S氏と相談して決めるように伝えたにもかかわらず、年末まで何もしなかったのです。

仙人は、宴会や旅行などの企画とそのための連絡調整が全くできないのです。仙人の脳の個性がそうさせていることはわかっていましたが、仙人がいろいろ言うので企画させてみましたが、やっぱりダメでした。

余談ですが、40年来の私のもう一人の悪友は、頭が良くて、今まで数百万から億単位の助成金の企画書を書いて、そのたびに助成金をゲットしてきた強者です。

彼もまた、仙人と同じような脳の個性を持っていますが、遊びの企画が全くできなくて、考えると頭が痛くなると言います。

仙人は餅について講釈し、悪友は餅の絵を描くのは上手ですが、二人とも本物の餅は作れないタイプです。

そういう伏線があることを理解して、昨日、仙人に電話をしてみたところ、昼飲みの話は全くせずに、8日に私に電話をくれたのは、「(私に聞きたい)用事があったから」と十八番の言い訳をしていました。

仙人の話は、行きたいところの話ばかりでした。

これには、バイク保険に入らないと連れて行かないと釘を差しました。50ccであれば、バイク保険の安いチュ◯◯◯ヒなら1万数千円で入れると勧めました。

一ヶ月おきに2回も後輪のチューブがバルブの根本から剥がれるという現象が起きているので、怖気づいているところはありますが、カブ以外に交通手段がないので、喉元過ぎれば熱さを忘れるでしょう。

さらに、12月初めにパンクしたときにS氏から迎えに来てもらった謝礼をしたかと尋ねると、「まだだ」と言いました。

S氏は現金は受け取らないだろうから、米沢牛の霜降り肉を手土産に持っていくように伝えました。「わかった」と言い切りましたが、持っていかないでしょう。

持っていかないと思い「謝礼しないと、本当にバチが当たるよ」と言いました。

今まで仙人の体に2回、チューブに2回穴が空いたので「5回目は血管に穴が開くかもしれない、それも簡単に神様が死なしてくれない」と言うと「神様を変えてキリスト教にする」と、昔流行った「ああ言えば上祐」でした。

山の中でパンクしてしまえば、業者から陸送してもらうと1万円では済まないから、バイク保険に入ってロードサービスしてもらうと安心だとダメ出ししました。

仙人は体力や気力の低下も著しく、今年は仙人とのツーリングはないと思います。

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2023年12月16日

仙人パンクの後日談




パンクした遅山仙人の後日談があります。

いつも、このブログに情報やアドバイスをいただいている朝日様から貴重な情報を得ました。

バイクショップウインディのM谷さんの言うように、空気圧が原因でパンク・・というのが一般的かと思われます
ただ裂けたバルブの画像からすると、このチューブの側に原因があるかも?です
バルブとゴムチューブの接合部の補強が??です
どうも大陸製のコピーモノがで回っている・・という話を聞いたことがあります
仙人様は運悪くコレに当たってしまったのかもしれません

自分で通販などで買ったチューブならば、自己責任ということはあると思います。

しかし、今回は1ヶ月前にも、空気圧不足と思われる原因で同じ箇所から穴が空き、天童市のバイク屋に救援を求めてチューブを交換してもらっています。

バイク屋で交換してもらったチューブが朝日様の情報のようなコピーモノであったなら、対策の取りようがないと言えます。

いちいち、バイク屋に物の真偽を問いていたら、信頼関係がなくなり、修理してもらえなくなります。


それからもう一つ。

仙人からお礼の電話が入りました。

仙人は今回の原因が知りたくて、ネット上で調べたというのです。いつものことながら、話しが抽象的でしたが、何かのサイトに書き込みして、答えを得ようとしたきらいがあります。

答えの最後に「乗る資格がない」と書かれたとショックを表していました。

まさに、的確なご指摘と言いたいところです。

我々から、日常茶飯事的に指摘されてきても、馬耳東風であった仙人が、ネット上の第三者に的確な指摘をもらったことは、新たなストレスになったようです。

バイクショップウインディの店主から、ゴミ箱状態のリアBOXを外すように言われ、未加入の任意保険にも入るように勧められても、馬耳東風を貫きました。


迎えに来てくれたS氏のワゴン車の乗り降りにも不自由さを感じました。S氏も手の震えを感じていました。

今まで、何度も仙人の体の不調を指摘して、食生活の改善や運動不足の改善を促してきましたが、帯状疱疹の激痛も加わり、カブの乗車は、そろそろ、限界なのかもしれません。

それは仙人も感じて入るようですが、この期に及んで、車を運転すると言い出しました。カブの任意保険さえ加入できない仙人は車の任意保険には入れないとS氏に漏らしたようです。

まさに「乗る資格がない」のです。


高齢者が運転免許を返納すると、要介護に突き進むと言われています。平均寿命90歳のこれからの時代に、仙人など、まだ鼻垂れ小僧の年齢です。

紅顔の美少年で、アスリートで、ピアノを弾き、高学歴で、直木賞女流作家の文章指導をし、東京では浮名を流していた仙人の成れの果てを見ることは忍びないのですが、本人に現状を改善する意志がなければ、来年は一切ツーリングは誘わないことにします。


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2023年12月10日

ラストツーリング、仙人またパンク

2023.12.9



平年より気温が高くなるという予報のもと、遅山仙人にラストツーリングを誘ったのは、山仲間S氏の菩提寺で行われた星祭りの夜でした。

今年の仙人とのツーリングでは、一度も蕎麦を食べたことがないという話になり、様々な蕎麦屋の話題になりました。

行き先は、私に任せるということで、当日の朝、8時前に仙人の隠れ家に到着をすると、すでに仙人はエンジンをかけて準備していました。

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鮭川村に行こうと、いつもの山形空港西側の主要地方道山形羽入線を北上し、東根市長瀞、村山市名取、大石田町来迎寺、最上川 千本だんごの前を走りました。

9時過ぎの千本だんごの駐車場には県外ナンバーの車が複数停まっていました。

「出川哲朗の充電させてもらえませんか? 」でさんまの待ち合わせ場所になって以来、様々な民放で紹介され、行列ができる店となってしまいました。

放射冷却でガス煙る中を走ると「2℃」の表示が出ていました。乾燥していないためか、体感温度はさほどでもありませんでした。

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小坂峠を越えて、舟形町に入り、最上川沿いを走り、まもなく蕎麦の名店重作に近づこうとしていた建設会社の前で、仙人のスーパーカブがパンクして動けなくなりました。

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11月5日にパンクしたばかりです。それも、同じ後輪です。



仙人は、このスーパーカブを買った村山市楯岡のバイク屋に電話をして救援を求めましたが、除雪機のメンテがあると言うので、体よく断られてしまいました。

一見さんのお客には、バイク屋も救援してくれないのが普通です。一生懸命、バイク屋を探していましたが、一番近い新庄市のバイク屋でも十数キロ先でした。

大石田駅まで歩いて戻らなければならないのか。仙人にとっては絶体絶命のピンチでした。

私は山仲間S氏に救援を依頼しました。朝食中だったS氏は、ワゴン車で迎えに来てくるれることになりました。

舟形町堀内の建設会社の名前を伝えて、しばらく待つことにしました。

こういう時に、仙人は生来の方向音痴とIT弱者故に、自分の位置情報を正確に掴むことができません。

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救援を待つまでの間、退避場所を見つけて、コーヒータイムを取ることにしました。

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仙人にとっては、不思議でしかありませんでした。

前輪がパンクするならまだしも、1ヶ月前にチューブを交換した同じ後輪。私がパンクせずに、後ろを走る仙人が何かを拾ったのか。

これ幸いに、仙人の数々の悪行を糾弾し、悔い改めるように求めましたが、馬耳東風を貫きました。

反省する気も何もないから、神様からも守護霊からも守られないと攻め立てるのですが、同じようなことをS氏からも言われたと、話題をそらすのでした。

そして、前回の墓参りのときも日蓮宗を批判していたので、そのことを追求すると、批判はしていないと言い訳ばかりするのです。

私に散々説教されるも、耳に蓋をするのではなくて、心に蓋をする仙人でした。

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私がS氏に電話して2時間後の11時半に、S氏のワゴン車が到着しました。S氏はナビを使ったためか、遠回りになったと話していました。

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仙人のウィンドウスクリーンが邪魔になってワゴン車に入らないようなので、私の手持ちのモンキーレンチを使って外しました。

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ワゴン車には、あっさり入りましたが、その先が大変でした。

ロープで固定するものの、仙人が余計な手出しをするので、作業が進みません。

何度も、手を出すなと注意を受けますが、昔から自分の物に手を出されると、気になってしょうがないのです。

しまいには、助手席で座って待っていろと言われても、手を出そうとします。

何度も怒号を浴びせられても、手出しするのには呆れるしかありませんでした。

こういうところにも、仙人の持つ脳の個性が現れています。

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私が先導を切って、大石田に戻ることにしました。

何とか、取り付けて出発するも、振動やカーブで緩みが出てきて、何度も修正を重ねました。

途中、千本だんごの近くになり、時刻も12時半を過ぎていたので、昼食を取ることにし、S氏のリクエストにより蕎麦屋に行くことにしました。

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一昨日、仙人と電話で話した時に、仙人が気になっていた蕎麦屋が来迎寺そばやでした。

昔、両親を連れて何度も来たそうですが、店の場所が変わり、通りに目立つ看板があるのにも関わらず、どこにあるのか仙人はわかりませんでした。

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店に入り、玄関先にある受け付けで、注文してから、中に入るというシステムでした。

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土曜日の12時半過ぎでしたが、混んでいませんでした。

この先に、行列を作る人気店もあるのですが、今回は仙人が気になっている店に、真っ直ぐ、誘導しました。

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三人とも、板そばの普通盛り、ニシンの甘煮をオーダーしました。

「来迎寺」という地名からとった大石田オリジナルの蕎麦の品種があり、この店も来迎寺の蕎麦を使っているのでしょう。

私がいつも作る「でわかおり」とは、味も香りも、全く違います。私が打つ蕎麦のような粗さがなく、クリーミーな感じましました。

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仙人は、二人に迷惑をかけたし、二人とも人間ができていると、変に褒めます。

仙人が原因で、過去に同じようなことが何度もあり、そのたびに同行した人から、お前のせいで台無しになったと罵声を浴びせられてきたと言うのです。

私も散々罵声を浴びせましたが、仙人に反省を促す良い機会をもらったし、ブログのいいネタが出来たと、このトラブルを楽しんでいました。

S氏も、ちょうど蕎麦を食べたかったと言っていました。

仙人も、昔、両親と食べた蕎麦に出会えて、結果、オーライでしょう。

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美味しい蕎麦を食べた後、最初は国道13号に入る予定でした。

しかし、途中、ロープが緩んだり、バイクが倒れた時に修正するためには、国道13号では交通量が多すぎるだろうということで、河北町、寒河江市、山辺町の県道ルートを私が先導し、仙人の行きつけのバイク屋まで走りました。

途中、トラブルもなく、城西町のバイクショップウインディに到着しました。

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3人で修理の状況を見ていました。

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店の中には、私が以前乗っていた、4速リトルカブの同じ色の中古車が置いてありました。

2,700km走行で24万円で、新品同様でした。S氏とともに冗談半分、リトルカブへの買い替えを勧めました。

110ccのクロスカブと125ccのハンターカブもありましたが、仙人は自動二輪の免許を持っていないので、乗れません。

また、緑色のリトルカブが90ccにボアアップ中でした。

肝心なパンクですが、前回と同じようにバルブの根本が剥がれていました。

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バイク屋の店主によると、空気圧不足が原因だと言います。前回、直してもらった天童のバイク屋からも空気圧不足だと言われています。

しかし、今回は1ヶ月しか経っていません。しかも、前輪は適正空気圧1.75に対して2.0でした。

空気圧不足は到底考えられません。謎は深まるばかりです。

去年の秋に交換したミシュランのタイヤはスリップサインが出ていて、店主から交換を勧められました。

この店に到着して早々、店主にリアボックスの重さを指摘されていました。リアボックスを無くせとまで言われていました。今回は、軽くして乗っていると中身を店主に見せていました。

帯状疱疹による激痛で、正味一年も乗っていないミシュランタイヤがリアボックスによる重量オーバーで二年持たなかったということになりました。

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チューブ、リムバンド、タイヤの交換、ウィンドウスクリーンの取り付けで一万円から、ちょっとしかお釣りが来ませんでした。内容的には、良心的な店だと思います。

作業が終了したのは、16時直前でした。

この店で、3人は別れました。

帰宅して、冷静に考えてみました。

肘折温泉の地蔵倉までスーパーカブで行き、登る途中に指に穴が空きました。

南陽市の林道をスーパーカブで走り、気を失い、右膝の内側に穴が空きました。

村山市の原付き祭りにスーパーカブで行く途中、チューブに穴が空きました。

そして、私と鮭川村にスーパーカブで行く途中、チューブに穴が空きました。

いづれも、スーパーカブ絡みで穴が空いた事案です。

大事にされないスーパーカブの怨念か、それとも、心に蓋をしている仙人への警告なのか。

そろそろ、スーパーカブの乗車は止めたほうがいいのかもしれません。

今年最後のツーリングは意外な結末で終わりました。


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2023年12月06日

仙人と今年最後の墓参り

2023.12.5

11月5日にパンクした遅山仙人を連れて、今年最後の親類縁者の墓参りにでかけました。



急ぐ旅でもないので、朝8時に我が家に来るように仙人伝えましたが、通勤ラッシュにかかって、15分遅れてやってきました。

約5kmのほぼ直線の狭い田んぼ道を来るとラッシュに会わないし、最短コースであることを教えましたが、仙人の頭に入ったかわかりません。

最初は、いつものように両親の眠る山形霊園に向かいました。

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眼下に山形市街地が広がり、その先の奥にそびえる月山が白くなり、まさに初冬の風景を仙人は感嘆していました。

今まで何度か連れてきた記憶があるのですが、大半は途中からの合流になっていたので、初めてかもしれません。

次に向かったのは、緑町にある唯法寺です。

途中、交通量の多い道路を避け、裏道を細々と走るため、仙人には車間を開けずに、私を見失わないように走るように伝えたのですが、100m以上離れるために、見失いそうになりました。

私が交差点から発進して、しばらく30km/hで走っても、とても追いつけなくなりました。いつまでも、来ないので心配して引き返すと、遠くから近づく車を待ってから発進したようです。

仙人は、排気量が違うと言い訳します。私が50ccの時から、そうだろうと言うと言葉に詰まります。

仙人は私を追いかけ、周りの車に気をつけなければならないと言います。私は、後ろの仙人と仙人の周りの車を常に見ていると返すと、何も言えなくなります。

郊外ならば、100m以上離れても問題はありません。

急ブレーキをかけられない仙人は、車間を詰めることが怖いと昔から言っていましたが、今はもっと怖くなっているようです。

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唯法寺の北隣りの専称寺のイチョウの巨木は、かなり葉を落としていました。このイチョウが黄色くなり、落ち始めると山形市内にも雪が降るという指標になっています。

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この寺は、父の実家や父方の親戚の墓があります。

仙人が蔵王第二中学校(蔵王温泉)に赴任中、教え子がゴルフの練習のため山形市内へ自転車で降りていく途中、道から外れて亡くなった時に葬儀で来たことがあると言っていました。

この寺は、元々、蔵王温泉にあり、蔵王温泉やその手前の堀田地区の殆どが檀家になっています。

江戸時代、山形城の城主だった最上義光(よしあき)が、現在の山形市緑町に浄土真宗の寺院14ケ寺を集めた内の一つになります。このことから、この一帯を寺町と言っています。

次は、山仲間S氏の菩提寺である大宝寺です。

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S氏は、わかるだけで元禄年間からの七代目の名家です。ご両親と五代前までのご先祖様たちが眠っています。

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本堂の前に菰を巻いた蓋付きの大きなプラスチックの容器が置いてありました。

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この寺のご住職夫妻を知ってはいましたが、仙人が一度、この寺で粗相をしているので、住職には聞かずに、帰宅後、S氏に尋ねてみました。

すると、

「明後日に星祭りという寺の行事があり、その儀式の中の水行修法で使う水を入れる桶です。儀式は11時から水行は11時半頃の予定です。」

「一般の人も見ることができて、撮影も問題ありません。大歓迎です。」

という返事がきました。

天気を見ながら言ってみようかと思っています。

次は仙人と縁のある金勝寺です。

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以前から、仙人の身内と私の身内が同じ墓の中に入っていると、このブログで紹介してきました。

しかし、仙人は正確に覚えていませんでした。

仙人の父親の実家から嫁に行った女性と結婚した男性に夫婦で養子になったのが、父の姉夫婦です。血のつながりはありません。

仙人の父親の実家で法事があると、仙人と父の姉夫婦の長男(私にとっては従兄)が隣の席になるそうです。

そんな関係で、大工だった私の父は、仙人の父親の実家を建てました。私も子供の頃は、何度も遊びに行きました。

仙人が私が入っていた社会人の登山サークルに入ったときには、仙人の素性は知っていました。

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仙人は、若い頃、毎年のように両親を連れて、この金勝寺に、初詣に来ていたと言いました。

日付が1月1日に変わるとすぐに自宅を出て、真っ暗の中をどこを走ったのかもわからずに、金勝寺に着き、お参りをして、高い所に登っていった記憶があると言っていました。

そこで、バイクで上まで行けると、仙人を連れていきました。

上から見た、違った景色に、仙人は昔のことを思い出していました。

昔は、初詣は、すごい人出だったそうです。

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次に、母方の身内が眠る等栄寺に向かいました。

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時刻は10時半を過ぎていました。

四基の墓参りを終えた後、人様の墓をお借りして、コーヒータイムを取ることとしました。

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珍しく、仙人はカカオ85%のチョコレートをお茶請けに持ってきました。チョコレートは、どれも甘いという概念で持ってきたようです。

私が持っていったBH氏からもらった柿と一緒に食べないと苦いよとアドバイスをすると、そのとおりだったので、びっくりしていました。

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いつものように、時事放談が始まりました。

お得意の宗教問題でパレスチナ問題にご執心のようでした。

また、最近、歴史学者の講演を聞き、僧侶の色話に満足した様子でした。

江戸時代の庶民の色恋事は、今と比べて、おおらかだったことを考えると僧侶の好事は珍しくも特別なことでないと返しました。

仙人は今の僧侶は皆だらし無い、葬式しかしないと不満たらたらでした。

確かに、私も葬式仏教に嫌気が差し、離檀しました。しかし、社会のために一生懸命になっている僧侶の方はたくさんいます。主義主張、思想理念に関わらず、一生懸命しようという人には応援したいものです。

そして、梨園についても、以前から仙人は批判的でした。

以前、仙人と行った河北町の真光寺に市川團十郎が毎年のようにお詣りに来ていたという話を紹介したことがあります。

しかし、最近はお参りに来なくなったので歌舞伎界がおかしくなったと言うので、仙人は自分の両親の墓参りをしたことがないことを指摘すると、何も言えなくなりました。

自分が体を動かさず、座学で批判することは簡単です。何事にも不平不満しかない仙人に真の幸福は来るのでしょうか。

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仙人と走るとロスタイムが多く、妻の実家の墓は中山間地にあり、この日は路面凍結も心配されたので、上山の山仲間O氏の墓に向かうことにしました。

村山西部広域農道を上山方面に向かうと、スキー場がオープンした蔵王が白くなっていました。

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O氏の墓に着いたときは12時半を回っていました。

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新しい花が飾られていました。

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11月5日の墓参りでも紹介しましたが、O氏の実家の兄夫妻が亡くなり、真新しい卒塔婆が立っていました。卒塔婆の施主の名前は、O氏から聞いていたことのある名前でした。

やはり、O氏の実家には誰もいなくなったようです。

仙人は、O氏の墓だけには手を合わせました。

昼食場所は、仙人が以前勤めていた南陽市の中川中学校時代によく通ったドライブイン一好(ひとよし)食堂に行きました。

楢下宿 丹野こんにゃくから西に走り、皆沢から広域農道フルーツラインを赤坂まで走り、国道13号線と旧国道13号線を走り、一好食堂に着きました。

この食堂は、2年前の10月21日に岩部山に行った帰りに立ち寄ったのですが、臨時休業でした。





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仙人にとっては40年ぶりの一好食堂でした。

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先代の店主から中川中学校に何度も出前をしてもらい、食堂にも、何度も顔を出し、店主とお茶を飲んだと言います。

当時の店主の奥様は、まだ、ご顕在のようでした。今の店主は息子さんで、仙人の赴任前に中川中学校に通っていたようです。当時のことや、先生たちのことで話が咲きました。

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13時半近くになり、私達が最後の客になりました。

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注文したのは、二人共、もつ煮定食でした。私も岩部山のリベンジになりました。

仙人も懐かしい話ができて満足していました。

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私達が食堂を出て、店の外で店主とバイク談義をして、14時過ぎて、営業終了となりました。

まだ、時間がありましたが、薄雲が広がり、気温が下がってきたので、我が家でコーヒータイムを取り、16時前に満足した仙人は帰宅しました。


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