山菜取り
2021年05月21日
ちょっとだけ贅沢な取れたて山菜の天ぷら
2021.5.14
午前中の山菜取りを終え、大江町古寺(こでら)の古寺キャンプ場で昼食を取りました。
古寺地区は大江町側からの朝日連峰の表玄関です。以前は集落から古寺川を遡った所に古寺鉱泉朝暘館というランプの宿があり、多くの登山客や山菜、キノコ採りの客で賑わいました。古寺に車を置き、トロッコ道を歩いて朝暘館向かいました。
私も朝日登山や芋煮会で何度か利用しましたが、今は無くなってしまいました。代わりに案内センターができて、車で行けるようになりました。
古寺地区から古寺川下流には神通峡という渓谷をトレッキングできるルートもあり、夏に涼を求め、秋に紅葉狩りを楽しむハイカーが行き交いますが、現在は通行止めになっていました。
集落は過疎化が進み、廃村になってしまいましたが、キャンプ場とトイレがあります。トイレはまだ閉鎖していました。
キャンプ場には関西ナンバーの車があり、泊りで渓流釣りを楽しいでいる方がいらっしゃいました。
炊事場から木製の椅子とテーブルを引っ張り出して、昼食の準備を始めました。
箸よりも重たいものを持ったことのない遅山仙人は、椅子、テーブルを持ち上げただけで疲弊して運べなかったので、箸よりも重い竹ぼうきで掃除をしてくれました。
みんなに天ぷらをすると案内していたので、山仲間S氏は大根おろしと天つゆを準備してくれました。
まず、初めにフキノトウで味噌汁を作りました。春の香りが漂いました。
最初の天ぷらは、ウドです。
マイカーでいっしょに山菜取りをした山仲間S氏はキンキンに冷えたノンアルビールを持ってきてくれました。仙人はというと、マドロスパイプをくわえるだけでした。
カセットボンベが使えるようになり、ガス代が浮いて大助かりです。火力は全く問題がありません。
天ぷらに大根おろしと天つゆは最高です。
次にタラノメです。たくさん揚げました。
そして、コゴミ(クサソテツ)です。これも、たくさん揚げました。これで、本物のビールがあれば、屋外としては、とても贅沢なのですが。
天ぷらで腹を満たし、食後のコーヒーを頂きました。仙人には天ぷらなので、ご飯を持ってくるように伝えておいたのですが、ご飯も炊けなくなっていました。コーヒーのタイミングでサンドイッチを出してきました。
午前中の曇天から昼過ぎに太陽が顔を出し、暖かくなっていました。
椅子、テーブルを炊事場に戻して、キャンプ場を後にしました。
古寺からちょっとだけ南下して山毛欅(ぶな)峠を越えました。途中でゼンマイとウドを取り、この先、通行止めなので、同じ道を引き返しました。
朝に集合した寒河江ダムは丁度噴水のタイミングでした。
山仲間S氏とは、ここで別れ、仙人と私は取り締まりを避けるため往路と同じルートで帰宅しました。
本日の収穫は下の写真の通りです。
右からゼンマイ、タラノメ、ウド、イワダラ(トリアシショウマ)、コゴミです。
ゼンマイとイワダラは湯がいて干して、冬の食料にしました。
その他の山菜は天ぷら、お浸し、サラダ、味噌汁、酢味噌和えなどにして、一杯やりながら堪能しました。
himajintaro at 07:21|Permalink│Comments(0)
2021年05月18日
コゴミは終わり、タラノメは丁度良く、ウドはこれから
2021.5.14
西川町大井沢の最南端の集落・根子(ねこ)から根子川林道に入り、朝日連峰の表玄関口・日暮沢小屋を目指しました。
林道を走ってすぐ、太くて大きなタラノメをたくさん見つけました。そのほとんどが、まだ誰も手を付けていませんでした。
さらに林道沿いには、所々、コゴミ(クサソテツ)の群生地が点在し、あまり、伸び切っていないものを収穫しました。
遅山仙人は「こんなにたくさん取ると目が青くなりそうだ。」と意味不明な言葉を発しながら、取っていました。彼の生誕後、どこにでもコゴミが生えている場所を見かけたのは、歴史上、初めてのようでした。
まだ、この辺りは、ほんの序の口で、林道の奥に広大なコゴミの群生地を知ってるので、仙人の驚愕も放っておきました。
途中、個人の所有地にウドが出始めていました。
さらに、奥に進み、大井沢出身で私と同じ研究室の同期が言っていたアメリカ橋を渡ると、通行止めのバリケードがありました。アメリカ橋は、戦後、進駐軍が架けたので、その名前がついたと言っていましたが、正直、この橋だったか、記憶に薄いところがあります。
通行止めの場所から先が面白かったのですが、度重なる通行止めには勝てず、引き返すことにしました。
引き返す途中、イワダラ(トリアシショウマ)↓を見つけたので、急斜面を下りて行ったら、
出始めのウド↓を見つけました。イワダラは、お浸しや干して保存し、煮物などに使います。
天然物のウドは香りが高く、天ぷら、煮物、味噌汁、酢味噌和え、味噌付けサラダなど多彩な料理で楽しむことができます。今回の山菜取りのメインイベント的な存在です。
根子から地蔵峠に向かいました。
通行止め禍中での山菜取りへで紹介したように、大江町からの県道は通行止めのバリケードが立っていました。
県道に入らず、大規模林道を古寺(こでら)方面に向かいました。この付近は、道路を拡張する以前は、ウドがたくさん自生していた場所です。
以前、両親と若くして亡くなった山仲間O氏と、この付近でウドをたくさん取ったことがあります。最近は、ほとんど見かけることが無くなりました。
少ないウドの自生地となった場所で仙人がウドを見つけました。
同じ緑なので、どれがウドかわかりにくいと思います。
地蔵峠では先ほどの大江町へ行く県道の迂回路として利用できるはずだった町道大頭森(だいずもり)線(旧田の沢林道)も通り抜けできないので、バリケードが立っていました。
この先を行くと、大頭森山の麓の峠から眼前に巨大な朝日連峰を眺望できる絶景スポットがあります。
このまま、古寺へと大規模林道を進みました。
そして、山仲間S氏が林道の間知ブロックの擁壁の上にタラノメの群生地を見つけました。
普通の人なら高い擁壁の上に登ろうとはしないはずですが、私は道路の設計や工事の管理も経験したことで、道路の構造物をよく知っています。そこで、すんなりと擁壁の上の法面に上がり、タラノメをたくさんいただきました。
もちろん、全部芽を取るのではなく、1本の木に複数の芽を残して今年も成長するようにします。
あるはずの無い巨石を見に 子安観音へで紹介したように、簡単登れる斜面ではタラノメはノコギリで全部切り落とされていました。
ちょうど昼近くになりました。古寺で昼食を取ることとしました。
himajintaro at 20:55|Permalink│Comments(0)
2021年05月16日
通行止め禍中での山菜取りへ
2021.5.14
コロナ禍中で、いつもの山仲間3人で山にも行けず、花見もできませんでしたが、久しぶりに山菜取りに行こうと企画しました。
場所は、西川町大井沢です。大井沢は日本一の栗の木へで紹介した、映画「いしゃ先生」のモデル、女医の志田周子(しだちかこ)が生涯を地域医療に捧げた雪深い無医村でした。
山形で登山をする者にとっては大井沢は朝日連峰への表玄関です。志田周子先生の実家の甥で同じ研究室の同期から朝日連峰縦走を誘われたのがきっかけで、本格的な登山にのめり込むようになりました。
大井沢へはどう行くかということで、山形市内から最短の朝日町宮宿から朝日川を遡り、木川ダムの先から大規模林道(スーパー林道)を北上して、大井沢根子(ねこ)に入るルートを考えました。
しかし、
白倉、朝日自然観へ交差点の先、朝日橋から上流は冬季通行止めが解除されていませんでした。朝日自然観から大規模林道の山毛欅(ぶな)峠へ抜ける林道も冬季閉鎖のままです。
朝日鉱泉ナチュラリストの家は今年の営業を4月29日に再開したようですが、朝日橋から11km、大規模林道との交差点から4km歩いて行かなければなりません。昔は、登山をする人は11kmぐらいの距離は当たり前でしたが、車で登山口まで行くようになってからは、正直、抵抗があります。
それではと、次に近い、大江町から大井沢トンネルを抜けるルートを調べました。
大井沢トンネルは昨年から土砂災害で通行止めが続いており、町道大頭森線が走れそうでしたが、大江町役場に電話して確認してみました。
すると、大江町側のゲートは締まっており、大江町側の県道に土砂崩れがあり、大頭森線までは行くことができないとのことでした。
止む無く、一番遠回りの国道112号寒河江ダムの先から北回りで大井沢に入ることにしました。
当日、交通取り締まりがあちらこちらで行われるという情報がありました。このところ、山形県内では死亡事故が続いており、先日も40代のカブライダーが右折しようとした車と衝突し死亡したばかりでした。
そこで、われらポンコツカブライダーは、隣町山辺町から交通量の少ない広域農道(スーパー農道)の山道を走り、寒河江市谷沢まで一気に北上しました。そこから、交通量の多い国道112号を走らずに、寒河江川の右岸の県道を西川町本道寺まで遡りました。
ところが、またしても通行止めでした。
本道寺から国道112号に逆戻りし、ようやく、集合場所の寒河江ダムに集合時間より10分早い、午前8時50分に到着しました。
車で待ち合わせしていた山仲間S氏は通勤ラッシュを避けるために早くに家を出たそうですが、午前8時には到着していました。
遅山仙人が仁田山放牧場方面に行きたいと言い出しました。放牧場から大井沢に抜けられると言い張りましたが、速攻却下しました。以前も同じようなことがあり、引き返す羽目になりました。
そこで、放牧場へのルートから分岐して寒河江川の右岸を走るルートを選択しました。
途中、コゴミ(クサソテツ)の群生地がたくさんありましたが、だいぶ伸びてしまって、2、3日早ければ丁度良い状態でした。それでも、まだ、伸びていないところを取りました。
最終目的地の根子川上流には広大なコゴミの群生地があり、この辺りよりも標高が高いので丁度良いかもしれません。
しかし、しばらく道を進むと土砂と倒木で道を塞いでいました。
引き返して、寒河江川左岸の県道を走り、途中から右岸に戻りました。
つづく。
himajintaro at 06:45|Permalink│Comments(0)
2020年10月29日
日本一の栗の木へ
2020.10.9
西川町大井沢の山の中にある日本一の栗の木へ行ってきました。本当は、ツーリングで遅山仙人と行く約束をしていたのですが、仙人は音信不通となり、マイカーで愛妻と行ってきました。
日本一の栗の木はGoogleマップで大井沢周辺を見ていた時に偶然見つけたものです。
大井沢は映画「いしゃ先生」のモデル、女医の志田周子(しだちかこ)が生涯を地域医療に捧げた雪深い無医村でした。
上の写真は昭和50年に発行された「周子の生涯 鈴木久夫著」の章の扉です。癌の治療ため東北大学病院に入院中の写真です。中央が周子先生、左手前は私の大学の同期で、長男が戦死して、先生の実家を継いだ弟の長男(甥)です。
同じ研究室の同級生が大井沢出身であったことから、学生時代に同級生の父上(周子先生の弟)の案内で朝日連峰を縦走したり、同級生の家に泊まったりしていました。
そんな縁もあり、毎年のように大井沢に遊びに行っていました。
日本一の栗の木には林道を走っていくのですが、間違って行き過ぎてしまいました。こういう時に、気が付いて引き返すのは地味に痛いです。これが、二輪ならば、360度視界とはいかないまでも、雰囲気で目的地がわかるものです。
引き返した戻り路でキノコを発見しました。
上の写真の白いキノコはスギヒラタケです。何年か前までは普通に美味しく食べていたのですが、中毒症状を起こす人が現れて、一気に毒キノコに指定されてしまいました。
次はヌメリイグチ。ナメコのようにツルツルしてますが、傘の裏がスポンジ状になり、消化が悪いとされています。カラマツ林などに大量に発生します。
キノコを採った後、栗の木の入り口の駐車場を見つけました。目立たない案内板があり、見落としていました。
栗の木は案内板にもあるように炭を焼く原料にされていましたが、硬くて簡単に腐らないことから線路の枕木や住宅建築の柱を立てる土台に使われてきました。
私の父は大工職人でしたが、職人気質で土台は腐りにくい栗しか使いませんでした。
とにかく、大きな木です。木道が敷かれ、踏み付けで根を傷めないようにしてありました。
イガがたくさん落ちていて、早速、栗拾いとなりました。
イガの中に大きな粒が一つ入っているのが特徴です。
栗がたくさん拾えるとは予想がつきませんでした。キノコも栗も、例年より2週間から3週間は時期が遅れています。
昼食は、西川町の名物、山菜そばを渓声庵でいただきました。
駐車場には県外ナンバーのお客さんがたくさん入っていました。
山ブドウのジュースと山ブドウで染めた大根漬け、山形名物青菜(せいさい)漬けがお通しで出ました。これだけでも、県外の人はテンションが上がると言います。
メニューは山菜そばだけです。
西川町の山菜そばは、春は山菜、秋はキノコの煮汁を付けて味わいます。今年は、前述のようにキノコが遅れているので、一部栽培物のキノコが入っていました。例年なら、すべて天然物になります。天然のキノコから出た味と香りが出汁になり、とても美味しい付け汁になります、
秋の味覚で満足して、秋の味覚を自宅に持って帰りました。
夕食は、妻の友人からもらったマイタケの炊き込みご飯、秘密のケンミンショーで度々紹介された山形のソウルフード芋煮(出典:農水省)、それに大井沢で取ってきたヌメリイグチです。
ヌメリイグチはゴミを取って十分水洗いし、大根おろしでいただきました。キノコの天然物は味も香りも強く、秋の味覚の代表的な物です。
西川町大井沢の山の中にある日本一の栗の木へ行ってきました。本当は、ツーリングで遅山仙人と行く約束をしていたのですが、仙人は音信不通となり、マイカーで愛妻と行ってきました。
日本一の栗の木はGoogleマップで大井沢周辺を見ていた時に偶然見つけたものです。
大井沢は映画「いしゃ先生」のモデル、女医の志田周子(しだちかこ)が生涯を地域医療に捧げた雪深い無医村でした。
上の写真は昭和50年に発行された「周子の生涯 鈴木久夫著」の章の扉です。癌の治療ため東北大学病院に入院中の写真です。中央が周子先生、左手前は私の大学の同期で、長男が戦死して、先生の実家を継いだ弟の長男(甥)です。
同じ研究室の同級生が大井沢出身であったことから、学生時代に同級生の父上(周子先生の弟)の案内で朝日連峰を縦走したり、同級生の家に泊まったりしていました。
そんな縁もあり、毎年のように大井沢に遊びに行っていました。
日本一の栗の木には林道を走っていくのですが、間違って行き過ぎてしまいました。こういう時に、気が付いて引き返すのは地味に痛いです。これが、二輪ならば、360度視界とはいかないまでも、雰囲気で目的地がわかるものです。
引き返した戻り路でキノコを発見しました。
上の写真の白いキノコはスギヒラタケです。何年か前までは普通に美味しく食べていたのですが、中毒症状を起こす人が現れて、一気に毒キノコに指定されてしまいました。
次はヌメリイグチ。ナメコのようにツルツルしてますが、傘の裏がスポンジ状になり、消化が悪いとされています。カラマツ林などに大量に発生します。
キノコを採った後、栗の木の入り口の駐車場を見つけました。目立たない案内板があり、見落としていました。
栗の木は案内板にもあるように炭を焼く原料にされていましたが、硬くて簡単に腐らないことから線路の枕木や住宅建築の柱を立てる土台に使われてきました。
私の父は大工職人でしたが、職人気質で土台は腐りにくい栗しか使いませんでした。
とにかく、大きな木です。木道が敷かれ、踏み付けで根を傷めないようにしてありました。
イガがたくさん落ちていて、早速、栗拾いとなりました。
イガの中に大きな粒が一つ入っているのが特徴です。
栗がたくさん拾えるとは予想がつきませんでした。キノコも栗も、例年より2週間から3週間は時期が遅れています。
昼食は、西川町の名物、山菜そばを渓声庵でいただきました。
駐車場には県外ナンバーのお客さんがたくさん入っていました。
山ブドウのジュースと山ブドウで染めた大根漬け、山形名物青菜(せいさい)漬けがお通しで出ました。これだけでも、県外の人はテンションが上がると言います。
メニューは山菜そばだけです。
西川町の山菜そばは、春は山菜、秋はキノコの煮汁を付けて味わいます。今年は、前述のようにキノコが遅れているので、一部栽培物のキノコが入っていました。例年なら、すべて天然物になります。天然のキノコから出た味と香りが出汁になり、とても美味しい付け汁になります、
秋の味覚で満足して、秋の味覚を自宅に持って帰りました。
夕食は、妻の友人からもらったマイタケの炊き込みご飯、秘密のケンミンショーで度々紹介された山形のソウルフード芋煮(出典:農水省)、それに大井沢で取ってきたヌメリイグチです。
ヌメリイグチはゴミを取って十分水洗いし、大根おろしでいただきました。キノコの天然物は味も香りも強く、秋の味覚の代表的な物です。
粒の大きい大井沢の日本一の栗の木の実は、栗の頭と尻にキッチンバサミで傷を入れて圧力鍋で蒸すと皮が剝きやすくなり、妻が栗ご飯と渋皮煮にしてくれました。
日本一大きい栗の木を見て、キノコ取りと栗拾いができてラッキーな一日でした。
日本一大きい栗の木を見て、キノコ取りと栗拾いができてラッキーな一日でした。
himajintaro at 16:52|Permalink│Comments(0)
2020年06月28日
炊事軍曹、タケノコ料理を作る。
2020.6.12 御田ノ神湿原
蔵王御田ノ神湿原にチングルマを見に行き、中央高原パラダイスゲレンデでタケノコを取って午後4時前には帰宅しました。早速、タケノコの下処理です。
今日は奥さんが仕事なので炊事軍曹を仰せつかりました。取れたてのタケノコをすぐに焼いて食べたくなったので魚焼き器で焼き、味噌マヨネーズで食べました。
次にタケノコは皮を剝き、軽く水から茹でました。
味付けは、少々のみりんと白だしと醤油です。
夕食はタケノコを焼いたものとタケノコの炒め物をメインとしました。息子から誕生祝いと父の日の祝にもらったエビスビールで乾杯です。残ったタケノコは翌日のタケノコご飯と味噌汁用に取っておきました。
奥さんにパラダイスゲレンデからLINEでタケノコを取ったと連絡していたので喜んでくれました。仕事から帰るとご飯が出来上がっていることは嬉しいと、いつも奥さんが言うので、基本、私の仕事が休みで奥さんが仕事の時は、私が炊事軍曹を仰せつかることにしています。
翌日用にタケノコご飯を仕込みました。翌朝、奥さんはタケノコご飯を持って仕事に出かけました。下の写真は私の昼食です。私は朝食を食べないのでタケノコご飯と味噌汁は昼食からとなります。
今回、運よく蔵王温泉スキー場でタケノコを取ることができました。前の週の上山の県境・舟引山でもタケノコを取ることができたのですが、正直言って舟引山のタケノコの方が美味しいです。同じ蔵王山系のタケノコではありますが、はっきりした味の違いがわかります。
山形では月山で取れるタケノコは太くて「月山ダケ」と呼ばれ市場にも出回り、山菜料理店や居酒屋にも出されるほど有名です。しかし、味が薄いのが欠点です。
来年は5月20日過ぎには舟引山に行き、6月に入ったら蔵王スキー場でタケノコ取りをして産地間による味の違いを楽しみたいと思います。
蔵王御田ノ神湿原にチングルマを見に行き、中央高原パラダイスゲレンデでタケノコを取って午後4時前には帰宅しました。早速、タケノコの下処理です。
今日は奥さんが仕事なので炊事軍曹を仰せつかりました。取れたてのタケノコをすぐに焼いて食べたくなったので魚焼き器で焼き、味噌マヨネーズで食べました。
次にタケノコは皮を剝き、軽く水から茹でました。
牛肉と他の野菜と一緒に炒めることにしました。
味付けは、少々のみりんと白だしと醤油です。
夕食はタケノコを焼いたものとタケノコの炒め物をメインとしました。息子から誕生祝いと父の日の祝にもらったエビスビールで乾杯です。残ったタケノコは翌日のタケノコご飯と味噌汁用に取っておきました。
奥さんにパラダイスゲレンデからLINEでタケノコを取ったと連絡していたので喜んでくれました。仕事から帰るとご飯が出来上がっていることは嬉しいと、いつも奥さんが言うので、基本、私の仕事が休みで奥さんが仕事の時は、私が炊事軍曹を仰せつかることにしています。
翌日用にタケノコご飯を仕込みました。翌朝、奥さんはタケノコご飯を持って仕事に出かけました。下の写真は私の昼食です。私は朝食を食べないのでタケノコご飯と味噌汁は昼食からとなります。
今回、運よく蔵王温泉スキー場でタケノコを取ることができました。前の週の上山の県境・舟引山でもタケノコを取ることができたのですが、正直言って舟引山のタケノコの方が美味しいです。同じ蔵王山系のタケノコではありますが、はっきりした味の違いがわかります。
山形では月山で取れるタケノコは太くて「月山ダケ」と呼ばれ市場にも出回り、山菜料理店や居酒屋にも出されるほど有名です。しかし、味が薄いのが欠点です。
来年は5月20日過ぎには舟引山に行き、6月に入ったら蔵王スキー場でタケノコ取りをして産地間による味の違いを楽しみたいと思います。
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