よもやま話

2021年06月15日

蔵王ドッコ沼のうるさいハエ

2021.6.10

タケノコ取りをした後に、蔵王ドッコ沼で昼食の時間としましたが、とにかく、たくさんのハエが近寄ってきて、うるさいという状態でした。



「五月蠅い」と書いて、うるさいと読みますが、「六月蠅い」と書きたいぐらいでした。

タケノコ汁などを作って食べましたが、同行した山仲間たちはハエを追い払うことに神経をすり減らしていました。

ビデオは若くして亡くなり、1回だけ年金をもらった知人の話をしています。

ドッコ沼周辺には宿泊施設があります。ハエがこれだけ集まるというのは、処理できていない生ごみがあるということです。

蔵王で、これだけ、うるさいハエを見たのは初めてです。


himajintaro at 21:48|PermalinkComments(0)

2021年06月06日

俺は親に捨てられた⁉



2021.5.28

道祖神で安全祈願をし、国道399号を北上して、茂庭集落から摺上川ダムサイトまでの長い坂を登り切り、愛宕神社でコーヒータイムとしました。

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愛宕神社はダムサイトから近く、ダムに沈んだ集落にあった神々を新しく作った国道沿いに移して祀っています。

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私は摺上川ダムができる前に、ヤマハのチャンプRSで山形市内から金山峠、稲子峠を越えて鳩峰峠から伸びる国道399号に入り、飯坂温泉を通って福島市内に住む妹夫婦に何度も行ったことがあります。

その時走った摺上川沿いの集落に、どこの田舎にもあるようなお酒や日用品を置いている〇〇商店と呼ばれているような店があったような記憶があります。もしかしたら、茂庭の集落にあった店だったかもしれません。

山あいのクネクネとした国道399号から少し広くなった摺上川の谷あいの道をしばらく走ると茂庭でした。

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遅山仙人によると、埋没した摺上川沿いにはたくさんの遺跡があったそうな。

村人がみんなで大きな落とし穴に鹿などの大型鳥獣を落として狩りをしていたと言うのです。

「なぜ、人は山で暮らしたのか?」「なぜ、遺跡を残さなかったのか?」と、いつものボヤキが始まりました。

山で暮らすことについては、仙人があちらの世界に帰った時に、ご本人たちに聞いていただくことにして、遺跡については、わかる範囲で答えました。

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公共事業や民間の大きな開発の時に、遺跡があると思われる場所については、開発者の自己負担で遺跡の発掘調査をしなければなりません。

さらに調査の報告書を作って自治体に提出しなければなりません。重要性が高いとされれば、保存する義務を負います。そうでないときでも、建物の位置を変えるなどの開発計画を変える必要が出てくる場合があります。

遺跡が破壊されなければ、大抵は埋め戻して終わりになります。遺跡の状態を示す報告書が自治体に永久に保存されます。

ですが、調査して報告して指示を受けるまでには相当な時間と経費負担が伴うので、工事が大幅に遅れることが多いのです。

そんな話を仙人に聞かせたのですが、仙人は全て残して保存すべき派なのです。そんなことをしたら、国中が遺跡だらけになって、住みにくくなると説明するのですが、頭のいい仙人でも、想像ができません。

頭の中に想像というバーチャル空間を作れないので、ツーリングで位置情報がわからず、迷ってしまうのです。

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仙人から質問されたので、私からも質問を一つ。

仙人はなぜ、コレクターになったのか?

「俺は親に捨てられた」と言うのです。

頭の中に???が飛び交いました。

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父親に大事なものを捨てられたと言うのです。

仙人の父親は国家公務員でした。職場で行われた小説かエッセイのコンテストで2度も全国最優秀賞をとったことで本になり、国会図書館に保存されています。さらに、本当かどうか、映画化もされたというのです。

その父親は、仙人とは真逆の、大の始末屋だったそうです。

要るのか要らないのか、よく確認もせずに見境なく、毎朝、物を捨てたり焼いたりしたので、毎日、家じゅうで大騒ぎをしたと言うのです。

このことが仙人としてはトラウマになり、物がないと安心できなくなり、俗にいう〇〇屋敷に住む仙人となり、コレクターとしての本領を発揮することになるのです。

親の影響とは、大きいものだとつくづく考えさせられました。

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低気圧の影響で強風だった午前中とは打って変わって、穏やかで青空が広がり、ツーリングには心地よい午後になりました。

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この通りでは、いつも見かける猿軍団は全く見ることができませんでした。

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湖面は穏やかでした。

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昨年は稲子峠と鳩峰峠が通行止めで一度も国道399号を走っていません。

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何度も七ヶ宿役場に問い合わせて、雪が降るギリギリまで稲子峠の災害復旧工事の完成予定を確認しましたが、開通を待たずに冬季閉鎖となりました。

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仙台藩の足軽の集落として栄えていた稲子は住人が一人だけとなり、まさしく限界集落となってしまいました。

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稲子峠については役場に確認を取らずにツーリングに出かけたので、通れなければ、鳩峰峠を越えて高畠に出るつもりでした。

県単位の3桁国道や県道の情報はホームページで確認できるので鳩峰峠は確認が取れていました。

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稲子峠への交差点には通行止めの看板が立っていなかったので、仙人の、もう一つの疑問に答えるために稲子峠へと進みました。


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2021年05月22日

走行距離44444.4km

2021.2.20

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朝の通勤途中で愛車リトルカブが44444.4kmになりました。直前で気が付き、道路左に停めて撮りました。

2サイクルバイクなら、エンジンが寿命で廃車する距離です。

以前、ヤマハのチャンプRSを乗っていた時、2万kmでエンジンをオーバーホールし、10万円近くかかり、妻に散々怒られたことがあります。当時、10万円あったら、結構、いいスクータが買えました。

チャンプRSは、その当時の50cc原チャリでは考えられない前輪ディスクブレーキと後輪にはガス入りショックアブソーバーが搭載されていました。エンジンパワーも50cc原チャリ界では最高でした。

自動車学校で行われていた50cc原チャリレースでは常勝のマシンでした。

転勤族の妹夫婦の住んでいた青森市にチャンプRSで往復しました。三泊四日滞在し、青森ねぶたに跳人として参加し、八甲田山に登って酸ヶ湯温泉で汗を流し、チャンプRSで妹のアパートに戻りました。

パワーがあり快適で面白いマシンでした。4万kmで廃車しました。今、走れる状態で残っていたらプレミアものでしょう。

それに比べ、カブは丈夫ですね。まだまだ元気です。



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2021年05月09日

B29は、なぜ不忘山に墜落したか?

♪♪シラタキとネギと、お豆腐、白菜。肉は入ってないわ、私の人生。♪♪

5月7日の午後8時過ぎ、行きつけの理髪店からの帰宅途中、iPhoneから東京ロマンチカのラブユー貧乏の曲が流れてきました。遅山仙人からの着信でしたが、リトルカブで走行中だったので取らずに自宅に戻りました。

私は以前からiPhoneの着メロをCD音源などから自分で作り、相手に合わせた曲にしています。今は、音声ツールで相手の名前をコールしてくれるのですが、コールにかぶせて着メロが流れるように設定しています。曲が流れると発信相手がわかるという寸法です。

午後9半過ぎに再度掛け直してもらい、小一時間ほど取り留めもない話で盛り上がりました。

Tanaka Termite_B-29 Termite 3

開口一番、「B29は、なぜ不忘山に墜落したか?3機も墜落したことを知らなかった。ケネディー大統領の娘(正確には、駐日大使だった彼女の代理)が慰霊祭に来たのを知らなかった。」と、毎度毎度、聞きかじりの頓珍漢な質問をぶつけてきました。

米軍の重爆撃機B29が1945年の3月10日の東京大空襲で東京の街並みを焼失させている最中に、別のB29、3機が北上し、宮城県の不忘山(ふぼうさん)に墜落したものです。

不忘1

不忘山は標高1,705mで蔵王連峰の最南端にあり、ここから一気に蔵王連峰が始まります。

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今と違って、目視による有視界飛行をしなければならない時代です。地面との衝突防止の安全装置も設置されていない航空機の夜間飛行は、さぞかし怖かったでしょう。

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東京から本隊と別れて密かに北に向かい、街の明かりのある福島市を真っ直ぐ北上すると、急に標高のある不忘山に衝突してしまったことは想像に難くありません。まして、当日は吹雪だったそうです。

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こういうことを仙人に説明しても、理科を教えられなかった仙人にはチンプンカンプンです。さらに、「なぜ、B29は高い所を飛べるのか」とエンジンの過給機構造を知りませんでした。

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高高度の圧縮空気と空気抵抗を少なくするための高高度飛行という相反するような航空技術は物理が苦手な仙人には原理を丁寧に説明することで理解はしてもらえるのですが、仙人が一番ショックなのが、科学よりも歴史的事実を今まで知らなかったということなのです。

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こんな、どうでもいいような話を30分以上しましたが、その後は、話題がコロコロ変わりました。

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そして、本題が最後に出てきました。

「ところで、明日と明後日は休みだか?」

つまり、ツーリングに行かないかという誘いを1時間かけて枕詞を話した後に受けました。あまりにも長すぎる遅山の名にふさわしい枕詞です。

「明日は、親類縁者の墓参りで、明後日は雨の予報だね。」と返しました。

不満そうなので、「今度の金曜日、山菜取りに行こう。鍋と油を持って行くから、天ぷらをしよう。」と誘うと機嫌が回復しました。

そうして、翌日の5月8日、毎月恒例の親類縁者の墓参りに出かけました。

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以前、悲しい知らせが届きました。で紹介した女性は、まだ葬儀が済んでいません。予定も未定の状態です。そこで、女性の旦那様が眠る墓をお参りすることとしました。この墓は、親類縁者の寺にあり、親類の墓のすぐそばにあります。

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いつものように最後に妻の父が眠る墓をお参りした後、近くにワラビが出ていたので取りました。

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ゼンマイも出ていたので、頂きました。

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ちょっとだけ山菜を取り、帰宅しました。



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2021年05月05日

あるはずの無い巨石を見に 十三年忌

2021.4.27

巨石07

目的地だった洞雲寺跡から引き返し、長井市伊佐沢に戻りました。そこから西に進み、最上川を渡らずに北上しました。

一旦、国道287号に合流した後、五十川から旧国道に入りました。基幹林道置賜東部線の入り口には通行止めの案内板はありませんでしたが、建設会社の工事個所を示す案内板が置かれていました。

ほとんど車の走らない旧国道を白鷹町荒砥まで北上しました。また、国道287号と合流し、白鷹町下山で左折して最上川を渡り、すぐに右折して、最上川の左岸を走ることにしました。

しかし、すこし走ると、蕎麦屋熊屋の手前に「通り抜けできません」という看板が立っていたので、国道287号に引き返しました。

最上川左岸を走ると、右岸の白鷹ヤナ公園から左岸に架かるワイヤーに鯉のぼりがたくさん泳いでいるはずでした。残念ながら、今年も見ることができませんでした。

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国道をそのまま北上し、おしんの吊り橋の左岸に行くため手前の永久橋で最上川を渡りました。Googleマップではおしんの吊り橋を太平橋としていますが、位置的に永久橋を示しているために、Google マップに位置情報の修正を提案しました。

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3月12日のタイヤの皮むき第二弾 おしんの吊り橋が無くなる!?でも紹介しましたが、全面通行止めは解除されていませんでした。そして、この橋も老朽化が進み、撤去されることが決まりました。

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桜とともに最上川に散った命で紹介した知人の命日が4月28日で十三年忌を迎えます。いつもなら、橋のたもとまで行って手を合わせるのですが、ことしはこの場所で合掌させていただきました。

前回同様、この場所でコーヒータイムとしました。

遅山仙人が江戸幕府の塩専売について話題を出しました。山に住んでいる人たちは、どうやってナトリウムを摂取したのだろうという疑問からでした。

仙人の頭の中では、塩からしかナトリウムは摂取できないという先入観があり、江戸幕府にすべてコントロールされていたと思い込んでいたようです。

化学などの理科はまるっきり教えることのできなかった中学教師だったので仕方がありません。

塩の元はミネラルが豊富にある山が源であり、川によって海にもたらされていることを渓流釣りが大好きな仙人は連想できなかったようです。

ミネラルが豊富な山菜を食べていれば、ナトリウムは摂取できたのです。

話のついでに、私がよく行くバングラデシュでの話です。

バングラデシュは毎年洪水になります。

バングラデシュの知人でバングラデシュで初めてイチゴ苗の生産に成功し、一時失われたダッカモスリンの再生に成功した大学教授(当時は助教授)に洪水について、昔話したことがあります。

洪水は人間にとって災害ではあるものの、上流から豊富なミネラルをもたらし、さらに土中の悪い菌や害虫を水に流してくれるとという、とても重要な役割を果たしていると話しました。

ベニバナの原産地であるエジプトはナイル川の氾濫地域です。ベニバナは前の年の自分の根を嫌う(嫌地現象と言います)ので洪水で根を洗い流してもらい、毎年豊富な栄養を洪水により供給してもらうことで毎年同じ場所で成長できるのです。

日本でも山形県大石田町は昔からベニバナの産地でしたが最上川の氾濫地域になります。現在、河川の氾濫地域でないところで生産しているベニバナは薬品と肥料をたくさん投入して嫌地現象を抑えています。

教授はそんな考え方を持ったことがないと驚いていました。

日本では河川改修が進み、災害の無い暮らしやすい国になっていくと思いますが、ミネラル不足が深刻化して病人の多い国になっていくのかもしれません。

こんな、つまらぬ四方山話をしながら、コーヒータイムを終え、いつものように白鷹町大瀬から県民の森を通って帰宅しました。


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