料理
2023年07月06日
バス釣り、リベンジ成功
2023.7.5
三本木沼でのブラックバス釣りがボウズだったので、翌日、リベンジで上山市の前川ダムに行きました。
前川ダムは、農業用の溜池であった忠川池を拡張するために山形県がロックフィルダムにしたものです。完成から40年以上になるはずです。
今では、バス釣りの聖地として全国的に有名になりました。
日の出前の4時半過ぎに、いつもの車が置けるスペースに着きました。すでに、プリウスが1台止まっていました。
こんなに早い時間ではあるものの、プリウスのオーナーの年代的にはヘラ釣りの人かなと思いました。
道具を持ってポイントに向かって歩いていると、岸辺で若いバスラーがロッド2本で釣っていました。
梅雨の時期だけに、水位も高く、南側の前川からダムに入り込むポイントで釣り始めました。
前述のバスラーがロッドを振る音を聞きながら、自宅で養殖したドバミミズを針につけ、第1投しました。
前川ダムの特徴は泳いでいるバスがよく見えるということです。特に朝の7時前は、たくさん泳いでいます。
一般的に見える魚は釣れないと言いますが、前川ダムで見えるバスを何度か釣ったことがあります。
もちろん、眼の前を泳いでいるバスは釣れません。石の陰とか、木の陰など、こちらからは見えてもバスからは見えないという位置です。
一本目が来ました。
一昨年の9月21日以来の前川ダムでのバス釣りです。あのときは餌釣りではなく、ロッドとリールと疑似餌を持って行きました。ただ、水面に藻が茂り、ロッドを振るのも難儀でした。
最初の一本は、一投目のポイントではなく、上流側(写真下)のポイントです。
ここのポイントから、バンバン、バスが上がってきました。入れ食い状態でした。
ただ、浅かったためか、ウキの引き方がおちょぼ口のブルーギルのように、ちょこちょこ小さく引き、さらに横に引っ張っていくという、今まで見たことのないようなウキの引き具合でした。
このために、合わせられなくて、ミミズだけ持っていかれたことが何度かありました。
渓流用の安物のカーボンロッドを使っているので、大きいものがかかると竿が大きくしなり、上げるのに大変苦労しました。
ブルーギルは1本だけでした。前日の三本木沼が嘘のようです。
バスを釣り上げた数は10本でした。
しかし、20cmクラスの小振りなバスは、釣り上げてからも大きく暴れて、針を外して神経〆のタイミングで4本逃げられてしまいました。
大きなバスは、一旦、上がると比較的大人しくしてくれるので、神経〆をして血抜きすると完全に動かなくなります。
10本というのは初めてです。これでは、とてもルアー釣りする気にはなれません。
一昨年と一昨々年は、釣具屋から、あまり太くないミミズを買って釣っていました。打率は良くありませんでした。
今回は、自宅で養殖した太いドバミミズ20匹でバス10本とギル1本です。5割5分の高打率をマークしました。流石、ドバミミズです。
7時になりました。ミミズがなくなったので帰ることにしました。
帰りは、釣台に座り、日よけのパラソルを被った、ヘラブナ釣りの人たちがたくさん湖岸に陣取っていました。
早朝はバスラー、日中はヘラ釣りの人に交代します。
自宅に帰って、計測したところ、40cmが2本でした。今までの最高は35cmでしたから、いきなり、新記録を2本出しました。
まず、40cm未満の4本を干物にしました。
ネットで干物にしているページを見て、ぬめりを取るために酢を使っているのを見て、足りない酢を大急ぎでスーパーに買い出しに行きました。
実は6本中、1本だけ、神経〆に失敗して、死後硬直が始まっていました。うまく、神経〆できると、柔らかいまま新鮮な状態で持って帰れます。
酢でぬめりを取ったあと、内臓とエラと血合いを取りました。
臭み取りのため、塩を刷り込んで20分ほど放置したあと、水洗いし、キッチンパーパーで水分を取り、振り塩して、ネットに入れて、曇天の下で午後から干しました。
干物は、翌日の午前中も干して完成しました。バス特有の臭みはなく、一般的な干物の匂いがしました。
40cmの2本は三枚におろし、虫がいるというので、冷凍保存のため皮を剥いで切り身にしました。
40cmとなると身も大きいです。バスは1cm違っただけで身の大きさが変わります。
一つ一つ、ラップに包んで冷凍し、後日、何某かの料理に使いたいと思います。
そして、完成した干物を焼いて食べました。
多少、バスの臭みは残ってはいますが、味は美味しいと思います。ただ、骨が邪魔になるのと、身がパサパサして、どうしても食べにくいです。
魚を食べるのは上手な方だと思っていますが、身を取るのに苦労しました。
バスは、三枚におろしてから、干物にした方が良いと思います。
来週、天気を見ながら養殖ミミズを持って、また、前川ダムに行きたいと思います。
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2023年06月24日
お墓参りと冷やし中華風蕎麦
2023.6.21
毎月恒例、第一日曜日は親類縁者の墓参りですが、今月は妻が脊柱管狭窄症の手術のため入院したことと、妻の職場へピンチヒッターとして勤務をしたことにより、なかなか、墓参りに行くことができませんでした。
天気の良かった19日に翁山登山をした翌日勤務で、その翌日は休みだったので、墓参りに出かけました。この日は、妻が無事に手術が成功し、退院したことで、ご先祖様に御礼することも目的としました。
お墓参りは、いつも通りに父母が眠る山形霊園を皮切りに、父の実家の唯法寺、同じ墓に父の姉夫婦と遅山仙人の身内が眠る金勝寺、母方の親戚がたくさん眠っている等栄寺、妻の父が眠る集落の墓地をまわりました。
妻は腰のあたりの背骨がすべり症により神経の束が入っている脊椎管を圧迫して痛みと足のしびれを起こして10年以上苦しんできました。
担当医からMRIの画像と脊椎の模型を使って詳しく症状と手術の方法について説明を受けました。手術は圧迫している部分の骨を削り、その骨を背骨の軟骨である椎間板に埋め込み、椎間板を骨化し、削った背骨と一つ上の背骨を一体化させることで、すべり症を防ぐものです。
一体化するまで3カ月ほどかかるのでチタン合金のボルトで背骨同士を固定します。一体化するまでは、重いものを持つことやスポーツをすることは厳禁です。
ツーリング仲間のBH氏も脊柱管狭窄症を患っており、20日の昼の休憩時間に遊びに来てくれました。彼の症状について聞きました。加齢により脊柱管が(MRIの画像が)黒くなるので痛みを伴っているとのこと。
このことは、以前から聞いていたので妻の主治医に黒くなるところを尋ねると椎間板は加齢により画像が黒くなるとのことでした。妻の画像もそうでした。
山仲間S氏も腰が悪いのですが、氏は妻の手術には賛成してくれませんでした。理由は、手術をして良くなった例を聞いたことがないとのことでした。BH氏も同じことを言っていました。
二人とも、山形市内の整形外科では有名な二つの病院での手術例を聞いているようでした。妻も、そのうちの一つの病院で診察を受けましたが、手術の必要なしと言われました。
妻が手術を受けたのは山形市内の病院ではありません。
手術後ではありましたが、S氏からの勧めで、NHKのテレビ番組を見ました。
5月28日19時から放送のNHK『チョイス@病気になったとき まとめスペシャル「脊椎管狭窄症&椎間板ヘルニア」』でした。
脊椎管狭窄症は物理的な原因で神経が圧迫され、手術の場合の方法が紹介されていました。BH氏が言う加齢にともなう生理的な現象によるものの説明はありませんでした。
妻は手術によって長年の苦しみから解き放たれました。
医学は日進月歩です。セカンドオピニオンは当たり前の時代になりました。情報はすぐに陳腐化するものです。常にアップデートする必要があると思います。
午後から墓参りに出かけたのですが、買い物をする時間が必要だったので、上山に眠る山仲間O氏までは足を延ばせませんでした。
農協の産直で蕎麦粉を買いました。いつもは、白鷹町中山で作られている蕎麦粉を買っています。この蕎麦粉は長井市、白鷹町、朝日町、大江町の各道の駅で買うことができます。
農協の蕎麦粉の方が300円高いのですが、香りがいいので、こちらが気に入っています。
農協の後は、出汁を取るための削り節の他、買い物のために数軒立ち寄り帰宅しました。
退院して、自宅療養中の妻からのリクエストにより、冷やし中華のたれで蕎麦が食べたいというので、サバ、イワシ、アジ、ソウダガツオで出汁を取り、醤油、酢、みりん、砂糖、ショウガ、レモン酢を加えて冷やし中華のたれを作りました。
翌朝、蕎麦を打ちました。
短い切れ端を茹でて、天ぷら油で揚げて、モーニングコーヒーのお茶請けにしました。
昼食として、冷やし中華風蕎麦にしました。
トッピングのキュウリとからし漬けにしたキュウリは20日にBH氏からもらったものです。右側のフキの煮物は、19日に翁山登山の時に取ってきたものです。
出汁が効いている冷やし中華のたれは手打ち蕎麦に合います。また、蕎麦はレタスやサラダ菜などに合わせてサラダにして食べるのも美味しいです。
今年の夏は、冷やし中華風蕎麦が我が家の一番人気になりそうです。
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2023年05月22日
山菜取りと天ぷら
2023.5.18
帯状疱疹の激痛に苦しむ遅山仙人は治療にメドが立たなくなり、自宅に引きこもりがちになっていました。山仲間S氏とともに、山菜取りを餌に屋外に連れ出すことにしました。
前日、寒河江市にある慈恩寺に仙人を誘ったところ、怪しげな治療院に行っていました。
当日は、午前9時に寒河江ダムでS氏と待ち合わせすることとし、7時半に仙人の隠れ家に迎えに行きました。
通勤時間と重なるため、交通量の多い道を避けて、多少遠回りでも裏道を走りました。
寒河江の中央工業団地からは、国道112号を走らずに、いつものように寒河江川の右岸を走りました。
一番心配していたのは、本道寺から112号に上る道が通れるかでした。案の定、通ることはできず、迂回することになりました。
寒河江ダムには予定より20分早い、8時40分には到着しました。S氏は平日であることを忘れていたため、通勤ラッシュに遭遇し、多少、遅れて到着しました。
寒河江ダムからは西川町大井沢に向かいました。途中、112号から仁田山牧場へ左折し、寒河江ダム湖の橋を渡り、分かれ道で大井沢方面へ入りましたが、残念ながら、ここも通行止めになっていました。
仕方なく、112号に戻り、寒河江川左岸の県道を走ることにしました。目的地を朝日連峰のベースキャンプ地である日暮沢小屋としました。
日暮沢小屋までの林道の途中、根子(ねこ)の集落から少し入ったところで2年前にウドを取ったので探してみましたが出ていませんでした。
途中、食べごろのコゴミが残っていました。しかし、2年前同様、アメリカ橋を渡ってしばらく行くと、通行止めになっていました。
バリケードの手前に横浜ナンバーのオートバイが止まっていました。半透明のリアボックスを載せていましたが、釣りかなという雰囲気でした。
ここから日暮沢小屋まで歩くとなると3km以上あると思います。
折り返したアメリカ橋付近で山菜取りの一団と出会いました。関心はワラビでした。まだ、ワラビは本格的に出ていないようです。
所々でコゴミを取りました。
3人とも結構の量のコゴミが取れました。2年前より暖かく季節が進んでいる感がありましたが、今回の方が太くて良いコゴミがたくさん取れました。
山菜取りはカブのような小さいバイクに限ります。ゆっくり走りながら、周りをキョロキョロできます。すぐに止まることができます。車では視界が狭く、一々、止まるのも面倒です。
今回も双眼鏡を首にかけながら運転し、要所要所で覗きながら、山菜のありかを確認しました。
途中で、通行止め箇所に置いてあった横浜のオートバイが戻ってきました。
話を聞くと登山で来たとのことでしたが、どうも軽装です。朝日連峰を縦走するような雰囲気ではありません。バイクを置いて、一日ぐらい山歩きするような感じでした。
ウドを見つけました。ワラビも少しだけ出ていました。
久しぶりに大漁です。
根子に戻り、2年前同様、昼食のため古寺キャンプ場に向かいました。
スーパー林道(大規模林道)を走ると「通行は自己責任となります」という看板があります。スーパー林道と言っても、この区間は一般県道と同じような道路規格になっています。
前回同様、キャンプ場の洗い場の中に置いてあったテーブルと長椅子を外に出して昼食の準備を始めました。
仙人は準備には一切手伝わずに、へなへなとイスに座り込むだけでした。相当、疲れたようです。S氏も山菜取りで疲れたと言っていました。
みんな、最近は山にも登らなくなったこともあり、体力の低下が著しいようでした。
ウドはたくさん取りました。十分、天ぷらにできます。
早速、天ぷらの準備にとりかかりました。
今回は、天ぷら鍋と食用油と天ぷら粉、水、山菜が取れなかった時のために、コシアブラ、サツマイモ、魚肉ソーセージを持って行きました。
天ぷら油と水はランドセルに忍ばせておきました。キャンプ場の水は出ないだろう、出ても水質的にどうかという疑問もあり、自宅の軟水器を通した水を持って行きました。
最初にサツマイモ、次に持ってきたコシアブラを上げました。今回の山菜取りではコシアブラもタラノメも取ることができませんでした。
S氏が水で戻すだけで食べられる蕎麦を持ってきてくれました。しっかり、ネギの薬味も持ってきました。
ウドとコゴミも揚げました。蕎麦に天ぷらです。これに、お酒があれば最高なのですが、帰れなくなります。
採れたてを天ぷらにして食べられる、至福のひと時が過ぎてゆきました。
途中、男性が二人、川の方へ向かって行きました。また、女性三人が来て、洗い場で昼食の準備を始めました。
いずれも、本格的な天ぷらを見て驚いていました。
ウドの味噌汁も作りました。
コーヒーも飲みました。
コーヒーを飲んでいると男性たちが川から戻ってきました。そして、私の名前を呼びました。よく見ると、職場の先輩OBたちでした。
イワナやヤマメを釣って、内臓を取り出す処理をしてきたとのことでした。
型の良い大きなイワナとヤマメでした。どうも、ここより下流の月布川で釣ってきたようでした。
3時間ほど古寺キャンプ場に滞在しました。
帰りに、廃村になった古寺の集落に、昔、仙人が世話になったという人の家族がいたので、朝日町宮宿へ抜けられるかどうか尋ねました。
狭い箇所があるので車はどうかと疑問を呈したことに仙人が反応したため、元来た道を戻ることにしました。
寒河江ダムでS氏と別れました。
山菜取りをしただけでヘトヘトになった仙人は、天ぷらを食べて、すっかり、元気を取り戻していました。
夕方のラッシュ前に帰宅しました。
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2023年05月11日
BH氏のキュウリで居酒屋風やみつきキュウリ
2023.5.10
朝、ツーリング仲間のBH氏からフキを食べるかと連絡が入りました。食べると言ったら、スーパーカブプロ110に乗って、フキの他にキュウリと新グロモントを持ってきてくれました。
この日は妻が仕事だったので、炊事軍曹でした。BH氏が朝取りしたキュウリを新鮮なうちに一品作りました。
ネットで調べたレシピの中に居酒屋風やみつきキュウリというのがあったので作ることにしました。
レシピ上は、砂糖、しょうゆ、すりごま、ごま油、鶏がらスープですが、ごまは香りがたつように十分炒ったものをすりました。
また、私のオリジナルとしてタジン鍋に使うハリッサを加えました。
フキは翌日に処理することにしました。
数日前、妻の兄からもらったコシアブラを天ぷらにしました。
妻が好きな味醂サバを焼きました。味噌汁にコシアブラを入れました。妻が仕事帰りに買ってきたキムチ、イカ塩辛、メンマもおかずにしました。
妻は居酒屋風やみつきキュウリにハリッサが入っていることはわかりませんでしたが、美味しいと言って平らげました。
いつも、家にあるもので夕食を作ります。豆板醤もキュウリには合うと思います。今回は豆板醤の在庫がありませんでした。
二日後には、BH氏とツーリングです。いつも行くまでの間のBH氏との掛け合いが面白く、今回も珍道中になると思います。楽しみです。
himajintaro at 20:30|Permalink│Comments(0)
2023年04月22日
焼肉パーティーと予言
2023.4.21
山仲間でカブのツーリング仲間で、遠縁の親戚である遅山仙人が、今年の1月28日に帯状疱疹にり患し、初期の治療の遅れから、3か月近くなった今でも、数分おきに激痛が走り、治療のめどが立っていません。
薬の副作用もあり、倦怠感から食事の意欲もわかず、衰弱が激しいことから、山仲間S氏とも相談して、焼肉パーティーを挙行することしました。
場所は、JR左沢(あてらざわ)線の柴橋駅としました。
この駅は終点、左沢駅の一つ手前の無人駅で、ホームにかぶさるように桜の木が数本あり、桜の季節なら花見にちょうど良い場所です。ホーム上の桜は終わってしまいましたが、山側の桜は咲いていました。
この一週間、大のお通じが一度もなかった仙人は、歩行と列車の揺れに大腸が刺激されたのか、列車の中でもよおして、すぐに駅のトイレに駆け込みました。
トイレが水洗でないことを愚痴っていました。
口明けに、娘の夫のご両親からいただいた埼玉県の大吟醸酒で乾杯としました。キンキンに冷やして、甘口の美味しいお酒でした。
仙人に滋養をつけたいというS氏の思いから、氏はA5ランクの米沢牛と山形牛を準備してくれました。
私はすき焼き鍋とガスバーナー、五徳を背負って行きました。
長ネギ、シシトウ、シイタケ、ニンニクも焼かれて、仙人の食欲も増し、お酒も進みました。
米沢牛より山形牛の方が美味しいという結論になりました。
S氏はタケノコご飯も持ってきてくれました。
楽しい語らいの間は、仙人に激痛が走りませんでした。ところが、話が核心に迫り、仙人の今までの言動について触れだすと、激しい痛みに襲われるようになりました。
他人や身内の悪口を言い、愚痴ばかりで、隣近所に対しても迷惑ばかりかけていることを本人は理解できず、認めようともしません。
常に自分が正しく、他は間違っているという、頭というか心の物差しを持っているように思えます。
昨年、仙人が導かれるように行った大蔵村肘折の地蔵倉に登る途中、電気的なショックを受けて指に穴が空いた事件。
そして、10月20日。林道黒森線を単独ツーリング中に気を失い、気が付いたら、右足膝内側に大きな穴が空き、筋肉が無くなっていた事件。
その経過から、私が少なくとも半年後までに3度目の事件が起こると予言したところ、帯状疱疹で激痛の日々となってしまいました。
そんな中、焼肉パーティーの前日に、仙人に肉じゃがを持って行ったときに、あるものを見つけてしまいました。
既に亡くなった父親あてに火災保険の証書が届いていました。
仙人は郵便物をため込んでおく悪い癖があるので、私が行ったときは郵便受けから取り出して、トイレの窓から仙人へ手渡しています。
私は偶然は信じません。このことから、4回目の事件は、家を失うのではないかという予言をしました。
仙人は、自分は死んでしまうと言い出しましたが、S氏は、神様は簡単に逝かせてはくれない、気が付くまで、何度でも試練を与えると諭しました。
S氏や私の話は、神様や仏様が私たちの体を使って仙人に伝えていると言うと、仙人の体に激痛が走るのでした。
人としてあるべき姿に気が付けば、周りとの関係も良くなり、激痛も和らいでくるとS氏も私も思うのです。
4回目の事件が起こらないことを願うばかりです。
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