グループツーリング
2022年12月11日
BH氏と道の駅トイレ休憩の旅 後編
2022.11.20
檜原湖で給油した後、磐梯吾妻レークラインが冬季通行止めになったので、国道115号に合流するため、南下しました。
国道115号は沼尻あたりから上り勾配になり、磐梯吾妻レークラインとの合流地点からは50ccでは厳しくなります。88ccにボアアップしたリトルカブでも、この勾配が気がかりでしたが、だいぶ先に遅い車両があったために、ノロノロ運転の長い行列ができました。
先頭車両は目視できませんでしたが、土湯トンネルまでノロノロで、速い車からのプレッシャーがなく、安心してトンネルを抜けることができました。
道の駅つちゆ つちゆロードパークでトイレ休憩としました。日曜日の11時半で、お客さんもたくさんいました。
以前、平日に遅山仙人と来た時も、かなりお客さんがいました。バイクもたくさん止まっていました。福島市、二本松市、会津若松市をつなぐ交通の要所だけに交通量も多いようです。
ここから福島市のフルーツラインを目指して一気に下りてゆきました。
フルーツラインの途中で昼食にしました。最初、めし屋はないちという定食屋を目指しましたが、やっていなかったので、フルーツラインを戻って同じ定食屋の味処みずほにしました。
冷え切った体に温かいひれかつをいただきました。前回のBH氏とのツーリングでは酒田市のとんかつ茂兵エで昼食を取りましたが、あの時は分厚いロースかつでした。
今年、方々で食べたとんかつの中では、宮城県の岩出山のキッチン食堂 城山で食べた肩ロースがベストワンです。
昼食が終わり、フルーツラインを北上し、飯坂温泉を目指しました。途中、道の駅 ふくしまでトイレ休憩としました。
この道の駅は東北中央道福島大笹生ICの所にある新しい道の駅です。米沢・福島間が無料区間になっているため利用者も多く、駐車場も一杯でした。
売店に入るのに列を作って並んでいました。何が売っているのか見たかったのですが、またの機会に取っておくことにしました。
福島市内の飲食店などの割引クーポン券が置いてありました。同じようなクーポン券は道の駅 米沢にも置いてあります。
道の駅 ふくしまからフルーツラインをさらに北上し、フルーツラインの終点から福島交通飯坂線と並行して走り、飯坂温泉を横断して、国見を目指しました。
国見からは小坂峠を越えて宮城県に入りますが、途中、旧羽州街道の登り口のヘアピンカーブの内側に毎年咲く桜が咲いていました。
この時期に毎年ツーリングで来ているので、毎年、写真が残っています。
以前、この道をBH氏とともに下ってきたときは、BH氏もツーリングの経験が浅かったためか、下りカーブの連続に恐怖感を覚えたそうです。今回は上りだったので、恐怖感はなかったでしょう。
午後2時30分、本日6か所目の道の駅、道の駅 七ヶ宿でコーヒータイムとしました。
BH氏はモザイク処理をしました。このぐらいの大きさになると、ガウスぼかしでは弱くかけるとリアルすぎるし、強くかけると真っ白くなるので、モザイク処理で調整しました。
午後は曇りがちになり、気温もあまり上がらず、長距離のツーリングはこれがラストです。寒さとBH氏の腰の具合を考えれば、このぐらいのピッチで休憩を取るのが良かった思います。
30分ほど休息を取った後、国道113号を西進し、七ヶ宿町湯原の先の追分から山形県の県境の金山峠を目指しました。
金山峠から山形側は落ち葉が道路脇に堆積していました。特にカラマツの小さな葉が黄土色の帯状になっていました。平日なら全くと言っていいほど対向車に出会うことはありませんが、日曜だけに時々、対向車とすれ違いました。広い道ではありませんが、気を使って走れば、出合頭の衝突になることはありません。
この道路も12月から冬季閉鎖になります。
晩秋の裏磐梯をBH氏と走ることができました。来年は、BH氏も大事な仕事が待っているようです。義理でしなければならない事もあり、金は貯まらずにストレスが溜まるでしょうから、できるだけ、ツーリングに引っ張り出したいと思います。
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2022年12月10日
BH氏と道の駅トイレ休憩の旅 前編
2022.11.20
国道121号が豪雨災害により山形県側で通行止めになっていましたが、片側交互通行まで回復したので、BH氏と裏磐梯から福島市を回るツーリングに行ってきました。
自宅を出発してすぐ、リトルカブの左側後ろのウィンカーが点いていないことにBH氏が気が付き、すぐに、球を交換しました。
そして、国道13号を順調に走っていましたが、上山市川口を過ぎたあたりからエンジンのパワーが下がり始めたので、急遽、旧13号に非難しました。
そこで、キャブレターを調整し、燃料を濃い目にして出発しました。調子を見ながら旧道をそのまま進み、南陽市鳥上げ坂の途中から国道13号に戻りました。エンジンの回転が落ち着いたので、そのまま米沢市に向かいました。
この時期の寒さにエンジンもこたえたのでしょうが、人間も寒さにこたえました。そこで、高畠町三軒屋のコンビニに立ち寄り、ホッカイロを購入しました。手と足に貼り、寒さ対策を講じましたが、低温やけど対策のためか、最近のホッカイロは、ほのかに暖かい程度です。
私は、それなりに、この時期の寒さ対策をしてきましたが、BH氏は初めての経験であり、ホッカイロは必需品でした。
米沢市内から会津若松に向かう国道121号に入り、最初の休憩地点は道の駅 田沢 なごみの郷でした。
到着したのは午前7時45分。開店前の時間で駅長さんが立看板を設置する作業をしていました。今年は国道121号が通行止めになり、会津方面から来るお客さんが途絶えたので、この道の駅も経営が厳しかったようです。
以前、喜多方市山都町の一ノ戸弘法そばの店主から聞いた話では、喜多方の人たちは買い物は会津若松に行かず、米沢に行くと言っていました。それだけに、米沢市内の経済にも影響を与えていたことでしょう。
BH氏は休憩するたびにカーナビをリアボックスにしまいます。カーナビを持ち去る輩がいるというダークな情報が彼の頭にインプットされています。
最近の製品は盗難防止が施されている製品も多く、盗難防止対策品も出ているようです。手袋をしたまま画面が操作できる商品もあるようです。便利な時代になりましたが、私はスマホのGoogleマップを使ってポイント確認で十分です。
トイレ休憩が終わり、喜多方市を目指しました。
大峠トンネルの手前に何か所かの災害現場がありました。このうち、山形県が国交省に依頼して仮橋の架設が終わった地点が片側交互通行になっていました。
完全通行止めの解除はありがたいことです。う回路として西吾妻スカイバレーの白布峠を越えるのは時間的にロスが大きすぎました。
大峠トンネルをくぐり、福島県に入ると天気が良くなりました。
喜多方市の道の駅 喜多の郷でコーヒータイムとしました。
時刻は8時45分。朝6時に山形を出発して2時間45分。途中、電球の交換、キャブレターの燃調、コンビニでホッカイロを求め、道の駅田沢でトイレ休憩をし、たっぷりアディショナルタイムがありました。
多分、遅山仙人と来ると2時間15分というところでしょうか。
開店直前の玄関前では地物野菜が売られていました。開店前なのであまりテンションが上がらない、おばちゃん達から、あんこを作るために小豆を買いました。
BH氏には消えてもらわずにガウスぼかしを入れました。
BH氏は若かりし頃、出張で会津若松に来たことを思い出し、バイクで簡単に喜多方まで来たことに感嘆していました。
多分、当時は公共交通機関を使ったでしょうから、奥羽本線で福島に出て、山形新幹線が走っていたかどうか、走っていなかったら、東北本線で郡山に向かい、磐越西線に乗り換えて会津若松に入ったことでしょう。会津若松までは直線距離では近くとも時間的には遠いところです。
山形新幹線を使っても、郡山で乗り継ぎ時間があるので、時間的にはスーパーカブの方が少し早いと思います。
出発前にフレンチプレスでレギュラーコーヒーを煎れ、いつもの真空ステンレスポットに入れて持ってきました。熱いコーヒーにBH氏は感動してくれました。このポットに入れておくと味がまろやかに変化します。
ここまで、コンビニ、道の駅と立ち寄ってきましたが、BH氏は腰の持病があり、まめに休憩を取ることを心がけてきました。
仙人とのツーリングでは2時間に1回程度の休憩であることをBH氏に伝えると驚いていました。仙人は体力があるとBH氏は言っていましたが、確かに、BH氏を初めてツーリングに誘ったときに、新庄市の最上公園でトイレ休憩を取った時にBH氏は体力的にヘロヘロでした。
私が使っている眼鏡ですが、紫外線に当たると濃い青になるようにレンズにコーティングしてもらいました。以前は眼鏡の上からサングラスをかけていたので面倒でした。室内に入ると元に戻るので、重宝しています。
たっぷり、コーヒータイムを取った後、喜多方市街地に入らずに、国道459号を使って、裏磐梯の檜原湖に向かいました。
檜原湖の手前にある道の駅 裏磐梯で小休止としました。この道の駅は、以前はGoogleマップに駅名が載っていませんでしたが、最近は駅名がしっかり載るようになりました。
職場にお土産と自宅用にラーメンを買いました。今日は妻が仕事なので、私はいつもの昇格しない炊事軍曹です。夕食は喜多方ラーメンにします。
道の駅から檜原湖湖畔の外周を時計回りに回るコースを走りました。
磐梯山眺望箇所から磐梯山を見ようと駐車場に入ろとしたところ、車がいっぱい止まっていました。
福島県以外のナンバーの車もたくさんありましたが、人影が見えません。多分、この時期はワカサギが釣れる時期なので釣り客の車でしょう。観光客が利用する駐車場に空きがない状態で駐車するのはどうでしょうか。道端に止められるからいいか。
ただ、湖の釣り場までどうやって行くのでしょう。釣り場の車が迎えに来てくれるのかなと思いながら、いつもの磐梯山が見えるスポットまで行きました。
磐梯山眺望箇所から檜原湖を右手に見ながら走っていくと、ところ何処にワカサギ釣りのイカダが見えました。
よく見るとイカダには仮設トイレまで設置してありました。
檜原湖は冬は凍るのでしょうか。そうすると、氷に穴を掘ってワカサギを釣るのでしょう。昔、山仲間たちとワカサギ釣りをして、その場でてんぷらにして食べたことがあります。
檜原湖の外周を回り、磐梯吾妻レークラインに入る交差点近くの給油所で給油しました。店員によると、前日に磐梯吾妻レークラインが冬季通行止めに入り、今年は集中豪雨による災害でしばらく通行止めが続いていたそうです。
最近、災害による通行止めが多くなったような気がします。昨年も常用していた宮城県の稲子峠が災害復旧で通ることができず、今年はその先の国道299号が法面工事で通れず、福島市方面には国道113号しか使えませんでした。
檜原湖から土湯トンネルを抜けて福島市へ向かうために南下しました。
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2022年10月17日
米沢の帰路に宇都宮から電話
2022.9.17
遅山仙人が感動冷めやらぬ舘山城跡を後にしたのは午後3時前でした。
米沢からは、川西町を真っ直ぐ北上し、長井市からは国道287号を走らずに最上川の左岸を走るために白鷹町鮎貝へ向かいました。
最上川の左岸を走りました。右岸にある道の駅 白鷹ヤナ公園で鮎祭りをしていたはずです。たくさんのお客さんが来ていたことでしょう。私たちは、車のほとんど走らない左岸を下流に向かいました。
おしんの吊り橋の手前にある大平橋に来ましたが、相変わらず、下流は通行止めだったので、大平橋を渡って国道287号に入りました。
国道287号を少し走って白鷹町大瀬から白鷹町中山に抜け、主要地方道山形白鷹線に入り、県民の森へ向かいました。
東黒森山の南側にあるたらたら清水で休憩を取りました。
ここではカメの口から湧水が出ています。石でできたカメですが、作者は山辺町簗沢で石屋を営む吉田朝夫氏です。吉田朝夫氏は私の母方の親戚にあたります。
たらたら清水で休憩を取っていると、宇都宮の叔母が入所している老人福祉施設の施設長から電話が入りました。
施設長によると、叔母の体調が悪いので病院で精密検査を受けたところ、肺癌が見つかったようだということでした。叔母は手術などの延命のための治療を拒んだそうです。
叔母は、4年前にも十二指腸付近に癌が見つかったとケアマネジャーから聞いてましたが、その癌は全く進んでいなかったようです。
コロナで叔母とは面会のできない状態です。詳しい状況は後日わかるということで電話を切りました。
叔母は父の妹で、父を含めて8人いた父の姉兄弟妹は、叔母以外、みんな別の世界に逝ってしまいました。来るべき時が来たという感じでした。
たらたら清水から少し行った交差点で仙人と別れ、一人、山形を目指しました。
夕暮れが迫ってきました。
これから数日後、宇都宮市役所とのバトルが待ち受けていました。
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2022年08月16日
笹谷峠は行きも帰りも雨
2022.8.5
東塩釜駅で『昔は女子高生』と別れ、途中、給油した後、仙台港の太平洋カーフェリー乗り場に向かいました。
名古屋から来る船の到着時間には、まだ早く、車も僅かばかりでした。
何度も利用したことのある仙台港の太平洋カーフェリー乗り場でトイレを借りて、小休止としました。
その後、仙台空港の真下を潜る県道(東部復興道路)を南下しました。この道路は東日本大震災の教訓を生かして、津波の高さよりも高い盛土をして造成工事が行われていましたが、名取までの区間がほぼ出来上がったようで、高速道路のような高い位置を走る快適な道路に生まれ変わっていました。
仙台空港の滑走路の下を潜ってすぐの交差点を右折し、国道4号線を跨いで、西進しました。途中、高速道路の案内に山形自動車道の村田ICから関沢ICまでの区間が雨である表示が出ていたので、村田に抜ける交差点のセブンイレブンで合羽を羽織りました。
高速道路の案内表示の通り、川崎町に入ると雨が降り出しました。
笹谷峠は行きと同じように雨でした。
下界に下ると雨は降っていませんでした。この日は、山形花笠まつりの初日でした。
『昔は女子高生』から利尻のお土産をいただいてきました。仙人も土産をもらい、喜んで帰って行きました。
私のリトルカブの燃調が上手くいっていない中の宮城県登米市の柳津虚空蔵尊までの往復315kmでした。まだ、プラグがススで真っ黒でした。原因が分からず、その後も、しばらく、悩むことになります。
himajintaro at 08:18|Permalink│Comments(0)
2022年08月12日
もう一つの柳津虚空蔵尊
2022.8.5
遅山仙人のリクエストによる宮城県登米市の柳津虚空蔵尊に到着したのは午前9時半でした。私の予想では午前10時を予定していました。
土日は大変込み合う虚空蔵尊ということでしたが、平日の金曜日ということもあり数台の車が駐車場にありました。
会津の柳津虚空蔵尊は只見川を眼下に望む風光明媚な高台にありましたが、こちらの柳津虚空蔵尊は谷あいの鬱蒼とした森の中という感じがしました。
縁起によると福島の会津坂下にある柳津虚空蔵尊と同じように行基作と言われる本尊が安置されているとのことでした。会津と直接的な縁があるとは説明はありませんでした。
仁王像が睨みをきかせている山門を潜ると正面に虚空蔵尊が安置されている本堂があります。本堂正面の雰囲気は鶴岡市にある玉川寺(ぎょくせんじ)に似たものがありました。
境内の中には七不思議と言われている、色々な物があります。
本堂でいち早いコロナの終息を祈念しました。
仙人は狛犬が可愛いと、なでていました。撫牛もなでました。
神社やお寺にありそうなグッズがとてもたくさんありました。
御朱印授与所にはたくさんの種類の御朱印帳が置いてありました。
御朱印の見本が掲示してありました。土日は、御朱印をもらうのに1~2時間待ちと聞いていました。私は御朱印をもらったことが無く、CM効果の高い御朱印の見本が、一瞬、御朱印帳と御朱印をもらおうかという気持ちにさせました。
別棟にあるダルマが御朱印の誘惑から解き放てくれました。
こういう霊験あらたかな所というのは、本来、俗世から隔絶された世界であり、だからこそ、ご利益を求めて多くの人たちが訪れるのだと思います。
私は、御朱印の見本に俗世を垣間見ることができました。ここで、御朱印をもらう気持ちにはなれませんでした。仙人も同じ気持ちだったようです。自分のイメージとは違い、ガッカリしたと言っていました。
私たちが、柳津虚空蔵尊を離れる10時半ごろには、地元ナンバーの車が10数台に増えていました。
石巻出身の知人女性の勧めで、石巻の道の駅 上品の郷に向かいました。
himajintaro at 07:00|Permalink│Comments(0)