道の駅上品の郷へ大福まんじゅうのテイクアウト

2022年08月14日

野蒜駅と仙人の女性遍歴

2022.8.5

昼前に石巻の道の駅上品の郷を後にし、国道45号をそのまま走り、石巻市街地を横断し、コーヒータイムを取るために野蒜(のびる)駅に向かいました。

野蒜駅

野蒜駅周辺は東日本大震災の復興で新しい街並みが出来上がっていました。矢本の航空自衛隊の松島基地が近いために戦闘機の爆音が度々聞こえていましたが、低い雲が立ち込めていたので、戦闘機を確認することができませんでした。

IMG_9509

IMG_9512

この駅は無人駅で自動改札になっていて、「ここから先は切符のない方は入れません」とありましたが、高校生が自由に出入りしていました。

IMG_9510

ツーリングのときにコーヒータイムで無人駅をお借りしていますが、さすがに、この駅には入る気がしなかったので、タクシー乗り場のベンチを借りることにしました。

IMG_9514

今回もアルマイトのやかんとガスコンロは持って行かずに真空魔法瓶にコーヒーを煎れて持って行きました。

ここから、遅山仙人の東京に住んでいた頃の話になりました。

彼は、高学歴でハンサムだったので、モテモテだったようです。お相手も高学歴で裕福な家庭に育ったきれいな女性たちだったとのこと。いろいろな所にデートに行ったものの、押しの弱い仙人は、今一つ踏み切れずに、ダラダラとアパートに住み続けていました。

ところが、美人な女性たちと浮名を流し、いつまでも東京から帰って来ない仙人に業を煮やした両親は、婆ちゃんが危篤と嘘の電話をかけ、山形に呼び戻してしまいます。

食事中だった仙人は、ご飯の入った茶碗をちゃぶ台に置き、取るものも取りあえず、山形に帰りました。ところが、婆ちゃんはピンピンしており、婆ちゃんから東京に戻らないように懇願されたそうです。翌日からは中学校での代用教員の仕事が準備されていました。

8年間、住んでもいない東京のアパートを借り続け、アパートに戻った時は、茶わんのご飯とおかずがカラカラに乾いていたそうです。

その後、身内の勧めで幾多のお見合いをしましたが、仙人の学歴と容姿にはとうてい見合わない、仙人曰く、「とんでもない女性」ばかり紹介されたというのです。何で、山形には、こんな女性しかいないのだと思ったそうです。

「長男は跡取り」という古い考え方に翻弄されて生きてきた昭和の時代の犠牲者の一人ともいえます。今のように自由な発想ができる時代ならば、世が世であれば直木賞女流作家の亭主である可能性もありました。

こんな、一見くだらないような話ではありますが、仙人はしみじみと「運命なのだろうな」と呟くのでありました。

IMG_9513

仙人の女性遍歴を聞いた後、『昔は女子高生』に会うために塩釜に向かいました。


himajintaro at 07:00│Comments(0) | よもやま話

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
道の駅上品の郷へ大福まんじゅうのテイクアウト