昔はザリガニ、今はカメ避けられない過疎化の波

2021年10月12日

住職の思い出

2021.10.2

山家本町の金勝寺から山形市中心部にあるパン屋さんフィンズに立ち寄り、市街地を横断して、西部にある村木沢地区の等栄寺に向かいました。

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金勝寺は曹洞宗ですが、等栄寺は父の実家の菩提寺・唯法寺と同じ浄土真宗大谷派です。

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ここには、母の両親、叔父、伯母、母の親戚を合わせて、4基9尊が眠っています。さらに、職場の同僚や部下だった人たちの家族が眠る墓もあり、いろんな縁がある寺院です。

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この寺院のシンボルは、何といってもヒノキの巨木です。山形市の保存樹に指定されています。

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先代の住職が急逝されて、息子さんが跡を継がれているようです。

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葬儀や法事の時に何度もお参りに来たことはありますが、その他にも仕事でも、度々、お邪魔することがありました。

先代のご住職から、息子さんの話を伺ったことがあります。東京大学の近くにある同じ宗派の大きな寺院の副住職としてお務めをなされていたのですが、住職が亡くなられて、なかなか、山形に帰ってこられないと話されていたのを思い出します。

先代からは、いろいろな説教をお聞きしましたが、元々、山形市木の実町にある浄土真宗大谷派山形教務所で僧侶の教師をされていたので、私のような凡人にも分かりやすい解説をしてくださいました。

確か、寺の住職が亡くなると、亡くなるとか逝去とかという表現ではなく、違う言い方をされていましたが、忘れてしまいました。

母の姉が亡くなった時に、等栄寺で身内だけの葬儀をしましたが、ちょうど、本堂の内装工事が終わったタイミングでした。金ピカに光る本堂内部の阿弥陀如来を安置している宮殿の裏側をご住職から案内していただき、寺の構造は、こうなっているのかと驚きました。いわゆるバックヤードでした。

先代の思い出の多い寺院です。

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この寺からは、蔵王連峰が見渡せます。

等栄寺から妻の実家の墓地に向かいました。



himajintaro at 07:00│Comments(0)寺参り | 墓参り

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