2021年10月09日
NHK大河ドラマの功罪
2021.10.2
両親が眠る山形霊園から元の菩提寺だった山形市緑町の唯法寺に向かいました。
前回も紹介したように、この寺は父の実家の菩提寺です。父の両親、父の兄夫婦、戦時中に亡くなった兄たちが眠っています。祖父は、父が小さいころ亡くなっているので、私は祖父のことを知りません。
私の父も私の独身時代に亡くなってしまったので私の子供たちは祖父のことを知りません。歴史は繰り返してほしくないのですが、私は大丈夫でした。
唯法寺は、元々、蔵王温泉にあったものが、山形城主・最上義光(もがみよしあき)の命により、この地に移転してきたものです。このため、蔵王山唯法寺というのが正式名称です。
唯法寺の檀家の大半は蔵王温泉か、蔵王堀田地区なのですが、私のルーツは蔵王温泉にあるようです。山仲間のS氏も、同じ山仲間でバイクの師匠だった故人も蔵王温泉にルーツがあり、不思議な縁を感じていました。
この寺の先代の住職は旧制山形中学校野球部の長身エースピッチャーで甲子園でマウンドを踏んだ経歴を持っていました。近所の悪ガキが寺で悪いことをしていると足の速い住職に追いかけられたというエピソードが残っています。
この周辺には慶長年間に最上義光の愛娘・駒姫が眠る専称寺を中心に浄土真宗大谷派の十四の寺院が集まり、通称寺町と呼ばれる街並みを形作っています。その当時から、現在の道路幅が取られており、街づくりについては先見の明があったと思われます。
以前紹介した、知人で鰻・郷土料理あげつまの八代当主によると、この寺町の街並みは大阪堺にある寺院町に似ており、堺を参考にして作られたのではないかと言っていました。ちなみに、鰻・郷土料理あげつまは寺町界隈の北東部にあります。
このように浄土真宗の寺院を集めて、寺院町を作った山形城主の最上義光ですが、NHK大河ドラマの伊達政宗の母・義姫の弟として登場し、政宗を毒殺しようとした義姫とともに悪役的存在として国民の意識に定着してしまった感があります。
しかし、実際のところは、町民の夜間の移動を禁止した門と門番は置かなかったとか、城下の民に対しては、温厚な城主であったことを示す事実が見つかり、最上義光を国民に見直してもらおうという意見も多く出てきています。
私は、NHKの大河ドラマは、あくまでも主人公を盛り立てるために脚色されたフィクションであると思っています。大河ドラマを歴史教科書にしてはなりません。