2021年08月17日
仙人と交わす宗教論
2021.8.5
美味しい海鮮丼を食べ、中元用の庄内砂丘メロンを友人たちに発送し、月山旧道(国道112号)の六十里越えを越えて、山形に戻ることにしました。
羽黒山上空に積乱雲らしき雲が発達していましたが、雨は降りませんでした。
鶴岡市街地の南にある金峯山(きんぼうさん)の東側を流れる青龍寺川(しょうりゅうじかわ)と並行に走る県道を南下し、国道112号に出ました。
ここから、一気に月山に上っていくのですが、時間に余裕があったので、湯殿山総本寺瀧水寺大日坊に立ち寄ることにしました。
この大日坊は、鶴岡市側から上ると、最初のトンネルの手前に大きな案内板があり、そこから左折するのですが、私はトンネルを潜って、次のトンネルの手前から左折して上って行きます。
昨年の10月2日「たらのき代の棚田を走って玉川寺へ」に鶴岡市羽黒の玉川寺に行く途中、大日坊の前を通りました。この時は、大日坊には立ち寄らず、機会があったら、また来ようと言っていたので、今回立ち寄ることにしました。
出羽三山信仰の大網口のベースキャンプ地でたくさんの宿坊があったとされています。
遅山仙人は、山形以南に「湯殿山」と書かれた石碑が多いことに注目していました。確かに、福島県の至る所に湯殿山と彫られた石碑があるのをツーリングで見かけています。
なぜ、羽黒山ではなく湯殿山なのか。山形県以北には「羽黒山」の石碑があるのか、羽黒山は湯殿山に比べれば前座的役割なのか。検証する必要があります。
この大日坊にはミイラが安置されています。拝観料を払って、有難い住職の読経と解説を頂けるのですが、この日は、中に入らずに日陰のベンチで宗教論を戦わせました。
なぜ、寺や神社が高い所にあるのか?米倉の役割を担っていたというのが仙人の解説です。
仙人の宗教観は人物論です。歴史上の高僧たちの人間関係を細かく研究しています。天皇の先祖に始まり、大陸に血筋のある曽我兄弟の野望や、中国へ修行に行った日本の高僧たちの人間模様、時の為政者との関係など、わずかの時間のうちに、ものすごい数の人物が登場します。
私の宗教観は宇宙の仕組みをとおして人としてどう生きるべきか、本来の宗教のあるべき姿を考えます。仙人に人としてどう生きるべきかを問うのは愚問です。宇宙の創設者の存在、愛などを具体的に考えることがとても苦手です。仙人には答えることができません。なので、いつも仙人の人物論に付き合うことにしています。
ただ、この日は葬式仏教の失態について、ガウタマ・シッダールタやモーゼ、キリストを引き合いに出して、仙人と議論しました。
私は葬式仏教に失望し、若くして亡くなった父の菩提寺から葉書一枚の離檀届で檀家を辞めてしまいました。バングラデシュに最初に渡航した1997年2月に遡って辞めると書いて出しました。境内に墓石が無かったのも幸いでした。
現在は、無宗教ではなく、一党一派に属さない無所属だと公言しています。自分では転生輪廻を信じ、毎月親類縁者の墓を参って、肉体の先祖たちとの会話を楽しんでいる信者だと思っています。
小一時間、仙人と宗教論を交し、大日坊の敷地の中にあるという皇壇の杉に向かいました。