2021年05月30日
丸森町のお金持ち
2021.5.28
宮城県村田町、柴田町、岩沼市を跨ぐ志賀姥ケ懐トンネルの真上から南下し、柴田町船岡の町中を縦断して、丸森町に入りました。
途中、強風に煽られながらも、何とか阿武隈川を渡って、目的地である齋理屋敷に到着しました。
もちろんレストランは開いているはずもなく、バイクを止めて仙人と話していると、シェフが窓のカーテンを開け、私たちを見かけて表に出てきてくれました。
2,3日前に仙人がレストランに電話を掛けていて、シェフの奥様と仙人の妹が友人であるということがわかり、話が始まりました。
奥様は土日だけのお手伝いということで今日はいらっしゃらないということでした。平日はシェフ一人で切り盛りしているワンオペなのかと思いました。
これから、齋理屋敷に行くことを伝えると、昼食は何処でと聞かれました。こんな出で立ちでも構わないかと尋ねると大丈夫ですと返してくれたので、このレストランにお邪魔することにしました。
再び齋理屋敷前の駐車場に戻り、オープンの9時30分を待ちました。
入場料620円を払い、コロナの関係で私の名前と住所を記載して、入場しました。
丸森町の豪商の栄華を忍ばせる展示資料が敷地内にたくさんある蔵などの建物に保管展示されています。
商売に関するものから、日用品や子供のおもちゃなど、かなりの数の物が展示されてあります。
太い柱に太い梁の重厚な建物。手の込んだ細工が施されている飾り欄間など、贅が尽くされています。小さな蔵でさえも必ず2階があります。
2階も展示コーナーになっていますが、2階に上がる階段は狭くて急で、頭を桁にぶつけないよう、必ず、鈴がぶら下がっていました。
仙人にとっては、驚きの連続でした。丸森町に、こんなお金持ちがいたこと。たくさんの資料が保管展示されていること。
京都に紅花の紅餅を最上川で運び栄えた山形県河北町のように、絹を阿武隈川で運んだ歴史があり、丸森町には舟運文化が色濃く残っていました。
私は、ここに来たのは2回目です。昨年、船岡に用事があったついでに車で立ち寄り、気に入りました。
特に気に入ったのが、下の写真4枚です。
ここの当主や女将さんたちは、とにかく、奉公人たちを大切にしたというのです。使用人たちが気持ちよく働くことができたので、これだけの財を成すことができたのでしょう。
現代社会は、働く人たちは社畜と呼ばれ、使い捨てにされ、終いには非正規労働者という不安定な雇用制度まで作りました。こんなことでは、日本は滅びてもおかしくありません。
仙人にとっては懐かしいものばかり。こんなジュークボックスもありました。
そして、仙人の本領発揮する場面がありました。
昔懐かしい竹細工の中に、擦ると発生する振動エネルギーでプロペラが回るおもちゃがありました。仙人は得意げに回してくれました。
奥に洋館がありました。
ちょっと、微妙な物まで展示してありました。
洋館の2階は丸森町の街並みのジオラマや昔の写真などが展示してありました。
一時間半ほどかけて、くまなく回って、見学は終了しました。
そして、先ほどシェフのご厚意により予約しておいた緑山に向かいました。ここから10分ほどの距離です。