2020年06月02日
ちょっとだけ、山菜取り
2020.5.30 山菜取り
舟形町松橋から林道松橋滝の沢線に入り、いよいよ、本日のメインイベントの時間となりました。
林道を進むと右側にスズランテープやビニールテープが張られた場所に遭遇します。ここは観光ワラビ園の下の斜面に当たる所で、山の所有者が山菜取りに入られないように目印にしておくものです。マツタケの山も同じような光景が見られます。通称、止め山(留め山)と呼ばれて、「入るべからず」の目印となっています。最近では、大きな看板を立ていることもあります。
べからずの場所で山菜を取ってしまえば窃盗になるので、テープのない場所で山菜を探しました。
前回の最後の部分で紹介したように、ワラビの葉が大きくなったものが下の写真です。手前右下にある葉の広い植物はフキで、それ以外の植物はワラビです。
前回のツーリングで目星を付けていただけに、ワラビはすぐに見つかりました。でも、最初に取ったのはウドでした。
「独活(ウド)の大木」という諺があります。ウドは小さいうちは柔らかく、独特の風味は春の香りを十分楽しめる山菜です。ところが、大きくなると硬くなって食べられなくなることから「役立たず」の代名詞に使われています。
上の写真は、まさしく、「独活の大木」です。ところが、実は先の部分は比較的柔らかく、山菜として料理に十分使えるのです。
ウドは春先早くに栽培物が東京市場で高値で出荷されますが、味も香りも私的には落第です。天然物には敵いません。「独活の大木」になってしまうと味も香りも相当強くなりますが、料理方法一つで、まろやかに変化します。料理方法は後日紹介します。
実はこの日、遅山仙人の隠れ家に迎えに行ったら、敷地と道路の境界にあったウドが何者かに掘り起こされて盗まれたとエライ剣幕で怒っていたのです。ですが、ウドをたくさん見つけたのでご機嫌麗しくなってしまいました。
次に取り始めたのは、私はフキ、仙人はアザミです。
太くて柔らかくて、旨そうなフキでした。これは、奥さんから佃煮にしてもらいました。
仙人は民宿で食べたアザミの味が忘れられないというので一生懸命に取っていました。アザミは美味しいのですが、今回は取らずに帰りました。仙人は硬いものばかり狙って取っていました。私が柔らかいものを示すと、なぜ、柔らかいとわかるのかと言われるのです。見ればわかることですが、仙人に理論的に教えるのは難しいので教えません。
前述のウドについても、遠くからウドがあるのがわかります。それについても仙人は不思議がるのです。私は近眼です。ですが、植物の色や形状を見分けるのは得意です。小さい時から親に連れられて山菜取りをした経験と植物について勉強した経験が得意にさせてだけです。
そして、大本命のワラビです。
食べごろの良いワラビです。ワラビは取らないでいると葉が広がり、硬くなって食べることができなくなります。それはそれで、地下茎に十分栄養が蓄えられ、来年、また柔らかいワラビが出てきます。通常はそれを繰り返します。
ところが、一度ワラビが取られると地下茎にある養分を使って、新しいワラビが出てきます。それを取ると、また、新しいワラビが出てきます。何度も同じことを繰り返すと、だんだん、地下茎の栄養分が無くなります。ついには、次の年はワラビが出なくなります。
私の経験上、旧盆(8月半ば)の頃までワラビを取ったことがあります。観光ワラビ園は、肥料を与えながら、取る間隔をあけて、有料でワラビを取ってもらいます。
下の写真は大きくなったタラノ木です。ウドと同じウコギ科の植物です。小さいうちはタラノメと称して天ぷらや油炒めにして食べます。これも栽培物が東京市場に出ます。最近は、山形ではコシアブラの方が香りが高いので人気が出ています。
正味40分ぐらいの山菜取りでした。この時期では、かなり遅いタイミングでしたが、来年はもっと早く来るための偵察と考えると十分楽しめました。
仙人も取り過ぎると保存ができないと言って早々に切り上げました。山菜は手間さえかけて加工すれば、いくらでも保存が効くのですが、仙人には長期保存できる加工技術がありません。隠れ家に自生するドクダミを炊き込みご飯して食べる野人でありながら、普通の山菜については技術を持ちえないのです。
ワラビは重曹(炭酸水素ナトリウム)でアク抜きをすると言っていました。重曹では十分アクは抜けず苦みが残ります。私は木灰(あく)でアクを抜きます。
ゼンマイのように軽く茹でて、揉んで乾燥させるとアク抜きの必要がありません。
久しぶりの山菜取りを山菜論議をしながら十分楽しみました。仙人は水を得た魚状態でした。時計は11時を過ぎていました。林道を進み、大蔵村四ケ村の昼食場所へと向かいました。
舟形町松橋から林道松橋滝の沢線に入り、いよいよ、本日のメインイベントの時間となりました。
林道を進むと右側にスズランテープやビニールテープが張られた場所に遭遇します。ここは観光ワラビ園の下の斜面に当たる所で、山の所有者が山菜取りに入られないように目印にしておくものです。マツタケの山も同じような光景が見られます。通称、止め山(留め山)と呼ばれて、「入るべからず」の目印となっています。最近では、大きな看板を立ていることもあります。
べからずの場所で山菜を取ってしまえば窃盗になるので、テープのない場所で山菜を探しました。
前回の最後の部分で紹介したように、ワラビの葉が大きくなったものが下の写真です。手前右下にある葉の広い植物はフキで、それ以外の植物はワラビです。
前回のツーリングで目星を付けていただけに、ワラビはすぐに見つかりました。でも、最初に取ったのはウドでした。
「独活(ウド)の大木」という諺があります。ウドは小さいうちは柔らかく、独特の風味は春の香りを十分楽しめる山菜です。ところが、大きくなると硬くなって食べられなくなることから「役立たず」の代名詞に使われています。
上の写真は、まさしく、「独活の大木」です。ところが、実は先の部分は比較的柔らかく、山菜として料理に十分使えるのです。
ウドは春先早くに栽培物が東京市場で高値で出荷されますが、味も香りも私的には落第です。天然物には敵いません。「独活の大木」になってしまうと味も香りも相当強くなりますが、料理方法一つで、まろやかに変化します。料理方法は後日紹介します。
実はこの日、遅山仙人の隠れ家に迎えに行ったら、敷地と道路の境界にあったウドが何者かに掘り起こされて盗まれたとエライ剣幕で怒っていたのです。ですが、ウドをたくさん見つけたのでご機嫌麗しくなってしまいました。
次に取り始めたのは、私はフキ、仙人はアザミです。
太くて柔らかくて、旨そうなフキでした。これは、奥さんから佃煮にしてもらいました。
仙人は民宿で食べたアザミの味が忘れられないというので一生懸命に取っていました。アザミは美味しいのですが、今回は取らずに帰りました。仙人は硬いものばかり狙って取っていました。私が柔らかいものを示すと、なぜ、柔らかいとわかるのかと言われるのです。見ればわかることですが、仙人に理論的に教えるのは難しいので教えません。
前述のウドについても、遠くからウドがあるのがわかります。それについても仙人は不思議がるのです。私は近眼です。ですが、植物の色や形状を見分けるのは得意です。小さい時から親に連れられて山菜取りをした経験と植物について勉強した経験が得意にさせてだけです。
そして、大本命のワラビです。
食べごろの良いワラビです。ワラビは取らないでいると葉が広がり、硬くなって食べることができなくなります。それはそれで、地下茎に十分栄養が蓄えられ、来年、また柔らかいワラビが出てきます。通常はそれを繰り返します。
ところが、一度ワラビが取られると地下茎にある養分を使って、新しいワラビが出てきます。それを取ると、また、新しいワラビが出てきます。何度も同じことを繰り返すと、だんだん、地下茎の栄養分が無くなります。ついには、次の年はワラビが出なくなります。
私の経験上、旧盆(8月半ば)の頃までワラビを取ったことがあります。観光ワラビ園は、肥料を与えながら、取る間隔をあけて、有料でワラビを取ってもらいます。
下の写真は大きくなったタラノ木です。ウドと同じウコギ科の植物です。小さいうちはタラノメと称して天ぷらや油炒めにして食べます。これも栽培物が東京市場に出ます。最近は、山形ではコシアブラの方が香りが高いので人気が出ています。
正味40分ぐらいの山菜取りでした。この時期では、かなり遅いタイミングでしたが、来年はもっと早く来るための偵察と考えると十分楽しめました。
仙人も取り過ぎると保存ができないと言って早々に切り上げました。山菜は手間さえかけて加工すれば、いくらでも保存が効くのですが、仙人には長期保存できる加工技術がありません。隠れ家に自生するドクダミを炊き込みご飯して食べる野人でありながら、普通の山菜については技術を持ちえないのです。
ワラビは重曹(炭酸水素ナトリウム)でアク抜きをすると言っていました。重曹では十分アクは抜けず苦みが残ります。私は木灰(あく)でアクを抜きます。
ゼンマイのように軽く茹でて、揉んで乾燥させるとアク抜きの必要がありません。
久しぶりの山菜取りを山菜論議をしながら十分楽しみました。仙人は水を得た魚状態でした。時計は11時を過ぎていました。林道を進み、大蔵村四ケ村の昼食場所へと向かいました。