「堀切”麺”グランプリ」のCM第二弾もしもし亀よ、亀さんよ

2019年11月28日

どこに行っても親戚だらけ

2019.11.17

白鷹町滝野地区で行われた新そば祭りで美味しい新そばをいただき、遅山仙人が待ちに待ったコーヒータイムの予定地まで急ぎました。

山形市から滝野の新そば祭りまでの移動時間は3時間足らずでしたが、仙人にとっては、かなりハードなツーリングだったようです。特に、「突然、道が無くなる⁉」では、精神的な疲労感がどっと出たようです。

中山

滝野地区から主要地方道山形白鷹線を北上しました。山形白鷹線は山形市と白鷹町を結ぶ重要路線でした。路線バスも毎時1本は走り、子供の頃、母の実家があった白鷹山の麓、山辺町嶽原(たけばら)まで行くために路線バスを何回も利用しました。

しかし、国道348号の改良工事が始まり、トンネルができると、山形市と白鷹町との距離が短い国道348号に車の流れは奪われ、その後、急激な過疎化で人口が減り、山形白鷹線の通行量は激減し、路線バスも国道348号に移行されてしまいました。

西黒森

コーヒータイムの場所は、山形白鷹線沿いにある山辺町の馬牽原(まひきはら)展望台です。以前は、ここに「馬牽原展望台」の名前でバス停がありました。

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ここからは朝日連峰の大朝日岳(おおあさひだけ)、小朝日岳(こあさひだけ)、祝瓶山(いわいかめやま)を望むことができます。この駐車場になっているところは、以前、私の従弟の田んぼがあった所です。ここは、水の便が悪く、陸稲(おかぼ)しか栽培できませんでした。

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西黒森山は白鷹山が活火山だったころに噴火したカルデラ火山の外輪山になります。現在、県民の森として整備された中にある数々の湖沼群や集落が点在しているところは爆裂火口にできたものです。

この辺りは、馬牽原高原と呼ばれ、開拓で入植した人たちが西黒森という集落を作って暮らしていました。集落は西黒森山の名前から西黒森と言いますが、地元の人たちは、通称「馬牽」と呼んでいました。

私の母の妹たち夫婦も西黒森に住んでいました。陸稲やタバコ、果物を生産していました。遅山仙人の話では、仙人の遠縁の親戚も東黒森に住んでいたようです。

以前は、「馬牽」(西黒森)にはたくさんの人たちが住んでいましたが、今は、私の従弟夫婦の世帯しかありません。

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山辺町のこの辺りは作谷沢(さくやざわ)と呼ばれる広い地域です。「作」は大字北作、「谷」は大字畑谷、「沢」は大字簗沢という3つの字名の一文字ずつを合わせた造語です。

西黒森や嶽原は、大字では畑谷に属します。母親の親戚は作谷沢にたくさんいます。多分、私が会ったこともない6親等の傍系親族である「はとこ、またいとこ」はたくさんいると思われます。

以前にも紹介しましたが、仙人の親戚と私の伯父伯母が同じ墓の中に眠っています。仙人と話をすると、血のつながりは無くとも、私の親戚縁者と仙人の親戚縁者が近くに住んでいたとか、どこに行っても親戚だらけになるのです。


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