2021年08月
2021年08月21日
木を見ずして案内板を見る
2021.8.5
遅山仙人とミイラがある湯殿山総本寺瀧水寺大日坊で宗教論を戦わし、極暑をしのいだ後、大日坊の敷地の中にあるという皇壇(おうだん)の杉に向かいました。
大日坊を出て、昨年、「たらのき代の棚田を走って玉川寺へ」で走った県道を少し走ると皇壇の杉の赤い看板が見えてきます。看板から右折し、車の行き止まりでカブを置いて歩きます。
行く途中に空堀(からぼり)が左右に見えます。大日坊の境内となっており、いわゆる寺領で、広大な敷地面積を誇っていたと思われます。僧自らが武器を持って寺を守る僧兵がたくさんいて、寺を守っていたのかどうか、わかりません。
月山、湯殿山参りの宿坊がたくさんあって、羽黒山と同じような街並みを形成していたのでしょう。
歩き始めて、上り詰めること10分ぐらいで杉の巨木が現れます。
巨木好きの仙人としては、歓声と驚きを持って皇壇の杉を向かい入れました。
仙人は巨木が好きだと言っても、熱心に勉強しているわけでもなく、たまたま、知り合いの教師OBに巨木研究家がいるので同調してるだけだと私は感じています。
仙人の宗教観と同じで、歴史上の人物との関りが好きで、この杉本体の科学的な歴史には、あまり興味がありません。おそらく、屋久杉の日本海まわりの遺伝子を持つ可能性があります。
今まで、火野正平さんが訪れた戸沢村今熊野神社の「長倉の大杉」、大江町の「久保の大杉」、尾花沢市の「延沢城の大杉」、大蔵村の「岩神大権現スギ」などをツーリングで訪れましたが、木を見ずして案内板を見るというところです。
この辺りは雪も多いでしょうから、本来は雪に耐えるために枝は垂直方向に伸びることになります。でも、見る限り、横方向に伸びている枝がたくさんあります。屋久杉の遺伝子を持ちながら、強い枝の持ち主かもしれません。
杉の話ではありませんが、日本海側、鶴岡市の高舘山にあるブナの巨木は積雪が少ないで、枝が横方向に伸びており、特異な樹形をしています。
白鷹山の山頂にも杉の巨木があったという話題を仙人が持ち出しました。確かに白鷹山の山頂に数本の杉の巨木がありましたが、幹回りはそれほど太くはなく、高さは結構な高さを誇っていました。
しかし、何度も落雷があり、幹割れして、伐採されました。その杉は親戚の製材所が買い取り、大工だった私の父が自宅を建てる時に柱として使いました。非常に柾目の細かい、きれいな柱となりました。
皇壇の杉に満足して、月山六十里越を走って山形市内へ戻ることにしました。
2021年08月17日
仙人と交わす宗教論
2021.8.5
美味しい海鮮丼を食べ、中元用の庄内砂丘メロンを友人たちに発送し、月山旧道(国道112号)の六十里越えを越えて、山形に戻ることにしました。
羽黒山上空に積乱雲らしき雲が発達していましたが、雨は降りませんでした。
鶴岡市街地の南にある金峯山(きんぼうさん)の東側を流れる青龍寺川(しょうりゅうじかわ)と並行に走る県道を南下し、国道112号に出ました。
ここから、一気に月山に上っていくのですが、時間に余裕があったので、湯殿山総本寺瀧水寺大日坊に立ち寄ることにしました。
この大日坊は、鶴岡市側から上ると、最初のトンネルの手前に大きな案内板があり、そこから左折するのですが、私はトンネルを潜って、次のトンネルの手前から左折して上って行きます。
昨年の10月2日「たらのき代の棚田を走って玉川寺へ」に鶴岡市羽黒の玉川寺に行く途中、大日坊の前を通りました。この時は、大日坊には立ち寄らず、機会があったら、また来ようと言っていたので、今回立ち寄ることにしました。
出羽三山信仰の大網口のベースキャンプ地でたくさんの宿坊があったとされています。
遅山仙人は、山形以南に「湯殿山」と書かれた石碑が多いことに注目していました。確かに、福島県の至る所に湯殿山と彫られた石碑があるのをツーリングで見かけています。
なぜ、羽黒山ではなく湯殿山なのか。山形県以北には「羽黒山」の石碑があるのか、羽黒山は湯殿山に比べれば前座的役割なのか。検証する必要があります。
この大日坊にはミイラが安置されています。拝観料を払って、有難い住職の読経と解説を頂けるのですが、この日は、中に入らずに日陰のベンチで宗教論を戦わせました。
なぜ、寺や神社が高い所にあるのか?米倉の役割を担っていたというのが仙人の解説です。
仙人の宗教観は人物論です。歴史上の高僧たちの人間関係を細かく研究しています。天皇の先祖に始まり、大陸に血筋のある曽我兄弟の野望や、中国へ修行に行った日本の高僧たちの人間模様、時の為政者との関係など、わずかの時間のうちに、ものすごい数の人物が登場します。
私の宗教観は宇宙の仕組みをとおして人としてどう生きるべきか、本来の宗教のあるべき姿を考えます。仙人に人としてどう生きるべきかを問うのは愚問です。宇宙の創設者の存在、愛などを具体的に考えることがとても苦手です。仙人には答えることができません。なので、いつも仙人の人物論に付き合うことにしています。
ただ、この日は葬式仏教の失態について、ガウタマ・シッダールタやモーゼ、キリストを引き合いに出して、仙人と議論しました。
私は葬式仏教に失望し、若くして亡くなった父の菩提寺から葉書一枚の離檀届で檀家を辞めてしまいました。バングラデシュに最初に渡航した1997年2月に遡って辞めると書いて出しました。境内に墓石が無かったのも幸いでした。
現在は、無宗教ではなく、一党一派に属さない無所属だと公言しています。自分では転生輪廻を信じ、毎月親類縁者の墓を参って、肉体の先祖たちとの会話を楽しんでいる信者だと思っています。
小一時間、仙人と宗教論を交し、大日坊の敷地の中にあるという皇壇の杉に向かいました。
2021年08月15日
昼食は美味しい魚料理で
2021.8.5
温海温泉を後に、国道345号に入り、鶴岡市街地に向かいました。
今回、昼食はコロナを考え、前回同様、弁当持参も考えたのですが、万が一にも遅山仙人がコロナにかかったら覚悟をする約束を取り付けたので、外食することにしました。
折角、日本海側に来たので、美味しい魚を食べようと思い、何か所か候補を絞り、コースから大きく離れていない第一候補に向かいました。
開店時間が午前11時45分で、一番乗りで入ろうと思いましたが、30分ほど余裕があったので、湯田川温泉に立ち寄りました。写真は撮ってきませんでしたが、静かでした。私も仙人も何度か泊ったことのある小さな温泉街です。
春は孟宗竹が有名で、タケノコの刺身が旅館で食べられます。仙人は春早く、米の種もみを塩水で選別する塩水選の時期に来たことがあると言っていました。
前回の温海温泉で書きませんでしたが、温海温泉のバラ園でバラの花びらを模した、本物そっくりの赤いローズアイスがインスタ映えすると言うので、たくさんの観光客が訪れました。
湯田川温泉で時間調整をして、第一候補の「はまゆり」に到着しました。
一番乗りでしたが、それでも時間が早く、10分ほど待ちました。
何をオーダーするのか?それが、仙人にとって一番の問題です。
2021.5.28の丸森町へのツーリングから、仙人には自分で選んで注文する癖を付けることにしました。
今回も中々自分で選ぶことができませんでした。結果、仙人も私も同じ、よくばり丼を選びました。
海鮮丼プラス寿司2貫で、荒汁付きの美味しい丼ぶりでした。
仙人は、寿司以外は刺身を全部食べてからご飯を食べるという、食べ方をしていました。長年付き合っていますが、そういう食べ方をしていたことに初めて気が付きました。
私たちが入って、次々にお客さんが入ってきました。駐車場は県外ナンバーばかりでした。
ここから、私の今回の目的の一つである、県外の友人たちへ中元を送るため、JA鶴岡 ファーマーズマーケット もんとあ~る白山店に向かいました。
ここから、庄内砂丘メロンを友達に発送しました。白山(しろやま)は美味しい枝豆「白山だだちゃ」の産地です。自宅用にメロンとだだちゃ豆を買いました。だだちゃとは庄名地方の方言で父親を意味します。
仙人はユウガオを買ってきたかったのですが、リアボックスはコレクションで一杯なので、買うことを断念しました。ツーリングの度にコレクションが増えて、どんどん重くなり、ヒンジ部分も劣化し、ボディ自体も薄いので、いつ破裂するかわからない状態なのです。
万が一、蓋が外れて、コレクションが道路に散乱し、後続車両が事故を起こした場合、損害賠償責任を負わざるを得ないことになるので、任意保険の加入を勧めているのですが、動こうとしません。
仙人はコロナとリアボックスの二つの爆弾を抱えているリスクを回避できそうにありません。
このままでいいわけがないのですが、単にツーリングに誘わないことが解決になるわけでもありません。悩ましい所です。
悩みは尽きないのですが、月山六十里越を越えることにしました。
2021年08月14日
温海温泉で高級な足湯に浸かる
2021.8.5
県境の港町・鼠ヶ関から国道7号を海沿いに北上し、温海(あつみ)温泉へと右折しました。
温泉街を流れる温海川では鮎釣りをしていました。
遅山仙人が栃餅の看板を見つけ買いに行きましたが、店は閉まっていました。仙人は、以前から、栃餅、栃餅と騒いでいたのですが本懐を遂げることができませんでした。
以前、鶴岡市役所で栃の実だけで作る栃餅を売っている店を紹介してもらったことがあります。栃の実だけで作る店は鶴岡市内では1軒だけだそうで、市役所から近い場所にありました。
多分、温海温泉で売っている栃餅は栃の実以外の物が多く入っている栃餅かもしれません。
鶴岡の奥座敷と言われた温海温泉ですが、平日ということもあり、静かな佇まいを感じました。
一風呂浴びてと言いたいところですが、道中半ば、これから更に暑くなる状況だったので、もっけ湯で足湯に浸かることにしました。
「もっけ」とは、山形県庄内地方の方言で、「(わざわざ、こんなところまで来てもらい)ありがとう」という意味がります。
さらに、クローズアップした写真は撮ってきませんでしたが、円形の座布団が敷いてありました。下の写真にある「しな織」と呼ばれる素材でできたもののようです。
日本国の麓から旧羽州街道の堀切峠を越え、国道345号へ左折して、鼠ヶ関に入りましたが、左折せずに右折して進むと「しな織」の工房・関川しな織センターがあります。
涼しい桜の木の下で足湯に浸かり、30分ほど休んでいきました。もてなしのタオルやしな織の座布団、さらに川端のロケーションが高級感あふれる足湯になっていました。今まで浸かったことのある足湯では一番の足湯と思います。
この高級感に水を差すように、仙人が雨が降ったらどうするのだろうと子供じみた質問を投げかけてきました。当たり前に「たちばなや」の従業員さんが片付けてくれることは想像に難くないのですが、当たり前や常識では計り知れないところが仙人の良さでもあります。
足湯で温海温泉の風情を堪能した後、県道余目温海線に戻り、右折して、東に向かいました。
国道345号とのT字路で左折し、湯田川温泉方面へ向かいました。
2021年08月12日
鼠ヶ関か鼠ケ関か?
2021.8.5
日本国の麓への寄り道の後、山形県と新潟県の県境の港町・鼠ヶ関(ねずがせき)に向かいました。
一番最初に向かったのは、山形県と新潟県の県境にある標柱です。町の中に県境があるという珍しい所です。
上の写真を拡大してみると、宮城県側に止めてある軽自動車のナンバーが「庄内」となっていました。「庄内」は山形県の日本海沿いにある酒田や鶴岡などの地域の名称です。確認したわけではありませんが、新潟県側の住宅にお住まいの方の車のような雰囲気がありました。
そして、標柱のすぐ近くに関址跡がありました。
社会科の教師だった遅山仙人は鼠ヶ関に何度も来ているようですが、県境の標柱や関址跡は初めて来たと言っていました。
仙人によると、昔の知識人は、この鼠(ねずみ)の関に来ることを目的として旅をしていたと言います。かの松尾芭蕉も、その一人だったと言います。
仙人からは、毎回、歴史上の人物の話題を聞かされますが、残念ながら、私の記憶に残るのは、ほんの僅かです。
次に向かったのは、JR鼠ヶ関駅です。
昔の駅名「鼡ヶ関駅」が書いてある銘板を見て、仙人が鼠の字が違うと言っていましたが、ここで、私はあることに気が付きました。
鼠ヶ関の真ん中の「ヶ」の字が書かれてあるものによって違うのです。先ほどの関址跡の説明版は「ケ」。後から出てくるマリーナも「ケ」。国土地理院2万5千分の1地形図は「ヶ」。駅も「ヶ」。
ところが、JR東日本の駅名検索では「ヶ」ではヒットせず、「ケ」で認識するようでした。
どちらが正しいのか。それとも、どちらでもいいのか。詮索せずに、そのまま、としました。
この駅は特急列車は停車しないようでした。羽越本線と並行して走ってきたので、特急「いなほ」が何度か走っているのが確認できました。
途中の桑川駅と、この鼠ヶ関駅で「いなほ」が通過しましたが、タイミング悪く、写真に残すことできませんでした。
山形県内で在来線の特急が走っているのは、この羽越本線だけです。ミニ新幹線である山形新幹線は日常的に見ているので、別の機会に、また、「いなほ」にお目にかかればと思っています。
マリーナの看板は「鼠ケ関」です。
私には縁のないお金持ちがお金を出して係留しているヨットやレジャーボートがたくさん並んでいました。ただ、中には、時代の変遷により、お金持ちで無くなる方もいて、お金が出せなくなって滞納したまま係留している方もいて、管理している山形県も対応に苦慮しているという話を聞いたことがあります。
本来なら、鼠ヶ関は夏イカの一夜干しのシーズンです。軽く焼いて、唐辛子入りマヨネーズを付けて食べると最高ですが、歯医者で長らく痛い虫歯の抜歯に抵抗している仙人を思い、名物の一夜干しを売っている茶屋には行きませんでした。
鼠ヶ関から国道7号に入り、温海温泉に向かいました。