2021年03月
2021年03月27日
先生の奥様の墓参り
2021.3.27
東京のコロナの緊急事態宣言が解除になったかと思いきや、宮城県が緊急事態宣言を発表し、飛び火したかのように、山形市に山形県内初の緊急事態宣言が出て、さらに、今日、寒河江市にも緊急事態宣言が出てしまいました。
今まで、陽性反応者が少なかった山形県も東京からの距離によるタイムラグなのか、隣接する仙台からは一気に拡大してしまった感が否めません。
「何よ今頃になって」と内心ボヤいていらっしゃる方が大勢いらっしゃると思います。
そんな中、不要不急ではないものの、三蜜が避けられる状態ならと思い、自炊のカレースパゲティの昼食を済ませ、墓参りに行ってきました。
ダイソーの自転車用のドリンクホルダーをホームセンターで買った金具に取り付けました。天気もいいので、早速、ペットボトルドリンクを買って出発しました。
山形市大森地区にあるべにばな霊園へと向かいました。いつものように、山形市街地は走らずに市街地東部の山のへりを北上し、ちょっとだけ国道286号を走って、滑川から村山東部広域農道(スーパー農道)のべにばなトンネルと大森トンネルを抜けるとべにばな霊園です。
この霊園は以前の記事、べにばな霊園へ墓参りと、バングラデシュ珍道中記の記事、キリスト教式納骨式で紹介しています。知人で山形大学農学部を定年退官した先生の奥様の墓地を紹介したことがきっかけで奥様の墓が、この霊園に出来上がりました。ツーリングで通りかかったら、必ず、お参りさせていただいています。
墓参りが終わったところで、公益社団法人べにばな霊園の理事長さんが愛車リトルカブを見つけてくださり、コーヒーを勧めてくださいました。有難く、事務所にお邪魔しました。
理事長さんの話によると、昨年はコロナの影響で新規の申し込みがほとんど無かったそうです。昨年は私の従姉も亡くなりましたが、その家では初めての仏様(他教では何というのか?)で、墓も仏壇も無く、未だに木の箱の中に眠ったままです。多分、ほとんどの仏様が同じ状態なのでしょう。
コロナに関わらず、以前から、仏壇の売れ行きが悪いことは知っていました。生活様式の変化で、新しい家には昔ながらの大きな仏壇を置くスペースは無く、通販でも買える小さな仏壇の売れ行きが伸びているそうです。
べにばな霊園も永代供養の需要が多く、供養塔を拡張する工事に入るそうです。
棺桶もネット販売している時代です。仏壇屋さんも慶弔含めたセレモニー会場も低空飛行の時代になってしまいました。
理事長さんはハーレーなどの大型バイクやオフロードバイクを乗り回されている方ですが、ロードバイクや釣りや山菜取り、登山などアウトドアに多趣味な方です。年配の方がハーレーを徒党を組んで乗り回しているのは、バイクが倒れたら一人では起こせないので、大勢で出かけるのだそうです。ハーレーに電動で補助輪が出てくる話など、面白い話をたくさん伺ってきました。
最近流行のハンターカブを注文したら半年待ちと言われたそうです。
理事長さんは近くの立谷沢川の法面に群生しているサクラソウを地元の人たちとともに手入れされています。
満開の時期になると、霊園の駐車場を花見客に解放されています。ただ、昨年はコロナの影響で解放できなかったようです。
理事長さんと奥様に礼を述べ、「べにばな霊園」を後にしました。
2021年03月21日
2021年03月20日
千歳山の松の緑が無くなる!?
2021.3.19
今年初めての山登りに行ってきました。いつもの革の重登山靴をリトルカブの前かごに載せて午前9時に自宅を出発しました。今回は体力の無い遅山仙人と腰を痛めている山仲間S氏は誘いませんでした。
ピラミダルな千歳山に近づいて写真を撮ろうとしたとき、南斜面にやけに光るものが多いことに気が付きました。そして、本来なら斜面一面が常緑のアカマツの緑色で覆われているはずなのに、緑色がとても少なく感じました。
昨年、山仲間3人で登った時と同じように9時30分に北側の登山口から登りました。久しぶりに千歳山登山で紹介しています。
岩五郎稲荷神社に登山の安全を祈願し、登山道を登り始めて異変に気が付きました。
樹幹注入対象物と表示されたアカマツが登り始めてすぐの所にありました。これは、アカマツの栄養と水分を吸い上げて枯らすマツノザイセンチュウに侵された木です。
この木は切り倒される運命にあり、倒した後に薬剤を木の中に入れてビニルで覆い、センチュウを媒介するマツノマダラカミキリが逃げられないようして封じ込めるのです。
もう、至る所でアカマツが切り倒され、無残としか言いようがありませんでした。
下の写真は、千歳山に向かう途中、最初に異変に気づいて撮影した場所です。
今年2月には伐採作業が行われていたことがわかりました。さらに、下の写真にのように、ナラ枯れにより雑木までもがたくさん切られていました。
千歳山は国有林です。管理は林野庁になります。久しぶりに千歳山登山で紹介したように林野庁は千歳山のアカマツを守るつもりは毛頭ありません。自然の遷移に任せるつもりなのです。先駆植物であるアカマツから雑木林に代わることは自然の成り行きとしても、その雑木までも枯れてしまうのでは、千歳山がムソルグスキーの音楽のようになってしまわないかと心配です。
これから春に芽吹きが始まると多くの山形市民が千歳山の変貌に驚くことになるのでしょう。
山頂には10時10分に到着しました。ゆっくり登って40分でした。
いつもは、ガスコンロにフレンチプレス持参ですが、今回はフレンチプレスで煎れたコーヒーを真空式ステンレス魔法瓶に詰めて持って行きました。バナナ一本とコーヒーで休憩です。
平日にもかかわらず、次々に登ってくる方がいました。そのほとんどの方は、休憩もせずに、そそくさと下りてゆきました。千歳山のような山であれば大した体力も使いませんが、どんな山であっても、登山の鉄則は、十分に休憩時間を取るということを先輩たちから教えられました。それが不測の事故を防ぐ最大のマナーだと思います。
十分休んだ後、西から登ってきた道を下らずに、南側へと下りていきました。
南斜面も同じように伐採された跡がたくさん残っていました。今は草も生えていないので、丸見えの状態です。
途中から、西側にトラバース(横断)するルートに分かれて、西側の登山道に戻りました。
後半は太陽が顔を出し、山形市街地はもちろん、遠くに真っ白な朝日連峰、月山、葉山が良く見えました。
無事に下山しました。登り40分、下り30分です。久ぶりに、千歳山こんにゃくを買って帰ることにしました。
店の人によると、コロナの影響で客足はさっぱりだそうです。逆に千歳山の登山客が増えたそうです。増えた登山客イコール店の客にならないところが厳しい現実のようです。
玉こんにゃくを3本注文し、自宅にお土産に持って帰りました。
袋の中に辛子も3つ入っていました。千歳山こんにゃくは大きくて硬くて味が染みていて美味しいのです。そして、この辛子がとても効くのです。鼻にツーンとくることは分かっているのですがたくさん付けて食べてしまうのです。
今回、千歳山に軽く登れました。これから、少しずつ高度を上げてゆき、今年は宮城県との県境にある翁山と船形山(山形県側の呼称は御所山)に登ることを目標にしたいと思います。
2021年03月17日
タイヤの皮むき第二弾 おしんの吊り橋が無くなる!?
遅山仙人が昔から必ず買って帰る美味しい饅頭があると言うので荒砥駅近くのやまり菓子舗に立ち寄りました。
荒砥駅から山形に向かう道と国道287号との交差点を右折すると目的の店のはずですが、国道改修により立体交差になってしまったので、上の地図のように一旦北上して、国道に入り、南下するという遠回りになってしまいました。
試食できるお菓子があり、饅頭やイチゴ大福やお茶が置いてあり、仙人は遠慮なく、試食してお茶を飲んでいました。饅頭は漉し餡がお勧めとのことでした。
昭和47年の山形国体の時に天皇に献上した山形市七浦の菓道八右ェ門のイチゴ大福がとても美味しく、この時、日本初のイチゴ大福でした。その後、イチゴ大福は全国で作られるようになりましたが、今でも八右エ門を越えるイチゴ大福はお目にかかったことがありません。
仙人は漉し餡の饅頭と桜餅を買いました。私は漉し餡の饅頭と餅入り最中を買いました。
饅頭を買って、いつも立ち寄る「おしんの吊り橋」でコーヒータイムととするために、国道287号をそのまま北上しました。
「おしんの吊り橋」は、知人がこの橋から落下して亡くなられた場所で毎年命日にお参りに来ています。ところが、この吊り橋は撤去されることになりました。
コロナ以前のインバウンド観光の波に乗れず、痛みが激しく老朽化するばかりで、撤去されることになりました。私にとっては墓石のような存在ですが、残念なことです。
この橋から最上川左岸が通行止めだったので、この場所で3時の一服としました。
いつもはフレンチプレスでコーヒーを出していましたが、モカ好きの仙人のために家にあったモカのドリップパックを持ってきました。
右側のちょっと色のついたホーローのマグカップですが、どうも、仙人がこのカップで自炊しているようでした。もしかしたら、米を炊いているのかもしれません。もしかしたら、味噌汁を煮ているのかもしれません。もしかしたら、カレーを作っているのかもしれません。
ホーローは直接火にかけられるという点では便利なのですが、昨年、仙人と最後にツーリングに行った鶴岡市の玉川寺ではステンレスのマグカップだったのでわかりませんでした。玉川寺で本懐を遂げるで紹介しています。
珍しくというか、ツーリング史上初めて、仙人が自分で買ったやまり菓子舗の饅頭と桜餅をお茶請けに出してくれました。どちらも、美味しくいただきました。
仙人は、昨年から今年の冬は買い物に難儀したそうです。一昨年から昨年にかけての冬は、ほとんど、雪が降らなかったのでスーパーカブで買い物にでかけていました。ところが、今シーズンは雪が多かったために、スパイクタイヤに履き替えない仙人はバイクで出かけることができず、列車で買い物に行ったと言うのです。
それでも、荷物が多くて買って帰ることができないために、雪の日に無理やり出かけたようです。仙人がスーパーに出没したという情報が度々寄せられていました。下の写真は、山形市内某所のスーパーマーケットに置いてある仙人のスーパーカブです。写真を拡大すると雪が降っているのがわかります。
仙人は軽自動車が無性に欲しくなりました。どうも、スーパーカブで雪の日に転んだ可能性があります。動かない車をたくさん持っているのに、処分もせずに、さらにコレクションを増やそうという魂胆です。
軽自動車の価格を聞かれましたが、車両価格が安ければ安い程、修理整備費が反比例して増えると伝えました。今売れば金になる高級?外車も持っているので資金になると、そそのかしましたが多分売る気はないでしょう。
こんな四方山話をしてコーヒータイムを終えました。
国道287号に戻って、白鷹町中山に出て、主要地方道山形白鷹線を走って県民の森を越えて山形市内に戻ろうとしましたが、途中、山辺町の摂待口から西黒森の区間が通行止めで、迂回しました。
雪の無い時期は、白鷹町中山から林道狐越線を走り、白鷹山の麓、山辺町嶽原(たけばら)、山形市大平を走るショートカットのルートを走るのですが、この時期は林道狐越線の除雪がされていないので、山形白鷹線を走りました。
前日も山形市内から逆方向で山形白鷹線を走りました。前日は天気も良く、山形盆地の眺めも良かったのですが、この日は一日中、太陽が顔を出すことはありませんでした。
仙人のスマホでLINE通信をしたいのですが、設定まで至りませんでした。軽自動車の相談も話半分で終わりました。
それでも何とか、今シーズン最初の仙人とのツーリングを終えました。
2021年03月15日
タイヤの皮むき第二弾 無くなった鉄道計画
2021.3.12
獅子頭の博物館的蕎麦屋さん獅子宿燻亭で昼食を終え、長井市の市街地には入らず、最上川の右岸から白鷹町へと走らせました。
天気は回復せず、どんより曇っていました。遠くに見える飯豊連峰は真っ白でした。長井市をひざ元とする長井葉山も霞んでいました。
国道287号を北上し、超有名蕎麦屋の千利庵がある白鷹町広野で左折し、最上川を渡り、県道長井大江線に入って、さらに北上しました。途中、フラワー長井線の鮎貝駅(あゆかいえき)に立ち寄りました。
この駅は公民館が併設されていました。しかし、厳密にいえば社会教育法で言う公民館ではなく、地域の集会所になると思います。
これに対して、宮城県大崎市岩出山にあるJR陸羽東線有備館駅に併設されている公民館は社会教育事業を行っている社会教育法でいう公民館です。岩出山へ 有備館駅で紹介しています。
待合室の椅子には畳が敷いてありました。長椅子に畳が敷いてあるというのも珍しいです。この駅の正面道路際には桜が二本植えてありました。
今年も公園での花見の宴会は無理ではないかとなると、ひっそりと、どこかで花見をすることになりそうです。昨年同様、無人駅の旅も候補の一つに挙げられるのかと思いました。
鮎貝駅には古典桜の里しらたかオススメ歩くコースマップが掲示されてありました。このマップには載っていない桜の並木がマップの下にある写真です。昨年の満開の桜を行くリトルカブで紹介しています。蚕桑駅(こぐわえき)と鮎貝駅の中間にあります。
丁度、上りの列車が入ってきました。白い列車でした。この列車は2020.6.19アマビエ様で疫病退散祈願で紹介していますが、この日は、この列車で帰れると思っていたのですが、違う車両で帰ることになりました。是非乗ってみたい車両です。通路にテーブルがあります。
鮎貝駅で上りの列車を見送った後、その列車が走ってきた荒砥駅(あらとえき)に向かいました。
小学校に入る前に木造の駅のころに来た覚えがあります。
正面玄関頭上にはステンドグラスが嵌め込んでありました。駅には白鷹町の名品を売る売店や切符売り場がありますが、観光協会で運営しているようでした。
奥に展示コーナーがあり、季節柄、お雛様が飾ってありました。
この荒砥駅がフラワー長井線の終点で列車の車庫がありました。
このフラワー長井線は元々、国鉄長井線でした。民営化でJRになってから廃線されそうとなりました。赤字経営を続けながら何とか頑張って地域の足を守っています。以前にも紹介したように映画「スイングガールズ」のロケに使われました。
この長井線ですが、実は現在のJR左沢線(あてらざわせん)の終点である大江町左沢駅と、この荒砥駅を結ぶ計画がありました。実現すると陸羽西線と同じように最上川と並行して走る風光明媚な路線になるはずでした。白鷹丘陵を周回できるとても良いコースになっていたと思われます。
ところが、山形県内某大手交通会社の反対により計画が無くなったと言われています。県内には、様々な鉄道計画がありましたが、私の知る限りでは、山形駅から蔵王温泉までの登山鉄道の計画も無くなったことを記憶しています。
今となってはの話かもしれません。当時は少子高齢化や新型コロナウイルスなど想像もつかなかったことでしょう。
計画が実現されたとしても、結果的にどうなっていたのかは知る由もありません。
遅山仙人が荒砥駅と左沢駅が繋がっていれば良かったのにと言うので、この話をしました。さすがの博学の仙人も計画がとん挫した話は知りませんでした。
仙人が近くに美味しい饅頭を売っている店があるというので行くことにしました。