2019年11月
2019年11月30日
ムキタケは洗って干して冷凍
2019.11.17
遅山仙人と東黒森山で別れた後、私は主要地方道山形白鷹線を山形市内に向かって走りました。
途中、山形市街地と蔵王連峰・奥羽山脈が見える展望台で小休止しました。ここは、山形市大字村木沢の上平(うわだいら)集落の上の山形白鷹線沿いにあり、とても眺めが良い場所です。
今回も、礫石から荻の窪(おぎのくぼ)までの旧道をショートカットし、富神山の南側から柏倉に抜けるルートを取りました。
帰宅後、白鷹町滝野地区の新そば祭りで買ったムキタケを洗い、水分を搾ってザルに並べ、当日の夜と翌日の日中に外で乾かしました。その後、冷凍保存しました。こうすることにより、キノコは風味が増し、栄養価が高まり、好きな時に食べられます。
小さなムキタケは、買ってきたからし大根と醤油で和え、カブは浅漬けにして、晩ご飯のおかずになりました。
遅山仙人との今シーズのツーリングも、今回で終了です。
今回のツーリングの後日談があります。それは、昨晩、仙人から電話がありました。白鷹町滝野地区の新そば祭りで買った大根とムキタケが多すぎて食べきれないと言う電話でした。
近くに住む叔母に大根とムキタケで料理してもらったのか尋ねると、叔母は小食なので、たくさん料理できなかったと言うのです。だったら、隣に住む従妹にあげたらどうかと話しました。いつも迷惑ばかりかけているのだから、そのくらい当たり前だろうと思わないのか、常識という枠から外れて生きている仙人だけに、自分で気が付かないことも多いのです。
遅山仙人と東黒森山で別れた後、私は主要地方道山形白鷹線を山形市内に向かって走りました。
途中、山形市街地と蔵王連峰・奥羽山脈が見える展望台で小休止しました。ここは、山形市大字村木沢の上平(うわだいら)集落の上の山形白鷹線沿いにあり、とても眺めが良い場所です。
蔵王・熊野岳は白くなっていました。山形白鷹線のうち、馬牽原展望台から上平の区間は、ほとんど走らなくなりました。大抵は、上平の次の集落、礫石(つぶていし)から旧狐越街道を走って、白鷹山の麓・嶽原(たけばら)、狐越峠を越えて白鷹町中山地区にショートカットすることが多くなりました。
今回も、礫石から荻の窪(おぎのくぼ)までの旧道をショートカットし、富神山の南側から柏倉に抜けるルートを取りました。
帰宅後、白鷹町滝野地区の新そば祭りで買ったムキタケを洗い、水分を搾ってザルに並べ、当日の夜と翌日の日中に外で乾かしました。その後、冷凍保存しました。こうすることにより、キノコは風味が増し、栄養価が高まり、好きな時に食べられます。
小さなムキタケは、買ってきたからし大根と醤油で和え、カブは浅漬けにして、晩ご飯のおかずになりました。
遅山仙人との今シーズのツーリングも、今回で終了です。
今回のツーリングの後日談があります。それは、昨晩、仙人から電話がありました。白鷹町滝野地区の新そば祭りで買った大根とムキタケが多すぎて食べきれないと言う電話でした。
近くに住む叔母に大根とムキタケで料理してもらったのか尋ねると、叔母は小食なので、たくさん料理できなかったと言うのです。だったら、隣に住む従妹にあげたらどうかと話しました。いつも迷惑ばかりかけているのだから、そのくらい当たり前だろうと思わないのか、常識という枠から外れて生きている仙人だけに、自分で気が付かないことも多いのです。
2019年11月29日
もしもし亀よ、亀さんよ
2019.11.17
馬牽原展望台でのコーヒータイムでは、いつものように、遅山仙人と四方山話に明け暮れました。前回の親戚の話はもちろんでしたが、今回のツーリングでは三つの滝に行くと仙人にナゾかけしていました。〇〇大学法学部に入学して偏差値の高い仙人ですが、相変わらず、ナゾかけには全く弱いのです。
三つの滝とは、エドヒガンの巨木がある上山市滝沢地区、突然道が無くなるくぐり滝、新そば祭りの白鷹町滝野地区です。コーヒータイムで再度ナゾかけをしましたが、私が説明するまでわかりませんでした。
この日のツーリングのメインイベントはほとんど終了しました。あとは、山形に帰るだけです。ここからは30分もあれば着いてしまいます。午後3時を過ぎると、急速に気温が下がってくるので、このまま、帰ることにしましました。仙人とは主要地方道山形白鷹線の途中まで一緒に走り、別れることにしました。
仙人と別れる途中、東黒森山の南、山形白鷹線のすぐそばに「たらたら清水(亀ノ子水)」という湧水地があります。元々、山形白鷹線は畑谷地区の人たちが普請で山形まで荷車が走れる道路を作り、私の母の親戚が普請に財を投じた一人であることを聞いていました。
当時、畑谷出身で上山市の永田家に養子に入った永田亀之助氏が亀ノ子水を整備し、亀之助氏の息子で元上山市長の永田亀昭氏により復元されたものです。
石の亀を作ったのは、簗沢地区で石屋を営む吉田朝夫氏です。作谷沢地区は「まんだらの里」と呼ばれ、地方の過疎化が叫ばれ始めるころ、地域おこしの優等生として全国の講演会に呼ばれたのが吉田朝夫氏です。私の母親と朝夫氏の義母が身内で同級生ということもあり、親しくさせていただきました。
この話を仙人にしたところ、永田の名前に食いつきました。永田亀昭と名前が出たので、永田と言えば上山市の永田歯科医院だろう、永田医院には入り浸りだったとのこと。入り浸りだったというのは、歯が悪くて何回も通院したのか、それとも知り合いだったのか。いつものように、要領を得ません。永田亀之助と永田歯科医院が関係があるのか本当のところ、よくわかりません。
私の幼い頃の記憶には、上杉藩直江山城守兼続が畑谷城を陥落させた映画のシーンが残っています。兼続を誰が演じたか覚えていませんが、畑谷城の城主・江口五兵衛光清の役を俳優松方弘樹の父、近衛十四郎が演じていたことを鮮明に覚えています。近衛十四郎のバラエティードラマ「素浪人 月影兵庫」を毎週見ていたので近衛十四郎の顔をよく覚えていました。
この話を山形市内の著名な郷土史研究家の人たちにしたことがありますが、誰も知りませんでした。
東の関ヶ原の戦いと言われた兼続による畑谷城、長谷堂城陥落の後、富神山から山形城を見ると、盆地特有の放射冷却で雲海の下にあった山形城が見えなかったことから山形城が別名・霞城とも呼ばれる所以にもなりました。
兼続ら上杉軍勢は、遅れて届いた関ヶ原の西軍敗北の知らせのために米沢に引き返したことから山形市内は戦火を免れました。
遅山仙人とは、この先でお別れです。
東黒森山の北側を巻いて、T字路で右折し、そのまま道なりに下って行くと自分の家の近くに着くよと、仙人に教えて、私は山形白鷹線を山形市内に向かいました。
馬牽原展望台でのコーヒータイムでは、いつものように、遅山仙人と四方山話に明け暮れました。前回の親戚の話はもちろんでしたが、今回のツーリングでは三つの滝に行くと仙人にナゾかけしていました。〇〇大学法学部に入学して偏差値の高い仙人ですが、相変わらず、ナゾかけには全く弱いのです。
三つの滝とは、エドヒガンの巨木がある上山市滝沢地区、突然道が無くなるくぐり滝、新そば祭りの白鷹町滝野地区です。コーヒータイムで再度ナゾかけをしましたが、私が説明するまでわかりませんでした。
この日のツーリングのメインイベントはほとんど終了しました。あとは、山形に帰るだけです。ここからは30分もあれば着いてしまいます。午後3時を過ぎると、急速に気温が下がってくるので、このまま、帰ることにしましました。仙人とは主要地方道山形白鷹線の途中まで一緒に走り、別れることにしました。
仙人と別れる途中、東黒森山の南、山形白鷹線のすぐそばに「たらたら清水(亀ノ子水)」という湧水地があります。元々、山形白鷹線は畑谷地区の人たちが普請で山形まで荷車が走れる道路を作り、私の母の親戚が普請に財を投じた一人であることを聞いていました。
当時、畑谷出身で上山市の永田家に養子に入った永田亀之助氏が亀ノ子水を整備し、亀之助氏の息子で元上山市長の永田亀昭氏により復元されたものです。
石の亀を作ったのは、簗沢地区で石屋を営む吉田朝夫氏です。作谷沢地区は「まんだらの里」と呼ばれ、地方の過疎化が叫ばれ始めるころ、地域おこしの優等生として全国の講演会に呼ばれたのが吉田朝夫氏です。私の母親と朝夫氏の義母が身内で同級生ということもあり、親しくさせていただきました。
この話を仙人にしたところ、永田の名前に食いつきました。永田亀昭と名前が出たので、永田と言えば上山市の永田歯科医院だろう、永田医院には入り浸りだったとのこと。入り浸りだったというのは、歯が悪くて何回も通院したのか、それとも知り合いだったのか。いつものように、要領を得ません。永田亀之助と永田歯科医院が関係があるのか本当のところ、よくわかりません。
私の幼い頃の記憶には、上杉藩直江山城守兼続が畑谷城を陥落させた映画のシーンが残っています。兼続を誰が演じたか覚えていませんが、畑谷城の城主・江口五兵衛光清の役を俳優松方弘樹の父、近衛十四郎が演じていたことを鮮明に覚えています。近衛十四郎のバラエティードラマ「素浪人 月影兵庫」を毎週見ていたので近衛十四郎の顔をよく覚えていました。
この話を山形市内の著名な郷土史研究家の人たちにしたことがありますが、誰も知りませんでした。
東の関ヶ原の戦いと言われた兼続による畑谷城、長谷堂城陥落の後、富神山から山形城を見ると、盆地特有の放射冷却で雲海の下にあった山形城が見えなかったことから山形城が別名・霞城とも呼ばれる所以にもなりました。
兼続ら上杉軍勢は、遅れて届いた関ヶ原の西軍敗北の知らせのために米沢に引き返したことから山形市内は戦火を免れました。
遅山仙人とは、この先でお別れです。
東黒森山の北側を巻いて、T字路で右折し、そのまま道なりに下って行くと自分の家の近くに着くよと、仙人に教えて、私は山形白鷹線を山形市内に向かいました。
2019年11月28日
どこに行っても親戚だらけ
2019.11.17
白鷹町滝野地区で行われた新そば祭りで美味しい新そばをいただき、遅山仙人が待ちに待ったコーヒータイムの予定地まで急ぎました。
山形市から滝野の新そば祭りまでの移動時間は3時間足らずでしたが、仙人にとっては、かなりハードなツーリングだったようです。特に、「突然、道が無くなる⁉」では、精神的な疲労感がどっと出たようです。
滝野地区から主要地方道山形白鷹線を北上しました。山形白鷹線は山形市と白鷹町を結ぶ重要路線でした。路線バスも毎時1本は走り、子供の頃、母の実家があった白鷹山の麓、山辺町嶽原(たけばら)まで行くために路線バスを何回も利用しました。
しかし、国道348号の改良工事が始まり、トンネルができると、山形市と白鷹町との距離が短い国道348号に車の流れは奪われ、その後、急激な過疎化で人口が減り、山形白鷹線の通行量は激減し、路線バスも国道348号に移行されてしまいました。
コーヒータイムの場所は、山形白鷹線沿いにある山辺町の馬牽原(まひきはら)展望台です。以前は、ここに「馬牽原展望台」の名前でバス停がありました。
ここからは朝日連峰の大朝日岳(おおあさひだけ)、小朝日岳(こあさひだけ)、祝瓶山(いわいかめやま)を望むことができます。この駐車場になっているところは、以前、私の従弟の田んぼがあった所です。ここは、水の便が悪く、陸稲(おかぼ)しか栽培できませんでした。
西黒森山は白鷹山が活火山だったころに噴火したカルデラ火山の外輪山になります。現在、県民の森として整備された中にある数々の湖沼群や集落が点在しているところは爆裂火口にできたものです。
この辺りは、馬牽原高原と呼ばれ、開拓で入植した人たちが西黒森という集落を作って暮らしていました。集落は西黒森山の名前から西黒森と言いますが、地元の人たちは、通称「馬牽」と呼んでいました。
私の母の妹たち夫婦も西黒森に住んでいました。陸稲やタバコ、果物を生産していました。遅山仙人の話では、仙人の遠縁の親戚も東黒森に住んでいたようです。
以前は、「馬牽」(西黒森)にはたくさんの人たちが住んでいましたが、今は、私の従弟夫婦の世帯しかありません。
山辺町のこの辺りは作谷沢(さくやざわ)と呼ばれる広い地域です。「作」は大字北作、「谷」は大字畑谷、「沢」は大字簗沢という3つの字名の一文字ずつを合わせた造語です。
西黒森や嶽原は、大字では畑谷に属します。母親の親戚は作谷沢にたくさんいます。多分、私が会ったこともない6親等の傍系親族である「はとこ、またいとこ」はたくさんいると思われます。
以前にも紹介しましたが、仙人の親戚と私の伯父伯母が同じ墓の中に眠っています。仙人と話をすると、血のつながりは無くとも、私の親戚縁者と仙人の親戚縁者が近くに住んでいたとか、どこに行っても親戚だらけになるのです。
白鷹町滝野地区で行われた新そば祭りで美味しい新そばをいただき、遅山仙人が待ちに待ったコーヒータイムの予定地まで急ぎました。
山形市から滝野の新そば祭りまでの移動時間は3時間足らずでしたが、仙人にとっては、かなりハードなツーリングだったようです。特に、「突然、道が無くなる⁉」では、精神的な疲労感がどっと出たようです。
滝野地区から主要地方道山形白鷹線を北上しました。山形白鷹線は山形市と白鷹町を結ぶ重要路線でした。路線バスも毎時1本は走り、子供の頃、母の実家があった白鷹山の麓、山辺町嶽原(たけばら)まで行くために路線バスを何回も利用しました。
しかし、国道348号の改良工事が始まり、トンネルができると、山形市と白鷹町との距離が短い国道348号に車の流れは奪われ、その後、急激な過疎化で人口が減り、山形白鷹線の通行量は激減し、路線バスも国道348号に移行されてしまいました。
コーヒータイムの場所は、山形白鷹線沿いにある山辺町の馬牽原(まひきはら)展望台です。以前は、ここに「馬牽原展望台」の名前でバス停がありました。
ここからは朝日連峰の大朝日岳(おおあさひだけ)、小朝日岳(こあさひだけ)、祝瓶山(いわいかめやま)を望むことができます。この駐車場になっているところは、以前、私の従弟の田んぼがあった所です。ここは、水の便が悪く、陸稲(おかぼ)しか栽培できませんでした。
西黒森山は白鷹山が活火山だったころに噴火したカルデラ火山の外輪山になります。現在、県民の森として整備された中にある数々の湖沼群や集落が点在しているところは爆裂火口にできたものです。
この辺りは、馬牽原高原と呼ばれ、開拓で入植した人たちが西黒森という集落を作って暮らしていました。集落は西黒森山の名前から西黒森と言いますが、地元の人たちは、通称「馬牽」と呼んでいました。
私の母の妹たち夫婦も西黒森に住んでいました。陸稲やタバコ、果物を生産していました。遅山仙人の話では、仙人の遠縁の親戚も東黒森に住んでいたようです。
以前は、「馬牽」(西黒森)にはたくさんの人たちが住んでいましたが、今は、私の従弟夫婦の世帯しかありません。
山辺町のこの辺りは作谷沢(さくやざわ)と呼ばれる広い地域です。「作」は大字北作、「谷」は大字畑谷、「沢」は大字簗沢という3つの字名の一文字ずつを合わせた造語です。
西黒森や嶽原は、大字では畑谷に属します。母親の親戚は作谷沢にたくさんいます。多分、私が会ったこともない6親等の傍系親族である「はとこ、またいとこ」はたくさんいると思われます。
以前にも紹介しましたが、仙人の親戚と私の伯父伯母が同じ墓の中に眠っています。仙人と話をすると、血のつながりは無くとも、私の親戚縁者と仙人の親戚縁者が近くに住んでいたとか、どこに行っても親戚だらけになるのです。
2019年11月27日
「堀切”麺”グランプリ」のCM第二弾
ベンガル人の友人、橋本羅名さんの焼肉牛将も参加されている「堀切”麺”グランプリ」のCM第二弾です。
インスタグラムで【#堀切麵グランプリ牛将】を入れて投稿してください。
投稿していただいた方全員に
〈お好きなグラスドリンク1杯or
タンドリーチキン1皿(1テーブル1皿)〉を
無料進呈!
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2019年11月23日
そばには やっぱり からし大根
2019.11.17
車道行き止まりの林道を辛うじて走り抜け、くぐり滝を見ることができました。ここからは、舗装された道路を国道348号に向かって走りました。
一旦、国道に出て白鷹トンネルの手前から右折して、旧国道348号に入りました。
白鷹山表参道との分かれ道を左に入ります。途中、ボロボロになった標識が旧国道348号であることを表示しています。
旧国道348号の最高標高点である小滝越に通行止めの看板があり、逆戻りすることにしました。
止む無く、白鷹トンネルをくぐり、小滝越を越えられなかった旧道との交差点まで新しい国道を下って行きました。
ここからは、白鷹町滝野地区を旧道沿いに下って行きました。
そして、新そば祭り会場になっている旧白鷹町立滝野小学校である白鷹町滝野交流館に到着しました。
到着予定時刻を祭り開始時刻の11時に設定していましたが、遅山仙人が寝坊してスタートが20分遅れましたが11時30分に到着したので、ほぼ、予想通りの所要時間となりました。
最初にそば会場に行かずに産直売り場に向かいました。妻からは地域の特産的な伝統野菜があれば買ってくるように指示されていました。
「そばには やっぱり からし大根」 からし大根買いました。からし大根は水分が少なく、すりおろして、冷凍保存しておきました。赤カブも買いました。
今年は天然きのこ、原木栽培きのこが不作です。天然のムキタケが500円で売っていました。帰って重さを測ったら1.1kgありました。からし大根で妻と食べました。
自分で作ったあんこが無くなったので、小豆が300g250円と安かったの買いました。仙人は大きな大根1本100円とムキタケ1袋を買い、近所の叔母の所にお土産と称して持ってき、チャッカリ、叔母に料理してもらいました。
荷物をバイクに積み込み、再度、そば会場へ戻りました。
ざるそば1枚600円を2枚買いました。
そば券に印字されて番号を呼ばれるまで約30分廊下で待ちました。
新そばの時期は、山形県内のいたる所で新そば祭りが行われます。昨年は、最上町の赤倉温泉の新そば祭りに行きました。早い祭りは10月には始まり、今回で今年の山形県内の新そば祭りのフィナーレになるようです。
たくさんのそば打ち名人さん、職人さんたちがそばを打っていました。
会場となったのは畳敷きにした教室で、廊下との間の窓ガラスがすりガラスになっていますが、一番上の1枚が通しガラスになっており、昔の学校の作りになっています。
私は2枚食べましたが、新そばの美味しいそばでした。仙人は1枚でやめておくと1枚しか食べませんでしたが、もう一枚食べれば良かったと、いつもの後悔先きに立たずでした。
美味しいそばに満足して滝野交流館を後にし、仙人お待ちかねのコーヒータイムの場所へと向かいました。
車道行き止まりの林道を辛うじて走り抜け、くぐり滝を見ることができました。ここからは、舗装された道路を国道348号に向かって走りました。
一旦、国道に出て白鷹トンネルの手前から右折して、旧国道348号に入りました。
白鷹山表参道との分かれ道を左に入ります。途中、ボロボロになった標識が旧国道348号であることを表示しています。
旧国道348号の最高標高点である小滝越に通行止めの看板があり、逆戻りすることにしました。
止む無く、白鷹トンネルをくぐり、小滝越を越えられなかった旧道との交差点まで新しい国道を下って行きました。
ここからは、白鷹町滝野地区を旧道沿いに下って行きました。
そして、新そば祭り会場になっている旧白鷹町立滝野小学校である白鷹町滝野交流館に到着しました。
到着予定時刻を祭り開始時刻の11時に設定していましたが、遅山仙人が寝坊してスタートが20分遅れましたが11時30分に到着したので、ほぼ、予想通りの所要時間となりました。
最初にそば会場に行かずに産直売り場に向かいました。妻からは地域の特産的な伝統野菜があれば買ってくるように指示されていました。
「そばには やっぱり からし大根」 からし大根買いました。からし大根は水分が少なく、すりおろして、冷凍保存しておきました。赤カブも買いました。
今年は天然きのこ、原木栽培きのこが不作です。天然のムキタケが500円で売っていました。帰って重さを測ったら1.1kgありました。からし大根で妻と食べました。
自分で作ったあんこが無くなったので、小豆が300g250円と安かったの買いました。仙人は大きな大根1本100円とムキタケ1袋を買い、近所の叔母の所にお土産と称して持ってき、チャッカリ、叔母に料理してもらいました。
荷物をバイクに積み込み、再度、そば会場へ戻りました。
ざるそば1枚600円を2枚買いました。
そば券に印字されて番号を呼ばれるまで約30分廊下で待ちました。
新そばの時期は、山形県内のいたる所で新そば祭りが行われます。昨年は、最上町の赤倉温泉の新そば祭りに行きました。早い祭りは10月には始まり、今回で今年の山形県内の新そば祭りのフィナーレになるようです。
たくさんのそば打ち名人さん、職人さんたちがそばを打っていました。
会場となったのは畳敷きにした教室で、廊下との間の窓ガラスがすりガラスになっていますが、一番上の1枚が通しガラスになっており、昔の学校の作りになっています。
私は2枚食べましたが、新そばの美味しいそばでした。仙人は1枚でやめておくと1枚しか食べませんでしたが、もう一枚食べれば良かったと、いつもの後悔先きに立たずでした。
美味しいそばに満足して滝野交流館を後にし、仙人お待ちかねのコーヒータイムの場所へと向かいました。