2018年06月

2018年06月24日

牡鹿半島 後山荘チェックイン編









宿は小渕浜の後山荘(あとやまそう)です。

天気が晴れるのをギリギリまで待って19日火曜日の夜に民宿の予約を入れました。石巻出身の恋人に紹介してもらった”めぐろ”という民宿はネットでも評判が良かったのですが、電話を入れたら女将さんの携帯電話につながりました。留守にしているので予約状況を確認して明日電話をくれるというご返事でしたが、この時点で縁が無かったと思い、お断りました。

その後、何軒も掛けましたが、休みだとか予約で一杯だとか言われました。牡鹿半島の民宿に片っ端から電話を掛けて、半ば諦めかけた最後に電話したのが、この”後山荘”です。

ここの女将さんの話によると、最近、1人、2人の客は泊めない傾向にあるそうです。また、不定期に休みを取っているとのことでした。

民宿経営も大変のようです。多くの民宿が震災で津波の被害にあい多額の借金を抱えているようです。
復旧工事が盛んなころは多くの工事関係者が泊り、民宿もにぎわい、予約を取るのが難しいと聞いていました。
復旧工事も落ち着き、平日の客はめっきり減ったのが実態のようです。

43年前の女子高生も女将さんも言っていましたが伊達政宗が作らせたサン・ファン・バウティスタ号の復元船も老朽化で解体の憂き目にあっているそうです。金華山行きの船も日曜日しか運航されておらず、その他は目立った観光地が無く、民宿の経営は大変だと言っていました。

復興支援という美名のもとに被災地に金を落とすという支援が盛んにおこなわれてきました。復興の道のりは、まだまだ厳しいものがあります。一時的なものではなく、末永く、そして平日に行うからこそ効果があるのだとつくづく感じてきました。

牡鹿半島 多賀城~御番所公園編



























国道45号を北上し、松島から奥松島パークラインに入りました。ここから先は至る所で震災の復旧工事が行われていました。
矢本町を経由して石巻市に入り、コバルトラインを目指すため、万石浦を右手に走り、女川に向かいました。

コバルトラインは41年ぶりです。職場の旅行で金華山に行って以来です。コバルトラインはバイクには最高のワインディングロードです。一旦、女川から登ってしまえば、アップダインが比較的少なく、リトルカブでもコーナリングの面白さが十分堪能できます。

そして、最高の圧巻は牡鹿半島突端にある御番所公園からの眺望です。金華山を見るのも41年ぶりです。
43年前の女子高生によると「御番所公園少し手前に金華山黄金山神社の一ノ鳥居。金華山は明治時代以前は女人禁制の島で、女性はこの鳥居から参拝したらしいのです。見つけられましたか?」とメッセージが入っていましたが、気が付きませんでした。また、石巻出身の恋人も、自分のお婆ちゃんが御番所公園から金華山を拝むだけでご利益があると言って、この場所に来ていたそうです。
海から登る朝日と海に沈む夕日が見られる場所のようです。夕日を見ようとすると、今夜の宿に着くのが遅くなるので、17時前に民宿のある小渕浜に向かいました。

牡鹿半島 山形~多賀城編

2018年6月21日

























かねてから、牡鹿半島に泊りがけで行こうと遅山仙人と約束していたツーリングを実行する日が来ました。

21日朝7時、集合場所の唐松観音初代鍋太郎前を出発し、笹谷峠を越えました。

最初に向かったのは定義如来で有名な三角油揚げのお店。9時ごろ着いたので観光客はほとんどいませんでした。その後、七北田ダムから宮床へ。伊達家由来の宮床ですが、ちょっとだけ寄り道して、お庭を見学。大和町を経由して大郷町の道の駅で休憩。

松島の町の中をショートカットして国道45号へ抜け、昼食場所である多賀城市の和食の小島に向かいました。
ここでは、3年間、一度も同じ組にならなかったにも関わらず、昨年の還暦同窓会以来、親しくしていただいている 〇十年前の女子高生と待ち合わせ。

普段、食べる機会のない回らない寿司をいただきました。忘れかけていた握り寿司本来の美味しさを思い出しました。

話題のネタに卒業アルバムを持っていったのですが、震災時に無くされたとのこと。彼女と一緒に来られた従業員の方から震災当時の苦労話をお聞きして、改めて、災害の怖さを実感しました。

行きつけの青根温泉や瑞巌寺の落慶法要、サン・ファン・バウティスタ号の老朽化など、たくさんの情報をいただきました。話は尽きませんでしたが、また、お会いできることを楽しみにして、13時半ごろ、おいとまさせてもらいました。

最終目的地である牡鹿半島小渕浜に向かうため45号線を北上しました。

2018年06月11日

オープン ガーデン そら

2018.6.3

いつ書き込んだかわからない手帳のスケジュールに「神尾オープンガーデン 13:00」という殴り書きがあり、気になって愛車リトルカブで山形市内から西蔵王高原に上って行きました。

神尾(かんの)の集落を走って、どこなのかわからないまま北上し、県道に出てみると開けた場所に何台かの車が止まっている場所を見つけて行ってみました。





そこは確かに周りに柵や塀が無いオープン ガーデンでした。

6月から10月の第一日曜日、午後1時から午後4時までの限定公開という新しいタイプのオープンガーデンでした。この季節、オープンガーデンといえば蔵王ペンション村のオープンガーデンが有名ですが、比較的市街地から近いところでのオープンガーデンは山形市内では珍しいです。











































高原野菜の農地が広がる西蔵王高原の中に、オープンガーデンという存在は面白い試みだと思います。

これから、どんどん手を入れて、個性的な庭づくりをされるのでしょう。

何人かのお客さんが見に来ていましたが、オーナーさんらしき方は誰なのか、わからずじまいでした。

毎月、どのように変化していくのか、楽しみにして、また、リトルカブで出かけることにします。

2018年06月10日

林道ダブル走行 摺上川ダム愛宕神社~上山編









摺上川ダムの管理事務所から少し行って右側に愛宕神社があり、そこの四阿(あずまや)でコーヒータイムとしました。

私のツーリングのベースは登山です。遅山仙人は山仲間の一人です。バイクを乗らなければ、登山靴に履きかえると、いつでも登山ができる状態です。装備品は登山用品です。

ガスバーナーでアルマイトのやかんのお湯を沸かし、レギュラーコーヒーを飲むのが当たり前です。このアルマイトのやかんが便利なのです。最近、努めてカップラーメンは食べなくなりましたが、お湯を注ぐのは細い口があるアルマイトのやかんがベストです。もちろん、レギュラーコーヒーには欠かせないものです。

南蔵王林道の県境付近で少しだけ取ったタケノコを焼いて、コーヒーのお茶受けにしました。本当はアルコールでいただきたいところですが、そこは我慢して、生みそで食べるタケノコは格別です。

この場所は水場があり、キャンプができるねと遅山仙人が言っていましたが、山登りがベースにあるので、すぐにそういう発想になります。





1時間ほど休憩をし、四方山話に花を咲かせ、次回、泊りで宮城県の牡鹿半島に行くこと、登山は山形神室か御所山(船形山)で話がまとまりました。帰りは、通い慣れたる国道399号を走りました。この道路は私が一番好きな道路です。新録、紅葉ともに楽しませてくれるコースです。

国道399号は福島県福島市から宮城県七ヶ宿町に入り、県境の鳩峯高原(はとみねこうげん)を越えて山形県高畠町に入ります。毎年、山形県側が災害復旧工事で走ることができません。このため、仙台藩の足軽の集落で知られる稲子(いなご)から稲子峠を越えて国道113号線に抜けていきます。稲子は限界集落で現在は一人しか住んでいません。このツアーで走ってきた上山市の古屋敷、萱平とも廃村になってしまいました。日本中に人が住まなくなった集落が無数に増えています。





稲子峠を越える前に猿の群れに出会いました。このルートを走ると必ず猿に出会います。国道113号との交差点には鳩峯高原から山形県側は通行止めであることの看板が立っていました。



本来なら七ヶ宿町湯原(ゆのはら)を過ぎて、国道113号から右折して金山峠に向かいますが、ここも山形県側が災害復旧工事で通行できません。金山峠は山形市から福島市に抜けるための地図上の最短コースの一つです。ここが通れないのは、原付にとっては痛いです。

基本、1桁国道、2桁国道は走らいないことにしています。これらは国土交通省が管理する重要路線の国道なので交通量が多く、走る気がしません。それ以外の3桁国道(例外は112号)は都道府県や政令指定都市が国から管理費の一部を地方交付税として貰って管理する、実質的な都道府県市道なのです。狭かったり路面が荒れて車も走れない国道を酷道と非難する向きもありますが、様々な経緯があり地方公共団体が管理する道路では限界があるのです。

金山峠が通れないので、仕方なく、二井宿トンネルをくぐって高畠町二井宿に出ました。二井宿の少し前で32℃の表示を見て、忘れていた暑さを思い出しました。

二井宿から柏木峠を越えて上山市に向かいました。

途中、上山市須田板にある亡くなった山仲間の墓にお参りをしてきました。この山仲間は、昔、モトクロスの県チャンピオンだった人で機動隊の指導員やモトクロス場の経営やスポーツランド菅生の競技役員をしていたバリバリのライダーでした。私にツーリングの面白みを教えてくれた恩人です。

今日、一緒に行った遅山仙人とともに山や川、キャンプなどで散々遊び回った山仲間です。今生きていれば70歳、まだまだ遊べる年齢ですが、60代前半で逝ってしまいました。

今日は同行した遅山仙人は大変お疲れーモードで、今晩はぐっすり眠れると言って別れました。

本日は140kmの走行で、酒田市までの片道分しかありませんが、半分は林道2本分の走行でさすがに体力を使いました。