2018年07月18日

岩根沢 丸山薫記念館編

2018.5.4ツーリング

岩根沢のもう一つの名所・丸山薫記念館。

ここは、昭和の詩人・丸山薫が戦争の疎開先として岩根沢国民学校で教鞭をとっていた頃の資料や詩人として活躍された著書などがたくさん展示してあります。小さな建物と思いましたが、収蔵資料の多さには驚かされました。一見の価値があります。

200円の入館料に緑茶、凍豆腐とニシンの煮つけ、油コゴミのお浸しを出していただきました。

遅山仙人の先祖が近くの西川町本道寺や大井沢であることで記念館の女性職員と話が弾み、いろいろなことを教えていただきました。

また、宿坊で出していた「六浄とうふ」は硬くて味が無く、あまり美味しいものではないと地元の出身である女性職員が言っていました。

岩根沢は雪が無い時は良い場所ですが、一旦、雪が降ると雪下ろしと雪片付けで疲弊する毎日で、若者がいなくなってしまったそうです。

岩根沢に限ったことではありませんが、このままでは日本の農村は急激に消滅していくのでしょうか。





































































岩根沢 岩根沢三山神社編

2018.5.4ツーリング

ゴールデンウィーク後半2日目、今日は雨ふり加減で気温も上がりませんでしたが、遅山仙人と西川町岩根沢に出かけました。以前から行ってみたかった場所です。

昔、村山地方から月山への登山口として岩根沢三山神社(国重文)の信仰も厚く、門前に宿坊が30軒以上軒を並べていたそうです。

しかし、寒河江ダムの建設とともに国道112号の整備が進み、月山登山は志津口に客を奪われてしまい、岩根沢はすっかり寂れてしまいました。



















2018年07月17日

四ケ村の棚田 番外 次年子放牧場編

2018.7.13ツーリング

遅山仙人が次年子を走る県道のどこかで「牧場」の看板を見かけたというので、次年子放牧場へ寄り道しました。途中、たくさんの観光ワラビ園がありましたが、牧場に向かう交差点から先は牧場があるという雰囲気が感じられないまま、牧場の建物だったと思われる場所までたどり着きました。

放牧場は全くの荒れ放題。昨年走った、大蔵村塩地区から戸沢村上野地区に向かう農免道路沿いにあった最上川高原ゴルフ倶楽部のような状態でした。遅山仙人はこういう状況を見ると、いつも、勿体ないを連発するのですが、そんなに勿体ないのなら自分で管理したらと突き放すと黙ってしまいます。

乳牛による酪農は戦後日本に入ってきた新しい産業です。あえて産業と言うのは、アメリカからの飼料を輸入しなければならないという産業構造の上に成り立ってきたからです。牛乳も戦後入ってきて一般化したものです。元々、日本人の消化酵素に牛乳を分解しする酵素が無かったので、それまで牛乳は一般的ではなかったのかもしれません。

逆の例を言えば、ワカメや昆布は日本人が持つ消化酵素で長年栄養として取り入れてきました。他国の人々にとってはワカメや昆布は海の雑草でしかないのです。

少子化で人口が減りゆく日本では歴史の浅い産業は衰退の憂き目にあうかもしれません。ということを遅山仙人に言って聞かせたのです。遅山仙人は中学で社会科の教鞭を取っていた人間ですが、実学には、からっきし弱いのです。















四ケ村の棚田 番外 永松林道編

2018.7.13ツーリング

十分一峠から、すぐ左に入る林道があります。ここは、永松鉱山があった銅山川に向かう林道ですが、通行止めのバリケードが置いてあります。見るからには、簡易的な物に見えたのですが、遅山仙人は永松林道に入れないことを悔しがっていました。

渓流釣りの達人・遅山仙人によると銅山川上流や支流には大物がいるそうです。車がダメなら、二輪や歩いて行ったらどうかと尋ねましたが、彼は苦労して穴場まで行くつもりは全くなく、ただただ、自家用車で行けないことを嘆いているばかりでした。

体力がなくなるとカブも乗れなくなると、彼には口酸っぱく言ってきたのですが、自分で体力作りすることは無く、最近は登山も儘ならなくなりました。





四ケ村の棚田 番外 幸生銅山編

2018.7.13ツーリング

昔、寒河江市幸生~十分一峠までの国道458号(旧県道新庄大江線)の途中に幸生銅山がありました。山仲間の遅山仙人は一人では走りたくないコースだと言います。

同じサークルの山仲間(多分、高齢のため亡くなられたと思います)がこの銅山で責任者として働き、多くの旧朝鮮人労働者を働かせていたそうです。夏服で連れて来て、冬も同じ服で働かせたそうです。

旧朝鮮人を騙して日本に連れて来て、強制労働で銅山に働かせ多くの罪もない人々が亡くなりました。その墓がたくさん残っています。

彼は、日本が北朝鮮に拉致問題の解決を迫っていることを筋違いと言います。数の単位が違うと言います。

日本人が決して忘れてはならない、もっと反省すべき歴史です。