2020年09月19日
初めて土湯トンネルを潜る
2020.9.15
国道115号沿いのそば処ふじ田で昼食を終えた後、福島市内へ出るため、土湯トンネルをめざしました。
いつもなら、桧原湖から秋元湖や磐梯山を眺めながら磐梯吾妻レイクラインを走り、一旦、国道115号に合流した後、土湯トンネルに入らずに旧道を上って磐梯吾妻スカイラインを北上するパターンでした。
昨年は、喜多方のあべ食堂で朝ラーメンを食べ、裏磐梯を横切り、旧道をそのまま走って土湯温泉に下りて、陸上自衛隊福島駐屯地近くのそば処彩で昼食としました。
土湯トンネルは昨年の喜多方に向かう国道121号大峠トンネルより短いというものの、かなり距離感を感じました。照明や壁の色、登り勾配が圧迫感や閉塞感を感じさせたのかもしれません。
それでも、平日が故に交通量も少ないせいか、追い越す車もなく、トンネル出口付近で工事をして交互通行していて、タイミングが良かったのか、対向車もなく、あまり緊張感がないままにトンネルを抜けてしまいました。
土湯トンネルを抜けると、とても眺めが良く、眼下に福島市街地が広がり、市街地の真ん中にある信夫山の黒い塊が特徴的でした。
トンネルをいくつか抜けた後、遅山仙人御所望の道の駅に立ち寄りました。
私たちが道の駅に入る直前にハーレーのサイドカーに抜かれ、そのまま道の駅に入りました。
ハーレーのオーナーは仙人より年上の方と思われました。実は、そば処ふじ田でサイドカーの話題になっていました。
山仲間S氏に「苔生したスーパーカブ」と酷評されたにもかかわらず、ハーレーのようにピカピカにする気は毛頭ありません。
この道の駅は、二本松に抜ける国道459号の立体交差点にあり、小さなお店でした。仙人はたくさん入って200円というキュウリを見つけ喜んでいましたが、多すぎると悩んでいました。近所に住んでいる叔母や従姉にお土産に持って行けばとアドバイスしたのですが、気が利きません。結局、小さな袋のキュウリを買っていきました。
国道115号沿いのそば処ふじ田で昼食を終えた後、福島市内へ出るため、土湯トンネルをめざしました。
いつもなら、桧原湖から秋元湖や磐梯山を眺めながら磐梯吾妻レイクラインを走り、一旦、国道115号に合流した後、土湯トンネルに入らずに旧道を上って磐梯吾妻スカイラインを北上するパターンでした。
昨年は、喜多方のあべ食堂で朝ラーメンを食べ、裏磐梯を横切り、旧道をそのまま走って土湯温泉に下りて、陸上自衛隊福島駐屯地近くのそば処彩で昼食としました。
土湯トンネルは昨年の喜多方に向かう国道121号大峠トンネルより短いというものの、かなり距離感を感じました。照明や壁の色、登り勾配が圧迫感や閉塞感を感じさせたのかもしれません。
それでも、平日が故に交通量も少ないせいか、追い越す車もなく、トンネル出口付近で工事をして交互通行していて、タイミングが良かったのか、対向車もなく、あまり緊張感がないままにトンネルを抜けてしまいました。
土湯トンネルを抜けると、とても眺めが良く、眼下に福島市街地が広がり、市街地の真ん中にある信夫山の黒い塊が特徴的でした。
トンネルをいくつか抜けた後、遅山仙人御所望の道の駅に立ち寄りました。
私たちが道の駅に入る直前にハーレーのサイドカーに抜かれ、そのまま道の駅に入りました。
ハーレーのオーナーは仙人より年上の方と思われました。実は、そば処ふじ田でサイドカーの話題になっていました。
山仲間S氏に「苔生したスーパーカブ」と酷評されたにもかかわらず、ハーレーのようにピカピカにする気は毛頭ありません。
この道の駅は、二本松に抜ける国道459号の立体交差点にあり、小さなお店でした。仙人はたくさん入って200円というキュウリを見つけ喜んでいましたが、多すぎると悩んでいました。近所に住んでいる叔母や従姉にお土産に持って行けばとアドバイスしたのですが、気が利きません。結局、小さな袋のキュウリを買っていきました。
ここからは土湯温泉に下り、国道115号からフルーツラインに入りました。途中、スカイラインから下りてきた道路との交差点にあるガソリンスタンドで給油しました。
3年前、仙人のカブがパンクしてカブを途中の民家に預けてバスで帰ることになり福島駅行きに乗車しました。民家の御主人の計らいで状況は急転し、運よくバイク屋で修理できた後に、このスタンドで給油し、一人仙人が迷走して微温湯(ぬるゆ)温泉に行ってしまったという曰く付きのスタンドです。
当時は暗くなり、このスタンドで山形方面を訊ねたのですが、全く見当違いの山の中を目指してしまいました。仙人の頭の中では飯坂温泉をイメージしたようです。途中何度も民家を訪ねて山形方面を訊ねたようですが、明快な回答が得られず、北上すべきところを南下し、道路標識も確認しないでイチかバチかで山の中に入ったようです。
曰くつきのガソリンスタンドで給油しましたが、150km走行で、私のリトルカブは1.8リットル、仙人のスーパーカブは2.8リットルの給油でした。明らかに仙人の燃費が落ちていますが、後ろのボックスが重くて燃費が落ちていることを認めません。
このガソリンスタンドからフルーツラインに戻り、飯坂温泉をめざしました。
3年前、仙人のカブがパンクしてカブを途中の民家に預けてバスで帰ることになり福島駅行きに乗車しました。民家の御主人の計らいで状況は急転し、運よくバイク屋で修理できた後に、このスタンドで給油し、一人仙人が迷走して微温湯(ぬるゆ)温泉に行ってしまったという曰く付きのスタンドです。
当時は暗くなり、このスタンドで山形方面を訊ねたのですが、全く見当違いの山の中を目指してしまいました。仙人の頭の中では飯坂温泉をイメージしたようです。途中何度も民家を訪ねて山形方面を訊ねたようですが、明快な回答が得られず、北上すべきところを南下し、道路標識も確認しないでイチかバチかで山の中に入ったようです。
曰くつきのガソリンスタンドで給油しましたが、150km走行で、私のリトルカブは1.8リットル、仙人のスーパーカブは2.8リットルの給油でした。明らかに仙人の燃費が落ちていますが、後ろのボックスが重くて燃費が落ちていることを認めません。
このガソリンスタンドからフルーツラインに戻り、飯坂温泉をめざしました。
2020年09月18日
昼はどこにする?
2020.9.15
裏磐梯物産館の道路を挟んだ真向かいにバス停がありました。11時52分発のバスに乗り、ビジターセンターに向かいました。私たちの他にも数人の客が乗車しました。
無事にバイクを置いている場所に戻りました。
さて、昼食はどこにするという話題になりました。遅山仙人が周辺に食べるところが一杯あるだろうと言い出しました、そこに、山仲間S氏が観光地にありがちな、そこそこの食堂しかないだろうと釘を刺しました。
S氏は仙人が遠出をすると蕎麦を食べたがっていることを見抜いていました。そこで、私から国道115号沿いにある蕎麦屋さんを提案しました。
本来なら、ここから磐梯吾妻レイクラインを走り、土湯峠に向かうのですが、レイクライン沿いには適当な蕎麦屋さんを見つけられませんでした。
そこで、国道459号を猪苗代湖方面に南下した後、国道115号に合流して土湯峠に向かう途中にある蕎麦屋さんを検索しておいたのです。
115号沿いには何軒かの蕎麦屋さんがあるようなのですが、帰り道で比較的近いそば処ふじ田の場所をS氏に伝えて駐車場を後にしました。20分足らずで蕎麦屋さんに到着しました。
昼12時を過ぎていましたが、平日が故にか、混雑もせずに奥のテーブルに座ることができました。
最初にS氏が、ぶっかけそばをオーダーしました。S氏は以前、信州でぶっかけそばを食べて、美味しくて感動したそうです。山形県内ではあまり見かけないメニューです。
あえて、次に仙人に尋ねました。もちろん、答えられません。私が何を注文するのか気になってしょうがないのです。このシチュエーションをS氏は理解していました。
私が天ぷらそばを注文すると仙人も同じものを頼みました。
このお店は天ぷらがとても美味しかったです。揚げ具合はもちろんなのですが、特に、上のぶっかけそばで見えるように大きなカボチャの天ぷらが美味しかったです。
もちろん、下の天ぷらそばも他の天ぷらに隠れたカボチャの天ぷらが載っていました。カボチャの煮物や卵焼きが美味しかったです。
肝心な蕎麦ですが、あまり蕎麦の香りはしませんでした。蕎麦の端境期ではあるものの、一年中香りの高い蕎麦が食べられる店はたくさんあります。コシやのど越しは手打ちの特徴が出ていると思います。
天ぷらに圧倒されて蕎麦の影が薄くなったと言っても過言ではないような気がします。
S氏は、ぶっかけそばに満足していました。
店の人が言っていましたが、私たちが注文した天ぷらそばとぶっかけそばが、この店の一、二位を争うメニューだそうで納得しました。
S氏とは、ここで別れました。私たちは国道115号を北上し、今回は土湯峠には登らずに、初めて土湯トンネルを潜ることにしました。
裏磐梯物産館の道路を挟んだ真向かいにバス停がありました。11時52分発のバスに乗り、ビジターセンターに向かいました。私たちの他にも数人の客が乗車しました。
無事にバイクを置いている場所に戻りました。
さて、昼食はどこにするという話題になりました。遅山仙人が周辺に食べるところが一杯あるだろうと言い出しました、そこに、山仲間S氏が観光地にありがちな、そこそこの食堂しかないだろうと釘を刺しました。
S氏は仙人が遠出をすると蕎麦を食べたがっていることを見抜いていました。そこで、私から国道115号沿いにある蕎麦屋さんを提案しました。
本来なら、ここから磐梯吾妻レイクラインを走り、土湯峠に向かうのですが、レイクライン沿いには適当な蕎麦屋さんを見つけられませんでした。
そこで、国道459号を猪苗代湖方面に南下した後、国道115号に合流して土湯峠に向かう途中にある蕎麦屋さんを検索しておいたのです。
115号沿いには何軒かの蕎麦屋さんがあるようなのですが、帰り道で比較的近いそば処ふじ田の場所をS氏に伝えて駐車場を後にしました。20分足らずで蕎麦屋さんに到着しました。
昼12時を過ぎていましたが、平日が故にか、混雑もせずに奥のテーブルに座ることができました。
最初にS氏が、ぶっかけそばをオーダーしました。S氏は以前、信州でぶっかけそばを食べて、美味しくて感動したそうです。山形県内ではあまり見かけないメニューです。
あえて、次に仙人に尋ねました。もちろん、答えられません。私が何を注文するのか気になってしょうがないのです。このシチュエーションをS氏は理解していました。
私が天ぷらそばを注文すると仙人も同じものを頼みました。
このお店は天ぷらがとても美味しかったです。揚げ具合はもちろんなのですが、特に、上のぶっかけそばで見えるように大きなカボチャの天ぷらが美味しかったです。
もちろん、下の天ぷらそばも他の天ぷらに隠れたカボチャの天ぷらが載っていました。カボチャの煮物や卵焼きが美味しかったです。
肝心な蕎麦ですが、あまり蕎麦の香りはしませんでした。蕎麦の端境期ではあるものの、一年中香りの高い蕎麦が食べられる店はたくさんあります。コシやのど越しは手打ちの特徴が出ていると思います。
天ぷらに圧倒されて蕎麦の影が薄くなったと言っても過言ではないような気がします。
S氏は、ぶっかけそばに満足していました。
店の人が言っていましたが、私たちが注文した天ぷらそばとぶっかけそばが、この店の一、二位を争うメニューだそうで納得しました。
S氏とは、ここで別れました。私たちは国道115号を北上し、今回は土湯峠には登らずに、初めて土湯トンネルを潜ることにしました。
2020年09月17日
五色沼を散策する
2020.9.15
裏磐梯ビジターセンターには予定時刻の5分前、8時25分に到着しました。と同時に、山仲間S氏もマイカーで到着しました。
突然のS氏の登場に遅山仙人もビックリしていましたが、仙人には内緒でS氏に散策を誘っておいたのでした。9時集合にしていましたが、30分前に全員集合となりました。
それでも、S氏が言うには、白布温泉からの上りで他県ナンバーのRAV4が時速30kmで走り、カーブでは必ずブレーキをかけるのでタイムロスをしたそうです。
裏磐梯ビジターセンターは休館日でした。前もってネットで調べてわかっていましたが、かえって良かったと思います。というのも、パンフレットコレクターである仙人の御眼鏡に適ってパンフレットをもらいまくり、ただでさえ重くなった後ろのBOXが今回はさらに重くならずに済んだからです。
ビジターセンターは全国にある国立公園の案内所的役割で環境省が設置したものです。本来、環境省の正職員が直営で運営していくべきものですが、地域密着とか人件費削減という美名の下に、ほとんどの施設が民営化されている公設民営の施設です。
ここは磐梯朝日国立公園に3か所あるビジターセンターの一つになります。
ビジターセンターの駐車場にカブと車を置いて、散策に出かけました。
どこにでもありがちな有名観光地の入り口にある土産店から入るとすぐに毘沙門沼になります。平日でしたが、土産物店の駐車場には観光バスやマイカーが10台前後入っていました。ここまでは、我々のスーパーカブも来ることができるのですが、帰りに路線バスで戻ってくることを考え、ビジターセンターの駐車場に置くことにしたのです。
仙人はここに来たことがあったようです。自分が、子供のころ町内の子供会の行事で五色沼というところに来た記憶があるのですが、大人になってから地図で五色沼を探すと一切経山の北側にある五色沼しか出てこないと言うのです。
子供の足で磐梯吾妻スカイラインの浄土平から一切経山まで登れるはずもなく、今まで仙人が持っていた地図には裏磐梯湖沼群の五色沼散策路が載っていませんでした。
そうして、長年懸案になっていた、子供のころに来た五色沼に再会することができたのです。
同行したS氏も五色沼には思い出があるようでした。東京にある大手IT企業に就職した時に、社内旅行で五色沼に来たことがあるそうです。その当時は、五色沼の散策路には毘沙門沼のそばにモミジの木が一本だけあって、他にはモミジの木が無かったそうです。
彼によると、爆裂火山である磐梯山が山体崩壊してできたのが現在の裏磐梯の湖沼群であり、最初は樹木が無い荒れ野だった所を篤志家が植樹した人工林であるとのこと。
国立公園の特別保護区に指定されているので、草木はもちろん落ちている石一つ持ち帰ることはできないのです。特別保護区というと超自然というイメージがありますが、人工林だと言われるとテンションが下がる人もいるかもしれません。
その中に最初に植えたモミジがこの毘沙門沼にあると言うのですが、この日は特定できませんでした。
途中、木道が整備されているとこともあり、歩きやすい散策路でした。でも、ハイヒールは無理でしょう。
ハイヒールで思い出しました。蔵王連峰熊野岳山頂付近で休憩していると、蔵王ロープウエイの山頂駅がある地蔵岳方面から白い二つの人影が近づいてきました。
それは若い男女で、男性は白いスーツに革靴、手にはスーツケース。女性は白いワンピースに白いハイヒールでした。
ビックリ仰天でした。よくよく聞くと新婚旅行で蔵王温泉に泊まり、何を勘違いしたのか、蔵王のお釜を見て刈田岳に行くというのです。同じ年頃だった山仲間たちも何も言えずに感心するばかりでしたが、一番感動したのは当時のハイヒールがいかに丈夫だったかということです。
毘沙門沼には大きくて美味そうな鯉がたくさん泳いでいました。普通なら、「まあ!きれい」となるのでしょうが、私にとっては食の対象でしかないので鯉のあらいや甘露煮にして食べたいというイメージが沸いてしまいます。
マユミが色付いていました。
全体的に散策路はきれいに整備されていました。
私も30年以上前に五色沼に来たことがあります。懇意にしていた学校の校長と同級生と3人でケンメリのスカイラインハードトップに乗り、2泊3日の予定で尾瀬沼に行った帰り、五色沼に立ち寄り、散策をしたことがあります。この時の思い出は、こんなに木が鬱蒼と茂っていた記憶がありません。
写真は人が写っていませんが、時々、散策している人を見かけました。平日なので、観光客も少ないのでしょうが、その代わり、小学生、中学生の集団に遭遇しました。ソーシャルディスタンスを守る呼びかける看板は所々にあるものの、子供たちに、それを守らせるのは至難の業です。
るり沼(写真上)に着いた時に、中学生たちが「るり沼って何色?」と議論していました。「瑠璃色だよ」と合の手を入れると「るり色って何色?」と返してきたので、すかさず「瑠璃色だ」と投げ返しました。
沼の水の色を記録させていたのかもしれません。紫と青の中間色は教科書に載っていないのです。こんな時は、子供たちはどんな表現方法を取るのでしょう。
るり沼は写真のとおり、手前にアシが茂り、湖面に映るはずの磐梯山を見ることができません。S氏が残念がっていました。るり沼に限ったことではなく、せっかくの良いシチュエーションがアシが生えているために、ちょっと残念だなと思われる場所がたくさんありました。特別保護区なので仕方がありませんが、ボートの営業を許可するぐらいなら、もう少し、見栄えを良くするために手を入れてもいいのではないか思いました。
青沼でコーヒータイムとしました。いつものようにアルマイトのやかんでお湯を沸かし、フレンチプレスでコーヒーを出しました。
散策路には2か所、人の往来をカウントするセンサーが立っていました。
いい加減な主催者発表の人出より、よっぽど正確な数字が記録できます。
裏磐梯物産館に到着したのが11時15分過ぎでした。歩き始めてから休憩を入れて約2時間30分でした。普通は1時間30分のコースですが、仙人に合わせてきたので、これぐらいかかりました。
まだ、たいした歳でもない仙人ですが、400m徒競走の山形県レコードを塗り替えたアスリートとはとても思えないぐらい、体力も気力も老化してしまいました。
バスの時間を待っている間、リクライニングする椅子に身をゆだねていました。
次のバスが11時52分だったので、それまで小休止としました。
裏磐梯ビジターセンターには予定時刻の5分前、8時25分に到着しました。と同時に、山仲間S氏もマイカーで到着しました。
突然のS氏の登場に遅山仙人もビックリしていましたが、仙人には内緒でS氏に散策を誘っておいたのでした。9時集合にしていましたが、30分前に全員集合となりました。
それでも、S氏が言うには、白布温泉からの上りで他県ナンバーのRAV4が時速30kmで走り、カーブでは必ずブレーキをかけるのでタイムロスをしたそうです。
裏磐梯ビジターセンターは休館日でした。前もってネットで調べてわかっていましたが、かえって良かったと思います。というのも、パンフレットコレクターである仙人の御眼鏡に適ってパンフレットをもらいまくり、ただでさえ重くなった後ろのBOXが今回はさらに重くならずに済んだからです。
ビジターセンターは全国にある国立公園の案内所的役割で環境省が設置したものです。本来、環境省の正職員が直営で運営していくべきものですが、地域密着とか人件費削減という美名の下に、ほとんどの施設が民営化されている公設民営の施設です。
ここは磐梯朝日国立公園に3か所あるビジターセンターの一つになります。
ビジターセンターの駐車場にカブと車を置いて、散策に出かけました。
どこにでもありがちな有名観光地の入り口にある土産店から入るとすぐに毘沙門沼になります。平日でしたが、土産物店の駐車場には観光バスやマイカーが10台前後入っていました。ここまでは、我々のスーパーカブも来ることができるのですが、帰りに路線バスで戻ってくることを考え、ビジターセンターの駐車場に置くことにしたのです。
仙人はここに来たことがあったようです。自分が、子供のころ町内の子供会の行事で五色沼というところに来た記憶があるのですが、大人になってから地図で五色沼を探すと一切経山の北側にある五色沼しか出てこないと言うのです。
子供の足で磐梯吾妻スカイラインの浄土平から一切経山まで登れるはずもなく、今まで仙人が持っていた地図には裏磐梯湖沼群の五色沼散策路が載っていませんでした。
そうして、長年懸案になっていた、子供のころに来た五色沼に再会することができたのです。
同行したS氏も五色沼には思い出があるようでした。東京にある大手IT企業に就職した時に、社内旅行で五色沼に来たことがあるそうです。その当時は、五色沼の散策路には毘沙門沼のそばにモミジの木が一本だけあって、他にはモミジの木が無かったそうです。
彼によると、爆裂火山である磐梯山が山体崩壊してできたのが現在の裏磐梯の湖沼群であり、最初は樹木が無い荒れ野だった所を篤志家が植樹した人工林であるとのこと。
国立公園の特別保護区に指定されているので、草木はもちろん落ちている石一つ持ち帰ることはできないのです。特別保護区というと超自然というイメージがありますが、人工林だと言われるとテンションが下がる人もいるかもしれません。
その中に最初に植えたモミジがこの毘沙門沼にあると言うのですが、この日は特定できませんでした。
途中、木道が整備されているとこともあり、歩きやすい散策路でした。でも、ハイヒールは無理でしょう。
ハイヒールで思い出しました。蔵王連峰熊野岳山頂付近で休憩していると、蔵王ロープウエイの山頂駅がある地蔵岳方面から白い二つの人影が近づいてきました。
それは若い男女で、男性は白いスーツに革靴、手にはスーツケース。女性は白いワンピースに白いハイヒールでした。
ビックリ仰天でした。よくよく聞くと新婚旅行で蔵王温泉に泊まり、何を勘違いしたのか、蔵王のお釜を見て刈田岳に行くというのです。同じ年頃だった山仲間たちも何も言えずに感心するばかりでしたが、一番感動したのは当時のハイヒールがいかに丈夫だったかということです。
毘沙門沼には大きくて美味そうな鯉がたくさん泳いでいました。普通なら、「まあ!きれい」となるのでしょうが、私にとっては食の対象でしかないので鯉のあらいや甘露煮にして食べたいというイメージが沸いてしまいます。
マユミが色付いていました。
私も30年以上前に五色沼に来たことがあります。懇意にしていた学校の校長と同級生と3人でケンメリのスカイラインハードトップに乗り、2泊3日の予定で尾瀬沼に行った帰り、五色沼に立ち寄り、散策をしたことがあります。この時の思い出は、こんなに木が鬱蒼と茂っていた記憶がありません。
写真は人が写っていませんが、時々、散策している人を見かけました。平日なので、観光客も少ないのでしょうが、その代わり、小学生、中学生の集団に遭遇しました。ソーシャルディスタンスを守る呼びかける看板は所々にあるものの、子供たちに、それを守らせるのは至難の業です。
るり沼(写真上)に着いた時に、中学生たちが「るり沼って何色?」と議論していました。「瑠璃色だよ」と合の手を入れると「るり色って何色?」と返してきたので、すかさず「瑠璃色だ」と投げ返しました。
沼の水の色を記録させていたのかもしれません。紫と青の中間色は教科書に載っていないのです。こんな時は、子供たちはどんな表現方法を取るのでしょう。
るり沼は写真のとおり、手前にアシが茂り、湖面に映るはずの磐梯山を見ることができません。S氏が残念がっていました。るり沼に限ったことではなく、せっかくの良いシチュエーションがアシが生えているために、ちょっと残念だなと思われる場所がたくさんありました。特別保護区なので仕方がありませんが、ボートの営業を許可するぐらいなら、もう少し、見栄えを良くするために手を入れてもいいのではないか思いました。
青沼でコーヒータイムとしました。いつものようにアルマイトのやかんでお湯を沸かし、フレンチプレスでコーヒーを出しました。
散策路には2か所、人の往来をカウントするセンサーが立っていました。
いい加減な主催者発表の人出より、よっぽど正確な数字が記録できます。
裏磐梯物産館に到着したのが11時15分過ぎでした。歩き始めてから休憩を入れて約2時間30分でした。普通は1時間30分のコースですが、仙人に合わせてきたので、これぐらいかかりました。
まだ、たいした歳でもない仙人ですが、400m徒競走の山形県レコードを塗り替えたアスリートとはとても思えないぐらい、体力も気力も老化してしまいました。
バスの時間を待っている間、リクライニングする椅子に身をゆだねていました。
次のバスが11時52分だったので、それまで小休止としました。
2020年09月16日
裏磐梯五色沼へ
2020.9.15
「仙人の知らない話題で沸騰」で紹介した裏磐梯五色沼に遅山仙人を連れていくことになりました。
早朝5時出発の予定で、仙人は5分前に現れました。5時ではまだ暗く、若干寒さを感じるのでウインドウブレーカーを着て出発しました。
国道13号をできるだけ走らずに、旧13号を南下し、上山、南陽、高畠、米沢を走り、白布温泉から西吾妻スカイバレーの急登を一気に駆け上がりました。
白布峠に着いたのは7時過ぎ。私の家から福島市内へも2時間ちょうどで、同じ所要時間ですが、距離にすれば福島県境の白布峠の方が長いのです。
五色沼の入り口、裏磐梯ビジターセンターに8時半到着予定だったので、ここからは景色を眺めながら、ゆっくり、走ることにしました。
白布峠手前2kmで追い越した自転車のお兄さんは、あっという間に白布峠で追いつき、私たちを追い越しました。
私は福島県側の下りで、すぐに自転車を追い越しましたが、仙人は自転車を追い越せずに私が待っていた東鉢山七曲りの展望台に到着しました。
ここで大休止としました。ここからの眺めは良く、双眼鏡を出して眼下の早稲沢の集落や桧原湖を見ていると、仙人がこんなところで双眼鏡を見るのかとケチをつけ始めました。
すると自分も双眼鏡を取り出し、今度は自分の双眼鏡にケチをつけ始めました。物が小さいので視界が狭いとか眼鏡をかけているので見えにくいとか言い出しました。
仙人はたくさん双眼鏡を持っているとキャンプの時に言っていました。しかし、今回わかったことですが、仙人は基本的な双眼鏡の使い方を知りませんでした。人は左右の視力が違うので、真ん中のピント調整で左目、右の接眼レンズ調整で右目を調整します。このことを仙人は知りませんでした。
彼は単なるコレクターであることが露呈したのです。
それはさておき、桧原湖の水面にはたくさんのボートが浮かんでいました。バスラーも船を浮かべて釣りを楽しんでいるのでしょう。
所々、開けた場所で小休憩し、双眼鏡で眺めてみました。
相変わらず、仙人は愚痴ばかり。昔、釣りをした話はしますが、今、釣りをした話はしません。以前から、なぜ、私を釣りに連れて行かないのか問答するのですが、まともに答えを返してくれません。
双眼鏡でコレクターであることが露呈したのと同じように、釣り具もコレクターである疑いが出てきました。もしも、私の方が釣りが上手かったら、彼のプライドはどうなることでしょう。
途中、到着予定時刻の8時半までの間、時間稼ぎをしながら、裏磐梯ビジターセンターに向かいました。
「仙人の知らない話題で沸騰」で紹介した裏磐梯五色沼に遅山仙人を連れていくことになりました。
早朝5時出発の予定で、仙人は5分前に現れました。5時ではまだ暗く、若干寒さを感じるのでウインドウブレーカーを着て出発しました。
国道13号をできるだけ走らずに、旧13号を南下し、上山、南陽、高畠、米沢を走り、白布温泉から西吾妻スカイバレーの急登を一気に駆け上がりました。
白布峠に着いたのは7時過ぎ。私の家から福島市内へも2時間ちょうどで、同じ所要時間ですが、距離にすれば福島県境の白布峠の方が長いのです。
五色沼の入り口、裏磐梯ビジターセンターに8時半到着予定だったので、ここからは景色を眺めながら、ゆっくり、走ることにしました。
白布峠手前2kmで追い越した自転車のお兄さんは、あっという間に白布峠で追いつき、私たちを追い越しました。
私は福島県側の下りで、すぐに自転車を追い越しましたが、仙人は自転車を追い越せずに私が待っていた東鉢山七曲りの展望台に到着しました。
ここで大休止としました。ここからの眺めは良く、双眼鏡を出して眼下の早稲沢の集落や桧原湖を見ていると、仙人がこんなところで双眼鏡を見るのかとケチをつけ始めました。
すると自分も双眼鏡を取り出し、今度は自分の双眼鏡にケチをつけ始めました。物が小さいので視界が狭いとか眼鏡をかけているので見えにくいとか言い出しました。
仙人はたくさん双眼鏡を持っているとキャンプの時に言っていました。しかし、今回わかったことですが、仙人は基本的な双眼鏡の使い方を知りませんでした。人は左右の視力が違うので、真ん中のピント調整で左目、右の接眼レンズ調整で右目を調整します。このことを仙人は知りませんでした。
彼は単なるコレクターであることが露呈したのです。
それはさておき、桧原湖の水面にはたくさんのボートが浮かんでいました。バスラーも船を浮かべて釣りを楽しんでいるのでしょう。
所々、開けた場所で小休憩し、双眼鏡で眺めてみました。
相変わらず、仙人は愚痴ばかり。昔、釣りをした話はしますが、今、釣りをした話はしません。以前から、なぜ、私を釣りに連れて行かないのか問答するのですが、まともに答えを返してくれません。
双眼鏡でコレクターであることが露呈したのと同じように、釣り具もコレクターである疑いが出てきました。もしも、私の方が釣りが上手かったら、彼のプライドはどうなることでしょう。
途中、到着予定時刻の8時半までの間、時間稼ぎをしながら、裏磐梯ビジターセンターに向かいました。
2020年09月08日
七年忌にやっぱり遅れてきた仙人
2020.8.30
毎回、遅山仙人をネタに、このブログが成立していると言っても過言ではないのですが、今回もネタとして仙人が登場します。
2020年8月30日は、7年前の8月30日に亡くなった山仲間O氏の七年忌でした。O氏は、モトクロスバイクの元山形県チャンピオンで飯豊本山を日帰りする猛者でした。すい臓がんが見つかり、手遅れでした。医者に全快を強く求めたそうですが、私たち山仲間が知らない内に他界してしまいました。
たくさんの山仲間と一緒にO氏の実家と墓にお参りに行きました。そのきっかけで、仙人暮らしを始めた遅山仙人をシャバに戻そうとバイクツーリングに誘ったのが現在に至っています。
七年忌の8月30日にお墓参りをしようと計画し、O氏の墓地に各自現地集合としました。
山仲間S氏が集合時間の10分前に現れました。仙人はというと、10分が過ぎ、20分が過ぎ、30分過ぎても現れません。想定済みでした。また、どっかで道に迷っているのであろうと二人で話している所に電話がかかってきました。
彼は地元の中学校の周りをぐるぐるカブで回り、地元の人にO氏の苗字の実家と墓地を訊ねたそうです。その地区はO氏の苗字ばかりで、墓地に立っている人物像も苗字だけで訊ねたので、尋ねられた人もチンプンカンプンだったようです。
本当は小学校のそばだったのです。中学校の正門で待つように伝え、迎えに行きました。
30分以上遅れてきた仙人とともに墓の周りきれいにし、ビールの代わりノンアルコールビールと菓子を供え、燈明と線香をあげ、年齢順に仙人からお参りをしました。
続いて、S氏。
最後に私の順でお参りを済ませました。仙人を「遅山(おくれやま)君」と名付けたのはO氏でした。名付け親の七回忌に名実ともに遅れてきた仙人にO氏は喜んでくれたと思っています。
墓参りの後、近くの蕎麦屋に行こうかと最初は話していましたが、私からO氏にちなんだ料理を提供する提案をしました。
O氏の眠る上山の墓地から私の自宅に移動しました。
O氏は、よくブラックバスを釣っていました。現在のようにバス釣りが盛んになる前からボートを使ってたくさん釣っていました。私は彼が釣っている沼に出かけ、釣り上げたバスをもらい、初めて料理をしました。
その日のうちにO氏を自宅に招き、バス料理でもてなしました。
今まで何度も釣って生き締めし、自宅に持って帰り、三枚におろして皮を剥ぎ、冷凍していたものをトマトソースのムニエルにしました。
さらに、庭に植えてあるバジルをふんだんに使ってバジルソースを作り、ジェノベーゼパスタを作りました。植えているゴーヤで酢漬けを作り、付け合せにしました。
夕方まで、O氏の思い出話に花を咲かせて、お斎は終わりました。
毎回、遅山仙人をネタに、このブログが成立していると言っても過言ではないのですが、今回もネタとして仙人が登場します。
2020年8月30日は、7年前の8月30日に亡くなった山仲間O氏の七年忌でした。O氏は、モトクロスバイクの元山形県チャンピオンで飯豊本山を日帰りする猛者でした。すい臓がんが見つかり、手遅れでした。医者に全快を強く求めたそうですが、私たち山仲間が知らない内に他界してしまいました。
たくさんの山仲間と一緒にO氏の実家と墓にお参りに行きました。そのきっかけで、仙人暮らしを始めた遅山仙人をシャバに戻そうとバイクツーリングに誘ったのが現在に至っています。
七年忌の8月30日にお墓参りをしようと計画し、O氏の墓地に各自現地集合としました。
山仲間S氏が集合時間の10分前に現れました。仙人はというと、10分が過ぎ、20分が過ぎ、30分過ぎても現れません。想定済みでした。また、どっかで道に迷っているのであろうと二人で話している所に電話がかかってきました。
彼は地元の中学校の周りをぐるぐるカブで回り、地元の人にO氏の苗字の実家と墓地を訊ねたそうです。その地区はO氏の苗字ばかりで、墓地に立っている人物像も苗字だけで訊ねたので、尋ねられた人もチンプンカンプンだったようです。
本当は小学校のそばだったのです。中学校の正門で待つように伝え、迎えに行きました。
30分以上遅れてきた仙人とともに墓の周りきれいにし、ビールの代わりノンアルコールビールと菓子を供え、燈明と線香をあげ、年齢順に仙人からお参りをしました。
続いて、S氏。
最後に私の順でお参りを済ませました。仙人を「遅山(おくれやま)君」と名付けたのはO氏でした。名付け親の七回忌に名実ともに遅れてきた仙人にO氏は喜んでくれたと思っています。
墓参りの後、近くの蕎麦屋に行こうかと最初は話していましたが、私からO氏にちなんだ料理を提供する提案をしました。
O氏の眠る上山の墓地から私の自宅に移動しました。
O氏は、よくブラックバスを釣っていました。現在のようにバス釣りが盛んになる前からボートを使ってたくさん釣っていました。私は彼が釣っている沼に出かけ、釣り上げたバスをもらい、初めて料理をしました。
その日のうちにO氏を自宅に招き、バス料理でもてなしました。
今まで何度も釣って生き締めし、自宅に持って帰り、三枚におろして皮を剥ぎ、冷凍していたものをトマトソースのムニエルにしました。
さらに、庭に植えてあるバジルをふんだんに使ってバジルソースを作り、ジェノベーゼパスタを作りました。植えているゴーヤで酢漬けを作り、付け合せにしました。
夕方まで、O氏の思い出話に花を咲かせて、お斎は終わりました。