2020年10月11日
2020年10月10日
なぜか、臨時休業
2020.10.2
本懐を遂げた玉川寺を後に、昼食を取るために戸沢村角川(つのかわ)をめざしました。
玉川寺からすぐに出羽三山信仰の一つ、羽黒山に向かう県道に出られます。この道路は途中急こう配でカーブが多いため、現在、バイパス工事が進んでいます。
この県道の最高標高点は、羽黒山出羽三山神社と月山8合目への交差点になっています。この交差点を直進して、庄内町清川へと進みます。
立谷沢川沿いに北上すると最上川と合流する清川の踏切手前で酒田に向かうJR陸羽西線の列車が通過しました。
清川で国道47号に合流し、最上川を左手にしながら、戸沢村古口まで東進します。
途中、スノーシェッド付近の工事が2か所あり、片側交互通行の交通規制がありました。
直前にカローラスポーツのリアによく似たトヨタ86と思しき真っ赤な車が停まっていました。私の世代で買えそうなトヨタのスポーツカーと言えば、2T-GEUというツインカムエンジンを載せたトレノ、レビンでした。
藤原とうふ店の頭文字D(イニシャルD)で有名になった4A-GEUは排ガス規制の前のパワフルなエンジンを載せたハチロク車でした。
途中、ディリーヤマザキ兼ガソリンスタンドで給油しましたが、走行距離180kmで遅山仙人のスーパーカブが2.8リットル、私のリトルカブが2.1リットルでした。
京アニ事件以来、スタンドで給油タンクに詰めてもらうには規制が強くなり、スタンドによっては拒否される場合が多くなりました。
私の場合は、燃費がいいので気にしていませんが、相変わらず、仙人の燃費は悪く、長距離でガソリンスタンドが無い状態では不安が残ります。
昼食場所として考えていた農家そば屋与惣右衛門が臨時休業でした。
やむなく、逆戻りし、三左衛門そばに行きましたが、こちらも臨時休業になっていました。
惣右衛門に行くときに通過しましたが、気が付きませんでした。惣右衛門には「コロナのため臨時休業」の張り紙がありました。
どちらの蕎麦屋さんも県外のお客さんがたくさん来るという有名店ですが、客足が落ちて、平日は休んでいるのかもしれません。
予想外の展開でしたが、舟形町堀内にある蕎麦店重作(しげさく)に向かうことにしました。
ここからは、県道を走って、酷道として全国的に有名な国道458号に出るには遠回りなので、農免道路でショートカットすることにしました。
このルートはNHKこころ旅「長倉の大杉」、山形~長倉入口編で紹介しています。
重作は、大蔵村の「ふるさと味来館」での昼食後、宮城県から来たご夫婦から聞かれて案内した蕎麦屋さんです。ラッキーな昼食で紹介しています。
農免道路沿いには蕎麦畑が広がっていました。休耕田の棚田にも蕎麦が植えられていました。山形市はラーメンの消費量日本一ですが、山形県内はラーメンも蕎麦も激戦地です。
県外からのお客さんが目立つようになり、地元産の蕎麦の需要と消費量が高まっているために作付面積も増えているのだと思います。
手前に農免道路、蕎麦畑の奥に県道、さらに奥の山際を国道458号が走っています。間もなく、国道との交差点です。
農免道路は県道と合流し、国道458号との交差点を左折し、大蔵村を走り、重作のある舟形町へと向かいました。
本懐を遂げた玉川寺を後に、昼食を取るために戸沢村角川(つのかわ)をめざしました。
玉川寺からすぐに出羽三山信仰の一つ、羽黒山に向かう県道に出られます。この道路は途中急こう配でカーブが多いため、現在、バイパス工事が進んでいます。
この県道の最高標高点は、羽黒山出羽三山神社と月山8合目への交差点になっています。この交差点を直進して、庄内町清川へと進みます。
立谷沢川沿いに北上すると最上川と合流する清川の踏切手前で酒田に向かうJR陸羽西線の列車が通過しました。
清川で国道47号に合流し、最上川を左手にしながら、戸沢村古口まで東進します。
途中、スノーシェッド付近の工事が2か所あり、片側交互通行の交通規制がありました。
直前にカローラスポーツのリアによく似たトヨタ86と思しき真っ赤な車が停まっていました。私の世代で買えそうなトヨタのスポーツカーと言えば、2T-GEUというツインカムエンジンを載せたトレノ、レビンでした。
藤原とうふ店の頭文字D(イニシャルD)で有名になった4A-GEUは排ガス規制の前のパワフルなエンジンを載せたハチロク車でした。
途中、ディリーヤマザキ兼ガソリンスタンドで給油しましたが、走行距離180kmで遅山仙人のスーパーカブが2.8リットル、私のリトルカブが2.1リットルでした。
京アニ事件以来、スタンドで給油タンクに詰めてもらうには規制が強くなり、スタンドによっては拒否される場合が多くなりました。
私の場合は、燃費がいいので気にしていませんが、相変わらず、仙人の燃費は悪く、長距離でガソリンスタンドが無い状態では不安が残ります。
昼食場所として考えていた農家そば屋与惣右衛門が臨時休業でした。
やむなく、逆戻りし、三左衛門そばに行きましたが、こちらも臨時休業になっていました。
惣右衛門に行くときに通過しましたが、気が付きませんでした。惣右衛門には「コロナのため臨時休業」の張り紙がありました。
どちらの蕎麦屋さんも県外のお客さんがたくさん来るという有名店ですが、客足が落ちて、平日は休んでいるのかもしれません。
予想外の展開でしたが、舟形町堀内にある蕎麦店重作(しげさく)に向かうことにしました。
ここからは、県道を走って、酷道として全国的に有名な国道458号に出るには遠回りなので、農免道路でショートカットすることにしました。
このルートはNHKこころ旅「長倉の大杉」、山形~長倉入口編で紹介しています。
重作は、大蔵村の「ふるさと味来館」での昼食後、宮城県から来たご夫婦から聞かれて案内した蕎麦屋さんです。ラッキーな昼食で紹介しています。
農免道路沿いには蕎麦畑が広がっていました。休耕田の棚田にも蕎麦が植えられていました。山形市はラーメンの消費量日本一ですが、山形県内はラーメンも蕎麦も激戦地です。
県外からのお客さんが目立つようになり、地元産の蕎麦の需要と消費量が高まっているために作付面積も増えているのだと思います。
手前に農免道路、蕎麦畑の奥に県道、さらに奥の山際を国道458号が走っています。間もなく、国道との交差点です。
農免道路は県道と合流し、国道458号との交差点を左折し、大蔵村を走り、重作のある舟形町へと向かいました。
2020年10月08日
玉川寺で本懐を遂げる
2020.10.2
鶴岡市玉川にある玉川寺(ぎょくせんじ)に到着したのは午前8時40分ごろでした。遅山仙人の隠れ家から月山を越えて3時間40分でした。
山形市内は前の日から雨は降っていなかったのですが、月山に近づくと雨が降ったのか、路面が濡れており、鶴岡市に入ると、つい最近まで雨が降っていたかのような路面状況でした。
9時から参拝ができるので、それまで駐車場でコーヒータイムとしました。
いつもは、フレンチプレスでコーヒーを入れていましたが、今回は簡易ドリップのレギュラーコーヒーにしました。仙人が大好きなモカコーヒーで、大変喜んでいました。
ニッカウヰスキーの髭の爺さんのような表情でマドロスパイプを燻らす遅山仙人です。
仙人が玉川寺に来たかった理由は、なぜ、同じ読みで玉泉ではなく玉川なのかということを知りたかったのです。
2020.8.21のキャンプでタンドリーチキンパーティで話題になった玉川寺ですが、それよりも1か月以上前に、歴史書の中から玉泉寺を見つけ、鶴岡の玉川寺に辿り着きました。何故、「泉」が「川」になったのか疑問に思い、玉川寺の住職に電話を掛けて玉川寺を訪ねると言っていたのでした。
多分、そうは言っても自分一人で玉川寺に来ることができない仙人です。まず、私に話題を振って、山仲間S氏にも話をして、暗に自分を連れて行かせるように仕向けるのが仙人の戦法です。
それに、まんまと引っ掛かったように見せかけて、いつも、仙人の行きたいところに連れて行っているのです。
抹茶をいただきました。菓子付きで500円です。
以前、電話をしてご住職と話したので、今都合が良ければ、ご住職とお会いしたいと抹茶を持ってきてくれた、多分、ご住職の奥様と思われる方に仙人は申し出ました。
喫茶去(きっさこ)という扁額(へんがく)が部屋の鴨居の上に掲げてあるので、写真を撮ろうとしたところ、ご住職がおいでになり、私も仙人もビックリして写真が変に撮れてしまいました。
まさか、来てくれるだろうとは思っていませんでしたが、他のブログでも親切に応対していただいたと書き記されたものを見たことがあります。
ご住職は、仙人の要望に、快く応じていただき、疑問を解き明かしてくれました。
道元の弟子である了然明法が開山したと言われる善見山玉泉寺は、住職がいなくなり、廃寺となります。その後、新潟の高僧により再建しますが、一旦、曹洞宗の流れが途切れたため、玉泉寺とはせずに、近くを流れる川の如く清らかなる意味を込めて玉川寺にしたとのことでした。
玉川寺については駒澤大学教授の論文があります。
了然法明と出羽玉泉寺 ―道元・瑩山両祖と関わった高麗僧―
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/43/1/43_1_168/_pdf/-char/ja
福祉作業所の利用者さんが描いたと言うアマビエ石をお土産として買い求めました。
職員と思われる方々に丁寧にお礼を述べ、庫裡を後にしました。
昔、この辺りは国見村だったことから、国見山玉川寺となったようです。本堂入り口の扁額に「國見山」の文字が彫られています。
この寺は、秋は紅葉、春はクリンソウがきれいです。次回は、クリンソウの時期に来たいと思います。
仙人は疑問が解けました。大満足でした。私も知人の弔いができました。
玉川寺で本懐を遂げることができました。
鶴岡市玉川にある玉川寺(ぎょくせんじ)に到着したのは午前8時40分ごろでした。遅山仙人の隠れ家から月山を越えて3時間40分でした。
山形市内は前の日から雨は降っていなかったのですが、月山に近づくと雨が降ったのか、路面が濡れており、鶴岡市に入ると、つい最近まで雨が降っていたかのような路面状況でした。
9時から参拝ができるので、それまで駐車場でコーヒータイムとしました。
いつもは、フレンチプレスでコーヒーを入れていましたが、今回は簡易ドリップのレギュラーコーヒーにしました。仙人が大好きなモカコーヒーで、大変喜んでいました。
ニッカウヰスキーの髭の爺さんのような表情でマドロスパイプを燻らす遅山仙人です。
受付は庫裡(くり)でと案内されました。拝観料400円です。
玉川寺は庭がきれいなことで有名です。このため、藤沢周平原作の映画で何度もロケ地として利用されてきました。
私は、鶴岡市松ケ岡に住む知人が、この寺の住職の知り合いだったことで、何度か訪ねたことがります。
ガラスの蚊取り線香立てが赤い毛氈によく似合います。
俳優の大泉洋に似た小さな仏像がありました。
今年の7月24日、この寺で旧知の「つるおかユースホステル」支配人の葬儀が行われました。私は、この日、葬儀には参列できなかったので、本堂でお参りをさせてもらいました。
玉川寺は庭がきれいなことで有名です。このため、藤沢周平原作の映画で何度もロケ地として利用されてきました。
私は、鶴岡市松ケ岡に住む知人が、この寺の住職の知り合いだったことで、何度か訪ねたことがります。
ガラスの蚊取り線香立てが赤い毛氈によく似合います。
俳優の大泉洋に似た小さな仏像がありました。
今年の7月24日、この寺で旧知の「つるおかユースホステル」支配人の葬儀が行われました。私は、この日、葬儀には参列できなかったので、本堂でお参りをさせてもらいました。
仙人が玉川寺に来たかった理由は、なぜ、同じ読みで玉泉ではなく玉川なのかということを知りたかったのです。
2020.8.21のキャンプでタンドリーチキンパーティで話題になった玉川寺ですが、それよりも1か月以上前に、歴史書の中から玉泉寺を見つけ、鶴岡の玉川寺に辿り着きました。何故、「泉」が「川」になったのか疑問に思い、玉川寺の住職に電話を掛けて玉川寺を訪ねると言っていたのでした。
多分、そうは言っても自分一人で玉川寺に来ることができない仙人です。まず、私に話題を振って、山仲間S氏にも話をして、暗に自分を連れて行かせるように仕向けるのが仙人の戦法です。
それに、まんまと引っ掛かったように見せかけて、いつも、仙人の行きたいところに連れて行っているのです。
抹茶をいただきました。菓子付きで500円です。
以前、電話をしてご住職と話したので、今都合が良ければ、ご住職とお会いしたいと抹茶を持ってきてくれた、多分、ご住職の奥様と思われる方に仙人は申し出ました。
喫茶去(きっさこ)という扁額(へんがく)が部屋の鴨居の上に掲げてあるので、写真を撮ろうとしたところ、ご住職がおいでになり、私も仙人もビックリして写真が変に撮れてしまいました。
まさか、来てくれるだろうとは思っていませんでしたが、他のブログでも親切に応対していただいたと書き記されたものを見たことがあります。
ご住職は、仙人の要望に、快く応じていただき、疑問を解き明かしてくれました。
道元の弟子である了然明法が開山したと言われる善見山玉泉寺は、住職がいなくなり、廃寺となります。その後、新潟の高僧により再建しますが、一旦、曹洞宗の流れが途切れたため、玉泉寺とはせずに、近くを流れる川の如く清らかなる意味を込めて玉川寺にしたとのことでした。
玉川寺については駒澤大学教授の論文があります。
了然法明と出羽玉泉寺 ―道元・瑩山両祖と関わった高麗僧―
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/43/1/43_1_168/_pdf/-char/ja
福祉作業所の利用者さんが描いたと言うアマビエ石をお土産として買い求めました。
職員と思われる方々に丁寧にお礼を述べ、庫裡を後にしました。
昔、この辺りは国見村だったことから、国見山玉川寺となったようです。本堂入り口の扁額に「國見山」の文字が彫られています。
この寺は、秋は紅葉、春はクリンソウがきれいです。次回は、クリンソウの時期に来たいと思います。
仙人は疑問が解けました。大満足でした。私も知人の弔いができました。
玉川寺で本懐を遂げることができました。
2020年10月04日
たらのき代の棚田を走って玉川寺へ
2020.10.2
国道112号朝日第一トンネルを抜けるとすぐの所に大網地区への交差点があります。そこを右折し、朝日第二トンネル側の車線を跨いで、山形自動車道の巨大なアーチ橋の真下を走ると大網地区へ上っていきます。
月山ダムの堤体が見えます。
大網地区の入り口から徳川家康とゆかりのある湯殿山総本寺瀧水寺大日坊へのT字路を右折します。
大日坊の山門前を通り過ぎて、そのまま道なり進んでいきます。この道が県道𣗄代大網線です。
複数の市町村を跨いで走る道路の場合は都道府県道となり、一つの市町村で完結している場合は市町村道であるのが一般的です。
この県道は、平成の大合併前の羽黒町たらのき代地区から朝日村大網地区を結ぶ道路でした。合併により、どちらも鶴岡市に合併しました。
山道のツーリングでは植物の変化で標高や人里までの距離の目安が付きます。
砥沢山の下りからはブナからナラ、コナラの雑木や杉に変化し、そろそろ、たらのき代が近くなってきたことがわかります。
たらのき代は、やまがたの棚田20選に選ばれています。急な高低差は無く、きれいな棚田です。
県道𣗄代大網線に別れを告げて、県道𣗄代鶴岡線に入ります。
途中、展望台の案内標識があったので左折しましたが、ただの駐車場でした。
さらに、県道を下っていくと、同じように展望台の案内標識があり、右折すると、今度は駐車場の奥が展望台になっていました。
柿畑の奥に金峯山(きんぼうさん)と国道112号線沿いの集落が見えました、ここからは鶴岡市街地は見えませんでした。先に見た展望台の案内標識は何だったのでしょうか?
この展望台から少し下ると前述のスーパー農道・庄内こばえちゃラインとの交差点になり、右折して北上します。
羽黒山の赤い大鳥居が右手に見える前に目的地である玉川寺(ぎょくせんじ)の小さな看板が道路右側に見えます。そこを右折し、そのまま道路沿いに玉川集落を走ると、まもなく玉川寺への案内板が見え、左折すると玉川寺の駐車場になります。
国道112号朝日第一トンネルを抜けるとすぐの所に大網地区への交差点があります。そこを右折し、朝日第二トンネル側の車線を跨いで、山形自動車道の巨大なアーチ橋の真下を走ると大網地区へ上っていきます。
月山ダムの堤体が見えます。
遅山仙人を連れて初めて月山を越えたのは2016年8月10日で、この時は大網の注連寺に立ち寄りました。注連寺は作家・森敦が芥川賞を受賞した小説・月山の舞台になったところです。
この時は、注連寺から即身仏(ミイラ)で有名な本明寺のある東岩本に抜けて庄内東部地区広域農道(スーパー農道・庄内こばえちゃライン)に合流し、そのまま北上して、庄内をロケ地とした映画のセットがあるスタジオセディック庄内オープンセットを見学しました。
広域農道については「広域農道と農免道路とは?」で詳しく説明しています。
今回は、県道𣗄代大網(たらのきだいおおあみ)線を走り、一山越えて、たらのき代地区から庄内こばえちゃラインに合流することにしました。
この時は、注連寺から即身仏(ミイラ)で有名な本明寺のある東岩本に抜けて庄内東部地区広域農道(スーパー農道・庄内こばえちゃライン)に合流し、そのまま北上して、庄内をロケ地とした映画のセットがあるスタジオセディック庄内オープンセットを見学しました。
広域農道については「広域農道と農免道路とは?」で詳しく説明しています。
今回は、県道𣗄代大網(たらのきだいおおあみ)線を走り、一山越えて、たらのき代地区から庄内こばえちゃラインに合流することにしました。
大網地区の入り口から徳川家康とゆかりのある湯殿山総本寺瀧水寺大日坊へのT字路を右折します。
大日坊の山門前を通り過ぎて、そのまま道なり進んでいきます。この道が県道𣗄代大網線です。
複数の市町村を跨いで走る道路の場合は都道府県道となり、一つの市町村で完結している場合は市町村道であるのが一般的です。
この県道は、平成の大合併前の羽黒町たらのき代地区から朝日村大網地区を結ぶ道路でした。合併により、どちらも鶴岡市に合併しました。
国土地理院2万5千分の1地形図にある大網放牧場は使用されておらず、荒れ野の状態でした。きっと、昭和から平成までたくさんの牛が放牧されていたのでしょう。
2018.7.13の「四ケ村の棚田 番外 次年子放牧場編」で紹介した次年子放牧場と同じような状況だったのかもしれません。
2018.7.13の「四ケ村の棚田 番外 次年子放牧場編」で紹介した次年子放牧場と同じような状況だったのかもしれません。
大網放牧場を過ぎると、上の地図のように「天保堰」という江戸時代天保年間に作られた農業用水路沿いに走ります。
天保堰についてはミツカン水の文化センター機関紙『水の文化』43号 庄内赤川水源林保全の歴史に詳しく載っています。
http://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no43/07.html
天保堰を離れ、庄司谷地堤付近に来ると風景が一変します。緩やかな草原風に見えますが、実際は広大な蕎麦畑でした。まもなく、刈り取りの時期を迎えようとしていました。
緩やかな蕎麦畑から砥沢山に伸びる尾根沿いを走るとブナ林になります。標高500mから600mにブナの林があるのは珍しいのです。
天保堰についてはミツカン水の文化センター機関紙『水の文化』43号 庄内赤川水源林保全の歴史に詳しく載っています。
http://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no43/07.html
天保堰を離れ、庄司谷地堤付近に来ると風景が一変します。緩やかな草原風に見えますが、実際は広大な蕎麦畑でした。まもなく、刈り取りの時期を迎えようとしていました。
緩やかな蕎麦畑から砥沢山に伸びる尾根沿いを走るとブナ林になります。標高500mから600mにブナの林があるのは珍しいのです。
2020.5.30の山菜取り「快適なツーリングロード」でも紹介したように低山帯でのブナ林は珍しいことですが、たらのき代地区にはスキー場があり、写真のブナも枝を真上に伸ばしていることから、この辺りは降雪量が多く、冬は厳しい気候なのかもしれません。
山道のツーリングでは植物の変化で標高や人里までの距離の目安が付きます。
砥沢山の下りからはブナからナラ、コナラの雑木や杉に変化し、そろそろ、たらのき代が近くなってきたことがわかります。
たらのき代は、やまがたの棚田20選に選ばれています。急な高低差は無く、きれいな棚田です。
県道𣗄代大網線に別れを告げて、県道𣗄代鶴岡線に入ります。
途中、展望台の案内標識があったので左折しましたが、ただの駐車場でした。
さらに、県道を下っていくと、同じように展望台の案内標識があり、右折すると、今度は駐車場の奥が展望台になっていました。
柿畑の奥に金峯山(きんぼうさん)と国道112号線沿いの集落が見えました、ここからは鶴岡市街地は見えませんでした。先に見た展望台の案内標識は何だったのでしょうか?
この展望台から少し下ると前述のスーパー農道・庄内こばえちゃラインとの交差点になり、右折して北上します。
羽黒山の赤い大鳥居が右手に見える前に目的地である玉川寺(ぎょくせんじ)の小さな看板が道路右側に見えます。そこを右折し、そのまま道路沿いに玉川集落を走ると、まもなく玉川寺への案内板が見え、左折すると玉川寺の駐車場になります。
中秋の満月に月山を越える。
2020.10.2
2020.8.21の鬼首吹上高原のキャンプのタンドリーチキンパーティで話題になった鶴岡市の玉川寺については、月山の西側を越えて走る国道112号が災害復旧工事で通行止めになっていたので、遅山仙人には自分で行ってらっしゃいと、キャンプの時に話していました。
ところが、工事が終わって開通したので、連れていくことにしました。
仙人の隠れ家を早朝5時に出発するために、4時起きで準備し、6時に中秋の満月になる月を見ながら、隠れ家に向かいました。
隠れ家からは紅葉の本導寺を行く2014.10.26で紹介した寒河江川右岸ルート沿いに本道寺まで走ります。
本道寺から一気に国道112号(月山新道)まで駆け上がり、トンネルを一つ潜ると寒河江ダム(月山湖)に到着します。
ちょうど、6時。日の出です。中秋の満月で昼と夜が半分の時間です。月は山に隠れて見えませんでした。
山形自動車道月山インターチェンジの合流地点から先は自動車専用道路なので、ここからは、初めての庄内 霊峰月山を越えてで紹介したルートを走ります。
何年か前に、鶴岡市ナンバーのスーパーカブに乗った爺さんが自動車専用道路を山形市に向かって走っているのを見かけたことがあります。
月山沢から弓張平までは8~10%の勾配ですが、それ以降は急な上りはあまりなく、原付のツーリングにはとても良いコースです。
ちなみ、10%の勾配とは水平に100m進むと1mの高さを上ったことになります。スーパーカブでは10%の勾配はギアダウンして高回転で上らなければなりません。
志津の旅館街から月山が見えるはずですが、あいにく、この日の朝は雲が多く、山頂は全く見えませんでした。
村山地方と庄内地方の分水嶺となる峠、大越(西川町と鶴岡市の境)は国道112号の最高標高点です。
出羽三山信仰で賑わった旧六十里越街道はもっと東寄りにあり、分水嶺を越えて霊場湯殿山に下りていきます。道は残っているようですが、国土地理院2万5千分の1地形図に載っています。
ちなみに、国道112号は国管理国道で、原付で走れる自動車専用道路の迂回区間(月山沢~本道寺)は同じ国道112号ですが県管理国道です。
湯殿山トンネルの山形側入り口の真上を走っていますが、振り返ると、月山第一トンネルの鶴岡側の入り口が見えます。下の写真、↓で示した場所が大越です。
月山第二トンネルの山形側入り口付近(写真下)から先は岩山的な風景になり、その後、ミズナラの樹林を過ぎると一気に下りになります。
七ツ滝の展望台で小休止し、そこから少し下ると多層民家で有名な田麦俣になります。
田麦俣から国管理国道に合流し、一旦、鶴岡へ向かいます。トンネルを二つ潜り、車線分離した朝日第二トンネルの出口から右折して大網地区に向かいます。
2020.8.21の鬼首吹上高原のキャンプのタンドリーチキンパーティで話題になった鶴岡市の玉川寺については、月山の西側を越えて走る国道112号が災害復旧工事で通行止めになっていたので、遅山仙人には自分で行ってらっしゃいと、キャンプの時に話していました。
ところが、工事が終わって開通したので、連れていくことにしました。
仙人の隠れ家を早朝5時に出発するために、4時起きで準備し、6時に中秋の満月になる月を見ながら、隠れ家に向かいました。
隠れ家からは紅葉の本導寺を行く2014.10.26で紹介した寒河江川右岸ルート沿いに本道寺まで走ります。
本道寺から一気に国道112号(月山新道)まで駆け上がり、トンネルを一つ潜ると寒河江ダム(月山湖)に到着します。
ちょうど、6時。日の出です。中秋の満月で昼と夜が半分の時間です。月は山に隠れて見えませんでした。
山形自動車道月山インターチェンジの合流地点から先は自動車専用道路なので、ここからは、初めての庄内 霊峰月山を越えてで紹介したルートを走ります。
何年か前に、鶴岡市ナンバーのスーパーカブに乗った爺さんが自動車専用道路を山形市に向かって走っているのを見かけたことがあります。
月山沢から弓張平までは8~10%の勾配ですが、それ以降は急な上りはあまりなく、原付のツーリングにはとても良いコースです。
ちなみ、10%の勾配とは水平に100m進むと1mの高さを上ったことになります。スーパーカブでは10%の勾配はギアダウンして高回転で上らなければなりません。
志津の旅館街から月山が見えるはずですが、あいにく、この日の朝は雲が多く、山頂は全く見えませんでした。
村山地方と庄内地方の分水嶺となる峠、大越(西川町と鶴岡市の境)は国道112号の最高標高点です。
出羽三山信仰で賑わった旧六十里越街道はもっと東寄りにあり、分水嶺を越えて霊場湯殿山に下りていきます。道は残っているようですが、国土地理院2万5千分の1地形図に載っています。
ちなみに、国道112号は国管理国道で、原付で走れる自動車専用道路の迂回区間(月山沢~本道寺)は同じ国道112号ですが県管理国道です。
湯殿山トンネルの山形側入り口の真上を走っていますが、振り返ると、月山第一トンネルの鶴岡側の入り口が見えます。下の写真、↓で示した場所が大越です。
月山第二トンネルの山形側入り口付近(写真下)から先は岩山的な風景になり、その後、ミズナラの樹林を過ぎると一気に下りになります。
七ツ滝の展望台で小休止し、そこから少し下ると多層民家で有名な田麦俣になります。
田麦俣から国管理国道に合流し、一旦、鶴岡へ向かいます。トンネルを二つ潜り、車線分離した朝日第二トンネルの出口から右折して大網地区に向かいます。