2018年06月30日
笹谷峠タンドリーチキンの旅
2018年5月27日のツーリング
登山サークルの仲間のご両親の葬儀に行けなかったため、遅山仙人とご自宅に伺うことになりました。父上が自宅で亡くなられて、僅か5日後に母上もご自宅で亡くなられたのです。落ち着いたころを見計らって出かけることになりました。
午後からお邪魔することにしたので、午前中、遅山仙人とツーリングに出かけました。
コースは、二井宿峠を越えて宮城県七ヶ宿町、南蔵王不忘山の南を走り、遠刈田温泉、青根温泉から川崎町に出て、旧国道286号の笹谷峠で昼食をし、山形市内に戻って、山仲間のご自宅へというコースです。
笹谷峠でタンドリーチキンを食べるべく、前の晩から鳥モモを無印良品のソースに漬け込んでおきました。無印良品の良いところは、無添加、保存料不使用にこだわっていて、安心感があり、時々、使っています。
美味しい昼食を食べるために材料をたくさん持っていきました。遅山仙人には、白いご飯を持ってくるように伝えていました。前の晩仕込んでおいたタンドリーチキンをアイスボックスに入れて出発です。
金山峠が災害復旧工事で走れないため、いつものように柏木峠を越えて高畠町二井宿から国道113号に入りました。二井宿トンネルの照明はLEDになり、大変明るくて走りやすいトンネルです。ナトリウム灯は暗いし、水銀灯も間隔が広く、暗く感じます。バイクで走ると何かに吸い込まれそうな感覚になり、できるだけ早く通り抜けたいという気持ちになります。特に、大型車に追いつかれて、追い越されるときの風圧は嫌な感覚です。
国道113号は今のように道幅が広くなってから、しばらくたちます。昔の狭い羽州街道を何度も車で走りました。その道を思い出しながら、できるだけ旧道を走ってみました。
コーヒータイムは長老湖で取りました。
長老湖の奥にそびえる不忘山(ふぼうさん)と左に南屏風岳。蔵王の南端。第二次世界大戦中に米軍のB29が墜落したことで有名です。
南蔵王の芝草平から南屏風岳を越えると不忘山です。
ここから、遠刈田温泉まではちょっと高原的な快適なコースです。
昼までは十分な時間があったので、青根温泉じゃっぱの湯で一風呂浴びてきました。
後に43年前の女子高生から聞いた話ですが、青根温泉の「とだ屋」が穴場だとのこと。露天風呂があり、何より静かだそうです。彼女は共同風呂の喧騒が好みでないらしく、静かにのんびりと風呂に浸かっていたいようです。
遅山仙人は歴史があってレトロな不忘閣が好きだと言います。
旧国道286号も何度通ってもいい道です。コーナリングが楽しい道路です。山形自動車道関沢インターから笹谷インターまで高速道路を使わずとも20分で走り抜けます。
遅山仙人はワインディングロードになった途端、遅れだします。原因の一つが対向車への恐怖です。二輪車に乗っていながら四輪車の感覚で運転するのでカーブでは十分減速してしまう傾向があります。
本来は四輪に比べると視線が高いので見通しが良く、木々の間やつづら折りの先に対向車の気配を察知できますが、スキーと同じで怖さのあまり直前しか見れない傾向にあります。
また、恐怖感があってバイクを倒してコーナリングしません。四輪のハンドリング的な感覚でカーブを曲がろうとするので、おのずと遅くなるのです。アンダーステアで曲がるため道路の中心を越えてしまうので、対向車への恐怖が一層増します。
この年なって、あたらめて、教習所で二輪の講習を受けたいとも思わないでしょうし、自分で練習しようとも思っていないようです。最近になって、自分の恐怖感が何からくるのが理解できたようですが改善しようとしないでしょう。
この日は、笹谷峠を使って遅山仙人相手にコーナリングの練習をしました。
笹谷峠には昼前に到着しました。登山客とタケノコ取りのマイカーが駐車場と道路に溢れていました。私たちは静かな場所へと移動しました。
ちょっとだけ、山形県立工業高校の避難小屋を覗いてきました。
昼食場所は、マイクロウェーブの中継所前です。ここには誰も来ません。
まず最初は、お湯を沸かしてワカメの味噌汁です。
スキレットを十分熱したら細かく刻んでおいた鳥の皮で油を作り、一晩寝かせたタンドリーチキンを焼きます。本当は常温に戻してから焼いた方が火がすぐに回るのですが今回は冷たいまま焼きました。
付け合わせに玉ねぎと孟宗竹を持っていきました。孟宗竹は前日に鶴岡の山仲間(同じサークル)の悪友(バングラデシュ珍道中記に出てくる悪友)の竹林から取ってきたものです。
実は、この悪友も最近父親を亡くし、仕事の関係で葬儀に出席できなかったので実家のある三瀬に伺い、竹林で孟宗竹をたくさんもらってきたのです。
クーラーバッグにはノンアルビールも仕込んでおきました。キンキンに冷えたノンアルビールは登山やツーリングで飲むと格別です。
ちょっとだけリッチな昼食で笹谷峠に2時間を過ごし、お悔やみで伺う山仲間の自宅へと下っていきました。
登山サークルの仲間のご両親の葬儀に行けなかったため、遅山仙人とご自宅に伺うことになりました。父上が自宅で亡くなられて、僅か5日後に母上もご自宅で亡くなられたのです。落ち着いたころを見計らって出かけることになりました。
午後からお邪魔することにしたので、午前中、遅山仙人とツーリングに出かけました。
コースは、二井宿峠を越えて宮城県七ヶ宿町、南蔵王不忘山の南を走り、遠刈田温泉、青根温泉から川崎町に出て、旧国道286号の笹谷峠で昼食をし、山形市内に戻って、山仲間のご自宅へというコースです。
笹谷峠でタンドリーチキンを食べるべく、前の晩から鳥モモを無印良品のソースに漬け込んでおきました。無印良品の良いところは、無添加、保存料不使用にこだわっていて、安心感があり、時々、使っています。
美味しい昼食を食べるために材料をたくさん持っていきました。遅山仙人には、白いご飯を持ってくるように伝えていました。前の晩仕込んでおいたタンドリーチキンをアイスボックスに入れて出発です。
金山峠が災害復旧工事で走れないため、いつものように柏木峠を越えて高畠町二井宿から国道113号に入りました。二井宿トンネルの照明はLEDになり、大変明るくて走りやすいトンネルです。ナトリウム灯は暗いし、水銀灯も間隔が広く、暗く感じます。バイクで走ると何かに吸い込まれそうな感覚になり、できるだけ早く通り抜けたいという気持ちになります。特に、大型車に追いつかれて、追い越されるときの風圧は嫌な感覚です。
国道113号は今のように道幅が広くなってから、しばらくたちます。昔の狭い羽州街道を何度も車で走りました。その道を思い出しながら、できるだけ旧道を走ってみました。
コーヒータイムは長老湖で取りました。
長老湖の奥にそびえる不忘山(ふぼうさん)と左に南屏風岳。蔵王の南端。第二次世界大戦中に米軍のB29が墜落したことで有名です。
南蔵王の芝草平から南屏風岳を越えると不忘山です。
ここから、遠刈田温泉まではちょっと高原的な快適なコースです。
昼までは十分な時間があったので、青根温泉じゃっぱの湯で一風呂浴びてきました。
後に43年前の女子高生から聞いた話ですが、青根温泉の「とだ屋」が穴場だとのこと。露天風呂があり、何より静かだそうです。彼女は共同風呂の喧騒が好みでないらしく、静かにのんびりと風呂に浸かっていたいようです。
遅山仙人は歴史があってレトロな不忘閣が好きだと言います。
旧国道286号も何度通ってもいい道です。コーナリングが楽しい道路です。山形自動車道関沢インターから笹谷インターまで高速道路を使わずとも20分で走り抜けます。
遅山仙人はワインディングロードになった途端、遅れだします。原因の一つが対向車への恐怖です。二輪車に乗っていながら四輪車の感覚で運転するのでカーブでは十分減速してしまう傾向があります。
本来は四輪に比べると視線が高いので見通しが良く、木々の間やつづら折りの先に対向車の気配を察知できますが、スキーと同じで怖さのあまり直前しか見れない傾向にあります。
また、恐怖感があってバイクを倒してコーナリングしません。四輪のハンドリング的な感覚でカーブを曲がろうとするので、おのずと遅くなるのです。アンダーステアで曲がるため道路の中心を越えてしまうので、対向車への恐怖が一層増します。
この年なって、あたらめて、教習所で二輪の講習を受けたいとも思わないでしょうし、自分で練習しようとも思っていないようです。最近になって、自分の恐怖感が何からくるのが理解できたようですが改善しようとしないでしょう。
この日は、笹谷峠を使って遅山仙人相手にコーナリングの練習をしました。
笹谷峠には昼前に到着しました。登山客とタケノコ取りのマイカーが駐車場と道路に溢れていました。私たちは静かな場所へと移動しました。
ちょっとだけ、山形県立工業高校の避難小屋を覗いてきました。
昼食場所は、マイクロウェーブの中継所前です。ここには誰も来ません。
まず最初は、お湯を沸かしてワカメの味噌汁です。
スキレットを十分熱したら細かく刻んでおいた鳥の皮で油を作り、一晩寝かせたタンドリーチキンを焼きます。本当は常温に戻してから焼いた方が火がすぐに回るのですが今回は冷たいまま焼きました。
付け合わせに玉ねぎと孟宗竹を持っていきました。孟宗竹は前日に鶴岡の山仲間(同じサークル)の悪友(バングラデシュ珍道中記に出てくる悪友)の竹林から取ってきたものです。
実は、この悪友も最近父親を亡くし、仕事の関係で葬儀に出席できなかったので実家のある三瀬に伺い、竹林で孟宗竹をたくさんもらってきたのです。
クーラーバッグにはノンアルビールも仕込んでおきました。キンキンに冷えたノンアルビールは登山やツーリングで飲むと格別です。
ちょっとだけリッチな昼食で笹谷峠に2時間を過ごし、お悔やみで伺う山仲間の自宅へと下っていきました。