2017年07月14日
NHKこころ旅「長倉の大杉」、肘折温泉編
「長倉の大杉」を見た後、久しぶりに肘折温泉(ひじおりおんせん)のお湯に入ることにしました。来た道を少しだけ戻り、近道をかけるつもりでしたが、地図上の「今神温泉(いまがみおんせん)」が気になり、その正体を突き止めるべく、少しだけ遠回りのルートを取りました。
「今神温泉」は、こころ旅で放映された長倉への分岐点から右を登っていくと山の中に温泉があるはずなのですが、Googleマップには、もっと下の違う所にも表示されています。今神温泉の支店でもできたのかと調べてみたくなりました。地図で表示されている場所に行くと
民家に看板が掲げてあり、「今神温泉」の所有者の名前が書いてありました。この家が所有者の家なのかと思いながらカーブを回り切りましたが、どうも人が住んでいる気配がありません。「今神温泉」へのルートは通行止めになっているので、所有者が「今神温泉」に行っているのか疑問に思いながらバイクのアクセルをふかし通り過ぎました。どうも、この看板がGoogleマップに「今神温泉」表示させているようです。
ここから、県道57号線をひたすら走らせます。途中、県道331号線への分岐点から道幅が半分以下になります。所々、カーブが連続し、前を走っていた車のスピードが急に遅くなり、リトルカブに負けそうになります。しばらく、山道を走り、カーブがなくなると広い道路に戻り、肘折温泉へのアプローチに変わります。
時刻は11時をちょっと過ぎたところでしたが、湯に入る前に食事をしようということで、温泉入り口の「そば処寿屋」で昼食を取りました。
早い時間にもかかわらず、店の中はお客さんで一杯でした。確か500円台だった盛りそばの大盛りを注文しました。見た目と食感で二八そば(つなぎ二割、そば粉八割)と見ました。ただ、非常にそばの香がして美味しく感じました。麺の中に黒い粒々を見ることができたので玄そば粉(そばの実の一番外側を挽いた粉)を使っているので、風味が良かったのだと思われます。つなぎと玄そば粉を使っていることにより、比較的低料金になっているのだと思います。
山形県内、特に内陸部は手打ちそばを出す店が無数にあり、県外からもたくさんの方が山形のそばを食べにいらっしゃいます。最近は、そばの実の中心に近い部分を使った「さらしなそば」(そば粉10割)を食べることが多くなっています。細くて柔らかく、上品な感じはしますが、そばの風味はあっさりとしたものになります。
山形でも「さらしなそば」系のそば店が増えています。価格はどうしても高くなってしまいます。しばらく、玄そば系のそばを食べていなかったので、今回、肘折温泉で食べて、そば本来の風味を思い出しました。玄そば系の店を探しにツーリングするのも良いと思います。
そばで満腹になったところで、肘折温泉の共同浴場「上ノ湯(かみのゆ)」に入りました。
「上ノ湯」は思い出ある共同浴場です。
ずいぶん、昔のことになります。職場の山仲間とともに月山登山をした時のことです。山形市内からの直通バスで月山(がっさん)の南側登山口・志津まで行き、リフトに乗って、牛首、月山山頂へ向かいました。山頂で昼食の後、東側の立谷沢川の源流を下り、念仏ケ原という湿原まで登り、湿原の最東部にある山小屋に泊まりました。
ここまでの行程で同行者一人の体力が急速に落ちて、山小屋で疲れ切ってしまいました。翌朝も彼の体力は十分には戻らず、肘折温泉までのコースはなだらかな下りであるということで、彼の荷物は私が背負いました。二人分の荷物を背負い、いつ着くのかわからないダラダラと長い山道を必死の思いで降りてゆきました。
朝6時に出発して、肘折温泉に着いたのは昼頃でした。6時間の下り道でたっぷり汗をかき、体にまとわりついた、その汗を全部落とすために「上ノ湯」に入ったのです。
肘折温泉からは新庄経由で山形市に行くバスに乗り帰宅しました。志津まで行くバスも肘折温泉から山形市に行くバスもマイカーに客を奪われて、廃止になってしまいました。狭い肘折温泉の中を大型バスが走るというので有名になったことがあります。特に、ある場所が有名でしたが、後に写真で紹介します。
遅山仙人がどうしても肘折の豆腐が食べたいと言い出したので、上ノとうふ屋で豆腐一丁(300円)を買い求めました。
肘折温泉は昔から最上(もがみ)の奥座敷と言われ、農家が秋の収穫後、一年の体の疲れを癒すために自炊をしながら何泊も湯治をしたことで有名です。このため、上ノとうふ屋などの食料品を扱う店が旅館の合間に点在していました。最近は、連泊する湯治客がめっきり減ったそうです。
一丁300円の豆腐はとても大きく、店の人から包丁で半分に切ってもらいました。そして、遅山仙人と仲良く半分こにしました。遅山仙人が座って食べている場所こそ、大型バスが旅館や店の軒先をギリギリで走ったクランクがある有名な場所なのです。上のGoogleマップの温泉街の中で「旧郵便局」のところがクランクの場所です。今は大型バスは走らなくなったので、運転手さんの絶妙なハンドルさばきを見ることができなくなってしまいました。
その他にも、肘折温泉は狭い場所に旅館がひしめき合って建っているので道が狭く、大型バスの運転手さんはかなり苦労していたのですが、旅館に泊まっていたお客さんがバスに乗って帰ると旅館の女将さんや従業員さん、それに泊まっているお客さんたちが旅館の玄関前や2階の部屋から手を振って見送りをしたのです。昔から肘折温泉では帰る時も旅館の従業員や宿泊者たちからの「おもてなし」受けていました。今では、なかなか見かけられないコミュニケーションがあったのです。
肘折温泉は日曜というのに静かでした。そば屋に人はいましたが、温泉街の中心部では、あまり人は見かけることができません。温泉の北側には新しくできた大きな共同浴場があり、食堂や休憩室があります。大きな駐車場があり、たくさんの車が止まっていました。まるで、中心市街地が過疎化して、郊外にできた大型店舗にマイカーで人が集まるような光景を見ているようです。
気軽に温泉に入れる小奇麗な施設ができることは、利用者にとって便利なことですが、昔からの温泉旅館には罪作りな施設のような気がしてなりません。こういう施設は、往々にして、行政が作ることが多いのですが、行政サービスと地域活性化が競合して、逆に地域をダメにしてしまいます。
遅山仙人が「2~3人しか入れない小さな共同浴場があるはずだ。」と言って探し回りました。
ありました。しかし、上ノ湯と違って管理人はいなく、旅館から鍵を借りて入る共同浴場のようでした。
肘折温泉に通じる国道458号線は「酷道(こくどう)」と呼ばれ、肘折温泉から南下すると葉山の西斜面を登り、寒河江市幸生(さがえし さじゅう)を経て、国道112号線に出ます。峠は「十部一峠(じゅうぶいちとうげ)」と呼ばれ、ここから葉山の南斜面へ林道が伸びており、林道の終点から、葉山の登山道になります。林道の終点から1時間半程度で葉山山頂と北側の奥の院に着くことができます。
「酷道」と呼ばれる所以は、国道なのに砂利道で所々激しい凹凸があり、カーブの連続で林道よりも酷い道であるところから、そう呼ばれています。毎年降る大雨で、毎年災害復旧工事が行われて、ここ何年も開通した試しがありません。特に、肘折から「十部一峠」までは年中不通の状態です。
私の記憶では、20年ぐらい前までは、不通になって年中通行止めになったことがなかったと思います。最近の天候不順は、異常とも思える雨の量です。全国各地で土砂災害が毎年起きて、たくさんの方が犠牲になられています。この肘折温泉も大きな土砂災害に見舞われ、長い間、国道458号線から温泉街に入れない状況が続きました。そこで、下の写真のような「人工地盤」と言われる空中を走る道路を作りました。
肘折温泉から台地を駆け下りて、元来た道を戻りました。
遅山仙人は「昔は、この長い台地を歩いて肘折温泉まで湯治に行ったのだろうか?きっと、道中、大変な思いをして肘折温泉まで行ったのであろう。今度、自炊をして肘折温泉に泊まってみたい。」と感慨深げに話していました。
『NHKこころ旅で紹介された「長倉の大杉」に行ってきました。』はこれで終わりです。
「今神温泉」は、こころ旅で放映された長倉への分岐点から右を登っていくと山の中に温泉があるはずなのですが、Googleマップには、もっと下の違う所にも表示されています。今神温泉の支店でもできたのかと調べてみたくなりました。地図で表示されている場所に行くと
民家に看板が掲げてあり、「今神温泉」の所有者の名前が書いてありました。この家が所有者の家なのかと思いながらカーブを回り切りましたが、どうも人が住んでいる気配がありません。「今神温泉」へのルートは通行止めになっているので、所有者が「今神温泉」に行っているのか疑問に思いながらバイクのアクセルをふかし通り過ぎました。どうも、この看板がGoogleマップに「今神温泉」表示させているようです。
ここから、県道57号線をひたすら走らせます。途中、県道331号線への分岐点から道幅が半分以下になります。所々、カーブが連続し、前を走っていた車のスピードが急に遅くなり、リトルカブに負けそうになります。しばらく、山道を走り、カーブがなくなると広い道路に戻り、肘折温泉へのアプローチに変わります。
時刻は11時をちょっと過ぎたところでしたが、湯に入る前に食事をしようということで、温泉入り口の「そば処寿屋」で昼食を取りました。
早い時間にもかかわらず、店の中はお客さんで一杯でした。確か500円台だった盛りそばの大盛りを注文しました。見た目と食感で二八そば(つなぎ二割、そば粉八割)と見ました。ただ、非常にそばの香がして美味しく感じました。麺の中に黒い粒々を見ることができたので玄そば粉(そばの実の一番外側を挽いた粉)を使っているので、風味が良かったのだと思われます。つなぎと玄そば粉を使っていることにより、比較的低料金になっているのだと思います。
山形県内、特に内陸部は手打ちそばを出す店が無数にあり、県外からもたくさんの方が山形のそばを食べにいらっしゃいます。最近は、そばの実の中心に近い部分を使った「さらしなそば」(そば粉10割)を食べることが多くなっています。細くて柔らかく、上品な感じはしますが、そばの風味はあっさりとしたものになります。
山形でも「さらしなそば」系のそば店が増えています。価格はどうしても高くなってしまいます。しばらく、玄そば系のそばを食べていなかったので、今回、肘折温泉で食べて、そば本来の風味を思い出しました。玄そば系の店を探しにツーリングするのも良いと思います。
そばで満腹になったところで、肘折温泉の共同浴場「上ノ湯(かみのゆ)」に入りました。
「上ノ湯」は思い出ある共同浴場です。
ずいぶん、昔のことになります。職場の山仲間とともに月山登山をした時のことです。山形市内からの直通バスで月山(がっさん)の南側登山口・志津まで行き、リフトに乗って、牛首、月山山頂へ向かいました。山頂で昼食の後、東側の立谷沢川の源流を下り、念仏ケ原という湿原まで登り、湿原の最東部にある山小屋に泊まりました。
ここまでの行程で同行者一人の体力が急速に落ちて、山小屋で疲れ切ってしまいました。翌朝も彼の体力は十分には戻らず、肘折温泉までのコースはなだらかな下りであるということで、彼の荷物は私が背負いました。二人分の荷物を背負い、いつ着くのかわからないダラダラと長い山道を必死の思いで降りてゆきました。
朝6時に出発して、肘折温泉に着いたのは昼頃でした。6時間の下り道でたっぷり汗をかき、体にまとわりついた、その汗を全部落とすために「上ノ湯」に入ったのです。
肘折温泉からは新庄経由で山形市に行くバスに乗り帰宅しました。志津まで行くバスも肘折温泉から山形市に行くバスもマイカーに客を奪われて、廃止になってしまいました。狭い肘折温泉の中を大型バスが走るというので有名になったことがあります。特に、ある場所が有名でしたが、後に写真で紹介します。
遅山仙人がどうしても肘折の豆腐が食べたいと言い出したので、上ノとうふ屋で豆腐一丁(300円)を買い求めました。
肘折温泉は昔から最上(もがみ)の奥座敷と言われ、農家が秋の収穫後、一年の体の疲れを癒すために自炊をしながら何泊も湯治をしたことで有名です。このため、上ノとうふ屋などの食料品を扱う店が旅館の合間に点在していました。最近は、連泊する湯治客がめっきり減ったそうです。
一丁300円の豆腐はとても大きく、店の人から包丁で半分に切ってもらいました。そして、遅山仙人と仲良く半分こにしました。遅山仙人が座って食べている場所こそ、大型バスが旅館や店の軒先をギリギリで走ったクランクがある有名な場所なのです。上のGoogleマップの温泉街の中で「旧郵便局」のところがクランクの場所です。今は大型バスは走らなくなったので、運転手さんの絶妙なハンドルさばきを見ることができなくなってしまいました。
その他にも、肘折温泉は狭い場所に旅館がひしめき合って建っているので道が狭く、大型バスの運転手さんはかなり苦労していたのですが、旅館に泊まっていたお客さんがバスに乗って帰ると旅館の女将さんや従業員さん、それに泊まっているお客さんたちが旅館の玄関前や2階の部屋から手を振って見送りをしたのです。昔から肘折温泉では帰る時も旅館の従業員や宿泊者たちからの「おもてなし」受けていました。今では、なかなか見かけられないコミュニケーションがあったのです。
肘折温泉は日曜というのに静かでした。そば屋に人はいましたが、温泉街の中心部では、あまり人は見かけることができません。温泉の北側には新しくできた大きな共同浴場があり、食堂や休憩室があります。大きな駐車場があり、たくさんの車が止まっていました。まるで、中心市街地が過疎化して、郊外にできた大型店舗にマイカーで人が集まるような光景を見ているようです。
気軽に温泉に入れる小奇麗な施設ができることは、利用者にとって便利なことですが、昔からの温泉旅館には罪作りな施設のような気がしてなりません。こういう施設は、往々にして、行政が作ることが多いのですが、行政サービスと地域活性化が競合して、逆に地域をダメにしてしまいます。
遅山仙人が「2~3人しか入れない小さな共同浴場があるはずだ。」と言って探し回りました。
ありました。しかし、上ノ湯と違って管理人はいなく、旅館から鍵を借りて入る共同浴場のようでした。
肘折温泉に通じる国道458号線は「酷道(こくどう)」と呼ばれ、肘折温泉から南下すると葉山の西斜面を登り、寒河江市幸生(さがえし さじゅう)を経て、国道112号線に出ます。峠は「十部一峠(じゅうぶいちとうげ)」と呼ばれ、ここから葉山の南斜面へ林道が伸びており、林道の終点から、葉山の登山道になります。林道の終点から1時間半程度で葉山山頂と北側の奥の院に着くことができます。
「酷道」と呼ばれる所以は、国道なのに砂利道で所々激しい凹凸があり、カーブの連続で林道よりも酷い道であるところから、そう呼ばれています。毎年降る大雨で、毎年災害復旧工事が行われて、ここ何年も開通した試しがありません。特に、肘折から「十部一峠」までは年中不通の状態です。
私の記憶では、20年ぐらい前までは、不通になって年中通行止めになったことがなかったと思います。最近の天候不順は、異常とも思える雨の量です。全国各地で土砂災害が毎年起きて、たくさんの方が犠牲になられています。この肘折温泉も大きな土砂災害に見舞われ、長い間、国道458号線から温泉街に入れない状況が続きました。そこで、下の写真のような「人工地盤」と言われる空中を走る道路を作りました。
肘折温泉から台地を駆け下りて、元来た道を戻りました。
遅山仙人は「昔は、この長い台地を歩いて肘折温泉まで湯治に行ったのだろうか?きっと、道中、大変な思いをして肘折温泉まで行ったのであろう。今度、自炊をして肘折温泉に泊まってみたい。」と感慨深げに話していました。
『NHKこころ旅で紹介された「長倉の大杉」に行ってきました。』はこれで終わりです。