寺参り
2021年04月12日
お花見の穴場発見!
2021.4.3
前日に遅山仙人と真室川に行き、咲き始めた梅の花を見、千本だんごを買占めして帰宅しました。
翌日、恒例の親類縁者の墓参りに出かけました。
桜とともに様々な花が咲き始めて、まさに百花繚乱の季節が到来しました。
一昨年は、福島市の花見山に花見ならぬ人見に出かけましたが、昨年はコロナで開催中止となりました。今年は、開催されたようです。
一昨年、行けなかった船岡の千本桜を見るために大河原駅の駐輪場にリトルカブを止め、歩いて、花見に行こうと計画を練っていましたが、山形市が非常事態宣言を発令したため、しばらく、県外はお預けとなりました。
妻の実家の墓の帰りに昔から使われてきた道路を走ったところ、今シーズの大雪で竹林が倒れていました。かつて、こんなにひどい状況は見たことがありません。実は、県内至る所で大雪による倒木が見られるのです。ということは、林道が通行止めという場所もたくさんあると思われます。
つまり、私たちの行動範囲も、それだけ狭くなるということです。
妻の実家の集落は過疎化が進み、下の写真は田んぼがたくさんあった場所ですが、現在は荒れ放題です。真ん中に木が生えている場所に実家の田がありました。毎年、子供たちと田植えや稲刈りの手伝いをしました。この10年で全く様相が変わりました。
墓参りの後に、以前から気になっていたJR左沢線の柴橋駅に向かいました。
柴橋駅は高台にあり、駅舎とホームの上に桜の木があることをGoogle マップで見つけていました。
高台にあるため眺望もよく、残雪輝く朝日連峰が一望できます。
駅舎は狭いのですが、トイレがあり、Googleマップどおりに桜の駅になっていました。
この桜が満開になるころ、朝日連峰や蔵王連峰を見ながら、花見に一杯ができれば最高のロケーションとなります。
無人列車の旅のお花見の穴場の発見です。
himajintaro at 21:07|Permalink│Comments(0)
2021年03月27日
先生の奥様の墓参り
2021.3.27
東京のコロナの緊急事態宣言が解除になったかと思いきや、宮城県が緊急事態宣言を発表し、飛び火したかのように、山形市に山形県内初の緊急事態宣言が出て、さらに、今日、寒河江市にも緊急事態宣言が出てしまいました。
今まで、陽性反応者が少なかった山形県も東京からの距離によるタイムラグなのか、隣接する仙台からは一気に拡大してしまった感が否めません。
「何よ今頃になって」と内心ボヤいていらっしゃる方が大勢いらっしゃると思います。
そんな中、不要不急ではないものの、三蜜が避けられる状態ならと思い、自炊のカレースパゲティの昼食を済ませ、墓参りに行ってきました。
ダイソーの自転車用のドリンクホルダーをホームセンターで買った金具に取り付けました。天気もいいので、早速、ペットボトルドリンクを買って出発しました。
山形市大森地区にあるべにばな霊園へと向かいました。いつものように、山形市街地は走らずに市街地東部の山のへりを北上し、ちょっとだけ国道286号を走って、滑川から村山東部広域農道(スーパー農道)のべにばなトンネルと大森トンネルを抜けるとべにばな霊園です。
この霊園は以前の記事、べにばな霊園へ墓参りと、バングラデシュ珍道中記の記事、キリスト教式納骨式で紹介しています。知人で山形大学農学部を定年退官した先生の奥様の墓地を紹介したことがきっかけで奥様の墓が、この霊園に出来上がりました。ツーリングで通りかかったら、必ず、お参りさせていただいています。
墓参りが終わったところで、公益社団法人べにばな霊園の理事長さんが愛車リトルカブを見つけてくださり、コーヒーを勧めてくださいました。有難く、事務所にお邪魔しました。
理事長さんの話によると、昨年はコロナの影響で新規の申し込みがほとんど無かったそうです。昨年は私の従姉も亡くなりましたが、その家では初めての仏様(他教では何というのか?)で、墓も仏壇も無く、未だに木の箱の中に眠ったままです。多分、ほとんどの仏様が同じ状態なのでしょう。
コロナに関わらず、以前から、仏壇の売れ行きが悪いことは知っていました。生活様式の変化で、新しい家には昔ながらの大きな仏壇を置くスペースは無く、通販でも買える小さな仏壇の売れ行きが伸びているそうです。
べにばな霊園も永代供養の需要が多く、供養塔を拡張する工事に入るそうです。
棺桶もネット販売している時代です。仏壇屋さんも慶弔含めたセレモニー会場も低空飛行の時代になってしまいました。
理事長さんはハーレーなどの大型バイクやオフロードバイクを乗り回されている方ですが、ロードバイクや釣りや山菜取り、登山などアウトドアに多趣味な方です。年配の方がハーレーを徒党を組んで乗り回しているのは、バイクが倒れたら一人では起こせないので、大勢で出かけるのだそうです。ハーレーに電動で補助輪が出てくる話など、面白い話をたくさん伺ってきました。
最近流行のハンターカブを注文したら半年待ちと言われたそうです。
理事長さんは近くの立谷沢川の法面に群生しているサクラソウを地元の人たちとともに手入れされています。
満開の時期になると、霊園の駐車場を花見客に解放されています。ただ、昨年はコロナの影響で解放できなかったようです。
理事長さんと奥様に礼を述べ、「べにばな霊園」を後にしました。
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2021年03月12日
皮むきと墓参りに出かけました。
2021.3.11
午前中、タイヤ交換を済ませて、午後から新品タイヤの皮むきを兼ねて、毎月第一日曜日恒例の親類縁者のお墓参りに出かけました。
昨年、11月22日以来の墓参りになりました、一昨年から昨年にかけての冬は雪が少なくて、毎月、リトルカブで墓参りに行けたのですが、今シーズンは雪が多くて、墓までたどり着くことができないために、雪が消えた、この時期まで待っていました。
天気が良くて、比較的暖かく、この時期としては、絶好の皮むき日和となりました。遠くに雪を頂いた月山、葉山もくっきりと姿を現し、空気が澄んでいました。
いつものよう父が眠る山形霊園を起点とし、山形市の中心市街地へと走らせました。
山形市緑町、通称・寺町にある唯法寺には父の実家のご先祖様の墓があります。元々、蔵王温泉にあった高湯山唯法寺を現在の場所に移築したものです。その時期が安土桃山時代と古く、当時、山形城の城主であった最上義光(もがみよしあき)が浄土真宗大谷派の14の寺院を一か所に集めたところから、寺町の愛称で山形市民から親しまれてきました。一部、Wikipediaには13の寺院と記されていますが、実際は14の寺院が寺町を構成しています。
昨年11月22日が下の写真です。正面の専称寺(せんしょうじ 最上義光の愛娘・駒姫の菩提寺)のイチョウの葉がオレンジに輝いていました。
唯法寺(ゆいほうじ)は高湯山を冠し、山形では高湯(たかゆ)は昔から蔵王温泉の通称でした。私の父方のルーツは蔵王温泉であることがわかります。
唯法寺から山形市街地の北東部・山家本町(やんべほんちょう)にある金勝寺(こんしょうじ)に移動します。
ここには、以前も紹介したように父の姉夫婦と遅山仙人(おくれやませんにん)の身内が同じ墓の中で眠っています。このため、私と仙人が血の繋がっていない親戚となっているのです。
金勝寺の墓には真新しい卒塔婆(そとば)が立っていました。伯母の七年忌のようでした。代替わりして従兄の代になると、余程付き合いが深くない限り、親類縁者を招いての法要などしなくなっています。まして、コロナの影響で葬儀も近親者のみというのが当たり前になってきました。
墓地に行って、初めて変化に気づくことになりますが、これが卒塔婆を立てない浄土真宗になると全くわかりません。
伯母の墓を後に、山形市街地を東西に横断して、山形盆地の西の縁にある等栄寺(とうえいじ)に向かました。この寺にはたくさんの身内が眠っています。母方の実家や姉弟とともに、後述する製材所の墓があるというので、今回新たにお参りさせてもらいました。
また、昨年亡くなった父方の従姉の菩提寺であり、初仏で新たに墓を建立するというので、合計五基九尊にお参りすることになります。
ここからは、妻の父が眠る山形市門伝の共同墓地へと向かいました。
この墓地は白鷹町へ抜ける主要地方道山形白鷹線沿いの旧双葉小学校舎の真下にあります。
墓参りはここでお終いですが、ここから皮むきのために県民の森へと上っていきました。
途中、山形市街地と山形盆地が一望できる展望台で小休憩としました。
山形盆地と蔵王連峰の山並みが良く見渡せる絶好の撮影ポイントです。
ここから、山辺町作谷沢地区に入ります。作谷沢は北作、畑谷、簗沢の三集落の地名から取った通称名です。
そして、前述した畑谷にある丸三製材所に立ち寄りました。あいにく、会いたかった三代目は不在でした。
この製材所は母の遠縁の親戚にあたり、父が大工だったので、二代目、三代目との付き合いがあり、材木の買い付けのため父に連れられてボンネットバスでよく来たものです。父は若くして亡くなり、その後、取引が無くなったこともあり、疎遠になっていました。
最近、三代目に手紙を出したことで、返事をいただき、現在の製材所の状況がわかり、20年以上ぶりで製材所に立ち寄ってみました。
母は畑谷出身で、等栄寺にはこの地域の人たちの墓がたくさんあります。私のルーツは蔵王温泉と、この山辺町畑谷にあったのです。
畑谷から簗沢、北作を走り、再び、山形市へと戻り、滝ノ平へと下りて帰宅し、皮むきが終了しました。
今回交換したタイヤの走り始めのころはタイヤが地面に食いつかず落ち着かない感じでしたが、さすがに、コーナリングの多い山道を走ったおかげで、少し、落ち着きが出ました。
本日(3.12)も皮むきのためツーリングに出かけることにします。
himajintaro at 07:33|Permalink│Comments(0)
2020年11月22日
専称寺のイチョウの葉が落ちると山形に雪が...
昔から専称寺(緑町・寺町・写真)のイチョウの葉が落ちると、山形市内に雪が降ると言われています。このイチョウは山形市の保存樹に指定されています。
等栄寺のヒノキも保存樹に指定されています。
今日は天気が良かったものの、午前中は気温が上がらず、薄着だったのでバイクでは寒さが身に沁みました。
このため、七ツ松(門伝)の墓地、べにばな霊園(大森)の二尊は来週マイカーで行くことにしました。
山形市も間もなく、白いものが空から落ちてきます。
himajintaro at 16:24|Permalink│Comments(0)
2020年10月28日
逆回り墓参り
2020.10.18
毎月恒例、第一日曜日の親類縁者の墓参りは10月は行くことができず、遅れて18日になりました。
通常、最後に行く、妻の父親の墓地は、前々日の16日に白鷹山の帰りに立ち寄ったので割愛し、いつもとは逆回りで墓参りツアーに出かけました。
最初は、山形市村木沢の等栄寺。この寺には、母方の身内が三基七尊が眠っていますが、8月15日に父方の従姉が亡くなったので、近いうちに一基一尊が増えることになります。
従姉の葬儀にはコロナの影響で家族しか出席できませんでした。東京に住んでいる次男家族は葬儀のため帰郷することも許されず、家族も病院での面会は亡くなる直前に許されたということで、本人も家族も、親しくしていた私も寂しい思いをしました。
次は等栄寺から山形市街地を横断して、山家(やんべ)の金勝寺。ここは、一基三尊が眠っています。このうち、一尊は、以前も紹介した遅山仙人の身内です。
谷あいに建てられた寺院ですが、すり鉢状の斜面に墓が立っています。私の身内の墓は一番下にあるので、お墓参りも楽ですが、斜面のお墓では年を取ってから墓参りは厳しくなることでしょう。
続いては、山形市街地の中心部に入ってきて、緑町の唯法寺です。この界隈には浄土真宗の十四ケ寺が集まっています。その昔、山形城の城主だった最上義光(もがみよしあき)が1500年代に浄土真宗の寺を集めて街づくりを進めたとされています。このため、通称、寺町と呼ばれています。
この寺は、元々、蔵王温泉にあったものをこの場所に移したものです。このため、檀家のほとんどは旧堀田村(現在の蔵王温泉や堀田地区)の人々です。私のルーツは蔵王温泉のようです。
ここには、父の実家の一基五尊が眠っています。
先代のご住職は旧制山形中学校(現在の山形東高等学校)の野球部で夏の甲子園でエースピッチャーとして活躍された方です。現在は、娘さんが後を取られています。
以前、蝋燭の火で失火し、現在は鉄筋コンクリートの本堂と庫裡になっています。
この後、近くの蔵米(くらまい)だんご武田米店に立ち寄りました。米屋さんですが、自家製の団子も美味しく、米の配達とともに量が多いと団子の配達もしてくれます。
日曜日は店は休みですが、店主が知り合いで、用事があったために立ち寄りました。
この近所は、前述のとおり、寺町と呼ばれ、この町の街づくりをしている羽州寺町界隈振興会という団体があり、この店主は団体の会長をしています。私も、この団体に所属しています。
西隣のBar Ber Shop しみずは行きつけの床屋さんです。さらに西隣の富輪(ふうりん)商会から、今のリトルカブを買いました。
さらに、ここから北にあるうなぎ・郷土料理あげつまも行きつけのお店です。オーナーが団体の会員のため、総会や会議等で使わせていただいています。高級料理店で敷居が高いと言われていますが、私たちがここで宴会をするときは5千円以上出したことはありません。
寺町を後にして、パソコンの組み立て用の材料調達で清住町にあるパソコン工房に立ち寄りました。ノートパソコンを分解修理していたのですが、CPU用のグリスの手持ちがなかったので、ここに立ち寄りました。
パソコンの部品も、ほとんどがネットで買える時代ですが、数百円の小さな部品は店で買った方が早いのです。ただ、パソコン専用となると、山形市内ではこの店しかありません。一般的な電子部品なら山形の秋葉原、笹原デンキを利用します。
最後に、山形霊園に向かいました。元々、寺町の唯法寺の檀家でしたが、寺の敷地には空いている土地が無く、この霊園に墓地を求めました。その後、葬式仏教に嫌気がさし、ハガキ一枚で住職と檀家総代あての離団届を出して檀家を辞めて、現在、無所属となっています。
この墓地には、私の先祖、三尊が眠っています。高台にあり、山形市内が一望できる良い場所にあります。
この日は、計六基十三尊のお参りを済ませました。
コロナの影響で、葬式仏教にも陰りが見え始めています。コロナ以前から、仏壇や墓石が売れない時代になってきました。改めて、宗教を見つめ直す、いい機会だと思います。
毎月恒例、第一日曜日の親類縁者の墓参りは10月は行くことができず、遅れて18日になりました。
通常、最後に行く、妻の父親の墓地は、前々日の16日に白鷹山の帰りに立ち寄ったので割愛し、いつもとは逆回りで墓参りツアーに出かけました。
最初は、山形市村木沢の等栄寺。この寺には、母方の身内が三基七尊が眠っていますが、8月15日に父方の従姉が亡くなったので、近いうちに一基一尊が増えることになります。
従姉の葬儀にはコロナの影響で家族しか出席できませんでした。東京に住んでいる次男家族は葬儀のため帰郷することも許されず、家族も病院での面会は亡くなる直前に許されたということで、本人も家族も、親しくしていた私も寂しい思いをしました。
次は等栄寺から山形市街地を横断して、山家(やんべ)の金勝寺。ここは、一基三尊が眠っています。このうち、一尊は、以前も紹介した遅山仙人の身内です。
谷あいに建てられた寺院ですが、すり鉢状の斜面に墓が立っています。私の身内の墓は一番下にあるので、お墓参りも楽ですが、斜面のお墓では年を取ってから墓参りは厳しくなることでしょう。
続いては、山形市街地の中心部に入ってきて、緑町の唯法寺です。この界隈には浄土真宗の十四ケ寺が集まっています。その昔、山形城の城主だった最上義光(もがみよしあき)が1500年代に浄土真宗の寺を集めて街づくりを進めたとされています。このため、通称、寺町と呼ばれています。
この寺は、元々、蔵王温泉にあったものをこの場所に移したものです。このため、檀家のほとんどは旧堀田村(現在の蔵王温泉や堀田地区)の人々です。私のルーツは蔵王温泉のようです。
ここには、父の実家の一基五尊が眠っています。
先代のご住職は旧制山形中学校(現在の山形東高等学校)の野球部で夏の甲子園でエースピッチャーとして活躍された方です。現在は、娘さんが後を取られています。
以前、蝋燭の火で失火し、現在は鉄筋コンクリートの本堂と庫裡になっています。
この後、近くの蔵米(くらまい)だんご武田米店に立ち寄りました。米屋さんですが、自家製の団子も美味しく、米の配達とともに量が多いと団子の配達もしてくれます。
日曜日は店は休みですが、店主が知り合いで、用事があったために立ち寄りました。
この近所は、前述のとおり、寺町と呼ばれ、この町の街づくりをしている羽州寺町界隈振興会という団体があり、この店主は団体の会長をしています。私も、この団体に所属しています。
西隣のBar Ber Shop しみずは行きつけの床屋さんです。さらに西隣の富輪(ふうりん)商会から、今のリトルカブを買いました。
さらに、ここから北にあるうなぎ・郷土料理あげつまも行きつけのお店です。オーナーが団体の会員のため、総会や会議等で使わせていただいています。高級料理店で敷居が高いと言われていますが、私たちがここで宴会をするときは5千円以上出したことはありません。
寺町を後にして、パソコンの組み立て用の材料調達で清住町にあるパソコン工房に立ち寄りました。ノートパソコンを分解修理していたのですが、CPU用のグリスの手持ちがなかったので、ここに立ち寄りました。
パソコンの部品も、ほとんどがネットで買える時代ですが、数百円の小さな部品は店で買った方が早いのです。ただ、パソコン専用となると、山形市内ではこの店しかありません。一般的な電子部品なら山形の秋葉原、笹原デンキを利用します。
最後に、山形霊園に向かいました。元々、寺町の唯法寺の檀家でしたが、寺の敷地には空いている土地が無く、この霊園に墓地を求めました。その後、葬式仏教に嫌気がさし、ハガキ一枚で住職と檀家総代あての離団届を出して檀家を辞めて、現在、無所属となっています。
この墓地には、私の先祖、三尊が眠っています。高台にあり、山形市内が一望できる良い場所にあります。
この日は、計六基十三尊のお参りを済ませました。
コロナの影響で、葬式仏教にも陰りが見え始めています。コロナ以前から、仏壇や墓石が売れない時代になってきました。改めて、宗教を見つめ直す、いい機会だと思います。
himajintaro at 06:04|Permalink│Comments(0)