寺参り
2023年12月08日
星祭りに行きました
2023.12.7
先日、遅山仙人と今年最後の墓参りに行きました。
その時に気になった山仲間S氏の菩提寺である大宝寺に置いてあったプラスチックの桶を使った星祭りに行ってきました。
寺の駐車場が一杯だったので、S氏の駐車場にリトルカブを置かせてもらいました。
S氏から本堂でのお参りを促されて、庫裡との間にある檀家用の玄関に入るとご住職の奥様にお会いできました。
以前、ご住職夫妻とはS氏宅や会食をご一緒しているので面識がありました。
知人の総代夫妻が本堂で受付をされていて、久しぶりにお会いしました。
一ヶ月遅れての星祭りだそうです。先月は、別の祭りの関係で酒田に行ったために遅れたとS氏が言っていました。
昨晩、遅山仙人も誘ったそうです。
私は、前回も書いたように、仙人がこの寺院で粗相をしてバチが当たったことと、日蓮宗に対して、とても批判的なことから、誘わなかったとS氏に伝えました。
同じ宗派の僧侶七人の読経が本堂に響き渡りました。私は日蓮宗の読経を聞いたのは、S氏の自宅と二回目の経験でした。
最後に、ご住職により、厄年の祓いと来年の無病息災が祈念されて、本堂での30分に渡るセレモニーは終わりました。
そして、本堂前に置いてあったプラスチックの桶の出番です。
大勢の檀家の見守る中、僧侶七人による禊(みそぎ)の儀式が始まりました。
何度も何度も、水を浴びて、儀式は終わりました。
四隅に立ててあった笹をお守りとしていただきました。
檀家はお斎(とき)があるので、私はS氏と別れました。
S氏の駐車場に戻り、自宅に帰る途中、星祭りが終わるのを待っていたかのように雨が降り始めました。
心が洗われるような、良い行事に参加させていただきました。
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2023年12月06日
仙人と今年最後の墓参り
2023.12.5
11月5日にパンクした遅山仙人を連れて、今年最後の親類縁者の墓参りにでかけました。
急ぐ旅でもないので、朝8時に我が家に来るように仙人伝えましたが、通勤ラッシュにかかって、15分遅れてやってきました。
約5kmのほぼ直線の狭い田んぼ道を来るとラッシュに会わないし、最短コースであることを教えましたが、仙人の頭に入ったかわかりません。
最初は、いつものように両親の眠る山形霊園に向かいました。
眼下に山形市街地が広がり、その先の奥にそびえる月山が白くなり、まさに初冬の風景を仙人は感嘆していました。
今まで何度か連れてきた記憶があるのですが、大半は途中からの合流になっていたので、初めてかもしれません。
次に向かったのは、緑町にある唯法寺です。
途中、交通量の多い道路を避け、裏道を細々と走るため、仙人には車間を開けずに、私を見失わないように走るように伝えたのですが、100m以上離れるために、見失いそうになりました。
私が交差点から発進して、しばらく30km/hで走っても、とても追いつけなくなりました。いつまでも、来ないので心配して引き返すと、遠くから近づく車を待ってから発進したようです。
仙人は、排気量が違うと言い訳します。私が50ccの時から、そうだろうと言うと言葉に詰まります。
仙人は私を追いかけ、周りの車に気をつけなければならないと言います。私は、後ろの仙人と仙人の周りの車を常に見ていると返すと、何も言えなくなります。
郊外ならば、100m以上離れても問題はありません。
急ブレーキをかけられない仙人は、車間を詰めることが怖いと昔から言っていましたが、今はもっと怖くなっているようです。
唯法寺の北隣りの専称寺のイチョウの巨木は、かなり葉を落としていました。このイチョウが黄色くなり、落ち始めると山形市内にも雪が降るという指標になっています。
この寺は、父の実家や父方の親戚の墓があります。
仙人が蔵王第二中学校(蔵王温泉)に赴任中、教え子がゴルフの練習のため山形市内へ自転車で降りていく途中、道から外れて亡くなった時に葬儀で来たことがあると言っていました。
この寺は、元々、蔵王温泉にあり、蔵王温泉やその手前の堀田地区の殆どが檀家になっています。
江戸時代、山形城の城主だった最上義光(よしあき)が、現在の山形市緑町に浄土真宗の寺院14ケ寺を集めた内の一つになります。このことから、この一帯を寺町と言っています。
次は、山仲間S氏の菩提寺である大宝寺です。
S氏は、わかるだけで元禄年間からの七代目の名家です。ご両親と五代前までのご先祖様たちが眠っています。
本堂の前に菰を巻いた蓋付きの大きなプラスチックの容器が置いてありました。
この寺のご住職夫妻を知ってはいましたが、仙人が一度、この寺で粗相をしているので、住職には聞かずに、帰宅後、S氏に尋ねてみました。
すると、
「明後日に星祭りという寺の行事があり、その儀式の中の水行修法で使う水を入れる桶です。儀式は11時から水行は11時半頃の予定です。」
「一般の人も見ることができて、撮影も問題ありません。大歓迎です。」
という返事がきました。
天気を見ながら言ってみようかと思っています。
次は仙人と縁のある金勝寺です。
以前から、仙人の身内と私の身内が同じ墓の中に入っていると、このブログで紹介してきました。
しかし、仙人は正確に覚えていませんでした。
仙人の父親の実家から嫁に行った女性と結婚した男性に夫婦で養子になったのが、父の姉夫婦です。血のつながりはありません。
仙人の父親の実家で法事があると、仙人と父の姉夫婦の長男(私にとっては従兄)が隣の席になるそうです。
そんな関係で、大工だった私の父は、仙人の父親の実家を建てました。私も子供の頃は、何度も遊びに行きました。
仙人が私が入っていた社会人の登山サークルに入ったときには、仙人の素性は知っていました。
仙人は、若い頃、毎年のように両親を連れて、この金勝寺に、初詣に来ていたと言いました。
日付が1月1日に変わるとすぐに自宅を出て、真っ暗の中をどこを走ったのかもわからずに、金勝寺に着き、お参りをして、高い所に登っていった記憶があると言っていました。
そこで、バイクで上まで行けると、仙人を連れていきました。
上から見た、違った景色に、仙人は昔のことを思い出していました。
昔は、初詣は、すごい人出だったそうです。
次に、母方の身内が眠る等栄寺に向かいました。
時刻は10時半を過ぎていました。
四基の墓参りを終えた後、人様の墓をお借りして、コーヒータイムを取ることとしました。
珍しく、仙人はカカオ85%のチョコレートをお茶請けに持ってきました。チョコレートは、どれも甘いという概念で持ってきたようです。
私が持っていったBH氏からもらった柿と一緒に食べないと苦いよとアドバイスをすると、そのとおりだったので、びっくりしていました。
いつものように、時事放談が始まりました。
お得意の宗教問題でパレスチナ問題にご執心のようでした。
また、最近、歴史学者の講演を聞き、僧侶の色話に満足した様子でした。
江戸時代の庶民の色恋事は、今と比べて、おおらかだったことを考えると僧侶の好事は珍しくも特別なことでないと返しました。
仙人は今の僧侶は皆だらし無い、葬式しかしないと不満たらたらでした。
確かに、私も葬式仏教に嫌気が差し、離檀しました。しかし、社会のために一生懸命になっている僧侶の方はたくさんいます。主義主張、思想理念に関わらず、一生懸命しようという人には応援したいものです。
そして、梨園についても、以前から仙人は批判的でした。
以前、仙人と行った河北町の真光寺に市川團十郎が毎年のようにお詣りに来ていたという話を紹介したことがあります。
しかし、最近はお参りに来なくなったので歌舞伎界がおかしくなったと言うので、仙人は自分の両親の墓参りをしたことがないことを指摘すると、何も言えなくなりました。
自分が体を動かさず、座学で批判することは簡単です。何事にも不平不満しかない仙人に真の幸福は来るのでしょうか。
仙人と走るとロスタイムが多く、妻の実家の墓は中山間地にあり、この日は路面凍結も心配されたので、上山の山仲間O氏の墓に向かうことにしました。
村山西部広域農道を上山方面に向かうと、スキー場がオープンした蔵王が白くなっていました。
O氏の墓に着いたときは12時半を回っていました。
新しい花が飾られていました。
11月5日の墓参りでも紹介しましたが、O氏の実家の兄夫妻が亡くなり、真新しい卒塔婆が立っていました。卒塔婆の施主の名前は、O氏から聞いていたことのある名前でした。
やはり、O氏の実家には誰もいなくなったようです。
仙人は、O氏の墓だけには手を合わせました。
昼食場所は、仙人が以前勤めていた南陽市の中川中学校時代によく通ったドライブイン一好(ひとよし)食堂に行きました。
楢下宿 丹野こんにゃくから西に走り、皆沢から広域農道フルーツラインを赤坂まで走り、国道13号線と旧国道13号線を走り、一好食堂に着きました。
この食堂は、2年前の10月21日に岩部山に行った帰りに立ち寄ったのですが、臨時休業でした。
仙人にとっては40年ぶりの一好食堂でした。
先代の店主から中川中学校に何度も出前をしてもらい、食堂にも、何度も顔を出し、店主とお茶を飲んだと言います。
当時の店主の奥様は、まだ、ご顕在のようでした。今の店主は息子さんで、仙人の赴任前に中川中学校に通っていたようです。当時のことや、先生たちのことで話が咲きました。
13時半近くになり、私達が最後の客になりました。
注文したのは、二人共、もつ煮定食でした。私も岩部山のリベンジになりました。
仙人も懐かしい話ができて満足していました。
私達が食堂を出て、店の外で店主とバイク談義をして、14時過ぎて、営業終了となりました。
まだ、時間がありましたが、薄雲が広がり、気温が下がってきたので、我が家でコーヒータイムを取り、16時前に満足した仙人は帰宅しました。
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2023年11月24日
慈恩寺にもお礼参りと友人宅へ
2023.11.21
慈恩寺には、妻が手術のため入院した日の午後から祈願にでかけました。
慈恩寺には11時半ごろ到着しました。
平日ということもあり、駐車場はまばらで、観光バスが1台停まっていました。
近所の蕎麦屋さんに臨時休業の看板が立っていました。
ここも、紅葉のピークは過ぎていましたが、赤と黄色と青い空のコントラスがとても良い感じでした。
10月17日にも山仲間S氏や遅山仙人たちと来ています。その時も、お参りしましたが、今回改めて、妻の御礼のために参拝しました。
本堂の改修工事は終わらず、シートを被ったままでした。5月に快癒祈願に来たときと同じように、本堂とその隣りにある薬師堂にもお参りしました。
午後から、東根の友人宅に伺う約束をしていましたが、時間に余裕があったので、10月17日と同じ八千代公園で休憩することにしました。
10月のときとは、比べ物にならないぐらい快晴で、山形盆地北部と奥羽山脈の眺望が抜群でした。
あの日の山仲間S氏の話によると、一緒に行ったS氏の友人が雨男で、いつも雨に降られているとのことでした。
確か天気予報は晴れの予報だったはずです。
私には霊感はありませんが、勘が当たることは多いほうだと思います。
私の40年来の友人が結婚するというときに、会ったこともない結婚のお相手が違うのではないかと感じ、何度も彼に「本当に彼女で良いのか」と尋ねました。
挙式当日、山仲間たちと出席した披露宴が始まると同時に雷鳴と強雨も始まりました。披露宴が終わると同時に雷鳴と強雨も終わりました。
結婚式は神への誓いと神からの祝福の場だと思っています。
やはり、私の勘は間違いなかったと感じた披露宴でした。
その後、友人はどうなったか?
人一倍苦労しています。
東根に行く途中、トイレ休憩で道の駅河北に立ち寄りました。
友人宅に到着すると黒猫が迎えてくれました。
友人宅には茶トラのオスの高齢猫がいますが、娘が飼っていた若いオスの黒猫を預かったものの、茶トラを追いかけまわして、仲が悪いとのことでした。
友人は噛まれるというのですが、私には友好的でした。
友人はまだ若いのですが、持病の心臓病と三半規管を失ったことにより、会社を息子に任せて隠居してしまいました。
昨年の8月にお邪魔して以来、一年以上ぶりの訪問となりました。
友人へのお土産に、山寺立石寺から健康祈願のために薬師如来のお守りと山形銘菓ふもちを持参しました。
度重なる手術と治療のため大学病院に通院していますが、遅山仙人らしき風貌の人物を見たというのでした。
仙人も大学病院に通院しているので間違いないと答えました。
ペースメーカーを入れていますが、何秒間か心臓が止まることがあるというのです。ペースメーカーの状況はWiFiで病院にデーターが送られているとのことでした。
生々しい話も笑い話になりましたが、三半規管を失ったことで、人との会話も不自由になり、平衡感覚も失われて、運転免許を返納し、ほとんど、家にいる時間が多くなったそうです。
久しぶりに私と話して、リフレッシュしたと喜んでくれました。
帰りに、大好きだった渓流釣りもできなくなったというので、胴長靴と魚を入れるビクとカボチャをもらいました。
これからは、度々、伺おうと思いました。
おしまい
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2023年11月23日
山寺立石寺へお礼参り
2023.11.21
今年の5月に妻が腰の手術をしたので、4月に山寺で有名な宝珠山立石寺に快癒祈願に行きました。
無事に手術も終わり、普段の生活ができるようになったので、お礼参りに行きました。
11月5日にパンクした退屈男の遅山仙人を誘いましたが、珍しく予定が入っているということで、単独で出かけることにしました。
4月にも駐車した根本中堂に一番近い、猫がいる駐車場に停めました。
駐車番のオバさんに200円を払い、人懐っこい猫たちにあいさつをしてから根本中堂に向かいました。
根本中堂の薬師如来に妻の快癒の御礼と健康祈願をして、奥の院を目指しました。
紅葉のピークを多少過ぎた感はありましたが、銀杏の葉も黄色くなり始めて、いいタイミングでした。
朝特有の横からの光がよてもいい感じでした。
平日の朝9時過ぎで、観光客もまばらでしたが、外国人の方も結構登っていました。
今年も走った二口林道と二口峠が見えます。
そういえば、二口林道は遅山仙人と何度も走りましたが、BH氏とは一度も走ったことがありません。
どうも、BH氏は二口林道に抵抗があるようです。絶景ポイントがたくさんあり、いい道なのですが。
中性院のなでぼとけを撫でてきました。
根本中堂にも体を撫でると病が治るという布袋様が鎮座しています。
山寺は、雪囲いと除雪車が準備されていました。週末は雪の予報が出ています。
根本中堂に戻ってくると、御庭番が粋なハートマークを描いていました。
午後から東根市の友人宅にお邪魔する約束をしていたので、根本中堂でお守りを求めて持っていくことにしました。
また、お土産に山形市のソウルフードであるふもちを老舗菓子店の商正堂で買い求めました。
ふもちは山形市役所の公式ホームページに作り方が載っています。
駐車場に戻るとニャンコたちが日向ぼっこしていました。
時刻は10時30分。次の目的地の寒河江市の慈恩寺に向かいました。
つづく
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2023年11月10日
伊達政宗の側室が眠る稱名寺へ
2023.11.8
塩釜市の顕妙寺の副住職にお会いし、色々なことをお伺いし、私の知り合いの住職の件もお願いして、10時25分ごろには、寺の駐車場を発ち、急な坂を下っていきました。
来た道なりに戻りました。県道沿いのスタンドで給油し、太平洋フェリー乗り場に向かいました。
いつも、ここで、トイレ休憩をしますが、この日は、横目でフェリー乗り場を見ながら通過しました。
きたかみという苫小牧からのフェリーが到着していて、乗用車がフェリーから下船していました。
最近、太平洋フェリーに乗ると船内で御朱印がもらえるようです。
朝来た県道を南下しました。
朝来た時に、東部復興道路を走っている時に気がついたことがあります。
東部復興道路の西側を並走している元々の県道をみんな走っています。
東部復興道路は東日本大震災の津波の教訓で、元々の県道の東側(海側)に盛土をして、道路を嵩上げして作られています。
この道路は名取川と七北田川の間に作られています。
信号が何か所かあるのですが、必ず、信号にかかって信号待ちをしなければなりません。
ところが、元の県道には信号がないのでスムーズに走れます。
帰りは、元の県道を走ってみました。見事にゴボウ抜きができました。
その事を知っている人は東部復興道路は走らないのです。
仙台空港の下をくぐって、そのまま南下しました。
岩沼に行く交差点までは交通量が多いのですが、そこから先、亘理までは、全く、車が走らなくなります。
道なりに進み、亘理の町中を横切り、ヨークベニマル亘理店の西側の道へ左折し、5分ほど走ると、次の目的地である朝日山稱名寺に到着しました。
ちょうど、正午でした。
この寺は、以前、googleマップで偶然見つけました。
本当は、岩沼にある釜飯屋に遅山仙人が行きたくていたので、ついでに、この寺に来る約束をしていました。
この寺の開山は1500年。伊達政宗の側室「阿茶の局」が眠る寺です。
庭が広く、樹木が多いのが特徴です。
インドチックな仏塔がありました。
仏塔の周りには石仏に混じってインドゾウの石像も置いてあります。
獅子のような像もあります。
山門につづく階段を上っていくと、掃除をしているオジさんが働いていました。
12時過ぎて、昼休みの時間なのに働いていました。午後から、何か寺の催し物でもあるのでしょうか。
山門をくぐると、右側に本堂と中庭がありました。
左側には涅槃像がありました。
涅槃像は、全国至る所にあるのでしょうが、ここ数年ツーリングで訪れた寺院では珍しいです。
「涅槃で待つ」と言って涅槃に行ったのかどうかわからない俳優を思い出します。
涅槃像はタイで見た黄金の涅槃像のインパクトが強すぎます。
本堂のすぐ左脇にある巨木は、スタジオジブリのアニメとなりのトトロのトトロの木を連想させます。
この木はシイノキで天然記念物とありました。
この木の奥にもシイノキがあります。
根本に伊達政宗の側室「阿茶の局」荘厳院の墓があります。
紅葉はこれからきれいになると思います。
30分ほど庭を見学し、後は、どこにも立ち寄らず帰宅することにしました。
朝日山稱名寺から国道6号を南下し、常磐自動車道山元ICへの交差点を右折し、角田に向かいました。
角田から国道113号に入り、そのまま、白石、七ヶ宿ダムを走り、朝来た金山峠に進みました。
穏やかな日差しの中、金山峠を下っていきました。
実は、この日、宮城県側は朝から風が強く、飛ばされないように走っていました。
山形県に入ると風は穏やかでした。
顕妙寺からの帰りは144kmでした。
行きより、かなり遠回りしたような気がしましたが、12kmだけ長かっただけでした。
目的を達成して、15時20分には帰宅できました。
おしまい
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