仙人
2023年05月03日
激痛仙人、カブ始動!
帯状疱疹の激痛に苦しむ遅山仙人に滋養をつけようと4月21日に焼肉パーティーを開催しました。A5の米沢牛と山形牛を食べた仙人ですが、その後の経過を尋ねると、仙台のペインクリニックの退院後より、症状が悪化したとのこと。
翌週の26日に大学病院での診察があり、奇岩と大パノラマの一念峰でも紹介した通り、薬の副作用により頻度の高い治療ができず、1か月後の診察となってしまいました。
一念峰に行った翌日、仙人から電話が入り、一念峰の山行きについて聞かれました。この時、天気の良い日は家から出るように、スーパーカブを動かすように伝えました。
5月に入った1日目。妻が5月半ばから腰の手術のため、職場を空けるので、ピンチヒッターで妻の職場に入ることが決まりました。打ち合わせのために妻の職場に行った帰りに、仙人の隠れ家に立ち寄りました。
仙人は、ちょうど、買い物に出かける予定だったとのこと。自分のスーパーカブを動かし始めました。一冬、動かしていないために、アイドリングが安定するまで、しばらくかかりました。
今まで、ハーレーなどの大型バイク専門のバイク屋に自分のカブを見てもらっていました。このバイク屋は、だんだん不調になっていく原因がわからず、このスーパーカブを買った村山市のバイク屋さんから、マフラーを交換し、キャブレターを調整してもらい、一発で直りました。
朝、なかなか、エンジンがかからないのも、キャブレターを調整すればいいことなのですが、自分のカブについて御託をたくさん並べるものの、自分では直せないという有様です。
仙人の隠れ家に行った翌日、仙人から電話が入りました。相変わらず、カブの御託を並べていました。ガソリンが安かったことと、スピード感にびっくりしたと言っていました。
119番通報すらできない仙人に、簡単に人が助けに来てくれないような場所には行かないように釘を刺しておきました。
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2023年04月22日
焼肉パーティーと予言
2023.4.21
山仲間でカブのツーリング仲間で、遠縁の親戚である遅山仙人が、今年の1月28日に帯状疱疹にり患し、初期の治療の遅れから、3か月近くなった今でも、数分おきに激痛が走り、治療のめどが立っていません。
薬の副作用もあり、倦怠感から食事の意欲もわかず、衰弱が激しいことから、山仲間S氏とも相談して、焼肉パーティーを挙行することしました。
場所は、JR左沢(あてらざわ)線の柴橋駅としました。
この駅は終点、左沢駅の一つ手前の無人駅で、ホームにかぶさるように桜の木が数本あり、桜の季節なら花見にちょうど良い場所です。ホーム上の桜は終わってしまいましたが、山側の桜は咲いていました。
この一週間、大のお通じが一度もなかった仙人は、歩行と列車の揺れに大腸が刺激されたのか、列車の中でもよおして、すぐに駅のトイレに駆け込みました。
トイレが水洗でないことを愚痴っていました。
口明けに、娘の夫のご両親からいただいた埼玉県の大吟醸酒で乾杯としました。キンキンに冷やして、甘口の美味しいお酒でした。
仙人に滋養をつけたいというS氏の思いから、氏はA5ランクの米沢牛と山形牛を準備してくれました。
私はすき焼き鍋とガスバーナー、五徳を背負って行きました。
長ネギ、シシトウ、シイタケ、ニンニクも焼かれて、仙人の食欲も増し、お酒も進みました。
米沢牛より山形牛の方が美味しいという結論になりました。
S氏はタケノコご飯も持ってきてくれました。
楽しい語らいの間は、仙人に激痛が走りませんでした。ところが、話が核心に迫り、仙人の今までの言動について触れだすと、激しい痛みに襲われるようになりました。
他人や身内の悪口を言い、愚痴ばかりで、隣近所に対しても迷惑ばかりかけていることを本人は理解できず、認めようともしません。
常に自分が正しく、他は間違っているという、頭というか心の物差しを持っているように思えます。
昨年、仙人が導かれるように行った大蔵村肘折の地蔵倉に登る途中、電気的なショックを受けて指に穴が空いた事件。
そして、10月20日。林道黒森線を単独ツーリング中に気を失い、気が付いたら、右足膝内側に大きな穴が空き、筋肉が無くなっていた事件。
その経過から、私が少なくとも半年後までに3度目の事件が起こると予言したところ、帯状疱疹で激痛の日々となってしまいました。
そんな中、焼肉パーティーの前日に、仙人に肉じゃがを持って行ったときに、あるものを見つけてしまいました。
既に亡くなった父親あてに火災保険の証書が届いていました。
仙人は郵便物をため込んでおく悪い癖があるので、私が行ったときは郵便受けから取り出して、トイレの窓から仙人へ手渡しています。
私は偶然は信じません。このことから、4回目の事件は、家を失うのではないかという予言をしました。
仙人は、自分は死んでしまうと言い出しましたが、S氏は、神様は簡単に逝かせてはくれない、気が付くまで、何度でも試練を与えると諭しました。
S氏や私の話は、神様や仏様が私たちの体を使って仙人に伝えていると言うと、仙人の体に激痛が走るのでした。
人としてあるべき姿に気が付けば、周りとの関係も良くなり、激痛も和らいでくるとS氏も私も思うのです。
4回目の事件が起こらないことを願うばかりです。
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2023年04月13日
お見舞いに餃子を焼いて仙人へ
2023.4.11
帯状疱疹の初期治療の遅れにより、後痛である激痛に悩んでいた遅山仙人が仙台のペインクリニックに入院たものの、早々に退院したので見舞いに行ってきました。
元々、アスリートだった自分の体を過信し、いつまでも溜まっていると勘違いしていた体力という貯金を使い果たし、免疫力低下により発症した帯状疱疹も、数分間隔で襲ってくる激痛だけが残り、仙人の心と体を蝕んでいます。
「男やもめに蛆がわく」を地で行く仙人が栄養価の高い食事を摂れるわけもなく、衰弱が激しいと本人も親戚の人も言うので、餃子を持って見舞いに行くことにしました。
豚肉とキャベツ、ハクサイ、タマネギ、ニラ、シイタケ、ショウガ、ゴマ油、しょうゆ、藻塩を餡にした餃子をたくさん作っておき、冷凍保存しておいたものを焼いて、粗熱を取って持っていきました。
また、妻が鶴岡市三瀬の食堂風浦里(ふらり) あねちゃの台所のあねちゃに作り方を教えてもらった豆乳のプリンも持っていきました。
仙人と窓越しに話をしていると、産廃処理の免許を持っていないと思われる流しの業者が立ち寄り、仙人の山積みのコレクションについて、意見をしてくれました。
火をつけられる可能性が高く、早期に処理するように言われました。私も管理怠慢で刑事責任を取られると言ったのですが、相変わらず馬耳東風でした。
仙人のいつもの悪い癖で、関心もないのに会社名や肩書を聞き出そうとします。どうしても、肩書で人を見ようとします。
第三者に言われるのは耳障りなのか、業者を盛んに追い払おうとするのですが、なかなか帰ってくれませんでした。金になると思って目をつけられたかもしれません。
流しの業者が帰った後、早急に人間関係を改善するように言いました。そうしなければ、痛みは和らがないと言いました。
身体的障害の3回目が半年から1年以内に起こると私が予想し、見事に的中したのは、神様や仏様が私の体を使って言わせているのだと伝えて、帰宅しました。
帰宅後、仙人から電話が入りました。餃子とプリンをすべて平らげ、美味かったと連発していました。
入院中に飲酒について医師に確認すると大丈夫だと言われたとのこと。それでは、桜の下での花見の時期は過ぎてしまいそうなので、別の機会に宴会をしようかと言うと、仙人はえらく乗り気でした。
山仲間S氏とも相談し、企画することにしました。
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2023年04月12日
仙人快癒祈願列車の旅
2023.4.10
仙人とのツーリングを辿る列車の旅 その2
(太い色文字クリックでリンク先へ)
山神社で参拝を済ませ、小牛田駅に戻り、石巻線の11時36分発女川行きに乗りました。
この列車も新庄駅から鳴子温泉駅で乗り継いだ列車と同じディーゼルで、二人掛けボックス席でした。
石巻線では、2022.8.5に遅山仙人のリクエストで宮城県登米市の柳津虚空蔵尊に向かう途中、石巻線と気仙沼線の分岐点である前谷地駅に立ち寄りました。演習問題 柳大福まんじゅうのテイクアウト津虚空蔵尊へのルートで紹介しています。
途中の鹿又駅で隣接する宮城県立石巻北高校と思われる高校生たちが多数乗車してきました。月曜日の昼の時間の乗車で、午前中で授業が終わり、午後から入学式でもあるのかと考えてみました。
これが仙人であれば、高校生たちに理由を聞いたと思われます。教師の乗りが彼にはあります。
マンガの町、石巻駅で仙石線に乗り換えました。12時46分発、あおば通行きに乗りました。
仙石線の車両はロングシートですが、一部、転換クロスシートと呼ばれる進行方向にも変えられるタイプのシートもありました。
航空自衛隊松島基地のある矢本駅には、仙台・高城間を東北本線で走る快速の仙石東北ラインのハイブリッド列車が入線していました。
仙石線の本塩釜駅で降りるために、この列車には乗れませんでした。東北本線であれば塩釜駅となります。塩釜市には、塩釜という名前が付く駅が3駅あり、混乱することがあります。
仙石線は東塩釜駅、本塩釜駅、東北本線は塩釜駅です。
前述の宮城県登米市の柳津虚空蔵尊の帰りに、本塩釜駅近くに住む『昔は女子高生』に大福まんじゅうを配達するため本塩釜駅に向かったはずなのに、ワンダリングをして、結局、東塩釜駅で彼女に会うことになりました。この様子は、大福まんじゅうのテイクアウトで紹介しています。
また、この日、塩釜に向かう途中、仙石線の野蒜駅でコーヒータイムを取りました。この様子も野蒜駅と仙人の女性遍歴で紹介しています。
本塩釜駅には13時41分に到着し、この日の第二の目的地、鹽竈(しおがま)神社に向かいました。
鹽竈神社へは表参道の急な階段は登らずに、東側の駐車場側から歩いていきました。
最初に志波彦神社を参拝しました。
帯状疱疹の激痛に苦しむ仙人の快癒を祈願しました。
次に鹽竈神社に進み、ここでも仙人の快癒祈願をしました。
別宮でも、念入りに祈願しました。
実は、仙人は4月4日に仙台のペインクリニックに入院したものの、8日には退院してしまいました。入院中に、専門器具を使っての治療と専門医たちによる今後の治療方針が検討されたようです。
今後、どう治療を続けていくのか、本日(4月12日)、大学病院で決まるようです。
御朱印をいただき、表参道の急な階段を降りました。
再び、本塩釜駅に戻りました。途中、塩釜ビールの幟がある飲食店を見つけましたが、山形駅からリトルカブで帰ることを考えると飲んで帰るわけにはいかず、駅一階にある鮮魚店には塩釜ビールは置いていませんでした。
一時間足らずで、鹽竈神社を往復し、14時42分発のあおば通行きの列車に乗りました。
列車はマンガのラッピングカーでした。
仙台駅で仙山線に乗り継ぎ、15時45分の山形行きに乗りました。
17時14分に山形駅に到着し、一階にある輸入食料品店のジュピターでベルギー王室御用達のドイツビール・ベアビールを一本買い求め、有料駐輪場に止めてあるリトルカブで帰宅しました。
この日も歩きました。4月4日に福井県大野市に行った時ほどではありませんが、十分なほど歩きました。福井県大野市に行った日は、同行した83歳の政財界の陰の大物氏と18,000歩を歩きました。
山形駅で買ったベアビールと3月20日に青春18きっぷを使って孫と行った会津若松駅で買ったソースかつ丼のソースでとんかつを食べながら、仙人とのツーリングを辿る列車の旅と仙人快癒祈願列車の旅を総括しました。
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2023年04月06日
越前大野の視察と仙人の入院
4月3日から5日まで、山形の政財界の隠れた大物のカバン持ちとして、青春18きっぷを利用した普通列車の旅に行ってきました。
3日と5日は山形、米原間の往復。中4日は、北陸本線と越美北線を利用して福井県大野市へ移動しました。
越前大野は山形城の城主だった松平直基(なおもと 家康の孫)が山形に入封される前の20年間過ごした場所です。
大野市では、寺町などの街並みや佇まい、たくさんの湧水と水路の整備などを見てきました。古い街並みと石垣で整備された水路が特徴的でした。
特に感じたのは町の中にコンビニがないこと。昔ながらの魚屋、肉屋、八百屋が残っていること。マンションなどの高層ビルがないこと。空き家が目立たないこと。
路線バスの運転手さんの話によると、夏は大勢の観光客で賑わうそうです。
越前大野から越美北線で一乗谷に移動し、信長に滅ぼされた朝倉氏の遺跡を見てきました。NHKのブラタモリでも紹介されました。
博物館学芸員の資格を持つ大物は「何が何でも、建物を復元するのが、史跡の復元ではない。遺構を上手に残すという方法がこれからの史跡の保存になるという見本だ。」と語っていました。
3日は米原への移動で御殿場線で遠回りをし、逆光ながらも富士山を見ることができました。
5日は3日で走らなかった東海道本線側から富士山を見ることができました。
3日間の全行程をすべて計画通りに進め、昨夜遅く帰宅しました。大物は帰宅後、報告書をまとめる作業に入り、私も一部、お手伝いさせていただくことになります。
今回の旅行中、4日の福井駅で山仲間S氏からLINEで連絡が入り、遅山仙人が仙台の専門病院に入院したとのことでした。
旅行前の1日に仙人に電話を入れたところ、私が旅行中に入院になりそうだと話していました。相変わらずの物臭で、手ぶらで入院できると思っていたようです。
入院案内に、寝間着や下着や洗面道具を持ち込むよう指示されているにもかかわらず、病院で買えるだろう、一週間ぐらいで帰れるだろうと高をくくっていました。
仙人との電話の最中、ネットで調べると、病院と言っても外来の診療所に毛をはやしたような病院で病床が11床しかなく、売店もないことと、2か月も激痛が取れていないから、2か月は入院が必要であろうと伝えると、慌てて持ち物を買いに行くと言っていました。
その際に、荷物が多くなるだろうから、山仲間S氏にお願いして、病院まで乗せてもらうように伝えました。その電話の後にS氏に電話をかけて、仙台までの見送りをお願いしたところでした。
果たして、仙人の痛みは取れるのか、専門病院で治療に専念するしかありません。
himajintaro at 06:54|Permalink│Comments(2)