観光

2019年12月14日

喜多方ラーメン実話

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私たちが2019.10.31に喜多方に向かい朝ラーメンを食べた2週間後、福祉施設に勤める息子が職場の旅行で会津を訪れて、喜多方でラーメンを食べた話です。

事前に、喜多方市役所に大人数が一緒に食べられる店を紹介してもらい、良心的だという店にメニューと数を予約をしました。

当日、店に入るとを予約していたはずなのに、メニューと数を聞かれたそうです。すると、2~3分後に予約していたラーメンが出てきました。

しかし、スープはぬるく、麺は伸びていたそうです。つまり、作り置きしておくという、ラーメン店では絶対にありえない禁じ手を使ったのです。

参加者の大多数は自立を目指す障がい者です。参加者一人一人がバラバラの店に行くことはできなかったのです。みんなガッカリしてきたそうです。

私が喜多方で最初にラーメンを食べたのは、山の帰りに山仲間でバイクの師匠から連れて行ってもらったのが30年以上前です。このころは喜多方のラーメンは殆ど他県からは無名でした。今のように店の駐車場は無く、生協の駐車場に車を置いて食べに行った記憶があります。

その後、喜多方のラーメンが有名になり、昼時は観光バスで来る観光客で賑わうようになりました。

喜多方の良いところは、ラーメン店が比較的小さなエリアに点在しているところです。車やバスを置いて歩いて行ける範囲でラーメン店があります。もしも、店の前に多くの人が並んでいたら違う店に簡単に行けるのです。麺だけに面ではありませんが、観光地が面的になっているという最大の強みです。

山形のようにラーメン店や蕎麦店の一軒一軒が遠く離れていれば、マイカーでは移動できても観光バスのお客さんを受け入れることはできません。

朝ラーメンはしょっぱかったでも書きましたが、最近の喜多方は味が落ちたという声を聞くようになりました。

朝からラーメンが食べられるとは30年前には考えられませんでした。狭い面積に店がひしめき合うだけに、喜多方は競争が激しいのかもしれません。喜多方のラーメン店が24時間営業のコンビニ化することはないでしょうが、客の入りに関係なく、営業時間が長くなれば、それだけ人件費というコストがかかります。

コストダウンの結果が味の劣化に繋がるのでは、客離れを起こしても仕方がありません。店を新しくしたら味が落ちて、客が行かなくなったなんて、よく聞く話です。首が閉まるのはラーメン店自身です。

土産物店の「会津喜多方ラーメン館本館」で振舞う無料のラーメンの方が美味しいではシャレになりません。

最近、秘密のケンミンショーで青森や山形がラーメンの年間消費量が全国一位であることを紹介してくれるようになりました。

喜多方のように観光バスで食べに来てもらうことは叶いませんが、ラーメン好きがフェイスブックで公開グループ「らーめん県ヤマガタ!」を立ち上げ情報交換をしています。ツーリングを楽しむ者として、こういう情報は大切です。

麺好きの遅山仙人でさえも、喜多方には行かなくともよいと言い出し始めました。喜多方がコースに入らないことは残念なことです。これから、コースを会津方面に拡大しようと思っていた矢先のことです。

是非、ラーメンのまち・喜多方が味やもてなしを劣化させることなく、ラーメン好き山形県民をも魅了するラーメンの聖地として活躍してほしいものです。



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2019年11月29日

もしもし亀よ、亀さんよ

2019.11.17

西黒森

馬牽原展望台でのコーヒータイムでは、いつものように、遅山仙人と四方山話に明け暮れました。前回の親戚の話はもちろんでしたが、今回のツーリングでは三つの滝に行くと仙人にナゾかけしていました。〇〇大学法学部に入学して偏差値の高い仙人ですが、相変わらず、ナゾかけには全く弱いのです。

三つの滝とは、エドヒガンの巨木がある上山市沢地区突然道が無くなるくぐり滝新そば祭りの白鷹町野地区です。コーヒータイムで再度ナゾかけをしましたが、私が説明するまでわかりませんでした。

この日のツーリングのメインイベントはほとんど終了しました。あとは、山形に帰るだけです。ここからは30分もあれば着いてしまいます。午後3時を過ぎると、急速に気温が下がってくるので、このまま、帰ることにしましました。仙人とは主要地方道山形白鷹線の途中まで一緒に走り、別れることにしました。

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仙人と別れる途中、東黒森山の南、山形白鷹線のすぐそばに「たらたら清水(亀ノ子水)」という湧水地があります。元々、山形白鷹線は畑谷地区の人たちが普請で山形まで荷車が走れる道路を作り、私の母の親戚が普請に財を投じた一人であることを聞いていました。

当時、畑谷出身で上山市の永田家に養子に入った永田亀之助氏が亀ノ子水を整備し、亀之助氏の息子で元上山市長の永田亀昭氏により復元されたものです。

石の亀を作ったのは、簗沢地区で石屋を営む吉田朝夫氏です。作谷沢地区は「まんだらの里」と呼ばれ、地方の過疎化が叫ばれ始めるころ、地域おこしの優等生として全国の講演会に呼ばれたのが吉田朝夫氏です。私の母親と朝夫氏の義母が身内で同級生ということもあり、親しくさせていただきました。

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この話を仙人にしたところ、永田の名前に食いつきました。永田亀昭と名前が出たので、永田と言えば上山市の永田歯科医院だろう、永田医院には入り浸りだったとのこと。入り浸りだったというのは、歯が悪くて何回も通院したのか、それとも知り合いだったのか。いつものように、要領を得ません。永田亀之助と永田歯科医院が関係があるのか本当のところ、よくわかりません。

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私の幼い頃の記憶には、上杉藩直江山城守兼続が畑谷城を陥落させた映画のシーンが残っています。兼続を誰が演じたか覚えていませんが、畑谷城の城主・江口五兵衛光清の役を俳優松方弘樹の父、近衛十四郎が演じていたことを鮮明に覚えています。近衛十四郎のバラエティードラマ「素浪人 月影兵庫」を毎週見ていたので近衛十四郎の顔をよく覚えていました。

この話を山形市内の著名な郷土史研究家の人たちにしたことがありますが、誰も知りませんでした。

東の関ヶ原の戦いと言われた兼続による畑谷城、長谷堂城陥落の後、富神山から山形城を見ると、盆地特有の放射冷却で雲海の下にあった山形城が見えなかったことから山形城が別名・霞城とも呼ばれる所以にもなりました。

兼続ら上杉軍勢は、遅れて届いた関ヶ原の西軍敗北の知らせのために米沢に引き返したことから山形市内は戦火を免れました。

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遅山仙人とは、この先でお別れです。

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東黒森山の北側を巻いて、T字路で右折し、そのまま道なりに下って行くと自分の家の近くに着くよと、仙人に教えて、私は山形白鷹線を山形市内に向かいました。


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2019年11月19日

11月というのに桜?

2019.11.17

桜の名所に行こうという触れ込みで、11月17日の日曜日、今シーズンのラストランになりそうなツーリングに遅山仙人を誘いました。

本来は、新そば祭りに行くという目的でしたが、同じ日に、山形県内では最上町赤倉温泉で行われる新そば祭りと白鷹町滝野で行われる新そば祭りが重なりました。

昨年は赤倉温泉の新そば祭りに行ったので、今年は白鷹町滝野の新そば祭りに行くことにしました。ただ、白鷹町滝野には自宅から30分ぐらいで着いてしまうので、付加価値を付けるために、最初に桜の名所に立ち寄ってからということにしたのです。

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桜の名所として向かったのは、上山市滝沢です。ここは、「立入禁止罰金二十万円」で書いた広域基幹林道・黒森山線から上山市街地に抜けるルートを探しているうちに偶然見つけた集落です。

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上山市高松から一気に山を駆け上がります。本来のルートはGoogleアースで見ると林の中を走ることになるので、面白みに欠けると思い、果樹園と思われる斜面をつづら折りで上って行きました。

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予想は的中しました。ワラビ園と思われる開けた場所から上山市街地が一望できました。

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果樹園の農道から本来の道路に戻ると快適な尾根沿いの道に変わります。

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集落の入り口に山菜、キノコ採り禁止の看板が立っていました。

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さらに進むと、校舎と思われる建物が朽ちかけていました。

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集落の中ほどに「龍神桜」を案内する木柱が立っていました。

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本来、二つ目の木柱から緑色の斜め右の道を歩いて行くはずだったのを通り過ぎてしまいました。

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林の中に入ると熊の箱ワナが置いてありました。

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ワナの中に熊の好きな蜂蜜など入れておき、熊が入ったら前の扉が閉まるネズミ捕り式のワナです。このワナは猟銃とは別の免許が必要で、熊の捕獲許可(通常は都道府県の許可)が無いとワナを仕掛けることができません。

捕獲許可は農作物被害の実態や人間への危険がない限り下りないことになっています。ここにワナがあるというのは、この集落に猟銃や箱ワナの免許を持っている人がいて、被害や危険性がある時に使うために置いてあると思われますが、通常は人や他の獣が入らないように扉が閉まっているはずです。

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間違ったと思い、Googleマップで確認すると、やはり、間違っていました。先ほどの二つ目の「龍神桜」の木柱に戻りました。気が付きませんでしたが、来訪者用の小さな駐車場までありました。

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ここから歩いてすぐに「龍神桜」があります。暗くてわかりにくいのですが石柱に「龍神桜」と彫られていました。

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ソメイヨシの親であるエドヒガンの巨木でした。

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もちろん、この時期に花が付いているはずもないのですが、上山藩主松平山城守信将のお手植えの桜がこの滝沢にあると書いてあると歴史大好き仙人は食いつくのです。山形の南に滝山があるという言い伝えの土地がここではないかと一人妄想していました。

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来年、この場所に来ようということで、次の観光地を目指しました。


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2019年11月12日

仙人の学歴は?エピソード1

2019.10.31

「そば処彩」を後にし、福島市の中心部に向かって走りだしました。遅山仙人には、もう一つ山に行き、そこでコーヒータイムをするとだけ告げました。

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「そば処彩」から東に走り、東北道、JRをくぐり、毎年三春に行く際に走る県道148号との交差点を北上します。国道13号との交差点を右折し、福島署の交差点を左折し、さらに北上すると目的地が見えてきます。福島東稜高等学校に登る交差点を左折して初めて、信夫山(しのぶやま)に行くことがわかったようです。

福島市内02

前回、2018.9.17のツーリングで信夫山に来たときは烏ヶ崎展望デッキで福島市南部の眺望を楽しみながら、コーヒータイムとしました。

今回は第三展望台でコーヒータイムとしました。

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福島市内の北西部が見渡せます。米沢市へ向かう国道13号、東北新幹線が眼下に見えます。一眼レフカメラと望遠レンズを持ってこなかったので、新幹線の車両を狙うことはできませんでした。

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実は望遠レンズを持ってこなかった代わりに宿題を持ってきました。

私の職場の同じ係に仙人の教え子がいます。彼は仙人のことをよく覚えていました。彼が言うには、仙人はカラスを飼っていたとのこと。中学校でカラスの子供が捕獲され、しばらく学校で飼育していたものの、飼育できなくなり仙人先生が引き取ったのでカラス先生と呼ばれていたようです。

カラス先生は教科書を使わず世間話にふけったり、時々授業を打ち切り、自習にしたりと不真面目な反面、生徒全員に5を付けたという、何とも不可解な先生だったようです。

彼はカラス先生が本質的にどういう人間であるのかが気になってしょうがなく、学歴を知りたいというので、今回のツーリングの茶菓子替わりの話題として、学歴を聞き出す宿題にしました。

カラス先生は、〇〇大学法学部に入学しました。〇〇大学法学部と言えば、司法試験に一番多く合格者を出している法律に関しては名門の大学です。

しかし、文学に目覚め、一年後、文学部に移籍します。卒業後、大学院に進みたかったわけではないのですが、大学に残りたかったようです。とにかく、山形に戻りたくなかったのですが、卒業してしまったので、△△大学に学生として自由に講義が受けられる制度を利用して学籍を置きました。

この間、スイスのジュネーブ大学やイタリアのフィレンツェ大学、アメリカのカリフォルニア大学など海外の複数の大学に短期留学したようです。

留学期間のドイツ語やイタリア語、英語はどうしたのか尋ねたら、持ち前のいい加減さで何とかなったと言うのです。

自宅に帰りたくない一心でアメリカやECを遊びまわったようですが、親のすねをかじっていた身分では、ついに山形に戻らざるを得なくなりました。

山形に帰ってから、しばらく、ぷー太郎でした。その間、私と同じ社会人の登山サークルに入会しました。そして、以前紹介したように仕事をしないで暮らしていたカラス先生に付けられた仇名が霞を食って生きている「仙人」です。

ここで、沸かした水と当時の話が沸騰したので、いつものフレンチプレスでコーヒーを淹れ、後日、カラス先生の多くのエピソードを紹介したいと思います。

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今回はエピソード1として、この度のツーリング272kmの報告はここで終わりにしたいと思います。


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2019年11月10日

磐梯吾妻スカイラインは冬季閉鎖になります

2019.10.31

シルバーギャラリーで賑わった中津川渓谷を後に、紅葉真っただ中、国道115号に向かって走り慣れたレークラインを快適にリトルカブを走らせました。

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一旦、国道115号に入り、フルスロットルで登り、途中から旧道に入ります。

土湯

旧道を登って行くと、安達太良山が見える眺めの良いスポットがあります。

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さらに登って行くと磐梯吾妻スカイラインへ行く交差点になります。

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火山性ガス濃度による夜間通行止めが10月4日に解除になりました。一昨年、スカイラインを走った時も浄土平と吾妻小富士の北側のガスが噴出している場所は駐停車禁止になっていました。

一旦、夜間通行止めは解除になりましたが、本日、11月10日17時をもって冬期通行止めになります。

時間の関係上、何度か走っているスカイラインを登らずに、土湯温泉へ下りることにしました。天気が良くて、スカイラインを走ることに気持ちが引かれましたが、今回は早めに昼食を取ることを考えて、そのまま下りることにしました。

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赤湯温泉 好山荘の奥に東吾妻山、高山が見えます。磐梯吾妻スカイラインは二つの山の鞍部を走り抜けて一切経山、吾妻小富士の間にある浄土平へとつながっています。磐梯吾妻スカイラインについては、後日、紹介したいと思います。

この周辺には温泉旅館が何軒かあるようですが、まだ、一度も立ち寄ったことがありません。上の写真の赤湯温泉は赤い湯の温泉のようです。来年、立ち寄りたいと思います。

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鬼面山の東斜面をトラバースすると福島市内が一望できる場所があります。

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国道115号の新しい道路を走れば時間短縮にはなりますが、紅葉と落ち葉を楽しむには、旧道を走るのが一番です。旧道から土湯温泉へ入りました。

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土湯温泉は川沿いに旅館が立ち並び、NHKの朝ドラ「おしん」で有名になった銀山温泉を新しくしたような雰囲気があります。

余談ですが、〇十年前の女子高生が11月1日に銀山温泉に泊まりたくて予約を入れたら、一泊5万円と言われ諦め、松尾芭蕉が奥の細道で歩いた山刀伐峠(なたぎりとうげ)を越えて赤倉温泉に泊りました。

「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」でも温泉街の古い旅館は全く泊ることができずに、温泉入り口の比較的新しい旅館にかろうじて泊めてもらいました。半年前に予約を入れて、やっと泊まれるという状態のようです。

土湯温泉に近くには土湯賛歌に出てくる男沼(おぬま)、女沼(めぬま)がありますが、今回は立ち寄らずに、国道115号に戻り、昼食場所へと急ぎました。


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