お食事処

2019年09月10日

初めての庄内  出羽三山信仰の羽黒山へ

山形県鶴岡市田麦俣から月山新道(国道112号)に入りました。自動車専用道路は湯殿山ICの入り口までで終わり、田麦俣からは一般国道になります。

鶴岡市落合で国道112号と別れて右折し、広域農道(通称スーパー農道)を少しだけ走り、途中から鶴岡市松ヶ丘(旧羽黒町)に向かいます。

出羽庄内

庄内平野はさわやかな夏の雲が浮かんでいました。

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松ヶ丘から赤川を渡ると最初の目的地、出羽庄内国際村に到着しました。

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この出羽庄内国際村は鶴岡市在住の文化人類学者山口吉彦先生のアマゾン資料が数多く展示されていた場所です。先生はアマゾン研究のほか、奥様(故人)とともに庄内地域の国際交流の発展に貢献されたことでサントリー文化賞を授与されています。

先生とは、庄内地域の高校生や中学生をタイの福祉教育複合施設・子供村学園に派遣するジュニア民間大使の事業に、1995年に同行させていただきました。ちょうど、地下鉄日比谷線の地下鉄サリン事件の時にタイの首都バンコクにいました。

この施設は鶴岡市が運営していますが、現在はアマゾン資料は展示されていないはずです。

この施設の職員二人と知り合いで、以前、バングラデシュのアロアシャ学園の開校式に一緒に行ったことがあります。

用事を済ませて、昼食のため何度も行ったことのある手打ちそばしげ庵に向かいました。この蕎麦屋さんは出羽庄内国際村の知り合いの職員から教えてもらった蕎麦屋さんです。

しげ庵

少なくとも30年前には、庄内地方の酒田、鶴岡には手打ちそばのお店は殆どありませんでした。

記憶にあるのは、これから羽黒山の帰りに通る、羽黒から庄内町狩川(旧立川町)に向かう県道沿いにあった赤坂という蕎麦屋さんで、天ざるがとても安かった覚えがあります。もう一つは、酒田市松山(旧松山町)にあった、店の名前は忘れましたが、つなぎに海藻を使っている蕎麦屋さんぐらいしか記憶がありません。

庄内地方に蕎麦の食文化が無かったのは、元々、庄内平野は米どころなので、痩せた土地に育つ蕎麦を植える必要がなかったからではないかと言われています。

昨今の手打ちそばのブームで庄内地方にもたくさんの蕎麦屋さんができました。

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もりそばと天ぷらをオーダーしました。前回は、円筒形をした、かき揚げを頼んでいます。遅山仙人とツーリングを行くようになったから、再度、手打ちそばしげ庵に来ています。その時にもかき揚げを頼んでいますので、後日、紹介したいと思います。

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昼食の後は、出羽三山信仰の羽黒山に向かいました。

羽黒山

羽黒山へは麓の手向(とうげ)から五重塔を見ながら石段を上って行く方法と有料道路で山頂まで行く方法があります。

今回は、山頂までリトルカブで行く方法を取りました。有料道路の入り口のちょっと手前の上りがとても急で、とてもセカンドギアでは上って行くことができません。道路標示が無いのでわかりませんが、10%を超える勾配なのではないか思います。

有料道路は自動車専用道路になっています。料金所のオバちゃんに原チャリは通れるか尋ねてみると、先ほど、1台原付が上って行ったのでOKとのこと。自動二輪と同じ料金を払って、山頂の駐車場まで上って行きました。

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時間が無かったので、羽黒山神社の本殿のみ参拝し、駐車場に戻り、次の目的地に向かいました。

なお、羽黒山については、遅山仙人と山仲間S氏とともに、後日、4輪車で訪れていますので、後程、紹介します。


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2019年08月14日

薬莱山へ 滝庭の関 駒庄で昼食

やくらい薬師の湯に浸かり、やくらい土産センターで買い物をして、昼食場所は、さらに西に10分ほど行った滝庭の関 駒庄にしました。

薬莱山01

Googleマップは等高線が無いので、地形がよくわかりません。ツーリングコースを事前に確認するときは、Googleマップと衛星写真、そして、必ず、国土地理院2万5千分の1地形図を利用します。薬莱山の南側の麓を道路を西に走ることがよくわかります。

衛星写真は路面が舗装なのか砂利道なのか、わかります。同じように、針葉樹林なのか広葉樹林なのか、田なのか畑なのか、木造家屋なのか鉄筋コンクリート作りなのか、土地の利用状況が立体的によくわかります。

欠点と言えば、具体的な高低差がわからないことです。それを補ってくれるのが国土地理院2万5千分の1地形図です。中学生の時から国土地理院の地形図が好きで、暇さえあれば地図を眺めていました。趣味の登山を始めた時はたくさん地形図を買って、登りたい山に思いをはせていました。

今はネットで自由に見られるようになり、便利になりました。パワーのないリトルカブのツーリングで役に立っています。

薬莱山02

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薬莱山の南西に滝庭の関 駒庄はあります。

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案内板によると、山形県尾花沢市へ抜ける街道の関所跡のようです。ということは、旧小野田町から西に伸びる現在の国道347号よりも、こちらのルートがメインだったのでしょうか。

船形山(山形の人は御所山ごしょざんと言う)への登山口にもなっているとのこと。

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加美町のホームページによると民家を修復して、そば打ち体験や宿泊体験ができる施設にリニュアルし、町の外郭団体である株式会社加美町振興公社が運営しているようです。

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玄関は昔ながらの土間でした。

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そば定食(1,500円)を注文しました。

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そばの味については好みが別れます。激戦区山形にしてみれば普通のそばですが、十分美味しいと思います。

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定食には天ぷらと

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そばの海苔巻き、あんこ餅、

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きゅうりのお新香にそばの実ともう一つ(左手前の器)が思い出せません。

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同じたれでそばを食べる器と天ぷらを食べる器が別々になっています。山形では、同じ器を使っているそば屋さんが多いような気がしますが、上の写真のように大根おろしを入れた別の器にしているのは、そばと天ぷらを別々に食べたい人にとっては親切かもしれません。

ワサビは本物のワサビを摺おろしたものでした。

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平日の昼前に入ったのでお客さんの数もまばらでした。ツーリングで昼食を取る時は、昼食場所へは11時から11時30分着を目標にしています。

名店になるとお客さんが並びますが、喜多方市でそばとラーメンを食べました。一ノ戸弘法そばで書いたように、店としては昼にお客さんが集中されるよりも分散してきて欲しいというのが本音だと思います。

私たちとしても混雑している店に入り、ゆっくり食べることができずに、あわてて店から出なければならないのは不本意です。誰にも迷惑がかからないように、早い時間に入店することを心がけています。

遅山仙人とゆっくり四方山話に花を咲かせて、昼食の時間が終わりました。

仙人が大好きなコーヒータイムを取るため、山形県尾花沢市宝栄牧場をめざしました。


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2019年07月22日

百姓そば屋「ごすけ」へ 2017.8.26

羽根沢温泉から酒田へ抜ける林道でチェーンアジャスターが折れるというトラブルがあり、予定時間を1時間以上遅れて旧松山町外山(とやま)の東側に出ることができました。

何処かに昼食場所はないかと走っていたら、ヘンテコな看板がある一軒家を見つけました。

ごすけ

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周りは田んぼ、道路を挟んで向かい側には家が建っていました。大きな看板はあるものの県道側に背を向けているので、玄関の方に回ってみました。

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地元「庄内」ナンバーの車が2台停めてありました。中に入ってみると、紅白の幕が張ってあり、節操がないくらい、いろんな物がたくさん貼ってありました。農家の父ちゃんがやっている店でした。

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メニューや写真、そば打ち体験、小学生の農業体験や自然体験の受け入れ、それに対する子供たちの感謝の手紙などたくさんあり過ぎて全部はとても紹介できません。

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もらった名刺(写真上)には「がんこおやじ」と書いてありますが、気さくでいい父ちゃんという感じでした。「ファームスティ受け入れOK」とありますが、ホームスティではなく農業のファームのようです。

夜の居酒屋メニューもありますが、こんな周りに家が少ないところで飲んだら、どうやって帰るのだろう。タクシーは来てくれるの? 代行車は来てくれるの??????

名刺にあるザルそばを注文しました。

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麺は粒がわかるぐらい黒っぽく、柔らかめです。これで普通盛り、ほぼ大盛り状態。タレはトロっとして甘く、トビウオ出汁かな。

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付け合わせのナンバン(山形市周辺ではシシトウのことをナンバンと言います)の甘辛煮は美味しく、農家ならでは付け合わせです。

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極めつけは、焼き味噌おにぎり(多分、関東では味噌焼きおにぎりと言うのでしょうか)です。大きいです。麺の量が大盛りに加え、大きな焼きおにぎりで満腹になります。

火野正平氏のNHKこころ旅で話題になったおにぎりです。

「ごすけ」で腹を満たし、本来は、ここから北上し、青沢峠を越えて帰宅する予定でしたが、時間をロスしたために、北上せずに南下することにしました。

旧松山町外山まで上り、山頂の眺海の森(ちょうかいのもり、鳥海山のちょうかいを被らせている)でコーヒータイムとしました。

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天気が良ければ、鳥海山が見えるハズでしたが、あいにく、この日は恥ずかしいのか、姿を現しませんでした。

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まだ、2年前なのでアルマイトのやかんがデビューしていません。お湯を沸かすだけなら”やかん”には敵うものがありません。

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コーヒータイムの後、出発すると、急な土砂降り雨に見舞われましたが、気配を感じてすぐに雨具を羽織ったため、難を逃れ、30分ほどで止みました。その後は、国道47号を最上川沿いに遡り、いつものルートで南下し、山形に帰ってきました。

遅山仙人の隠れ家に着いた頃は、いい夕焼けになっていました。

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一昨日の記事で、昨日、蔵王のコマクサを見に行く予定が天候不順により断念せざるを得ないと書きましたが、実は蔵王に行ってきました。予想以上に天気が良かったので、後日、紹介します。


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2019年07月18日

庄内平野を斜め横断しました。

次の目的地は、酒田市沢田の「ごすけ」です。ここは2年前に行ったことがある場所です。このブログではまだ紹介していませんが、今までのツーリングでは一位、二位を争う過酷なルートでの食事場所だったので思い出が深いところです。この話は、このツーリングの後に紹介したいと思います。

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さて、加茂水族館でクラゲを見た後、日本海沿いを湯野浜温泉まで走り、庄内砂丘を越えて庄内平野に出ました。

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そして、庄内平野を斜め横断しました。

庄内横断Map


三川町を横切り、途中、庄内町余目(旧余目町)で給油しました。自宅から141km、丁度2リットルでリッター70kmとなりました。月山を越えた燃費に、スタンドの男性が驚いていました。

後は酒田市松山(旧松山町)に向かって走り、山頂に眺海(ちょうかい)の森展望台がある外山(とやま)の東側にある目的地を目指しました。

2年前は、南側から「ごすけ」に行きましたが、今回は北側から「ごすけ」に向かいました。最近、遅山仙人は友人を連れて車で「ごすけ」を目指しました。彼は外山の西側に「ごすけ」があると思い込み、散々、探しましたがわからなかったそうです。

彼は、若干、方向音痴の気があり、私の後ろを走ると自分がどこを走っているのか、良くわからないと言います。

加茂水族館から飽海(あくみ)三名瀑の一つと言われる十二滝を見て、青沢峠を越え真室川町に抜けて帰るコースを考えていました。途中、十二滝が近い「ごすけ」で昼食すると丁度良いと考えていました。

実は、6月28日放映のNHK「にっぽん縦断こころ旅」で火野正平さんが「ごすけ」に立ち寄っていました。私はこの日の放送は見ていませんでしたが、仙人が見て知っていました。

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田んぼの中に建つ食堂。何でもあり、夜は居酒屋になるお店です。カウンターにはいつも紅白の幕が張ってあります。店の頑固(全く頑固でない)オヤジは、奥の調理場で仕込みをしているので、カウンタの奥にある呼び鈴で呼び出す必要があります。店の中の様子は、後日、2年前のツーリングで紹介します。

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前回同様、ざる蕎麦を注文しました。

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麺は少し柔らかめ。

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出汁はトロミがあり、とても美味しく、あご出汁かなと思います。

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そして、「こころ旅」でも話題になった焼き味噌おにぎり。ざる蕎麦に普通に付いています。単品で頼むと50円です。柔らかめですが、とても大きく、これ一つでも腹が満たされます。

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頑固オヤジの話によると、店のテレビで「こころ旅」を見ていたら、テレビに出ていた火野正平と同じ声の男が突然店に入ってきて、「俺だ、俺だ」と言われたがピンと来なかったそうです。本当にアポなしで来るんだと感心していました。

近所の畑や家が放映されたので、集落中で話題が広がったそうです。店の前を火野正平が走ったので、みんなで「火野正平ロード」にしようということになり、NHKに打診したそうですが、返事が来ていないと笑っていました。

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頑固オヤジに礼を言い、次の目的地、酒田市北俣の十二滝に向かいました。


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2019年07月13日

リトルカブ使わず宇都宮へ

宇都宮の介護福祉施設に入居している叔母が癌だという知らせが入り、昨年の10月3日、急遽、リトルカブで宇都宮に行くことになりました。しかし、持って行く物が多く、宇都宮市内の駐輪場が早朝から開いていないこともあり、新幹線に切り替えて出かけました。

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叔母は私の父の一番下の妹です。異父兄弟だったため小さい頃から兄姉たちから冷たく扱われたと言います。祖父が40代で亡くなったため、祖母が寂しさを紛らわすように旅芸人を追いかけ、身ごもったのです。

成人して消防士と結婚し、長男を出産して直ぐ、夫が発見者で放火の嫌疑がかけられました。執行猶予の判決が出て間もなく、夫は離婚し、長男を連れて愛人とともに叔母の元からいなくなりました。

今考えれば、おかしいことだと思います。結婚して何年も経たない夫が出産後間もない妻をかばわず、放火したことを証言したのです。愛人がいたことは叔母も気がついていました。消防士が発見者であれば裁判は不利に決まっています。

叔母は今でも放火した記憶が無いと言います。

今回の渡航は、叔母が転んで大腿骨折で手術をしたというので、東京の知人に会いに行くついでに出かけることになったのでリトルカブは使いませんでした。

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叔母は宇都宮でバーテンダーをしていた男性に拾われ、スナックを経営するまでになりました。叔母は幼いころから面倒を見てくれた私の父を頼って、しばしば、山形に帰省していました。私も度々、宇都宮の叔母の所に遊びに行っていました。しかし、男性のDVにより別れることになります。

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叔母は客の借金の保証人になりました。闇金から逃げた客のため叔母は組事務所に軟禁され、うつ病とパニック障害を患い、長期の入院をすることになりました。この間、叔母を慕い支援してくれていた男性が癌のため入院し、叔母に会いたい希望が叶えられずに帰らぬ人となってしまいました。

その後、宇都宮市の生活保護を受けることになりました。

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膝関節や股関節を患い、車いすの生活をせざるを得なくなりました。そして、今まで住んでいたアパートを引き払い、介護施設で暮らすようになりました。

それから数年後、叔母のケアマネジャーから連絡が入り叔母が癌であることを告げられました。たまたま、施設に住む叔母へ年賀状を送ったことで私の連絡先がわかったのです。

宇都宮市役所の生活保護担当課を訪ねました。担当のケースワーカーには会うことができませんでしたが、その日のうちに電話で話すことができました。

何処にいるのかわからない実の息子にも見放され、当時存命だった兄姉たちにも相手にされず、生活保護費を受給することになったとケースワーカーは教えてくれました。

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叔母の癌は進行せず、大腿骨を骨折し、術後の経過は良いものの相変わらず車いすの生活でした。まだ若いのですが、記憶が欠落していたり、妄想が出てきたように感じてきました。

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今回も前回と同じホテルに泊まりました。前回、偶然にも予約したこのホテルの支配人と叔母が知り合いでした。叔母は仕事帰りに風呂を度々使わせてもらったそうです。

さらに、偶然が続き、ホテルの近くで入った餃子屋さんが、叔母の店のすぐ近くにありました。

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父は広い心を持つ人でした。叔母を不憫に思い、昔から叔母を支援してきた私の父も、55歳の若さで、この世を去りました。そんな父の子であることを誇りに思っています。

今、叔母の母方の甥姪はたくさんいますが、兄姉は誰も残っていません。叔母の最期は私が面倒みることが父の供養と思っています。

叔母が存命のうちに、リトルカブで宇都宮に行こうと思っています。


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