歴史・文化

2019年06月02日

気になるナンバープレート

三春藩カブ総会に3回出席しましたが、回を重ねるごとに、ご当地ナンバープレートが増えていきました。


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みんな、地域を象徴するデザインなっています。外に出れば、地域の看板を背負って走るPR車になります。

残念ながら、私が住んでいる山形市には、まだ、ありません。PR下手と言われる県民性、市民性と言われているだけに、是非、ローカリティあふれる、ご当地ナンバーが欲しいですね。


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2019年05月25日

慣らし運転2 延沢城

遅山仙人が以前から、行ったことがある、行ったことがあると言い続けてきた尾花沢市の延沢城に行ってみることにしました。仙人は時々、行ったことがあると言い続けるので、また、行ってみたいということだと理解しています。

仙人の記憶の中では、山の上の城跡から下りられるルートがいくつかあったので、登り口が複数あるだろうとの推測でした。しかし、実際、延沢に行ってみると複数の登り口が見つかりませんでした。

こういう時に利用するのが、国土地理院の2万5千分の1地形図です。特に山の中では、GoogleマップやYahoo地図では限界があります。

古城山

よく見ると、延沢城だった所は、古(お)城山と表記され、学校のそばから登っていくようです。

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実際のところ、常盤小学校の駐車場から登り口があり、それも仮の道であると表記されていました。なぜ、仮なのかというと、ここからのルートは城の正面入り口である大手門口ではないので、仮の表記がなされていたようです。

このルートを登っていくと、途中、大手門口と思われるルートと合流しますが、肝心な大手門口らしきところはわかりましたが、そこには登り口の案内は無く、道として続いているのかわかりませんでした。

上の写真は、常盤小学校入り口にありました。

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この日、延沢城の登り口がわからず、右往左往しているときに知人で東京葛飾堀切菖蒲園駅前で焼肉店を営むベンガル人、橋本羅名(らな)さんから電話が入りました。羅名さんの話では、羅名さんの会社の経理をしている男性(私も知っている人)がレコードを処分するのでいらないかということでした。

デジタル化が進んだ時にレコードプレーヤーを処分してしまい、レコードは聞くことができないと伝えると男性に事情を説明してくれるとのことでした。

後日、男性からメールが入り、私が真空管アンプ(実は最近の中華アンプ)を持っているいることを羅名さんから聞いて、音楽愛好家だと思ったようです。レコードプレーヤーもいただけるという前提で所有するレコードのリストをいただくことにしました。

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常盤小学校からは快適な登山道になっていました。少し登ると大手門口から合流点に延沢城の案内板があります。延沢銀山と書いてありますが、ここから銀が出たのではなく、今の銀山温泉から産出したのです。多分、国から史跡指定を受けた時に、延沢城と銀山が一緒に延沢銀山という名前で指定を受けたので看板に表示する必要があったと思います。

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延沢城跡、古城山を登っていく途中に食べられる山菜を見つけました。

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コシアブラ(写真上)。下の写真のタラノ木の芽(タラノメ)よりも、山形では人気があります。米沢の特産品、木工芸オダカポッポの材料とされている木です。木は太くなっても、しなりがあり、柔らかい木質で加工しやすいので木工芸に使われています。

ウコギ科の植物が持つ独特の風味があり、天ぷらはもちろん、おひたし、炒め物など様々な料理に使われています。

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タラノメ(写真上)。コシアブラとともにウコギ科の植物です。昔から、同じウコギ科のウドと並んで春の山菜として不動の地位を築いてきました。天ぷらなど料理が一般的です。山形はハウスによる栽培が盛んで東京などにたくさん出荷されています。

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イヌドウナ(写真上)。山形市付近ではクワダイと呼ばれています。お浸しが一般的です。香りが強いので好みが別れるところではありますが、私は好きな山菜の一つです。

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ユキモチソウ(写真上)。山菜ではありませんが、花の頂上に白い餅の様なものができるので、その名が付いたと言われています。似たような植物にはマムシグサ、ウラシマソウなどもありますが、白い餅が特徴です。この古城山にはユキモチソウが群生しているようです。

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頂上まではゆっくり登って30分ぐらいです。最初に桝形門跡が見えます。桝形(ますがた)と言うように四角に壁や門に囲まれた広場があり、櫓門(写真下)という、城では一番大きな門をくぐると、いよいよ城の中心である本丸に辿り着くことができます。

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本丸跡は下の写真のように杉林になっていました。

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杉林を抜けると、杉の巨木が現れます。

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杉の巨木の脇に「霧山城之址」という石碑が建っています。霧山城とは延沢城のこと言います。

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山頂には、休憩できる木製のイスとテーブルがあり、いつものようにコーヒータイムとしました。

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山頂からの眺めは、南西部に開けている部分があるものの、全体的に樹木で覆われていて眺望はよくありません。

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帰りは同じコースを戻らずに、一旦北に進み、西側に巻いて元のコースに戻るルートを下りました。

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この城は、北側に曲輪(くるわ)と呼ばれる何段もの棚田の様な地形になっており、敵が攻めてきた場合、簡単には本丸に近づけない構造になっています。南側は切り立っていて、下からの攻撃が上から丸見えになり、まさしく、天然の要塞になってります。

仙人よれば、延沢城は、東西南北の領域を見渡せ、周囲の敵に睨みを効かせることができる絶好の場所だと言うのですが、私には何故、この場所で良いのか全くわかりませんでした。

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西側に回り込み始めるところに池がありました。登る途中に水場のような沢もありましたが、ここも水場としては使われていたのでしょうか。


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石碑には「天人清水」と書いてありました。きれいな水が湧き出るのでしょう。

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池の中にはクロサンショウウオの卵がたくさんありました。

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常盤小学校に置いてあるリトルカブに戻り、延沢から村山市楯岡に抜ける背あぶり峠に向かいましたが、冬期通行止めでした。仕方なく、尾花市内に戻り、旧国道13号を走って山形市に帰ってきました。


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2019年05月08日

慣らし運転 山形交通高畠営業所

二井宿わくわく交流館を後にして、いつも走る国道113号の旧道に入りました。米鶴酒造の前を通り、道なりに高畠の町中を進むと旧「山形交通株式會社高畠營業所」の石造りの建物に辿り着きます。


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ここは、旧日本国有鉄道奥羽本線糠ノ目駅(現JR東日本高畠駅)から二井宿まで伸びていた旧高畠鉄道が山形交通株式會社に経営が移ってからの高畠駅舎が残っている場所です。旧高畠鉄道の施設が残っているのはここだけになります。

山形県内の至る所に出かけ、博学で社会科教師だった遅山仙人でさえも初めて来たと言っていました。

山形交通の鉄道は、この高畠鉄道のほか、三山電気鉄道、尾花沢鉄道がありましたが、私が幼い頃に乗ったことがあるのは三山電気鉄道だけです。私よりも遥かに年上の仙人は、どの鉄道にも乗ったことがないそうです。

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駅舎のそばには、当時の客車と機関車が展示されています。

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旧高畠鉄道の線路敷地は、廃線の後、JR東日本高畠駅から自転車専用道路に生まれ変わりました。この高畠駅にはレンタサイクルのサービスがあるので、この日も自転車の家族連れが旧高畠鉄道の高畠駅を訪れていました。

私もたくさんの子供たちを連れて、この自転車道路を走ったことがあります。道路の両脇には桜や柳が植えられ、所々にベンチが置かれていて、休憩を取りながら走ることができます。鉄道だったために、アップダウンが少なく、走りやすい自転車道路になっています。

旧高畠鉄道を後にして、長井市に向かってバイクを進めました。


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2017年07月22日

私の忘れられない日、平成20年4月28日

平成20年4月28日は、私にとって数少ない生涯忘れることができない日です。

この日は、この年の10月に開催予定されていた日韓国際バイカモサミットの初めての打ち合わせ日でした。夕方、打ち合わせ会場であった山形市緑町にある川魚料理料亭「あげつま」に三々五々、関係者が集まり始めたころ、料亭の主人から主催者団体である「山形五堰(やまがたごせき 注)の流れを考える会」事務局長の清水さんが行方不明になっていることと、朝日町にある最上川の通称「おしんの吊り橋」で清水さんのスクーターが見つかったという急報が伝えられました。

集まった関係者は大騒ぎになり、情報収集に奔走し、サミットの打ち合わせどころでなくなりました。翌日から、私も現地に原チャリで向かい、最上川の両岸の捜索に参加しました。春の雪解け水が大量に流れる最上川は流れも速く、捜索は難航し、家族や親族、関係者の必死の捜索もむなしく、発見に至る情報は見つけることができませんでした。

実質的な捜索は打ち切られましたが、清水さんの息子さんは本業の理容業の休日である月曜日に欠かさず捜索に出向いていました。

そんな矢先、バイカモサミットが開催される直前、息子さんの執念の捜索が実を結び、上郷ダム下流で、清水さんの両腕と頭部の遺骨が発見され、無事に法要が行われました。清水さんの法要には、大勢の人が集まり、会場に入れない人で溢れ、別の場所でのモニター画面での法要になりました。生前の清水さんの人柄が偲ばれました。

そして、人一倍、サミットの開催を望み、サミットの事務局長を務めるはずだった清水さんが天国で見守ってくれている中、日韓国際バイカモサミットは成功裏のうちに終わりました。サミットのメインタイトル「『堰』の流れは人の心をつなぎます」は清水さんの遺言になりました。サミットは清水さんの言葉どおり「人の心」をつないだのでした。







清水さんが亡くなったことで、サミットでは急遽、「山形五堰清水基金」を立ち上げ、たくさんの寄付をいただき、山形市コミュニティファンドに基金を設立しました。農業用水路やその周辺の環境整備活動を実践する団体への支援基金になっています。

そして、私は毎年、清水さんの命日である4月28日前後に原付バイクで「おしんの吊り橋」を訪れ、最上川に手を合わせています。















「おしんの吊り橋」はNHK連続テレビ小説「おしん」でおしん役の音羽信子が生まれ故郷の川を渡る橋として撮影された場所です。橋は板張りになっていますが、最近、劣化が激しく通行止めになっています。「おしん」では銀山温泉が有名になり、外国人観光客も大勢訪れるようになりましたが、この「おしんの吊り橋」は日の目を見ることがなく、残念に思います。



注 山形五堰とは
山形市の市街地は、馬見ヶ崎川(まみがさきかわ)の扇状地に作られた町で、その馬見ヶ崎川の水を水源として、山形市市街地を東西に無数に走る農業用水路が形作られました。大きな堰として「双月堰」「宮町堰」「八ケ郷(はっかご)堰」「御殿(ごてん)堰」「笹堰」の五つの堰を総称して「山形五堰」と呼びます。県庁所在地の中心部を流れる農業用水路に、きれいな水質を好むバイカモが根を下ろしていることは全国的にも珍しいことです。

「三島バイカモ」で有名な三島市で環境保全活動を続けている「特定非営利活動法人(NPO法)グラウンドワーク三島」と韓国江華島でバイカモの保全活動を行っている「韓国ナショナルトラスト江華島梅花藻委員会」と「山形五堰の流れを考える会」が集まって、日ごろの活動を披露し、意見交換や情報交換により、より良い活動を目指すために平成20年10月3日と4日の両日、山形市を会場にして「日韓国際バイカモサミット」が行われました。












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2017年07月07日

NHKこころ旅「長倉の大杉」、山形~長倉入口編

6月30日に放映されたNHKこころ旅で紹介された山形県戸沢村角川(とざわむら つのかわ)の「長倉の大杉」を見に行ってきました。主演の火野正平さんが愛車「ちゃりお君」をこいで、視聴者リクエストによる「こころの風景」を探訪する番組です。

放映の翌日の7月1日に急に思い立ち、遅山仙人(おくれやま せんにん)に電話をして2日に出かけることになったのです。2日の朝7時に遅山仙人宅をスタートし、まず、大石田町のあったまりランド深堀をめざしました。



コース
遅山仙人宅 → 山形市志戸田 → 三河橋 → 山辺町 → 県営野球場(荘内銀行・日新製薬スタジアムやまがた) → 県道24号線 → 寒河江市 → 県道23・25号線 → 河北町谷地 → 国道347号線 → 村山市大久保 → 最上川・隼 → 国道347号線 → 大石田町 → 県道30号線 → あったまりランド深堀「虹の館」

四輪車で大石田町に向かうときは、国道13号線を北上し、尾花沢市から大石田町に入るのが一般的です。国道13号線は片側2車線ですが、山形市から天童市にかけて、信号機が無数にあり、燃費が落ちる難所です。総通過台数では、国道4号線には敵いませんが、確かピーク時の時間当たりの通過台数か1車線の当たりの通過台数では東北でナンバーワンだったような気がします。

こんな道路を原付で走ろうなんて普通は思いませんよね。恐ろしくて、とても乗れません。

そこで、遅山仙人の自宅が山形市内の北西部であることを理由に寒河江市、河北町を経由する国道347号線ルートを度々利用しています。



遅山仙人の登場です。若いころから仙人と呼ばれ、霞を食って生きていると山仲間から言われてきましたが、ここにきて髪の毛も顎髭も白髪が混じり、名実ともに仙人の風貌になってきました。ここは、国道347号線・村山市湯野沢付近です。



写真の向こう側に葉山がうっすら見えてきました。



前夜の豪雨が影響してか、最上川は濁り、ゴミがたくさん浮いていました。遅山仙人がゴミの存在を不思議がっていました。私たちが住む山形市は最上川に隣接していません。しかし、街中に捨てられたゴミや家の周りに放置されたゴミは道路側溝から近くの小さな川に流れ、近くの川は、さらに大きな川に流れ、結果的に最上川に流れていくことを仙人に話しました。日本海のゴミが大きな問題になっていますが、残念ながら、山形市民は無関心な方が多いようです。

次に大石田町のあったまりランド深堀から、最上川沿いを走り、大蔵村烏川をめざします。このルートの目玉は日本三大急流の一つで、山形県の母なる川・最上川沿いにバイクを走らせることと、大石田町大浦地区からちょっとだけ山道を登った小坂峠から見た眺望の良さがあります。あいにくの濁流が残念でしたが、小坂峠からの眺望は実物をご覧いただきたいと思います。

コース
あったまりランド深堀「虹の館」 → 県道30号線 → 大蔵村烏川





小坂峠からの眺望です。







大蔵村堀内付近です。

次は、いよいよ、大蔵村から戸沢村角川をめざします。

コース
大蔵村烏川 → 県道30号線 → 県道330号線 → 国道458号線 → 大蔵村塩 → 農免道路上野台線 → 戸沢村上野 → 県道57号線 → 戸沢村下本郷 → 戸沢村長倉・今熊野神社(大杉)



大蔵村烏川から最上川に別れを告げて、県道30号線を走り、肘折温泉(ひじおりおんせん)に向かう国道458号線に入ります。国道458号線を少し走ると右に県道330号線に入る所がありますが、この県道を入ると戸沢村角川にたどり着きますが、かなり遠回りなので、近道を選びました。県道330号線への分岐点から、さらに右側に「↑戸沢村角川3km」という道路標識のある道を選びます。この道路は農免道路上野台線という農道です。農免道路については、後日、詳しく解説します。ここからは、写真を使って説明します。



「↑戸沢村角川3km」という道路標識のある所です。この道路を入ると上りになります。しばらく登ると急に開けてきます。この辺りは山に登ると広い台地になっていて、多くは農地になっています。



以前はゴルフ場になっていたと思われる建物が残っていました。起伏が少なく、ゴルフ場にはうってつけだったのでしょう。私はゴルフは一通り習いましたがコースに出ることはありませんでした。ここにゴルフ場があったことは知りませんでした。



今や、ゴルフ場跡地は草が伸び放題でした。



ゴルフ場の先には、ウドの畑と



ワラビの畑がたくさんありました。でも、ほとんどは荒れ地でした。遅山仙人は「勿体無い、勿体無い」を連発していました。



農免道路の終点(始点)には、「農免道路 上野台線 至塩6.5km」の標識がありました。塩側には農免道路を表す標識はありませんでした。ここから、県道57号線を北上し、戸沢村下本郷に向かいます。



戸沢村下本郷の分岐点です。分かりにくいのですが、私たちは左方向から来て、右方向に鋭角に曲がります。右方向は、今神温泉に向かいますが、目的地の長倉集落は今神温泉(いまがみおんせん)の手前にあります。

今神温泉は、戦前、ハンセン病(らい病)や不治の病の人たちが入浴すると治ると言われて湯治目的で利用された温泉です。ただ、一説には、看病に困った家族や身内が「姥捨て山」的に病人を置いてきたとも言われています。ある山仲間がバイクのツーリングで今神温泉に立ち寄り、入浴した後、この温泉の謂れを聞いて大慌てをしたことがあります。



さて、この場所が大杉がある長倉集落への分岐点です。「こころ旅」の放送では、右側に通行止めの看板があり、火野正平さんが慌てているシーンがこの場所です。



実際は、この場所が長倉集落への分岐点で、スタッフが大杉までの距離を長く見積もっていたため、長倉集落まで「300m」という標識を見て、火野正平さんが大喜びしていました。



この左側の道路を300m進むと今熊野神社の大杉に「とうちゃこ」します。

大杉は次回「とうちゃこ」編で紹介します。

himajintaro at 23:07|PermalinkComments(0)