歴史・文化

2020年06月17日

宮城県から水を盗んで...

2020.6.5 タケノコ取り

取ったばかりの美味しいタケノコをおかずにして、山形と宮城の県境で昼食を取っていると目の前の道路から次々とタケノコ取り帰りらしき車が現れ、山形県側に走り去って行きました。このことを遅山仙人が気にしていました。

下の写真の正面奥から軽トラなどが現れては走り去って行きました。右下は七ヶ宿町や蔵王町へ続く横川林道です。一昨年、仙人も同行した「林道ダブル走行 南蔵王林道県境~七ヶ宿中心部編」で紹介しています。しかし、仙人はこのツーリングをすっかり忘れていました。

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仙人が道路の先がどうなっているのか気になって仕方がないので、案内することにしました。

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この道路の先に何があるのか?この先には、宮城県から水を盗むために作ったと言われている「横川堰」という農業用水路があるのです。盗むとは穏やかではないのですが、本来、宮城県に流れる横川の源流から山形県上山市へ県境を越えて水を流しています。横川の横から取っているのでまさに横取りです。横川は七ヶ宿ダムに注ぎます。

この水路の歴史は古く、文政四年(1821年)と約200年前に遡ります。

横川堰

30年以上前の話ですが、この用水路の改修工事の設計発注をしていた山形県の農業土木事務所に、私は広域農道(スーパー農道)の設計のため出向していました。赴任初年度に、この「横川堰」に連れてきてもらいました。そこで、林道最終地点の駐車場から横川の取り入れ口まで歩いて行きました。

上の国土地理院2万5千分の1地形図を見るとわかりますが、水路は横川源流の水量豊富な二ッ石沢から取水しています。そして、一枚石沢を横切り、トンネル二つを潜り、県境を越えています。最初は県境はトンネルではなく、下の写真のように掘割で道路沿いに水路が走っていました。

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林道の途中、所々にタケノコ取りと思われる車が何台か入っていました。

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林道の東側に杉ヶ峰、屏風岳、不忘山の南蔵王の山々を眺めることができます。

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突然現れるのは県境をまたぐトンネルです。奥を覗くと山形県側の明かりが見えます。

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ここからは開渠(かいきょ)と呼ばれる蓋がかかっていな水路になります。

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林道の終点は広い駐車場(改修工事時には資材置き場として使われた)があり、二つ目のトンネルの入り口が見えます。ここからは歩かないと横川の源流の取り入れ口に行くことはできません。

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トンネル入り口には横川堰の沿革が書かれた石碑が立っていました。

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この横川堰については、私の兄弟ブログバングラデシュ珍道中記」に登場する悪友が、同じ山形県農業土木事務所で働いていた関係上、記録を残しています。YouTubeにあるので紹介します。

「水土里の水源アーカイブ」
 https://www.youtube.com/watch?v=U2jWEGsz_uk

「ふるさと塾アーカイブ」 
 https://www.youtube.com/watch?v=G5E5G-Eet3o

昔から全国にあった水騒動の一つで、江戸時代には他県から提灯の明かりで測量をしながら水を持ってきたという先人たちの努力が伺い知ることができます。

慣行水利権という昔からの水の権利も明治なってから、ようやく、宮城県から認められるという歴史が今に続いています。

現在では蔵王エコーラインを車で走れば行けるようになった観光地・蔵王刈田岳を源流とする横川から、上山市の南東部に広がる田園地帯を潤す貴重な水資源を頂戴していたという事実を仙人に、とくと話して聞かせました。

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仙人が興味があったのは横川堰の歴史よりも林道が走るブナ林でした。仙人は人の歴史は大好きなのですが物の歴史は興味がありません。物も人が関わるのですが、歴史上の有名人しか興味の対象にならないのです。

林道沿いの鬱蒼としたブナ林を褒めちぎっていました。そんなにいい場所だと思うのなら、今度、一人で来ればいいと振りました。国道13号の交差点を東に折れると、誰でもわかる一本道なのですが、とても一人では来ることのできないのが仙人なのです。

取ったばかりのタケノコを来られなかった山仲間S氏の留守宅に届け、解散としました。





himajintaro at 22:24|PermalinkComments(0)

2020年05月11日

通勤路も葉桜になりました。

通勤路である霞城公園西濠もすっかり葉桜になり、新緑に気持ち良い季節になりました。

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朝通った時はバリケード🚧のままだった公園入り口も夕方には撤去されており、土塁の上を散歩やランニングする人の姿が見受けられました。ようやく、封鎖されていた霞城公園も開放されたようです。

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今年は霞城公園で花見ができずに残念でした。しかし、その分、リトルカブでの通勤時間に西濠の桜をゆっくり眺めることができました。毎年同じ道を走っているものの、気を付けて見ようとしていなかったと思います。

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コロナウィルスも早く終息して欲しいものです。



himajintaro at 18:26|PermalinkComments(0)

2020年05月03日

桜とともに最上川に散った命

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12年前の平成20年4月28日。

この日の夕方、日韓国際梅花藻サミット開催のため、第1回目の打ち合わせを山形市内の鰻・郷土料理あげつまで行う予定で、私はメンバーが集まるのを大広間で待っていました。

数人集まったところで、メンバーの一人であげつまの店主が主催団体の事務局長のスクーターが最上川のおしん吊り橋(写真上下)の中ほどに倒れているのが見つかったという知らせを持ってきました。

当然、打ち合わせどころではなくなり、メンバーのネットワークを使って情報収集が始まりました。吊り橋付近の住人が事務局長がスクーターで近くを走っているのを目撃していました。

翌日の29日、私は当時スクーターで白鷹丘陵を越えて、おしんの吊り橋から下流への捜索に参加させていただきました。その後、毎週現地に出かけ、最上川の両岸を探し回りました。

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事務局長の行方がわからないまま、日韓国際梅花藻サミットの開催準備は進められ、若輩者の私がサミットの事務局を仰せつかることになりました。

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サミット開催直前に、事務局長の息子さんの執念の捜索により下流で事務局長の亡きがらが発見されました。同時に、その近くには、最上川には生息が確認されていない梅花藻も発見されました。

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五堰発表会_山新2008

梅花藻サミットの開催を熱望していた事務局長の意志を受け継ぎ、メンバー全員が心を一つにして準備を進め、サミットには多くの参加者を得て、成功裏の内に終了しました。

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事務局長の死亡、行政からの補助金なし、韓国との政治不和という異例の状態での開催でした。

しかし、事務局長が残した「堰の流れは人の心をつなぎます。」というフレーズは国境という垣根を取り払ってくれました。

今になって思えば、こういう時期だからこそ、国籍や肌の色や考え方の違いを越えて、人々が心を一つにして進むべき時だと思います。

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私は、毎年、この場所に来るのを楽しみにしています。それは、桜とともに最上川に散った命に出会えるからです。



himajintaro at 06:08|PermalinkComments(2)

2020年04月13日

桜の季節のお墓参り

昨年から実家のリフォームを始め、毎週土日は完全にリフォームのために時間を割いてきたためにリトルカブのメンテナンスをしないまま、今シーズンは乗り始めてしまいました。

リフォームにメドが立ったため、昨日、毎月恒例の親戚縁者のお墓参りにリトルカブで出かけました。実は3月はリフォームで忙しく、一昨年の6月から始めたお墓参りで初めて行くことができませんでした。

リフォームをしている間、巷ではコロナウイルスという流行病が大流行して、世の中が変な状態になってしまいました。

不要不急の外出は避けるように言われていますが、田舎暮らしゆえ、公共交通機関に乗らずとも、リトルカブで人気のない寺院や墓園に行くことは感染リスクがないと思います。

今シーズンのツーリングも完全自粛を考えてはいません。いつもの遅山仙人とは、8月末にバイクの師匠で山仲間の友人の命日までは同行自粛としました。すい臓がんで亡くなった友人は今年が七年忌。そこで、いつもの山仲間で盛大に七年忌の行事をやろうと計画しています。

昨日は午前中、実家のリフォームをして、午後からお墓参りに出かけました。

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以前、霊感のある方から、桜には鎮魂の意味があると言われたことがあります。時として、桜の老木には人間の霊が宿っていることがあるそうです。いわゆる、成仏できない地縛霊なのかもしれません。

そういえば、神社仏閣には必ずと言っていいほど桜が植えてあります。山形市の中心部にある霞城公園(山形城跡)には血染めの桜と言われる気持ちの悪いいわれのある桜がありました。人によっては、桜の老木には近づかない方が良いのかもしれません。

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昨日は穏やかでいい天気でした。実家のリフォームも急ぐ必要が無くなったので、徐々にリトルカブのメンテナンスをして、弁当を持参して単独でツーリングに出かけたいと思います。


himajintaro at 06:35|PermalinkComments(0)

2019年11月29日

もしもし亀よ、亀さんよ

2019.11.17

西黒森

馬牽原展望台でのコーヒータイムでは、いつものように、遅山仙人と四方山話に明け暮れました。前回の親戚の話はもちろんでしたが、今回のツーリングでは三つの滝に行くと仙人にナゾかけしていました。〇〇大学法学部に入学して偏差値の高い仙人ですが、相変わらず、ナゾかけには全く弱いのです。

三つの滝とは、エドヒガンの巨木がある上山市沢地区突然道が無くなるくぐり滝新そば祭りの白鷹町野地区です。コーヒータイムで再度ナゾかけをしましたが、私が説明するまでわかりませんでした。

この日のツーリングのメインイベントはほとんど終了しました。あとは、山形に帰るだけです。ここからは30分もあれば着いてしまいます。午後3時を過ぎると、急速に気温が下がってくるので、このまま、帰ることにしましました。仙人とは主要地方道山形白鷹線の途中まで一緒に走り、別れることにしました。

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仙人と別れる途中、東黒森山の南、山形白鷹線のすぐそばに「たらたら清水(亀ノ子水)」という湧水地があります。元々、山形白鷹線は畑谷地区の人たちが普請で山形まで荷車が走れる道路を作り、私の母の親戚が普請に財を投じた一人であることを聞いていました。

当時、畑谷出身で上山市の永田家に養子に入った永田亀之助氏が亀ノ子水を整備し、亀之助氏の息子で元上山市長の永田亀昭氏により復元されたものです。

石の亀を作ったのは、簗沢地区で石屋を営む吉田朝夫氏です。作谷沢地区は「まんだらの里」と呼ばれ、地方の過疎化が叫ばれ始めるころ、地域おこしの優等生として全国の講演会に呼ばれたのが吉田朝夫氏です。私の母親と朝夫氏の義母が身内で同級生ということもあり、親しくさせていただきました。

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この話を仙人にしたところ、永田の名前に食いつきました。永田亀昭と名前が出たので、永田と言えば上山市の永田歯科医院だろう、永田医院には入り浸りだったとのこと。入り浸りだったというのは、歯が悪くて何回も通院したのか、それとも知り合いだったのか。いつものように、要領を得ません。永田亀之助と永田歯科医院が関係があるのか本当のところ、よくわかりません。

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私の幼い頃の記憶には、上杉藩直江山城守兼続が畑谷城を陥落させた映画のシーンが残っています。兼続を誰が演じたか覚えていませんが、畑谷城の城主・江口五兵衛光清の役を俳優松方弘樹の父、近衛十四郎が演じていたことを鮮明に覚えています。近衛十四郎のバラエティードラマ「素浪人 月影兵庫」を毎週見ていたので近衛十四郎の顔をよく覚えていました。

この話を山形市内の著名な郷土史研究家の人たちにしたことがありますが、誰も知りませんでした。

東の関ヶ原の戦いと言われた兼続による畑谷城、長谷堂城陥落の後、富神山から山形城を見ると、盆地特有の放射冷却で雲海の下にあった山形城が見えなかったことから山形城が別名・霞城とも呼ばれる所以にもなりました。

兼続ら上杉軍勢は、遅れて届いた関ヶ原の西軍敗北の知らせのために米沢に引き返したことから山形市内は戦火を免れました。

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遅山仙人とは、この先でお別れです。

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東黒森山の北側を巻いて、T字路で右折し、そのまま道なりに下って行くと自分の家の近くに着くよと、仙人に教えて、私は山形白鷹線を山形市内に向かいました。


himajintaro at 17:33|PermalinkComments(0)