2020年10月08日
玉川寺で本懐を遂げる
2020.10.2
鶴岡市玉川にある玉川寺(ぎょくせんじ)に到着したのは午前8時40分ごろでした。遅山仙人の隠れ家から月山を越えて3時間40分でした。
山形市内は前の日から雨は降っていなかったのですが、月山に近づくと雨が降ったのか、路面が濡れており、鶴岡市に入ると、つい最近まで雨が降っていたかのような路面状況でした。
9時から参拝ができるので、それまで駐車場でコーヒータイムとしました。
いつもは、フレンチプレスでコーヒーを入れていましたが、今回は簡易ドリップのレギュラーコーヒーにしました。仙人が大好きなモカコーヒーで、大変喜んでいました。
ニッカウヰスキーの髭の爺さんのような表情でマドロスパイプを燻らす遅山仙人です。
仙人が玉川寺に来たかった理由は、なぜ、同じ読みで玉泉ではなく玉川なのかということを知りたかったのです。
2020.8.21のキャンプでタンドリーチキンパーティで話題になった玉川寺ですが、それよりも1か月以上前に、歴史書の中から玉泉寺を見つけ、鶴岡の玉川寺に辿り着きました。何故、「泉」が「川」になったのか疑問に思い、玉川寺の住職に電話を掛けて玉川寺を訪ねると言っていたのでした。
多分、そうは言っても自分一人で玉川寺に来ることができない仙人です。まず、私に話題を振って、山仲間S氏にも話をして、暗に自分を連れて行かせるように仕向けるのが仙人の戦法です。
それに、まんまと引っ掛かったように見せかけて、いつも、仙人の行きたいところに連れて行っているのです。
抹茶をいただきました。菓子付きで500円です。
以前、電話をしてご住職と話したので、今都合が良ければ、ご住職とお会いしたいと抹茶を持ってきてくれた、多分、ご住職の奥様と思われる方に仙人は申し出ました。
喫茶去(きっさこ)という扁額(へんがく)が部屋の鴨居の上に掲げてあるので、写真を撮ろうとしたところ、ご住職がおいでになり、私も仙人もビックリして写真が変に撮れてしまいました。
まさか、来てくれるだろうとは思っていませんでしたが、他のブログでも親切に応対していただいたと書き記されたものを見たことがあります。
ご住職は、仙人の要望に、快く応じていただき、疑問を解き明かしてくれました。
道元の弟子である了然明法が開山したと言われる善見山玉泉寺は、住職がいなくなり、廃寺となります。その後、新潟の高僧により再建しますが、一旦、曹洞宗の流れが途切れたため、玉泉寺とはせずに、近くを流れる川の如く清らかなる意味を込めて玉川寺にしたとのことでした。
玉川寺については駒澤大学教授の論文があります。
了然法明と出羽玉泉寺 ―道元・瑩山両祖と関わった高麗僧―
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/43/1/43_1_168/_pdf/-char/ja
福祉作業所の利用者さんが描いたと言うアマビエ石をお土産として買い求めました。
職員と思われる方々に丁寧にお礼を述べ、庫裡を後にしました。
昔、この辺りは国見村だったことから、国見山玉川寺となったようです。本堂入り口の扁額に「國見山」の文字が彫られています。
この寺は、秋は紅葉、春はクリンソウがきれいです。次回は、クリンソウの時期に来たいと思います。
仙人は疑問が解けました。大満足でした。私も知人の弔いができました。
玉川寺で本懐を遂げることができました。
鶴岡市玉川にある玉川寺(ぎょくせんじ)に到着したのは午前8時40分ごろでした。遅山仙人の隠れ家から月山を越えて3時間40分でした。
山形市内は前の日から雨は降っていなかったのですが、月山に近づくと雨が降ったのか、路面が濡れており、鶴岡市に入ると、つい最近まで雨が降っていたかのような路面状況でした。
9時から参拝ができるので、それまで駐車場でコーヒータイムとしました。
いつもは、フレンチプレスでコーヒーを入れていましたが、今回は簡易ドリップのレギュラーコーヒーにしました。仙人が大好きなモカコーヒーで、大変喜んでいました。
ニッカウヰスキーの髭の爺さんのような表情でマドロスパイプを燻らす遅山仙人です。
受付は庫裡(くり)でと案内されました。拝観料400円です。
玉川寺は庭がきれいなことで有名です。このため、藤沢周平原作の映画で何度もロケ地として利用されてきました。
私は、鶴岡市松ケ岡に住む知人が、この寺の住職の知り合いだったことで、何度か訪ねたことがります。
ガラスの蚊取り線香立てが赤い毛氈によく似合います。
俳優の大泉洋に似た小さな仏像がありました。
今年の7月24日、この寺で旧知の「つるおかユースホステル」支配人の葬儀が行われました。私は、この日、葬儀には参列できなかったので、本堂でお参りをさせてもらいました。
玉川寺は庭がきれいなことで有名です。このため、藤沢周平原作の映画で何度もロケ地として利用されてきました。
私は、鶴岡市松ケ岡に住む知人が、この寺の住職の知り合いだったことで、何度か訪ねたことがります。
ガラスの蚊取り線香立てが赤い毛氈によく似合います。
俳優の大泉洋に似た小さな仏像がありました。
今年の7月24日、この寺で旧知の「つるおかユースホステル」支配人の葬儀が行われました。私は、この日、葬儀には参列できなかったので、本堂でお参りをさせてもらいました。
仙人が玉川寺に来たかった理由は、なぜ、同じ読みで玉泉ではなく玉川なのかということを知りたかったのです。
2020.8.21のキャンプでタンドリーチキンパーティで話題になった玉川寺ですが、それよりも1か月以上前に、歴史書の中から玉泉寺を見つけ、鶴岡の玉川寺に辿り着きました。何故、「泉」が「川」になったのか疑問に思い、玉川寺の住職に電話を掛けて玉川寺を訪ねると言っていたのでした。
多分、そうは言っても自分一人で玉川寺に来ることができない仙人です。まず、私に話題を振って、山仲間S氏にも話をして、暗に自分を連れて行かせるように仕向けるのが仙人の戦法です。
それに、まんまと引っ掛かったように見せかけて、いつも、仙人の行きたいところに連れて行っているのです。
抹茶をいただきました。菓子付きで500円です。
以前、電話をしてご住職と話したので、今都合が良ければ、ご住職とお会いしたいと抹茶を持ってきてくれた、多分、ご住職の奥様と思われる方に仙人は申し出ました。
喫茶去(きっさこ)という扁額(へんがく)が部屋の鴨居の上に掲げてあるので、写真を撮ろうとしたところ、ご住職がおいでになり、私も仙人もビックリして写真が変に撮れてしまいました。
まさか、来てくれるだろうとは思っていませんでしたが、他のブログでも親切に応対していただいたと書き記されたものを見たことがあります。
ご住職は、仙人の要望に、快く応じていただき、疑問を解き明かしてくれました。
道元の弟子である了然明法が開山したと言われる善見山玉泉寺は、住職がいなくなり、廃寺となります。その後、新潟の高僧により再建しますが、一旦、曹洞宗の流れが途切れたため、玉泉寺とはせずに、近くを流れる川の如く清らかなる意味を込めて玉川寺にしたとのことでした。
玉川寺については駒澤大学教授の論文があります。
了然法明と出羽玉泉寺 ―道元・瑩山両祖と関わった高麗僧―
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/43/1/43_1_168/_pdf/-char/ja
福祉作業所の利用者さんが描いたと言うアマビエ石をお土産として買い求めました。
職員と思われる方々に丁寧にお礼を述べ、庫裡を後にしました。
昔、この辺りは国見村だったことから、国見山玉川寺となったようです。本堂入り口の扁額に「國見山」の文字が彫られています。
この寺は、秋は紅葉、春はクリンソウがきれいです。次回は、クリンソウの時期に来たいと思います。
仙人は疑問が解けました。大満足でした。私も知人の弔いができました。
玉川寺で本懐を遂げることができました。