ジンギスカンが食べたいと言ってたくせに...冬眠中に実家のリフォーム

2020年02月02日

二次会でも袋叩き

前回、ショッピングセンター吉田での新年会・焼肉パーティーを紹介しました。今回は、その続編です。

一次会が午後一時に終わり、午後から仕事の悪友と別れ、時間もあるので山仲間S氏の知人がやっていると言う近くのお店に向かいました。

山形市春日町にある「味工房すず」という和食屋さんです。ここは、以前は「花車」という名前でした。私も何度か来たことがありました。花車の女将から店を引き継ぐことを頼まれ、素人だった現在の女将が切り盛りしているとのことでした。美味しいオーガニックのコーヒーも出してくれる店でした。

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赤を基調とした店内に吊るし雛が飾ってあるカウンターで遅山仙人を挟んで後半戦が始まりました。

前半のスーパーマーケットの焼肉コーナーから比べると落ち着いた雰囲気に安心したのか、仙人が愚痴をこぼし始めました。

仙人には朝9時23分発の列車に乗るように、日を空けて何度も伝えたのですが、仙人から当日の8時30分ごろ連絡が入りました。

仙人「8時43分だっけが?」
私 「??? 9時23分だと何度も言ったよね!」

頭のいい仙人の頭のメモ帳が破れ始めたようで、仙人は8時から駅に待っていたとのこと。仕方なく、駅の近所に住む叔母の家でどら焼きを食べお茶を飲んで暇つぶしをしたと言うのです。

その時に叔母の家で見た、叔母の人工透析治療費の明細に400万円と書いてあったことを見て愚痴ったことで後半戦の火蓋が切って落とされたのです。

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通常、人工透析は国で全額費用を負担しくれるので個人の負担がありません。しかし、仙人は全額自己負担になるのです。仙人の暮らしをしているので日本の社会保障、社会福祉制度に馴染みません。

ここから、S氏と私から散々攻められます。以前から日本の制度に馴染むように口を酸っぱく言ってきたのですが、前半戦で紹介したように能動的には動きません。口ではわかったと言いますが、動きません。

話題は次に移り、自分の母親が末期に病院から受けた羞恥が忘れられなく、ことある度に愚痴をこぼします。

病院に入院していた仙人の母親は、自立での食事ができなくなり、面会に来た仙人が食べさせると食べていたと言います。お盆休みが近くなったころ、病院は流動食に切り替えました。このことに仙人は腹を立てていました。

お盆で正職員の看護師が休みに入るために、パートや臨時の看護師に任せて手を抜いた、そこから母親の様態が急変したと一方的に決めつけていました。

私は、仙人が三食とも自分で食べさせるのなら病院側は流動食にはしなかっただろうと言いました。なぜ、三食とも仙人が食べさせなかったのか質問しましたが、返事を返せませんでした。

また、母親が亡くなったという知らせを受けて病院に駆けつけた時、酸素マスクや心電図は外されていたと言うのです。親族が駆け付けるまで医療機器は外すべきでないというのが彼の持論です。さらに、心臓マッサージは親族が到着するまで止めるべきではないというのです。

私もS氏も身内の死には何度も立ち合い、経験しています。彼の言い分はわからないでもありません。

私は、父が、くも膜下出血で倒れた時、母と妹夫婦と私とで三交代で24時間付き添いをしました。その経験上から、仙人に24時間付き添いを何故しなかったのか問いただしました。

彼は食事と同じようにまともに答えられませんでした。仙人は母親が可哀想だったと言いながら、仕事で家や病院から離れなければならなかったことを病院や身内のせいにしています。

こんなことばかりを言うので、後半戦は前半戦よりも激しい袋叩きに遭いました。

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実は、後半戦は二次会でも終わらず、仙人が乗る列車の到着までの間も駅でコーヒーを飲みながら、仙人の袋叩きは続きました。

私たちからボコボコにされて、本人はさぞかし疲労困憊、傷心の身で帰っただろうと思うのは間違いです。周りの人たちが思うほど、心に留まらないのです。

数十年来の友人であり、まっとうな暮らしに戻って欲しいと心底願っているのですが、母親の死以降、自堕落な生活から、なかなか抜け出せないでいるのです。

S氏は今後も攻撃の手は緩めないと言っています。私も戦法を変えようと思っています。

他にも仙人には話題がたくさんあります。機会を見て、ゆっくりとご紹介します。


himajintaro at 07:00│Comments(0)仙人 | お食事処

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