どこに行っても親戚だらけムキタケは洗って干して冷凍

2019年11月29日

もしもし亀よ、亀さんよ

2019.11.17

西黒森

馬牽原展望台でのコーヒータイムでは、いつものように、遅山仙人と四方山話に明け暮れました。前回の親戚の話はもちろんでしたが、今回のツーリングでは三つの滝に行くと仙人にナゾかけしていました。〇〇大学法学部に入学して偏差値の高い仙人ですが、相変わらず、ナゾかけには全く弱いのです。

三つの滝とは、エドヒガンの巨木がある上山市沢地区突然道が無くなるくぐり滝新そば祭りの白鷹町野地区です。コーヒータイムで再度ナゾかけをしましたが、私が説明するまでわかりませんでした。

この日のツーリングのメインイベントはほとんど終了しました。あとは、山形に帰るだけです。ここからは30分もあれば着いてしまいます。午後3時を過ぎると、急速に気温が下がってくるので、このまま、帰ることにしましました。仙人とは主要地方道山形白鷹線の途中まで一緒に走り、別れることにしました。

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仙人と別れる途中、東黒森山の南、山形白鷹線のすぐそばに「たらたら清水(亀ノ子水)」という湧水地があります。元々、山形白鷹線は畑谷地区の人たちが普請で山形まで荷車が走れる道路を作り、私の母の親戚が普請に財を投じた一人であることを聞いていました。

当時、畑谷出身で上山市の永田家に養子に入った永田亀之助氏が亀ノ子水を整備し、亀之助氏の息子で元上山市長の永田亀昭氏により復元されたものです。

石の亀を作ったのは、簗沢地区で石屋を営む吉田朝夫氏です。作谷沢地区は「まんだらの里」と呼ばれ、地方の過疎化が叫ばれ始めるころ、地域おこしの優等生として全国の講演会に呼ばれたのが吉田朝夫氏です。私の母親と朝夫氏の義母が身内で同級生ということもあり、親しくさせていただきました。

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この話を仙人にしたところ、永田の名前に食いつきました。永田亀昭と名前が出たので、永田と言えば上山市の永田歯科医院だろう、永田医院には入り浸りだったとのこと。入り浸りだったというのは、歯が悪くて何回も通院したのか、それとも知り合いだったのか。いつものように、要領を得ません。永田亀之助と永田歯科医院が関係があるのか本当のところ、よくわかりません。

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私の幼い頃の記憶には、上杉藩直江山城守兼続が畑谷城を陥落させた映画のシーンが残っています。兼続を誰が演じたか覚えていませんが、畑谷城の城主・江口五兵衛光清の役を俳優松方弘樹の父、近衛十四郎が演じていたことを鮮明に覚えています。近衛十四郎のバラエティードラマ「素浪人 月影兵庫」を毎週見ていたので近衛十四郎の顔をよく覚えていました。

この話を山形市内の著名な郷土史研究家の人たちにしたことがありますが、誰も知りませんでした。

東の関ヶ原の戦いと言われた兼続による畑谷城、長谷堂城陥落の後、富神山から山形城を見ると、盆地特有の放射冷却で雲海の下にあった山形城が見えなかったことから山形城が別名・霞城とも呼ばれる所以にもなりました。

兼続ら上杉軍勢は、遅れて届いた関ヶ原の西軍敗北の知らせのために米沢に引き返したことから山形市内は戦火を免れました。

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遅山仙人とは、この先でお別れです。

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東黒森山の北側を巻いて、T字路で右折し、そのまま道なりに下って行くと自分の家の近くに着くよと、仙人に教えて、私は山形白鷹線を山形市内に向かいました。


himajintaro at 17:33│Comments(0)観光 | 歴史・文化

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