2020年10月

2020年10月29日

日本一の栗の木へ

2020.10.9

西川町大井沢の山の中にある日本一の栗の木へ行ってきました。本当は、ツーリングで遅山仙人と行く約束をしていたのですが、仙人は音信不通となり、マイカーで愛妻と行ってきました。

日本一の栗の木はGoogleマップで大井沢周辺を見ていた時に偶然見つけたものです。

大井沢は映画「いしゃ先生」のモデル、女医の志田周子(しだちかこ)が生涯を地域医療に捧げた雪深い無医村でした。

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上の写真は昭和50年に発行された「周子の生涯 鈴木久夫著」の章の扉です。癌の治療ため東北大学病院に入院中の写真です。中央が周子先生、左手前は私の大学の同期で、長男が戦死して、先生の実家を継いだ弟の長男(甥)です。

同じ研究室の同級生が大井沢出身であったことから、学生時代に同級生の父上(周子先生の弟)の案内で朝日連峰を縦走したり、同級生の家に泊まったりしていました。

そんな縁もあり、毎年のように大井沢に遊びに行っていました。

日本一の栗の木には林道を走っていくのですが、間違って行き過ぎてしまいました。こういう時に、気が付いて引き返すのは地味に痛いです。これが、二輪ならば、360度視界とはいかないまでも、雰囲気で目的地がわかるものです。

引き返した戻り路でキノコを発見しました。

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上の写真の白いキノコはスギヒラタケです。何年か前までは普通に美味しく食べていたのですが、中毒症状を起こす人が現れて、一気に毒キノコに指定されてしまいました。

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次はヌメリイグチ。ナメコのようにツルツルしてますが、傘の裏がスポンジ状になり、消化が悪いとされています。カラマツ林などに大量に発生します。

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キノコを採った後、栗の木の入り口の駐車場を見つけました。目立たない案内板があり、見落としていました。

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栗の木は案内板にもあるように炭を焼く原料にされていましたが、硬くて簡単に腐らないことから線路の枕木や住宅建築の柱を立てる土台に使われてきました。

私の父は大工職人でしたが、職人気質で土台は腐りにくい栗しか使いませんでした。

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とにかく、大きな木です。木道が敷かれ、踏み付けで根を傷めないようにしてありました。

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イガがたくさん落ちていて、早速、栗拾いとなりました。

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イガの中に大きな粒が一つ入っているのが特徴です。

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栗がたくさん拾えるとは予想がつきませんでした。キノコも栗も、例年より2週間から3週間は時期が遅れています。

昼食は、西川町の名物、山菜そばを渓声庵でいただきました。

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駐車場には県外ナンバーのお客さんがたくさん入っていました。

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山ブドウのジュースと山ブドウで染めた大根漬け、山形名物青菜(せいさい)漬けがお通しで出ました。これだけでも、県外の人はテンションが上がると言います。

メニューは山菜そばだけです。

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西川町の山菜そばは、春は山菜、秋はキノコの煮汁を付けて味わいます。今年は、前述のようにキノコが遅れているので、一部栽培物のキノコが入っていました。例年なら、すべて天然物になります。天然のキノコから出た味と香りが出汁になり、とても美味しい付け汁になります、

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秋の味覚で満足して、秋の味覚を自宅に持って帰りました。

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夕食は、妻の友人からもらったマイタケの炊き込みご飯、秘密のケンミンショーで度々紹介された山形のソウルフード芋煮(出典:農水省)、それに大井沢で取ってきたヌメリイグチです。

ヌメリイグチはゴミを取って十分水洗いし、大根おろしでいただきました。キノコの天然物は味も香りも強く、秋の味覚の代表的な物です。

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粒の大きい大井沢の日本一の栗の木の実は、栗の頭と尻にキッチンバサミで傷を入れて圧力鍋で蒸すと皮が剝きやすくなり、妻が栗ご飯と渋皮煮にしてくれました。

日本一大きい栗の木を見て、キノコ取りと栗拾いができてラッキーな一日でした。


himajintaro at 16:52|PermalinkComments(0)山菜取り | お食事処

遊園地の成れの果て

2020.10.18

毎月恒例のお墓参りの最終地点、山形霊園でお参りを済ませた後、久しぶりに、墓地から上に登っていきました。

山形霊園から僅か登っていくと、昔、花夢花夢(かむかむ)というお花畑と遊戯施設が併設されたレジャー施設がありました。

様々な種類の園芸種の花々が広大な敷地に咲き乱れて、見る人々の心を癒しました。

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さらに敷地内には、大観覧車、ゴーカート、パターゴルフ、ボールプールなどの遊戯施設とジンギスカンや軽食が取れる食堂やオリジナルの土産物や草花の売店などがありました。

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大人から子供まで、じゅぶんに楽しめるレジャー施設でした。季節により咲いている花も変わり、私も子供たちを連れて何度も出かけました。

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ところが、この施設を経営している建設会社が経営破綻してしまいます。バブル全盛期に公共事業を手掛ける中堅企業でした。

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ウィキペディア(Wikipedia)に簡単な経過が載っていますし、ネット検索するとたくさんの写真が出てきます。

プロゴルファー横峯さくらさんのお父様が再建に乗り出しますが、頓挫してしまいます。

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花夢花夢は元々、林地開発と都市開発の許可を受けて造成されたのですが、経営者が倒産したことにより、横峯さんは、再度、開発許可を取り直す必要に迫られました。

ところが、敷地全体を借地としていたため、所有者の同意が許可の条件となりました。無数にいる登記簿上の地権者と地権者の死亡による法定相続人の数は想像を絶する数となりました。

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現存する所有者と相続人全員を特定し、同意の判を得るには、莫大な費用と膨大な時間がかかることがわかり、再建計画は頓挫してしまいました。

駐車場には太陽光パネルが設置してありました。

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大観覧車は鋼材の原料として解体して売られていきました。

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建物はほとんど残っていますが、朽ちて崩れ落ちるのは時間の問題です。

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職場の宴会でジンギスカンを食べたことを思い出します。

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管理者のいない花夢花夢は草木が生い茂り、元の山林に戻っていきます。

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ゴルフ練習場だけが開発許可を受け、営業を続けています。

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2020年10月28日

逆回り墓参り

2020.10.18

毎月恒例、第一日曜日の親類縁者の墓参りは10月は行くことができず、遅れて18日になりました。

通常、最後に行く、妻の父親の墓地は、前々日の16日に白鷹山の帰りに立ち寄ったので割愛し、いつもとは逆回りで墓参りツアーに出かけました。

最初は、山形市村木沢の等栄寺。この寺には、母方の身内が三基七尊が眠っていますが、8月15日に父方の従姉が亡くなったので、近いうちに一基一尊が増えることになります。

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従姉の葬儀にはコロナの影響で家族しか出席できませんでした。東京に住んでいる次男家族は葬儀のため帰郷することも許されず、家族も病院での面会は亡くなる直前に許されたということで、本人も家族も、親しくしていた私も寂しい思いをしました。

次は等栄寺から山形市街地を横断して、山家(やんべ)の金勝寺。ここは、一基三尊が眠っています。このうち、一尊は、以前も紹介した遅山仙人の身内です。

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谷あいに建てられた寺院ですが、すり鉢状の斜面に墓が立っています。私の身内の墓は一番下にあるので、お墓参りも楽ですが、斜面のお墓では年を取ってから墓参りは厳しくなることでしょう。

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続いては、山形市街地の中心部に入ってきて、緑町の唯法寺です。この界隈には浄土真宗の十四ケ寺が集まっています。その昔、山形城の城主だった最上義光(もがみよしあき)が1500年代に浄土真宗の寺を集めて街づくりを進めたとされています。このため、通称、寺町と呼ばれています。

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この寺は、元々、蔵王温泉にあったものをこの場所に移したものです。このため、檀家のほとんどは旧堀田村(現在の蔵王温泉や堀田地区)の人々です。私のルーツは蔵王温泉のようです。

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ここには、父の実家の一基五尊が眠っています。

先代のご住職は旧制山形中学校(現在の山形東高等学校)の野球部で夏の甲子園でエースピッチャーとして活躍された方です。現在は、娘さんが後を取られています。

以前、蝋燭の火で失火し、現在は鉄筋コンクリートの本堂と庫裡になっています。

この後、近くの蔵米(くらまい)だんご武田米店に立ち寄りました。米屋さんですが、自家製の団子も美味しく、米の配達とともに量が多いと団子の配達もしてくれます。

日曜日は店は休みですが、店主が知り合いで、用事があったために立ち寄りました。

この近所は、前述のとおり、寺町と呼ばれ、この町の街づくりをしている羽州寺町界隈振興会という団体があり、この店主は団体の会長をしています。私も、この団体に所属しています。

西隣のBar Ber Shop しみずは行きつけの床屋さんです。さらに西隣の富輪(ふうりん)商会から、今のリトルカブを買いました。

さらに、ここから北にあるうなぎ・郷土料理あげつまも行きつけのお店です。オーナーが団体の会員のため、総会や会議等で使わせていただいています。高級料理店で敷居が高いと言われていますが、私たちがここで宴会をするときは5千円以上出したことはありません。

寺町を後にして、パソコンの組み立て用の材料調達で清住町にあるパソコン工房に立ち寄りました。ノートパソコンを分解修理していたのですが、CPU用のグリスの手持ちがなかったので、ここに立ち寄りました。

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パソコンの部品も、ほとんどがネットで買える時代ですが、数百円の小さな部品は店で買った方が早いのです。ただ、パソコン専用となると、山形市内ではこの店しかありません。一般的な電子部品なら山形の秋葉原、笹原デンキを利用します。

最後に、山形霊園に向かいました。元々、寺町の唯法寺の檀家でしたが、寺の敷地には空いている土地が無く、この霊園に墓地を求めました。その後、葬式仏教に嫌気がさし、ハガキ一枚で住職と檀家総代あての離団届を出して檀家を辞めて、現在、無所属となっています。

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この墓地には、私の先祖、三尊が眠っています。高台にあり、山形市内が一望できる良い場所にあります。

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この日は、計六基十三尊のお参りを済ませました。

コロナの影響で、葬式仏教にも陰りが見え始めています。コロナ以前から、仏壇や墓石が売れない時代になってきました。改めて、宗教を見つめ直す、いい機会だと思います。

himajintaro at 06:04|PermalinkComments(0)単独ツーリング | 寺参り

2020年10月24日

なぜ、仙人は音信不通になったか。

音信不通になった遅山仙人のことが心配される方が若干名いらっしゃるので、経過を報告したいと思います。

4年以上前、仙人は電話料金未納により、携帯電話会社から電話を止められてしまいます。

以前は、いろいろな店でガラケー本体をタダでプレゼントして、電話の契約により電話会社から店がマージンをもらい、電話会社も加入者を増やすというキャンペーンが横行していた時代があります。

仙人は寿司屋さんから携帯電話をもらいます。何年も使っていたのですが、ある日、振り込み口座から残高不足で落ちなかったため、電話会社から請求の手紙が届きます。

怠惰な生活をしていた仙人は郵便物を一切見なかったために電話会社からの請求を見ませんでした。突然、電話を掛けることができなくなりましたが、しばらくの間、何もせずに時間が過ぎてしまいました。気が向いた仙人が代理店に行った時は、時すでに遅しでした。

未納分の料金は納付したものの、契約更新は拒否されてしまいます。山仲間S氏は電話関係の工事を生業にしていたので、この辺の事情を知っていました。彼の醜態は信用情報(ブラックリスト)に載ってしまったようです。S氏によると5年間はブラックリストから消えないだろうとのことでした。

ブラックリストに載ればどうなるのか。金融機関からの借り入れができない。クレジットが組めない。もちろん、携帯電話の契約ができない。場合によっては、保証協会からの保証が受けられないので、保証人なしではアパートを借りることができないかもしれません。

最近、とみに増えた自己破産は10年間はブラックリストから復権できないとされ、この間、会社を設立することすらできないはずです。また、復権は自動的になるのではなく、自己破産を決定した裁判所の手続きが必要だったはずです。

仙人は自業自得ですが、困り果てた仙人を見かねた友人N氏がプリペード型のガラケーを仙人に貸すことになりました。

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4年前までは、髪も切り、髭もきれいに剃っていました。その後、プリペードが故に料金未納の心配もなく、安心しきったのか、髪はボウボウ、髭は伸ばし放題になってしまいました。

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今年に入ってから仙人のガラケーは調子が悪くなり、時々、掛からなくなってしまいました。

心配した友人や山仲間は、ブラックリストから復権しているかもしれないので、スマホの契約を勧めます。ところが、何度言っても、動こうとしません。

仙人は、ガラケーを何とか修理して延命措置を考え出します。しかし、ガラケーを仙人が代理店に持ち込めば、契約者本人の確認ができないので、仙人は盗品を持ち込んだと思われ、最悪、御用となってします。

また、本来、プリペード型携帯電話は、短期で貸し出す分には問題ないのですが、4年以上貸しているとなると問題が出てくるのです。

N氏は、仙人に最後通告をします。S氏とともにS氏が勧める代理店に行くように指示します。期限を切り、行かなかった場合、日時を指定して電話を止めることを宣告しました。

N氏から連絡を受けて、心配したS氏と私は、仙人に代理店に行くことを勧めますが、入院していた近所の叔母が転院するのでしばらくの間行くことができないと言い訳を言います。

仕舞いには、S氏にガラケーの代理店がどこにあるか教えろと言い出す始末です。

仙人は動かず、期限は過ぎ、プリペード型ガラケーの契約は打ち切られました。

結果、仙人は音信不通となりました。


himajintaro at 07:08|PermalinkComments(0)仙人 | よもやま話

2020年10月23日

翁山のリベンジならず、白鷹山へ

2020.10.16

昨年11月22日、山仲間3人で山形県尾花沢市と宮城県加美町にまたがる翁山(おきなさん)に登山をする予定で登山口に向かいましたが、予想より多い積雪により途中で断念しました。この時の様子は蕎麦屋「ふくろう」の天ぷらは増量進行中で紹介してます。

そこで、今年こそはリベンジとして10月16日に翁山を登る計画を立てましたが、山仲間S氏が腰を痛め、遅山仙人が音信不通となり、翁山はあきらめて、単独で白鷹山に向かうことにしました。

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山形市の西部、白鷹丘陵の最高峰・白鷹山(しらたかやま)は山形市におけるお天気情報の山として昔から市民に親しまれてきました。白鷹山が曇ると雨が降ってくるという言い伝え通り、しばらくすると雨が降ってきます。現に、白鷹山から西に延びる尾根には東日本をカバーする雨雲レーダーが設置されています。

白鷹山は県民の森湖沼群の南西部に位置し、カルデラ外輪山を形成しています。

干ばつの年に白鷹山に登る途中、水の入った瓢箪を転んで落としたため蓋が外れて沼がたくさんできたという昔話が残っています。

湖沼群の中の曲沼(まがぬま)は10月2日のツーリングで紹介したジュンサイの生息地です。

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登山ルートはたくさんありますが、私は山辺町畑谷の嶽原(たけばら)から登って、山形市門伝の大平に下りてくるパターンが大半です。

嶽原は私の母が生まれ育った所で、私は幼いころから従弟たちと何度も白鷹山に登っています。しかし、台風9号の土砂崩れにより通行止めになっていました。

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やむなく、大平に引き返して、大平から登ることにしました。

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大平のT字路には道標が立っていますが、登山道の入り口には標識が無いので分からにかもしれません。そのまま、道路なりに進んでも登山口に出ますが、大回りなので、登山道に入ります。

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沢沿いの畑の中の道を進むと、ようやく案内標識が出てきます。

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杉林の中に入ります。

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杉林を抜け、尾根の立ち上がりの所に「うがい場」と呼ばれる水場があります。ここから先は水場が無いので、ここで美味しい水を汲みます。

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うがい場周辺は平成天皇で有名になったユキツバキの群生地になっています。

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尾根を登り始めると東北電力の送電線の鉄塔が立っています。私たちの生活にとっては欠かせない電力線ですが風景を台無しにしていると言っても過言ではありません。

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ここから急登が始まります。階段になっているので歩きやすいのですが、このルート最大の難所です。

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ブナ林になり、途中に大きなブナの木が登山道の真ん中に立っています。

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今年の5月に作ったのか、「大鷹ぶな」という手作りの看板が枝にかけてありました。白鷹丘陵では最大のブナの木です。もっと低い山で、このぐらい太いブナの木は鶴岡市の日本海側にある高館山にあります。

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上から見ると、こんな感じです。写真下

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大鷹ぶなを過ぎると登りは緩くなり、右斜面はカラマツの林に変わります。

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左はブナ、ナラ、右はカラマツの登山道を進むと上山市の放牧場からのコースと合流します。

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ここから、尾根を800m進みます。尾根のトップを走る以前からの登山道と幅の広い登山道が並行して走ります。幅の広い登山道もしばらく前にできたものです。

20年以上前、山仲間O氏と山スキーで大平から放牧場に登り、そこから幅の広い登山道を登っていきました。山頂直下までスノーモービルが走っていたので、山スキーで登りやすく、帰りも快適に下ることができました。

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私は右の道を歩きました。

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尾根沿いにブナが続き、真っ赤になるモミジなどは、まだ色が付いていませんでした。

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まだ、朝の8時半ごろで空気も澄んでいて、カルデラの外輪山である東黒森山、その奥に山形盆地が広がり、蔵王連峰、甑岳、村山葉山の山々が良く見えました。

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幅の広い登山道はここで終わりです。ここから、少しだけ登りがきつくなります。

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朝の横からの光がブナの影を登山道に落としています。

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昔、嶽原の祖父から「天狗の相撲取り場」という場所があると教えられました。急斜面で夏はとても登れないので、3月の初め、雪が硬くなったところを見計らって、その場所に登って行ったことがあります。その場所が、上の写真の奥になります。

とても、相撲が取れるほど広い場所ではありませんが、ちょっとだけ尾長が平らになっています。天狗は宙に舞うことができるので、ちょっとだけ平らな場所があれば良かったのかもしれません。

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山頂直下で、一旦、南側にトラバース(巻いて)します。

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トラバースした先はT字路になっており、南陽市小滝から登ってくる石段と合流します。こちらが白鷹山の表玄関となります。

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石段はとても急で、経年変化で水平の部分がとても狭くなっていて、大人の足では蟹股かカニの横歩きでないと登れません。

少なくと40年前は水平部分は、もっと広かったことを記憶しています。多分、登山人口が増え、特に、毎年、多くの小学生が山形市少年自然の家の宿泊学習で大挙して訪れているので、だんだん石が土の中に食い込んできたためと思います。

日陰で湿度があり苔生しているため滑りやすく、下りが特に危険です。脇にロープが張ってありますが、大人の手が届く高さでないため、慎重に下りる必要があります。

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山頂付近には太い杉の木があります。雷で何本か幹割れしたために伐採されて、以前より本数が少なくなりました。

伐採された杉を製材して作った柱が実家に使われています。山辺町畑谷の製材所が母方の遠縁の親戚にあたり、大工だった父が実家を建てました。かなり樹齢が古いため、とても細かい木目の良い柱です。

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大平から、ちょうど1時間。時刻は午前8時40分です。この時間は、誰もいません。

行基開山により丑寅の守り神の虚空蔵菩薩を安置しています。毎年5月13日はお祭りです。昔から、この日は「高い山」といわれて、参拝客が山形市内から徒歩の行列をなしていたそうです。

この日、祖母と母は、山頂でワラビの味噌汁を売ったそうです。

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山頂からは外輪山の西黒森山、その奥に村山葉山、頭だけ見える鳥海山、月山、朝日連峰の障子ケ岳、小朝日岳、大朝日岳を見ることができました。

この日、月山は初冠雪でした。

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山頂の南西側には小屋があります。

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以前は、山仲間と元日に白鷹山に元朝参りをしていました。早朝に山辺町長御一行が登った後、私たちが登りました。この小屋で毎年同じグループや畑谷の親戚たちと顔を合わせ、新年の挨拶をしました。

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泊まることも可能ですが、近くには水場が無いので水を汲んで登る必要があります。小屋の裏にバイオトイレがあります。

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トイレは比較的きれいに利用されていました。

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白鷹町で建てた米沢藩主上杉鷹山にまつわる碑が立っています。

山頂で30分休憩を取りました。

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気温が低いので、アルマイトのやかんから湯気が立っています。軽量化のため、いつものフレンチプレスは持ってきませんでした。

魚肉ソーセージをお茶請けに、仙人が好きなブルックスのモカをいただきました。

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30分の休憩後、同じ道を戻りました。

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途中、大鷹ぶなの近くでシメジ2本を見つけましたが、他には全く見つけることができませんでした。

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うがい場の近くでナラタケ、ナラタケモドキを見つけました。ナラタケモドキはピークでした。いつもより、3週間から1ヵ月遅れています。

先に見つけたシメジもナラタケモドキ、ナラタケの後に出るので、まだ出始め、2週間後ぐらいにピークになると思われます。

昨年は秋に雨が降らず水不足でキノコは殆ど出ませんでした。

今年は、猛暑で遅れています。マツタケもマイタケも遅れています。ほかのキノコも遅い状態です。遅れて出たころには気温がぐっと下がって、ろくに出ないで終わることも考えられます。

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大平に戻り、11時前には帰宅しました。

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写真上 ナラタケモドキ(山形ではオリミキと言います)

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写真上 ナラタケ(山形ではクリモダスと言います)

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写真上 シメジ(傘が取れてしまいました。山形ではネズミシメジとか、色、形で様々な呼び名があります)

少しだけ取ったキノコは味噌汁にして食べました。

遅山仙人の動向が気になる読者の方がいらっしゃいます。多分、番組制作会社の方々もそうだと思いますが、後日、アップします。




himajintaro at 12:30|PermalinkComments(0)単独ツーリング | 登山