2018年06月
2018年06月10日
林道ダブル走行 宮城県七ヶ宿町中心部~福島市茂庭編
七ヶ宿町の信号機のある交差点を進むと通行止めの看板がありました。さらに進むと10t以下通行可能の看板がありました。こういった場合は迷わず進むことにしています。
この烏川林道は比較的低い山の山肌を縫うようにして走るためにカーブが連続していますが、ほとんど眺望が開けず、走っていても面白みに欠ける部分がありました。一か所だけ、伐採した場所が開けているだけで、森の中をずーと走っているような感じでした。
遅山仙人のリクエストコースではありましたが、彼としては残念だったようです。
最初の南蔵王林道・横川林道より遥かに道路状態が良く、走りやすい林道でした。実は、七ヶ宿町の中心部まで予定より1時間のロスタイムがあったのです。しかし、烏川林道の状態が良かったため、ほぼ予定時刻の11時には茂庭まで辿り着くことができました。
二本の林道走破で遅山仙人はかなりグロッキーになりました。元々、彼はバイク走行は得意な方ではありません。舗装された道路であっても、コーナリングでの体重移動は上手ではなく、前方からくる対向車を素早く目視する姿勢が取れないからか、恐怖が先に立ち、二輪特有のコーナーワークができません。このため、ワインディングロードでは必要以上に減速するので遅れる上に、二輪の面白さを堪能でないのです。
このため、砂利道では緊張のあまり体が必要以上に強張って疲弊してしまうという気の毒な面もあります。
彼の疲れを取るため、摺上川ダムの下流にある「もにわの湯」にゆっくり浸かってきました。
もにわの湯の入浴料は250円。以前撮った浴場の写真があったはずですが見当たらないので後日紹介します。
もにわの湯の隣の建物・茂庭ふるさと館にある「もにわそば処 霧華停」で昼食としました。建物に入ると農産物直売所になっていて、その奥に座敷があり、蕎麦を食べることができます。
野菜天せいろの大盛を二つオーダー。天ぷらは野菜を売っているところだけに揚げたてで美味しかったです。蕎麦は十割と聞いていたのですが、短めで、評判は今一つのようですが、私と遅山仙人にとっては十分美味しくいただきました。タレは少々辛目。蕎麦職人の知人がコストを落とせるのはタレしかないと言っていたことを思い出しました。
遅山仙人にとっては、最近、ツーリングで蕎麦を食べるのが楽しみになってきました。
もにわの湯、茂庭ふるさと館、そして摺上川ダムに上る坂の途中左側にある茂庭生活歴史館はNPO法人が運営しているようです。調べたわけではないのですが、多分、福島市の指定管理を受けて運営しているのだろうと思います。過疎化対策の一つとして、地元と企業等がNPO法人を立ち上げて、行政の施設を管理するというパターンが多くなっており、ここもその形を取っているのだろうと考えてみました。
もにわの湯までは飯坂温泉から定期バスが走っています。ツーリングをする上で、公共機関の存在は大事です。万が一、バイクが故障したら自分で直せるか、修理不能であればバイク屋はすぐ近くにあるか、バイク屋が手配できなければ、どうやって帰るか。最後は公共機関しかないのです。今までそういう経験があるので、公共機関についてはしっかり調べています。
満腹になったところで、コーヒータイムとします。
2018年06月09日
林道ダブル走行 南蔵王林道県境~七ヶ宿中心部編
峠を少し下ると行く手が二つに分かれます。
左は江戸の昔、宮城県から上山に盗水し、今も農業用水路として利用している横川堰につながっています。この堰は他県から水を失敬している日本でただ一つの農業用水路です。
余談ですが、以前、勤務先でこの水路の大規模改修工事の設計発注が行われ、現地調査で取水口まで連れて行ってもらったことがあります。もちろん、車で行けるのは、ずーと手前まで、トンネルから水が流れ出ていました。そこから取水口までは、しばらく歩かなければなりません。大きな沢二つ目に取水口がありましたが、驚いたことに手前の沢から水を取らずに、この沢を水路で横断して二つ目の沢から水を取っていました。多分、手前の沢は夏場水が少ないのでしょう。今のような測量器械がなかったころの江戸時代に蝋燭の明かりで測量をしていたというのです。昔の人々の知恵に驚かされました。
右は宮城県七ヶ宿町硯石(すずりいし)につながる横川林道(舟引林道とも言われているようです)です。
振り返ると蔵王・刈田岳が見えます。
奥羽山脈から外れた南蔵王の名峰・屏風岳、南屏風岳、不忘山(ふぼうさん)の山々とともに横川林道は南下していきます。
下りはかなり路面状態が悪く、上ってくるのは、かなり難儀と思われます。横川まで下ると、走りやすくなります。
上の写真には昔の林道の橋の橋脚と思われるコンクリート工作物が見られます。手前に見えるのはカツラの木です。
横川のロケーションはとてもよく、夏は涼しそうですし、秋の紅葉なども期待が持てます。また、渓流釣りができそうな支流がたくさんありました。遅山仙人は渓流釣りの名手で、釣りに連れて行くと言っていますが、まだ、一度も連れて行ってもらえません。
その昔、タケノコ取りのついでに車で舟引山を越えて横川まで下ったことがあります。この時は、横川林道の路面は岩盤のむき出しで、これ以上進むと岩に車のデフ(ディフェンシャルギアボックス)がぶつかり壊れて走行不能になる危険があると思い引き返してきたことがあります。あれから、何十年たったのでしょうか。それから横川林道は通れないという印象だけが強く、バイクで走ったという情報を得て、それならカブでも通れるのではないという軽い気持ちで今回走ったのでした。
林道の終点は宮城県七ヶ宿町硯石になりますが、その少し手前が南蔵王不忘山の登山口になります。不忘山は太平洋戦争時代の末期に米軍の重爆撃機B29が3機墜落したことで有名な場所です。不忘山は奥羽山脈から外れて南に突き出した最初の山です。米軍のパイロットも、この山の存在はわからなかったのでしょう。
ここから硯石には行かず、砂利道にお別れして、吉沼、横川集落を過ぎて七ヶ宿町中心部に向かいました。
この交差点の左が横川集落で不忘山の登山口につながっています。まっすぐ行くと、長老湖、硯石を経て遠刈田温泉へと向かいます。右は国道113号に出て左折すると、まもなく、七ヶ宿ダムになります。
そして手前が、これから向かう七ヶ宿で唯一?信号機のある交差点になります。
中心街にふさわしく交差点の手前に「番所」があります。七ヶ宿(しちがしゅく)は江戸時代に青森、秋田、山形、宮城県の七ヶ宿、福島の国見で奥州街道に道を譲る羽州街道の宿場町として栄えました。
このため、七ヶ宿町のあちらこちらには江戸時代の屋号や呼称が書かれた木札や看板が見受けられます。
町で唯一の信号機のある交差点。ここからまっすぐ進むと二本目の林道へ進んでいきます。
林道ダブル走行 上山~南蔵王林道県境編
2018.6.8
遅山仙人のリクエスト、宮城県七ヶ宿町と福島県福島市茂庭(もにわ)を結ぶ林道を走破したいという要望にお応えすべく、山形県上山市から舟引山(奥羽山脈)を越えて宮城県七ヶ宿町硯石(すずりいし)に抜ける林道と抱き合わせでツーリングプランを組んでみました。
明日、9日は職場の仲間の家族と舟引山でタケノコ(ネマガリタケ)取りをする予定ですので、道路状況とタケノコの生育状況の確認という勅命を受けての走行でした。
上山市・金生(かなおい)から菖蒲ダムに向かう県道を東に進み、廃村状態の古屋敷にたどり着きます。ここは、字幕スーパー付きのドキュメンタリー映画「ニッポン国 古屋敷村」で有名になったところです。
囲炉裏端で話をする婆ちゃんの山形弁が理解できないというので、日本の映画でありながら日本標準語の字幕スーパーが付いています。
集落の終わりごろに昔の分校らしき建物があり、県外ナンバーの車が数台ありました。誰か、雪のない時期に住んでいるのでしょうか。
宮城県境まで南蔵王林道8226メートルの表示がありました。
古屋敷からさらに進むと、萱平(かやだいら)の集落ですが、ここから先は砂利道になります。
写真ではよくわからないのですが、全体的に路面が荒れていました。特に上り勾配がきつい部分は雨水で所々路面がえぐられて、走りにくい状態でした。これでは、明日のタケノコ取りは無理かなと思いながら県境まで上り詰めました。
県境の稜線はなだらかで、タケノコの産地です。道路沿いでタケノコを探しましたが、適期はとうに過ぎていて、短めのものを取りましたが細いものしか取れませんでした。
遅山仙人は砂利道にハンドルを取られ、峠に15分遅れで到着しました。ここから、宮城県に入ります。