2023年10月23日
朝飯前の鎌倉山登山
2023.10.13
鎌倉山への近道!?を通って、鎌倉山の登り口であるJR仙山線の踏切まで来ました。
踏切には車止めのポールとチェーンがかけてありました。リトルカブならポールの脇を行けそうでしたが、ここでヤメておきました。
登山靴を履き、JR仙山線の踏切を渡って登り始めたのが8時10分でした。
仙山線沿いに杉林の脇を登っていきました。軽トラぐらいなら十分走れる道幅です。
ただ、道は荒れていました。四駆なら大丈夫でしょう。しかし、倒木があり、トライアルバイクでないと無理かもしれません。
林道からの登り口にたどり着きました。
下の地図の青い丸のところです。この林道を北上すると地図には名前のない大沼という沼にたどり着くようです。
ここから先は、国土地理院の2万5千分の1地形図にはない道を進みます。
スマホの国土地理院のアプリを電波が良好の状態で、行き先を表示しておくと、地図データーを記憶するので、電波がなくともGPSで位置を表示してくれます。
林道からの登り口を進むと、斜面が段々畑のように水平部分が多いような気がしました。
林床には、中低木が少なく、極相と呼ばれる安定期の林のような気がしました。北斜面であるのも理由かもしれません。
写真ではわかりにくいのですが、狭い水平部分が多く、山城に見られる曲輪(くるわ)ではないかと感じました。
鎌倉山については事前に調べてみましたが、城があったという記録が見当たりませんでした。
今年7月24日に登った米沢市の早坂山も古い年代の山城でした。
途中、倒木がありました。
左側に沼らしき水たまりが見えました。沼を過ぎたところから沢を登りました。
トラロープが張ってありました。
沢を一気に登り詰めました。
平坦部になると、北側に尾根が伸びているのが見えました。
尾根に出ると、矢印の標識が間違った方向で落ちていました。
上の写真を見ると、自分が登ってきた方向が×で、先と右に矢印が向いていました。本当は、下の写真が正解です。
置き直しました。
今まで登ってきたところに敵を迎え撃つ曲輪があり、北に伸びる尾根の上に館(城の建物)があり、鎌倉山山頂は見張り台だという空想をしてみました。
昔の山城は、平坦部にいる殿様を守る家臣の出城が多いので、交通の要衝に城があってもおかしくないと想像を膨らましてみました。
北に伸びる尾根は赤いスズランテープで通行止めの意思表示がありました。
登山アプリのヤマップには、この尾根を歩いて、先程の林道に降りたという記録がありました。
最後の登りは、地図通りに急登でした。
人が歩くので、地表面の土が削り取られ、木の根が出ていました。ここにもトラロープが張ってありました。
9時丁度に山頂に到着しました。
山頂には国土地理院の三角点がありました。
視界が悪く、ニッカウヰスキー仙台工場が木々の間にかすかに見えました。
多分、以前、視界を広げるために刈払いしたと思います。しかし、切った枝の脇から新しい芽が出て、高く伸びたことが推測されました。
ここまで、50分で登ってきました。ヤマップの地図を写メりました。
ヤマップの予定時間通りでした。
いつものように、山頂で朝食を取りました。
焼いた金華サバと梅干しの入ったおにぎり、野菜たっぷりの卵焼き、具沢山の味噌汁、豆パン、プルーン。腹一杯になりました。
持ってきた熱湯で味噌汁とコーヒーを煎れました。
山頂で一時間休み、10時に下山を始めました。
帰りは、キノコが目に付きました。
本当にたくさんキノコが出ていると山じゅう菌糸の匂いがしますが、この山はあまり菌糸の匂いがしませんでした。
キノコは取らずに、写真で撮りました。あえて、キノコの同定はしません。
林道の登山口まで戻り、少し進むと右側の沢側に田んぼがあったような軌跡ありました。写真ではよくわかりません。
仙山線の脇に来るとリンドウが咲いていました。
帰りは40分で戻ってきました。
山頂からの眺めは残念でしたが、山城の空想と歴史ロマンを感じながら、面白い登山でした。
登山靴を脱いで、帰り支度をしました。
給油のために秋保温泉に向かうことにしました。
つづく
2023年10月22日
鎌倉山への近道!?
2023.10.13
10月8日の親類縁者の墓参りで、最後に行った上山の山仲間でバイクの師匠のO氏と亡くなる数年前に、JR仙山線作並駅近くの鎌倉山(通称ゴリラ山)に一緒に登ろうと約束していました。
しかし、約束が守られないまま、10年前の8月末、物言わぬ臓器を冒した癌により帰らぬ人となってしまいました。
今年は、O氏とゆかりのある山を登り続けてきました。
10年経ったこの日にO氏を偲び、鎌倉山に行くことにしました。
作並までのルートは朝の通勤時間帯を避けたいものの、夜明けが遅くなっているので、交通量の多い国道48号は走らないことで考えました。
グーグルマップと国土地理院2万5千分の1地形図とにらめっこしたところ、仙台市立秋保中学校の交差点からニッカウヰスキーの語源になった新川集落に抜ける山道を発見し、行ってみることにしました。
国道286号笹谷峠で6時15分。ようやく、斜面に朝日がさしてきました。
雁戸山(がんどさん)や山形神室方面に登るだろうと思われる人たちの車が駐車場に数台入っていました。
紅葉は、まだ早く、もう一週間ぐらいでしょうか。
国道286号を東に進み、釜房ダムの手前から国道457号に入り、仙台市本砂金(もといさご)を抜けて、仙台市立秋保小学校のT字路交差点を左折し、秋保中学校のT字路交差点を右折して、そのまま道なりに進めば、熊ヶ根で国道48号に交差します。
今回は前述のルートで山を超えて、鎌倉山に向かいました。
田んぼの中の農道を西に進み、山道に入ります。
下の写真のT字路までは道幅が広いのですが、その後は、車同士はすれ違えない場所もある仙台市道です。
山道を走っていると急に視界が開けました。
「仙台ハイランド レーシングカートコース」に出ました。
ここには、結婚前に妻とデートで来たことがあります。妻が仕事の関係でもらったチケットで来た覚えがあります。雨降りでした。
昔は「西仙台ハイランド」と言っていた記憶があります。遊園地もあり、仙山線に「西仙台ハイランド」という無人駅があったはずです。
下のスマホの国土地理院のアプリの青い丸のところです。芋峠とあります。笹谷峠から約1時間というところです。
スマホで位置を確認していると、右側から軽乗用車が現れ、強面のオジさんが降りてきて、扉を開け、車が中に入ると扉に施錠をして、車に乗って行ってしまいました。
こんなに早い通勤なのでしょうか。
車が過ぎ去った後に、門扉のところに行ってみました。メガソーラーの発電所です。
グーグルアースで見ると途轍もない広さです。
発電量が39,000KWということは、単純計算で100V50A契約の家庭がフルに電気を使って、7,800戸になるのでしょうか。
山形県内で言うと村山市が今年9月現在で7,400世帯なので村山市の家庭を全部賄えるということになります。
単純にそうは行かないでしょうが、すごい発電量です。
発電所から一気に急な尾根道を下ると新川集落です。
目標の鎌倉山が見えてきました。
新川からニッカウヰスキー仙台工場の裏側の斜めに走る道に入ります。
脇から鎌倉山を見るとゴリラの頭のような格好に見えます。
多分、通称名の由来はそんなところでしょう。
国道48号に出ると鎌倉山の真正面になります。天空に突き出した岩山です。
国道を左折して、すぐに右側に入るのですが、車道はあるものの、草だらけで車で入ろうとは思わないかもしれません。
私は躊躇することなく、リトルカブで進みました。
行けるのは仙山線の踏切まででした。
下りの列車が通過しました。
登山靴を履いて準備していたら、上りの電車が来ました。
近くに作並駅があり単線なので行き違いなのでしょう。
ここまでの道は、決して近道ではありませんが、リトルカブに乗って物見遊山で走るには丁度よいルートでした。
時刻は8時10分。ここから、歩いて鎌倉山に登りました。
つづく
2023年10月21日
墓参りと栗拾いと栗ご飯
2023.10.8
毎月第一日曜日恒例の親類縁者の墓参りは、今月は第一日曜日に上京したために、翌週に変更しました。
多少風はありましたが、天気が良く、墓参りには、丁度いい天候でした。
父の実家がある寺には、父方の親戚の墓も複数あります。唯一わかっているのは、住職から教えてもらった、父の叔父の墓です。
父の従妹が墓守をしていますが、高齢になり、住職も消息を心配していました。
今回、訪れたら花が添えられていました。父の従妹が飾ったのか、それとも従妹が仏になってしまったのか、この日は住職に確認せずに、次の寺に向かいました。
次は、遅山仙人の身内と父の姉夫婦が同じ墓に入っている寺です。
いつものように、仙人の帯状疱疹の激痛からの快癒を仙人の身内に祈願してきました。
母方の身内のお参りを済ませ、妻の実家の墓に向かいました。
最近、妻の実家も山形市内の平坦部に転居し、墓参りでなければ来る機会が無くなってしまいました。
墓地のすぐ上にある旧双葉小学校への通学路にある栗が落ちていたので拾いました。
下の方の栗は小さめなのですが、学校に近い方は大きな栗でした。30個近く拾って、次の墓地に向かいました。
最後は、上山の山仲間の墓地です。
今回は、好物の一つだったバドワイザーを一缶供えました。ここでは、山仲間に仙人へ叱咤激励をお願いしました。
久しぶりに、広域農道を通り、遠回りして帰りました。
まだ、稲刈りが済まない田んぼがたくさんありました。
翌日は、妻が仕事なので炊事軍曹を賜りました。
前日に取ってきた栗を冷凍庫に保存しておき、熱湯に10分ほど漬け込んでから皮を剥くと、鬼皮は比較的簡単に剥けました。
前日取ってきた半分の栗を栗ご飯にしました。今回は塩の代わりに白だしを入れていみました。
家にあった豚肉で豚唐揚げとカボチャの天ぷら、東京かっぱ橋で買ってきた究極のピーラーを使って人参、ごぼう、万願寺唐辛子のかき揚げを作りました。
今日も炊事軍曹の任務を無事終了しました。
2023年10月10日
栗拾いリベンジと栗ご飯と芋煮
2023.9.28
遅山仙人から大学病院での血液検査の結果を聞いた翌日、白鷹山高原放牧場での栗拾いが空振りだったことから、栗拾いに行きたくなり、午後から雨降り加減ではありましたが、上山市の金山に行きました。
9月26日に仙人リクエストで福島市へ向かう途中、上山市赤山の金山峠の入口で道路端に栗が落ちているを確認していました。
赤山集落に隣接する栗は、大きな実の付く栗です。山形あたりでは里栗と言うこともあります。まだ、結構の数が落ちていました。
赤山から金山峠に向かうゲートから峠側には行かずに、金山集落へ向かう右側の道を上っていきました。
しばらく走ると、左に入る金山集落へ向かう道との分岐点に着きますが、そのまま、右側の太い道を進みました。
上の地図では金山集落の西側を走る黄色い道路です。
どうも、金山峠に向かう主要地方道上山七ヶ宿線と同じ、山形県管理道路のようです。栗拾いしている最中に山形県の黄色い道路パトカーが上ってきました。
途中、猿軍団が栗拾いをしていました。
こちらの栗は、山栗とか柴栗とか呼ばれている小さい粒の栗です。食べては、こちらのほうが美味しいです。ただ、粒が小さいだけに皮むきが大変です。
先程上っていった黄色いパトカーが折り返してきました。
栗ご飯をするには十分な数を拾いました。栗拾いを終えて、行けるところまで行ってみました。
太い道路は行き止まりになっていました。先を覗くと、舗装されてはいませんが、道の形をしていました。
上の地図でもわかるように、金山集落へ行く道に繋がっているはずですが、行き止まりになっていました。
歩いて行ってみましたが、道はありました。途中、土砂崩れでもしていない限り、通行可能かもしれません。
太い方の道は、金山峠までの付け替え道路かもしれません。ただ、平日の交通量は極端に少ないので、このまま延長する意味があるかという疑問があります。
金山峠の付け替えと旧羽州街道の小坂峠を改良して大型車が通れる道になれば、現在のところ福島市と山形市を結ぶ最短コースになると思います。
本当は稲子峠と国道399号を改良すると、そちらのほうが最短でしょうが、現実的に、そこまで改良する必要はないと思います。
行き止まりを戻り、金山集落に行ってみることにしました。
金山は廃村のようでした。
集落の途中から、旧羽州街道に繋がっていました。
ここから、1.9km歩くと金山峠のようです。
リトルカブで、少しだけ上っていきました。杉林の中に入っていくようです。
峠まで歩く人のために、入口に駐車場がありました。
集落内の道に戻り、先に行ってみました。通行止めの看板がありました。
先程の太い県管理道路に繋がっていく道です。
来年の春、草があまり生えないうちに、もう一度来てみたいと思います。
金山集落から赤山に引き返し、山仲間でバイクの師匠O氏の墓に立ち寄りました。
拾った栗を供えて、お参りしました。仙人の検査結果が良くなったことを報告しました。
まだ、帯状疱疹による激痛が取れていないので、今まで以上の叱咤激励をお願いして、帰宅の途に着きました。
栗拾いの二日後、妻が仕事だったので、炊事軍曹を賜りました。栗と土芋(里芋)の皮を剥き、栗ご飯と山形の秋の名物の芋煮を仕込みました。
秋の味覚を十分堪能しました。栗ご飯と芋煮は、その後、もう一回しました。
余った栗は茹で栗にしました。
2023年10月09日
仙人の血液検査発表
2023.9.27
前日、遅山仙人のリクエストでツーリングにでかけました。
最初は、翌日に大学病院の血液検査があり、即入院と言われそうだから、とてもツーリングに行く気にはなれないと落ち込んでいました。
万が一、そのまま死ぬようようなことがあれば、仙人が行きたかったところに連れて行ってもらえなかったと化けられるのは嫌なので、行こうと強引に連れ出しました。
検査当日の午後、NPO法人の会議中に仙人から電話が入り、夜、こちらから掛け直すと伝えました。
夜、仙人に電話をすると、声が弾んでいました。
検査の結果は、前回より数値が改善していたので心配がなくなったようです。
前日にツーリングに行ったので、疲れて悪化すると思っていたようです。
悪化するどころか、昼食で不足しているタンパク質を補い、適度な運動により、体調が良くなったことに違いありません。
さらに、担当の女医さんにカブで福島市の医王寺に行ったことを話すと、甚く感心して、詳しく聞かれたというのです。寺の名前に惹きつけられたのでしょうか。
そのことを仙人のカルテにメモしていたとのこと。電子カルテにそんなことをメモするものでしょうか。
本当は、医王寺には薬師如来も安置しているので、そのことを伝えるべきだったのですが、宗教を人一倍勉強していると自認している仙人は、薬師如来のご利益も知らずに、肝心なことを伝えなかったようです。
それからもう一つ。
看護師さんが、最近まで自動二輪に乗っていて、年なので、大型のバイクには乗ることができなくなったと言っていたと喜んで話をしていました。
なぜ、スーパーカブでツーリングに行こうと誘わなかったのかと突っ込むと、恥ずかしくて言えなかったようです。
帯状疱疹による激痛は改善しませんが、何より、検査結果がいい方向に上向いていることだけは幸いです。
仙人は、まだ、しばらくの間は死なないでしょう。