2021年06月06日

仙人のもう一つの疑問

2021.5.28

稲子峠が通れなかったら、国道399号の鳩峰峠を越えて、高畠町に下りて、広域農道を走って二井宿から柏木峠、上山市楢下を通って帰るつもりでした。

鳩峰峠も、毎年、山形県側の通行止めが続いていて、しばらく走ったことが無かったので走ってみたいという気持ちもあったのですが、仙人のもう一つの疑問を解き明かすためには、稲子峠を通る必要がありました。

宮城県七ヶ宿町稲子から同じ町内の湯原の国道113号に抜ける稲子峠は、所々、工事の跡が見られましたが完全に通れる状態になりました。

一旦、国道113号を走り、湯原の先から右折して干蒲(ひかば)の集落を走り、金山峠に向かいました。

実は、愛宕神社でコーヒータイムでの遅山仙人の、もう一つの疑問を解き明かす場所が金山峠手前にあるでした。

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歴史研究家の仙人は、お姫様が自分の顔を写した清水が金山峠付近にあると、何かの資料で見つけて、コーヒータイムの時間に私に話していました。どこにあるのか分からないと言うのです。

私は、すぐにピンと来て、鳩峰峠を通らずに稲子峠を選んだのです。ここは、宮城県と山形県の県境、宮城県からは金山峠の直前にある、白石川源流です。

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この場所はツーリングで金山峠を越えるたびに何度も通過しているのですが、立ち寄ったのは初めてです。

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仙人は驚きを隠せませんでした。いつものことながら、仙人が言う場所のほとんどをピンポイントで当ててきました。

私は歴史研究は全くしていませんが、一緒にNPO活動をしてきた知人に著名な歴史研究家がいるので、時々、話を聞く機会もあり、情報を頭の引き出しにしまっておくので、偶然にも当たってしまうのです。

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この水源の奥には旧羽州街道の道跡があり、当時は休憩地点の水場として使われてきたようです。

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仙人としては感動のツーリングとなったようです。行きたかったレストラン緑山で食事ができて、場所を探していた鏡清水も分かり満足して金谷峠を越えました。

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満足ついでに、山仲間の墓参りをして、帰宅ラッシュに遭遇しない時間に帰宅することができました。

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次回のツーリングを秋田県境に近い及位(のぞき)に行き、無人駅探索の旅をしようと約束しましたが、その前にタケノコ取りに出かけることにしました。

タケノコ取りの前に毎月恒例の親類縁者の墓参りに出かけます。



himajintaro at 09:26|PermalinkComments(0)

俺は親に捨てられた⁉



2021.5.28

道祖神で安全祈願をし、国道399号を北上して、茂庭集落から摺上川ダムサイトまでの長い坂を登り切り、愛宕神社でコーヒータイムとしました。

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愛宕神社はダムサイトから近く、ダムに沈んだ集落にあった神々を新しく作った国道沿いに移して祀っています。

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私は摺上川ダムができる前に、ヤマハのチャンプRSで山形市内から金山峠、稲子峠を越えて鳩峰峠から伸びる国道399号に入り、飯坂温泉を通って福島市内に住む妹夫婦に何度も行ったことがあります。

その時走った摺上川沿いの集落に、どこの田舎にもあるようなお酒や日用品を置いている〇〇商店と呼ばれているような店があったような記憶があります。もしかしたら、茂庭の集落にあった店だったかもしれません。

山あいのクネクネとした国道399号から少し広くなった摺上川の谷あいの道をしばらく走ると茂庭でした。

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遅山仙人によると、埋没した摺上川沿いにはたくさんの遺跡があったそうな。

村人がみんなで大きな落とし穴に鹿などの大型鳥獣を落として狩りをしていたと言うのです。

「なぜ、人は山で暮らしたのか?」「なぜ、遺跡を残さなかったのか?」と、いつものボヤキが始まりました。

山で暮らすことについては、仙人があちらの世界に帰った時に、ご本人たちに聞いていただくことにして、遺跡については、わかる範囲で答えました。

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公共事業や民間の大きな開発の時に、遺跡があると思われる場所については、開発者の自己負担で遺跡の発掘調査をしなければなりません。

さらに調査の報告書を作って自治体に提出しなければなりません。重要性が高いとされれば、保存する義務を負います。そうでないときでも、建物の位置を変えるなどの開発計画を変える必要が出てくる場合があります。

遺跡が破壊されなければ、大抵は埋め戻して終わりになります。遺跡の状態を示す報告書が自治体に永久に保存されます。

ですが、調査して報告して指示を受けるまでには相当な時間と経費負担が伴うので、工事が大幅に遅れることが多いのです。

そんな話を仙人に聞かせたのですが、仙人は全て残して保存すべき派なのです。そんなことをしたら、国中が遺跡だらけになって、住みにくくなると説明するのですが、頭のいい仙人でも、想像ができません。

頭の中に想像というバーチャル空間を作れないので、ツーリングで位置情報がわからず、迷ってしまうのです。

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仙人から質問されたので、私からも質問を一つ。

仙人はなぜ、コレクターになったのか?

「俺は親に捨てられた」と言うのです。

頭の中に???が飛び交いました。

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父親に大事なものを捨てられたと言うのです。

仙人の父親は国家公務員でした。職場で行われた小説かエッセイのコンテストで2度も全国最優秀賞をとったことで本になり、国会図書館に保存されています。さらに、本当かどうか、映画化もされたというのです。

その父親は、仙人とは真逆の、大の始末屋だったそうです。

要るのか要らないのか、よく確認もせずに見境なく、毎朝、物を捨てたり焼いたりしたので、毎日、家じゅうで大騒ぎをしたと言うのです。

このことが仙人としてはトラウマになり、物がないと安心できなくなり、俗にいう〇〇屋敷に住む仙人となり、コレクターとしての本領を発揮することになるのです。

親の影響とは、大きいものだとつくづく考えさせられました。

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低気圧の影響で強風だった午前中とは打って変わって、穏やかで青空が広がり、ツーリングには心地よい午後になりました。

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この通りでは、いつも見かける猿軍団は全く見ることができませんでした。

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湖面は穏やかでした。

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昨年は稲子峠と鳩峰峠が通行止めで一度も国道399号を走っていません。

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何度も七ヶ宿役場に問い合わせて、雪が降るギリギリまで稲子峠の災害復旧工事の完成予定を確認しましたが、開通を待たずに冬季閉鎖となりました。

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仙台藩の足軽の集落として栄えていた稲子は住人が一人だけとなり、まさしく限界集落となってしまいました。

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稲子峠については役場に確認を取らずにツーリングに出かけたので、通れなければ、鳩峰峠を越えて高畠に出るつもりでした。

県単位の3桁国道や県道の情報はホームページで確認できるので鳩峰峠は確認が取れていました。

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稲子峠への交差点には通行止めの看板が立っていなかったので、仙人の、もう一つの疑問に答えるために稲子峠へと進みました。


2021年06月05日

象徴的で真っ赤なご神体は何処へ

2021.5.28

とんかつで有名な福島県梁川町の食堂よしかわを後にして、一路、摺上川ダムを目指しました。

道祖神

再度、阿武隈川を渡り、桃畑をくねくねと走るピーチラインを爆走し、国道4号を横切り、福島市飯坂温泉の街中をかすめて、国道399号に入りました。

久しぶりに道祖神に立ち寄りました。グーグルマップではご丁寧に英文表記されていました。

Traveler's Guardian Deity 旅人の守護神

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上の写真は2012.10.14の写真でGoogleマップに投稿したものです。大変賑わいを見せていました。

それに比べ、現在は下の状態です。近年、とても寂しい状況です。シンボルの代わりに布袋様や違う置物が置かれています。


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普段は信仰心の無い遅山仙人が珍しく、旅の安全を祈願してか、自身の再起をかけてか、シンボルを撫で始めました。

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撫でたシンボルの割れ目に、誰が刺したのか、一円玉が刺さっていました。

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裏側に回ってみると、朽ちたシンボルが重ねてありました。

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この9年間で劣化した物もあるでしょう。屋根が架けてあるだけに、急速な変化は考えにくいところです。腐食が進んだシンボルは、ハルシメジと思われるキノコまで出ていました。

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しかし、9年前の、あの象徴的で真っ赤なご神体は何処に行かれたのでしょう?

道祖神で帰路の安全を祈願し、国道399を北上しました。間もなく、摺上川ダムです。


2021年06月04日

注目の人気店へ

2021.5.28

ちょっとリッチな昼食を終え、福島県梁川町まで山を越えるか、阿武隈川を遡るか迷いましたが、阿武隈川沿いを走ることにしました。

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このルートは北上することが多く、南下して阿武隈川を遡るのは久しぶりです。

昨年の鉄道むすめ・丸森たかこさんがお迎えでも紹介したように、集中豪雨の被害により、阿武隈川左岸の所々が被害を受け、右岸を迂回ルートとしていました。

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対岸に阿武隈急行・あぶくま駅が見えるあたりも工事中で片側交互通行になっていました。

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猿跳岩は右岸側は地面が流されて、岩の上部にある稲荷様へは簡単に行くことができなくなりました。

一部、復旧工事が終わっていないところもあったようですが、国道349号は完全に通れる状態になっていました。

そして、レストラン緑山では食事ができない前提で考えていた梁川町の食堂に向かいました。

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山越えで丸森町へ抜ける道路沿いにある食堂よしかわという店です。この道路は、阿武隈川ルートが通れない時に迂回ルートで走ったことがあります。

このお店は、以前から気になっていた店です。大盛りのとんかつが有名で、一度食べたかったのですが、なかなか、昼の時間で梁川町を走る機会がありませんでした。

今回の齋理屋敷の見学の後に考えていました。この日は13時30分ごろ、店に到着しましたが、平日のこの時間でも駐車場は、あまり空いていませんでした。

次回のお楽しみとして、摺上川ダムを目指しました。


himajintaro at 08:14|PermalinkComments(0)観光 | お食事処

2021年06月02日

ちょっとリッチなツーリングランチ

2021.5.28

宮城県丸森町のお金持ちのお屋敷・齋理屋敷を見学しましたが、お客さんは私たちだけでした。見学の前に立ち寄ったレストラン緑山に11時20分ごろの予約を入れておいたので、11時ごろ、齋理屋敷を出発しました。

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阿武隈川の支流・内川を遡り、緑山がある場所は、周りにキャンプ場やレストラン、国民宿舎などがあり、別荘地的な雰囲気があります。

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玄関を入ると正面に大きな絵が飾ってありました。

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11時開店で、お客さんは一組入っていました。

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丸森町のお金持ちで紹介したシェフが出迎えてくれました。てっきり、シェフがワンオペと思いきや、若い女性店員がオーダーを取りに来てくれました。

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いつも、何をオーダーするかが問題です。遅山仙人は、一度、オーダーに失敗してからトラウマになり、必ず、私と同じ物しか頼まないようになりました。

今回は、普段のツーリングで到底立ち寄らない、ちょっとリッチなお店です。どんな料理があるのか楽しみです。そこで、今回は仙人自ら選択させることにしました。

仙人は私が何を注文するのか気になり、盛んに尋ねましたが、私は答えませんでした。仙人とは違う料理を頼むと伝えると、渋々、メニュー表の一番上にある緑山ランチをオーダーしようとしました。

仙人は給仕の準備をしている女性店員に声をかけましたが、聞こえるはずも無く、自分ではオーダーしたとばかり思っていたようです。

私は改めて店員を呼び止め、オーダーを依頼し、仙人の緑山ランチと和風ハンバーグセットを注文しました。

すると仙人は「二つも食べるのか?」と私に尋ねました。自分がオーダーしたと思っている仙人には構わず、違う話を始めました。

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女性店員がシェフからのサービスだと言って、アイスコーヒーを持ってきてくれました。

仙人の話によると、身内の葬儀の時に、妹の友人が丸森町でレストランをしているという話になり、丸森町はツーリングで度々通るので、気になって、数日前に、このレストランに電話をしたと言うのです。

話が長い仙人は、仕事が忙しいとシェフから体よく、電話を切られた様子でした。

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緑山ランチはリゾットの上に魚のフライが乗っていました。見た目よりも量も多く、仙人のお腹がビックリして、壊れてしまうのではないかという盛りでした。美味しいを連発していました。

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ひき肉400gの大きなハンバーグは食べ応えがありました。ファミレスとは比べ物にはならず、ジューシーでソースの味が良く、美味しくて大満腹でした。マイタケ、シメジの存在感もありました。

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会計では、かなりディスカウントしてもらいました。

店の外に出ると、外までシェフが見送りに来てくれました。実は、ここからが本日のメインディッシュでした。店には、別のお客さんがいましたが、食事を始めたので、しばらく、シェフと立ち話で弾みました。

シェフは若いころ趣味で渓流釣りを始めたそうです。毛バリを使ったテンカラ釣りを専門にやられていたそうです。私は話だけで見たことも無い仙人の得意とする毛バリのテンカラ釣りと同じだと思い、話をテンカラ釣りで盛り上げようとすると仙人は乗ってきませんでした。

どうも、私が睨んでいた通り、単なる毛バリのコレクターだったのかもしれません。

シェフは、その後、海釣りに転向し、小型船舶免許を取り、自分の船を持って、海釣りを楽しんだそうです。しかし、10年前の3月11日の東日本大震災で船が流され、それを機に海釣りをやめて、バイクのツーリングをしているそうです。

開店前に店を訪れた時に、バイクで行ったことから、私たちに興味を示してくださり、開店前も、バイクの話をしました。

シェフの話によると、このレストランの下にあった月型の町営レストランは閉鎖され、国民宿舎も経営難で辞めてしまったそうです。山仲間たちと宮城県の宿泊キャンペーンを使って半額で国民宿舎に泊まり、緑山で昼食を取ろうかと考えていた矢先のことでした。

土日は予約が取りにくいのかもしれません。料理は自分一人なので大変だそうです。悪い評価もあると語ってくださいました。忙しいと料理が出てくる時間も遅くなるのかもしれません。

以前、福島県山都町の蕎麦屋さんに朝早く行って蕎麦を出してもらった時も、店主が昼の時間に客が集中するので大変だと言っていました。分散してきてもらえれば、お客さんをゆっくりもてなせるのにと思うのは、どの店も同じことだと思います。

再度、来店することを約束し、シェフにお礼を告げて、緑山を後にしました。

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